十八話 四人の時間

~箱招柳視点~


「怪我の具合はどうだ?」


 木皿儀と入れ替わりで入ってきた来た圭地と鳥栖目はベッド脇の椅子に座る。


「痛みは残っているが、概ね回復した。圭地はどうだ?」


「ん?ああ、まあ、俺も同じような感じかな」


 肩を軽く回し乾いた笑いを零す圭地に俺はすかさず口を開く。


「何かあったのか……?」


「何か、か……なかったってのは嘘になるな」


 どこか遠い目をしながら言う圭地。


「まさか……」


 それを見て考えうるもっとも最悪な結末が頭を過った。唇を嚙み強くシーツを握る。不思議と泣きそうにはならなかった。だが、悔しさだけが嫌に速度を上げてこみ上げて来た。

 その感情を吐き出そうと口を開くと、圭地もまた口を開いた。


「代表戦には勝ったよ。何とかな……」


 その言葉を聞いて全身から力が抜けて行く感覚に襲われる。安堵、安息、安永。どんな言葉を取ったとて到底表現しきれないほどの安心感に包まれる。


「勝ったのか。なら、もっと嬉しそうな表情をしてくれ……」


 小さく息を吐き諌めるように言う。


「嬉しいよ。ただ、顔に上手く出せないんだ」


 乾いた笑いを零した圭地は顔を僅かに俯かせ暗く目を細めた。圭地らしからぬ様子にさすがの俺も違和感を感じざるを得なかった。

 俺が見ていない間に寝ていた間に何かがあった。勝ち負け以上の何かが。疑問を疑問のままにするのは心地が悪いこと、この上ない。気になったのなら聞くのが普通だ。


「何があったんだ……?」


 俺の問いに対して圭地はすぐには答えなかった。答えるのを躊躇している風には見えない。言えないのではなく言いたくないという感じもない。

 しばらくの間、一貫して無言を貫いていた圭地は不意に顔を上げ、鳥栖目の方へ視線を映す。


「悪い蓮。飲み物買って来てくれないか?金は後で払うからさ」


 何ら関係のない話を始めた圭地に俺は眉を曲げる。


「今はそんなこと……」


「分かったよ圭地。ゆっくり買って来るから」


 そう頷くと鳥栖目は静かに保健室を後にする。二人きりの静寂をものにした室内に遠ざかっていく足音と風に揺れる窓の音が木霊する。

 足音が完全に聞こえなくなったタイミングを見計らってか圭地はやっと口を開いた。


「ちゃんと話すから聞いててくれるか?」


「話してみろ」


 頷く俺に圭地は笑った。


「……ごめんな」


 それから一拍を置いて圭地は頭を下げた。


「……!?」


 あまりにも唐突のことで、らしくなく言葉に詰まる。何故、圭地は謝っているんだ?いや、それ以前に何か謝られることなんてあったか?そもそも同じクラスになってまだ、四日目だぞ?互いに気分を害した瞬間はなかったはずだ。

 様々な憶測が脳内を巡り、何度も頭を抱える。考えろ。考えろ。考えて絞り出せ。謝られる理由を……!

 自称になって申し訳ないが、これでも俺は頭が柔らかい方だと自負している。しているものの……欲しい時に欲しい答えが出る保証はない。出ないものは出ないのだ。要は八方塞がり。困り果ててしまった。

 圭地に頭を上げるように言うのは簡単だが、それに対して何一つ心当たりがないという現状は些か不味い気がする。

 これは俺の持論だが、謝罪と言うのは互いの自覚の上で成り立つものだと思っている。自覚、心当たりがない状態で謝られても俺としては困るし狼狽してしまうのは必至。とりあえずで反応を返すことも出来るが、それは所詮付け焼刃に他ならない。目先の問題が解決しても会話が積み重なっていった先で、いつか互いの認識に相違が生まれる。

 そこから亀裂が入り仲が悪くなんてことも……なくはないだろう。圭地は俺の反応を待ってから顔を上げるつもりらしいし、今を打破できるのは現状俺以外にいないだろう。飲み物を買いに行った鳥栖目を待つのも手だが、恐らく帰って来ても中に入って来るなんて真似はしないだろうし、凪を待つにしても相手はあの木皿儀だ。何となくすぐには返ってこない気すらする。

