二十三話 クラス替え

「おっ!来たかおはよう!」


 教室に入り真っ先に俺と蓮に気付いた圭地に挨拶を返す。


「おはよう圭地」


「おう!」


 椅子から立ち転げそうなほどに身を乗り出し太陽のように笑う圭地に苦笑を浮かべていると、その間に蓮が割り込む。


「もぉ~!朝から何をやってたの?!ちゃんと説明してよ!」


「悪い悪い」


 年不相応、子供のように怒る蓮を宥める圭地を横目に見ながら自分の席へ座る。


「おはよう、篠町くん」


 机横のフックにカバンをかけていると上からそんな声がした。顔を上げると俺を見下ろすように立っている木皿儀と目が合う。


「……ああ、おはよう。木皿儀」


 まさか挨拶をされるとは思わなかったので、僅かに反応が遅れ驚きのあまり少々ぶっきらぼうに返してしまった。


「怪我の具合はどうかしら?」


「激しい動きはまだ厳しいかもだけど、普通に生活する分には何の問題もないよ」


「そう」


 そう短く返すと木皿儀は自分の席に戻る。何だったんだ?


「……?」


 一時間目の授業の準備をしていると、視界がほんの気持ち程度彩度を落とす。太陽が雲で隠れたのか?と思い顔を上げると、机の前にはクラスメイトの一人、黒ヶ響が立っていた。

 百八十はありそうな体躯に感情の読み取れない静かな表情。ただ立っているだけでも恐怖を感じざるを得ない妙な威圧的に言葉を失う。


「……」


 互いに目を合わせたまま一歩も動かない時間が続く。一秒、一分と過ぎて行く度に言い知れない恐怖が徐々に累積していき、うっかり気を抜くと泣き出してしまいそうになる。

 それでも目を逸らさなかったのは、本能的になのか逸らしてはダメな気がしたから。更にそこから数分間、同じような時間が続き、そろそろ俺の我慢も限界に達しそうになった頃、黒ヶの肩に細い腕が回った。


「くっ……ダメだよぉ響。余り怖がらせちゃぁ」


 笑いを吹き零しながら同じくクラスメイトの一人、間紺が顔を出した。


「ごめんねぇ。篠町くん」


「ああ、いや、大丈夫」


「ありがとねぇ。けど、凄いねぇ。響相手に泣かなかったのは篠町くんが初めてだよぉ」


 賞賛を含んだ短い拍手を送られる。泣かなかったのではなく、泣けなかっただけである。

 だって泣いたら殺されそうだったんだもん。


「そうでもない、だろ……」


「昔から響は身長の割に人見知りの口下手でねぇ。その威圧感のせいで今まで何人泣かせたか。三十人辺りから数えるのは辞めたけど、少なくとも両手足以上は泣かせてきたかなぁ」


 感慨深く語る間を横目に黒ヶに視線を移す。その話を聞いた後だからか黒ヶのその目が何だか寂しげに見えた。


「っ……な、何か用か?」


 そんな黒ヶがわざわざ泣かれる覚悟を決めて俺の元に来たんだ。目を逸らしてばかりで話を聞かないのは失礼と言うものだろう。


「……あ」


 長い長い溜めの後、黒ヶはそんな音を漏らした。人見知りの口下手らしい第一声に、当初黒ヶに抱いていた印象の八割が崩壊した。

 そこからはまた、沈黙が続く。こういう場合、俺に出来ることは二つに一つ。ひたすら待ち続けるか優しく言葉をかけるか。手段としてはどちらも『待つ』ことに変わりはないのだが、後者の方が心的余裕が生まれやすい気がする。