 とはいえ、こんな状況俺にとっては初めてのことだ。如何せんどうしたらいいのか分からない。分からないから考えているのだが、さっきからいつまで経っても答えは出ない。最適解も最良も最善も何もかも思いつかない。

 果たして俺はどうすればいいのだろうか……。


「……なんて、急に謝られても困るよな」


 うんうん延々頭を悩ませ抱えていると、こちらの心情を察したのか圭地が顔を上げた。俺以上の困り顔で笑う様は先程までの様子とは違い、俺のよく知る圭地だった。


「順序立ててってのは無理だから。大雑把に話すな」


 「ははっ」と笑うとぽつりぽつりと話し始めた。


「お前が運ばれていった後、俺の番だったんだけど……何も出来なくてさ。相手の動きを追うのに精いっぱいで……隙を突かれて負け、たんだ……。任せろなんて大見栄張った癖に負けるなんてダサいよな……!」


 進むほどに震えが増していく言葉の群れに俺は静かに耳を傾ける。


「勝てばいいんだろ、なんて言った奴が真っ先に負けるなんてやばいよな……。…………ごめんっ……!お前に続けなかった……っ!俺は何も出来なかった……!凪がいなきゃ多分、負けてたし、俺はお前らの足を引っ張ることしかしてない……!お前の期待を裏切ってごめんっ……!」


 震えは更に増し、声音に潤いが混じって行く。自虐から始まったものはやがて感情を持って室内に充満した。

 言葉には憤りが乗り。吐く息には悔しさが滲む。伝う涙には自分に対する確かな嫌悪感の色が見えていた。

 両膝の上で拳をギュッと固く握り圭地は必要以上に肩を震わして止めない。伝い終わった涙は重力に従って拳の上に薄い斑点を作った。

 ここでようやく圭地が鳥栖目を追い出した理由を理解した。涙を見せたくなかったんだ。自分の弱さや不甲斐なさを無暗やたらに晒すような真似を最小に抑える為に追い出した。見ていたところ圭地と鳥栖目は付き合いの長い親友同士の様だし、尚更心配をかけたくないという面も兼ねているだろう。

 そうでなければ、俺は今、圭地の涙を見ていない。願わくばそうであって欲しいものだ。


「うっ……っ……!」


 それからしばらくはずっと圭地の嗚咽が絶えず室内を満たしていた。先程までうるさいほどに吹いていた風も空気を読んだのか今はピタリと止んでいる。

 誰かが泣いているのを見るのは久しぶりのことだった。もちろん、そんな呆れるほど頻繁に人の泣き顔を見ていたらそれはそれで気色が悪いことこの上ないのだが、それも強ち間違いということもなく。

 昔は人の泣き顔を見ることが多かった。主に鏡の中、自分の似合わないくらいの泣き顔を。


「……満足したか?」


 更に十分ほどが経過した頃、タイミングを見計らって俺はそう聞く。吐き出す感情に満足なんて概念があるのかは不明だが、ずっと嗚咽を聞いているのも互いの為にならないと、そう思った。


「ああ、悪い。泣き過ぎた」


 顔を伏せたまま涙を拭いた圭地はゆっくりと顔を上げた。赤く腫れた目元。目の下から口元にかけて走っている涙痕。その全てが圭地の抱えていたものを一つ残らず物語っていた。

 相当の悔しさと情けなさ、そして憤り。圭地には図らずとも似合わない負の感情の跡が嫌なくらいに目に入る。


「構わない。泣くことは別に恥じることではないからな」


 泣きたい時なんて誰にでもある。感情を吐き出すのに人種も性別もない。不公平も不条理も不平等も不平も差別も何もない。

 いつの世も感情だけは至って等しく平等だ。


「ははっ、ありがとな!」


 いつもの調子の圭地が戻って来た。


「落ち着いているところ悪いが、こちらから一つ質問をしたい。いいだろうか?」


「ああ、何でも聞いてくれ」


 では、遠慮なく行かせてもらう。


「負けて何も得なかったのか。隙を晒して無様に負けて得たのは消化しきれないほどの悔しさだけじゃないだろ?」


「容赦ないな」


 小さく笑ったかと思えば、「まあ」と目を伏せた。


「得たよ色々と」


「そうか」


 ガタっと窓が鳴る。


「俺は自分が思っていた以上に弱かった。喧嘩とかの腕っぷしには自信があったけど、そんなもの剣術の前では何の役にも立たなかった。俺は剣術について何も知らないだなって負けて思い知らされたよ。構えも動きも技術も何もかも俺は持ってなかった。基礎が出来てないから上手く体が動かない。基礎が出来てないと応用も何もないだろ?だから俺は負けたんだ」


「それで?」


 片方の拳をギュッと握り、圭地は二ッと笑う。


「もう負けたくないって思ったよ。今よりももっと強くなりたいって心の底から思った。強くなって今度こそお前のもしくは他の奴らの期待を裏切らないようにしたいんだ。噓つきになるつもりはないし、何よりも負けたままってのは気分悪いからな」


「俺も同意見だ。何とか勝てたものの力の差は歴然だった。この先もあんなに苦しい戦いをするんだと思うと不安でしょうがない。何よりもこのままじゃ隔離教室脱却は愚かまともに卒業出来るかすら怪しくなってくる。……強くなるのなら俺も誘え。心ゆくまで付き合ってやる」


「そうでなくちゃな!」


 興奮気味に椅子から立ち上がった圭地と固く強い握手を交わす。


「怪我が治り次第、筋トレと素振りから始めて見るか」


「ああ!そうだな!」


 互いの過去に清算はついた。後は前を向いて努力するだけだ。敗北をそのままにするだけの甘えは今の俺らには許されないのだから。


「そういえば話は変わるけどよ。せっかく代表戦勝ったんだし、祝賀会?打ち上げ?とにかくそんなんやろうぜ!」


 さっきまでの空気感はどこへやら。話題が百八十度変わる。しかし、祝賀会か悪くないかもな。


「いいが、いつどこでやるんだ?」


「今日やろうぜ!場所は俺らの部屋でどうだ?」


「今からやるのか?もう放課後だし門限までそう時間もないぞ」


 壁の時計を指差しながら言うと圭地はカラッと笑う。


「門限過ぎても楽しければいいだろ!最悪泊まって行けよ!」


 何という楽観的思考。呆れを覚えると同時にどこか崇敬の念すら覚えてしまいそうだ。だが、それくらい楽観的じゃないと、苦しくて息が詰まってしまうな。

 時折、生きやすそうに振舞っている圭地が羨ましくなる。


「他二人の了承も得ておくんだぞ」


「分かってるって!」


 嬉しそうにスマホを弄る圭地の背中を眺めながら、俺は再びベッドに身を預ける。窓の外に目を向けて見れば、夕日の顔が半分ほど隠れ、空に暗色が広がり始めていた。

 放課後がこんなに楽しいと思ったのはいつぶりだろうか。去年までは放課後になった瞬間、寮に帰ってひたすら勉強に明け暮れていたからこんな景色には出会えなかった。

 クラスが変わり校舎が変わり。最初はどうなることかと思っていたが、存外居心地は悪くないな。当初抱いていた不安も大方は解決した。

 学園の落ちこぼれ、汚点、問題児。様々なレッテルや評価を背負ったけど、それ以上に大事なもの大切にしたいものに出会えた。

 周りの評価がなんだ。自分の価値を決めるのはいつだって自分自身だ。人に価値は計らせない。

 才能がないのなら手に入れればいい。簡単なことじゃないか。いつかみんなと隔離教室を出られるその日まで、俺はきっと後ろを振り返ることはしない。


~鳥栖目蓮視点~


 買い物を終えて戻ってみると、中からは微かに嗚咽を漏らす音が聞こえていた。状況的に泣いているのは圭地かな。

 扉の横の壁に背を預け二本のココアを両手に抱き締めながら気を紛らわせるように窓の外に目をやる。暗くも明るいそんな曖昧な景色を眺めながら息を吐く。

 四月、温かくなってきているとは言え、まだまだ時折寒い日が顔を覗かせる。今日がまさにその日だった。はぁっという音と共に視界が僅かに曇る。無駄に通気性能の高い建物のせいで外と遜色ない気温を保持した風が廊下を抜ける。