「ゆっくりでいいよ。ちゃんと待ってるから」


「っ!」


「へぇ」


 表情にこそ出ていないが態度で驚いているのは一目瞭然で間に至ってはどこか感心した様子で俺らを眺めている。


「……お……おはよう」


「ああ、おはよう」


「……」


 挨拶を返すと心成しか黒ヶの表情が柔らかいものになった気がした。


「仲良くするのはいいけど、僕のことも忘れないでねぇ」


「忘れてないよ。おはよう」


「うん、おはよぉ。あ、そうだ。凪くんって呼んでもいいかなぁ?」


 随分と急だな。


「いいけど、俺も紺って呼ぶよ?」


「むしろ大歓迎だよぉ。よろしくねぇ」


「よろしく」


 紺と握手をし終えると、その背後に最初の時と同様の威圧感を放っている黒ヶの姿が見えた。


「黙ってばかりじゃ分からないよぉ。ちゃんと口に出さないとねぇ響」


 それに気付いたのか紺は肩越しに視線を送り煽るような声音で緩く笑う。


「……」


 いい性格してるなと思いつつ助け舟を出すべきか悩んでいると、紺が人差し指を口に添えしーと言う仕草を取った。

 何もしないでいい、そう言うことだろう。


「……」


 紺の示す通りに何もせず、黒ヶを見守る。


「…………俺も」


「おっ珍しいねぇ」


「響でいいかな?」


 頷いたのを確認する。


「よろしくな、響」


「……」


 その体躯に似つかわしくないほどの優しい力で握り返されたその手は異常なほどの汗に染められていた。

 別に気持ち悪いとかはないが、相当無理をさせてしまったと強く思った。


「あ、鐘が鳴ったねぇ。じゃあね、凪くん」


「……」


 手を振りながら紺と響は自分の席に戻って行く。担任が来るまで手のひらを眺めていたのは内緒。


「授業を始める前に全員荷物を纏めろ」


 出席を終えると、担任は唐突にそう言った。とうとう外で授業を受けるのかと覚悟したが、どうやらそうではないらしい。


「本校舎に移動するぞ」


 代表戦の勝利報酬のことをすっかりと忘れていた。せっかく引き出しに収めた教科書類をカバンに詰め直し席を立つ。


「分かっていると思うが、本校舎の敷居を跨ぐことの意味を忘れるなよ」


 最後に釘を刺し落とし本校舎と旧校舎を繋ぐ長い長い廊下を歩いて行く。道中海世のクラスメイト約四十人とその担任とすれ違った。皆一様に明るい表情はしておらず、どこかこの世の終わりかのように暗い顔で床を見ている。それは担任もしかりで、中には憎悪を含んだ目で睨んで来る人もいた。列の最後尾を守るは、海世の取り巻き桑大と長坂の二人で、両者ともに暗く何故か疲れ切った表情をしていた。

 クラスメイトに散々責め立てられたんだな、と察するのは簡単で敵ながら同情を覚えてしまいそうになる。が、先に喧嘩を売って来たのはそっちなので自業自得と言えばそれまでだし、負けてこうなることがまさか予想出来てなかった訳ではないだろう。しかし、類は友を呼ぶと言う。予想出来ていなかった可能性の方が高そうだ。列をよくよく見て見ても、やはりと言うか海世の姿はどこにもなかった。


「ここから先、少しでも稚拙な振る舞いや行いをしたらすぐさま旧校舎に戻るからな」


 本校舎へ入る為の古ぼけた扉。ところどころ錆が目立つノブを握りながら担任はこちらに振り返り、最後の警告を出す。


「分かってるって!」


 余程楽しみなのだろう、担任の言葉を遮り圭地は食い気味に答える。その様子を見て担任は小さくため息を落とす。


「口ではなく、行動で示せ。他の奴らもだ」


 それだけ言うと扉を開く。木造建築の旧校舎とは違い、白いコンクリート製のどこか美しさする感じさせる壁、床、天井。ガタガタと建付けの悪い窓も隙間風が入ってくる小さな穴もない。まるで別世界に来たかのような光景はいつ見ても目を見張るものがある。


「こっちだ」


 今はちょうど一時間目の途中。他の生徒の迷惑にならないよう、極力足音を立たせないように担任の背中に着いていく。

 そのまま階段を一階、二階と上って行き、上り切った先、三階の角を曲がったところで担任は足を止める。


「ここが今日からお前らの教室だ」


 後方の扉を開き中に入ると、そこはまさしく別世界だった。床には歩き心地の良い灰色の絨毯が敷き詰められ、天井を見ると、大きな円盤状のエアコンが付いており、教室後方には一人一人専用のロッカーが置いてある。

 その中でも俺が特に良いと思ったのは、やはり何と言っても机と椅子だろう。明るめの木材と錆び一つない鉄で出来た椅子には尻を痛めないようにする為かクッションが付いており、机は椅子に合わせて調整が容易に出来るように設計されている。

 前方を見ると視界にギリギリ収まるサイズの大きな黒板があり、旧校舎の汚れが酷く、不定期的にずれる黒板とは違い、目に優しく、不覚にも授業に集中出来そうと思ってしまった。


「さっさと席に着け」


 各々が感動に浸っていると担任の冷たい声が耳に届く。


「ちょっとくらい感傷に浸らせてくれよ~!」


「いいから座れ」


 圭地の小さな抗議に大きな言葉を返し、担任は軽く教卓を叩く。


「はいはい」


 つまらなそうに唇を尖らせながら圭地は手近な席に座る。俺含めた他の人もとりあえず座ることに。


「先ずは連絡事項を伝えておく」


 言いながら担任は懐から一枚の紙を取り出す。


「一つ、代表戦の結果を讃え訓練場の使用を許可する。一つ、それに伴って他の生徒と同じように実技訓練への参加を許可する。一つ、この学園の生徒という自覚をもって行動すること。学園長からは以上だ」


 言い終えると担任は紙をしまい、教卓に両手をつく。


「言った通り今日からお前らは名義上、この学園の生徒ということになった。生徒であるという自覚と責任を持ち、行動の一つ一つに注意を払え。くれぐれも問題行動を起こし、学園の品性を損なわせるようなことはするな。俺からは以上。質問があれば聞く」


「いいかしら」


「木皿儀か何だ」


 スッと手を上げ木皿儀は席を立つ。


「実技訓練はいつからやるのかしら?」


「早ければ明日からの予定だ」


「そう」


 満足のいく答えを得られたのか木皿儀は座る。


「他にはあるか?」


 担任は教室内を見渡す。


「なければ授業に入る。準備をしろ」


 いつもと同じ授業風景。けれど、環境が変わったお陰か、そのいつもが普段よりも楽しく感じた。

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