 その度に肩が震え、いっそう強く缶を握る。少し痛いと思うほどの熱に縋りながら帰って来るのを待つ。

 圭地と箱招くんの時間は今まさに始まったばかりと言う感じだし、終わるまでの話し相手が欲しい。退屈は少し苦手。

 退屈任せに床を軽く何度か蹴る。もちろん、楽しくもなんともないし、いくらかの退屈が紛れるにはほど遠い。

 こういう時、みんななはどうやって退屈を紛らわしてるんだろう。やっぱりスマホでゲームや音楽に熱中しているんだろうか。スマホは持ってるけど、あいにくゲームらしいゲームは何も入れていない。目を引くものも興味を引くものもなかったから。せいぜい時計やアラーム代わりに使うくらいしかしていない。

 こういうのを宝の持ち腐れって言うのかな。


「温くなってきちゃったな……」


 しばらく握っていると寒さを誤魔化すには不十分なほどに冷めて来た。いつの間にか嗚咽は止んでいて、変わりに圭地の楽しそうな笑い声が聞こえて来た。

 それを聞いてココアを強く深く、胸元で抱き締める。


「ずるいなぁ……」


 僕には見せない表情を圭地は周りに見せてばかり、それが堪らなくずるくてもどかしい。何で僕の前じゃ。僕じゃダメなのかな。僕の何がダメなのかな。


「僕にも見せて欲しいなぁ」


 そう呟くと同時に強い風が廊下を駆け抜け言葉をどこか遠くへ運んで行った。寂しい、虚しい、悲しいよ。


「圭地……」


 心が貧しくなって行くのが分かる。ぽっかりと空いた穴に冷たい風が吹き込み全身があっという間に寒さの中に閉じ込められる。缶を置きその場にしゃがみ込む。

 ぽつりと何かが零れて来た。


「え……」


 冷えた手の甲に柔らかい感触と弾ける感覚が落ちる。涙だった。頬を伝い涙が緩やかに落ち始めて来た。


「え、何で……止まらない……」


 拭っても拭っても落ちてくるそれに混乱が止まらない。そんなはずじゃなかった。そんなつもりでもなかったのに。止まらない。


「……止まってよ」


「あれ?蓮何やってんだ?」


 顔をうずめると同時にそんな声が耳を覆った。バッと顔を上げると息を切らした様子の凪が立っていた。


「凪……?」


「な、何泣いてんだ?何かあったのか?」


 どこか慌てた様子の凪は傍まで来て隣に腰を下ろした。


「話くらいなら聞くけど……?」


 凪の困り顔に充てられて気が付けば涙は止まっていた。乱雑に残りを拭い顔を上げ努めて優しく笑う。


「ううん、もう大丈夫。ありがとう」


「……そっか。なら、いいけど。遅れて悪いな」


「何かあったの?」


「木皿儀の後に担任にも掴まってな。思いのほか話が長くなっちゃって」


 困ったように笑う凪に釣られて頬が緩む。


「そうなんだ。あ、飲む?もう温くなっちゃったけど」


 持っていたココアの片方を渡す。


「ありがと。いくらだ?」


 自然な動作で財布を取り出す凪に待ったをかける。


「お金は良いよ。その代わり気が済むまで僕の話し相手になってよ」


「そんなんでいいのか?」


「相槌を打ってくれるだけでもいいからさ。ダメかな?それとも遅れたのに何の贖罪もなし?」


 我ながらずるい一手とは思う。けど、こうでもしないと退屈は紛らわせられない気がした。


「そう言われると弱いなぁ。分かった。面白い返しには期待しないでくれよ?」


「ありがとう」


 困り顔をしながらも凪は了承してくれた。


「じゃあ、こんな話はどうかな?」


 中と外。互いの笑い声や話し声が止んだのは、それから更に二十分ほど後のことだった。

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