十七話 道すがら

「ここにいたか」


 足早に保健室に戻る俺を止める声。不機嫌さを感じさせる妙に威圧的な声音に、一切の感情が読み取れない冷たい口調。

 目を向ければ立っていたのは案の定、担任だった。


「何か用ですか?」


 正直、俺は担任が苦手だ。威圧的な話し方にどことなく高圧的な目。それが担任の素だと理解していても半歩距離を取り身構えざるを得ない。

 そんな俺の様子に気付いたのか、担任は小さく息を吐く。


「そう身構えるな。別に説教をするつもりはない」


 そう言われたとて俺の警戒が緩むことはない。身構えるのを止めたいのは山々なのだが、一度苦手意識を持ってしまったら最後、自分でもどう解除するのか分からない。内心では罪悪感を成長させつつ担任の言葉を待つ。


「随分と嫌われたな」


 担任は頬を緩ませ小さく笑う。その硬い表情からは想像できないほどに柔らかい笑みに警戒が僅かに解け、身構えるのを止める。


「まあ、いい。少し話したいことがある。時間は大丈夫か?」


「早く終わるのなら別に」


 ただでさえ圭地たちを待たせているんだ。これ以上、遅れる訳には行かない。


「それはお前次第だな」


「俺次第ですか」


「ああ」


「分かりました」


 俺が頷いたことをを確認し担任は横を通り過ぎる。


「立ち話も何だ。職員室に行くぞ」


 生徒と教師の話し合いと言えば、一般的には生徒指導室などで行われるものだが、本校舎に比べ圧倒的に教室数が足りない旧校舎にそんな教室はない。もちろん、用途不明の空き教室はいくつかあるが、長年にわたり掃除らしい掃除はされておらず、壁も床も天井も埃塗れのカビ塗れ。

 いるだけで咳が止まらなくなるくらいならば、多少の緊張感を常備しながらも職員室で話し合いをした方がいい。


「適当なところに座れ」


 初めて入った旧校舎の職員室は思っていたよりも狭く。必要最低限なものしか置いていなかった。

 鉄製の錆びが目立つ棚に同じく錆が目立つ机椅子。六畳ほどの室内にはそれ以上に目を引くものは何もない。せいぜい申し訳程度に小さな冷蔵庫があるくらいだろうか。壁に目を向ければカレンダーが張り付けられているが、年月日が何一つ合っておらず。それどころか得体のしれないシミに侵されている始末。それは壁も同様だった。

 担任に言われるがまま近くの椅子に座る。教室の木製の椅子に比べれば座り心地は悪くないが、やはり本校舎の奴と比べると何もかもが劣化品だった。

 空き教室に比べれば見違えるほどに綺麗な室内だが、ところどころ掃除が行き届いていないのか埃溜まりなどが目に付き、鼻がくすぐったく疼く。


「はっ……くしょんっ!」


 耐え切れずくしゃみが出た。心なしか目も痒くなってきた気がする。ハンカチを常備していれば良かったんだが、あいにくそんな可愛げは当の昔に捨て置いた。鼻水が垂れないように顔を上に向けていると、担任にティッシュ箱を手渡された。


「あ、どうも」


 それを受け取り鼻をかむ。子供の時からそうだが、俺はあまり鼻をかむのが好きじゃない。確かに鼻水は綺麗さっぱり取れるのだが、その度に鼻やら耳が痒くなるのが何よりも嫌なのだ。

 だから、普段は啜っているのだが、さすがに人前だし、せっかく善意でティッシュ箱をくれたのでかむことに。

 ああ、痒い……。


「窓を開けるか。すまないな。まだ、完璧じゃないんだ」


 春先とは言え、まだまだ四月。開け放たれた窓からは少し冷たい風が吹き込み室内の温度を僅かに下げる。カレンダーが揺れ、建付けの悪い扉がギシギシと嫌な音を立てる。


「先生が掃除してるんですね」


「俺意外に誰がいるんだ?」


 言われて確かにと思う。それもそうだ。まさか幽霊的なのがいて、そいつらが夜な夜な掃除している訳でもないだろうし。


「大変ですね」


「ああ、大変だ。俺は掃除が得意じゃないから尚更な」


 机の上をなぞり担任は指を擦り合わせる。


「そうなんですね」


「意外か?」


「何でもそつなくこなせそうと思ってたので意外っちゃ意外ですね」


 そう返すと担任は廊下の時同様に柔らかく笑った。


「何事も完璧に出来る人間なんていない。そういう奴は大抵他の奴より少し能力が高いだけで人が出来ないことしないことを自分なりの解釈で行っているだけだ。人は自分が出来ないことをする奴を天才と一括りで纏めるが。この世に天才なんて人種は存在しない。ただ、他人より少し努力が出来て、頭が柔らかいだけだ」


 担任のその言葉たちを聞いて真っ先に頭に思い浮かんだのが海世だった。周りから天才ともてはやされ、本人も自分の強さと才能に絶対的とも呼べる自信を抱いていた。

 俺はこの瞬間までずっと天才は生まれながらにして天才なんだろうと思っていた。才能があるから努力なんかしないんだろうと信じていた。

 けど、多分、違うんだな。生まれながらの天才なんていないんだ。自分のしたいことをしたいようにやって、それがたまたま誰にも理解されずに「天才」と決め付けられただけ。努力を努力と感じないから周りから「才能」があるというレッテルを張られるのだろう。

 掃除をしないと埃が溜まるように、努力をしないと才能は徐々に腐っていく。

 自分に甘えて。周りに甘えて。努力を怠った天才はきっと凡人に堕ちるのだ。その例に海世はぴったりとハマった。

 でも、海世もきっと努力はしていたのだろう。見えないところでひたすらに。ただ、それを凌ぐほど人間性が悪かっただけのこと。

 目の前に神様が現れて「才能が欲しいか?」聞かれたら俺は恐らく首を横に振るだろう。

 もらった力に溺れて、その全てを水の泡にする自信しかないから。


「凡人が天才になることって出来るんですかね?」


「才能は努力の結果だ。誰にでもチャンスはあると言えるな」


 何を上達されるにもまずは努力からか。そりゃそうだよな。汗の一つも掻かずに無償で手に入れたものにどれほどの価値があるかなんて火を見るよりも明らかだ。

 代表戦を経て俺は俺自身をもっと強くしたいと思った。もちろん、刀を握った瞬間にこいつと入れ替わるので無駄足かもしれないが。こいつに甘えて自分の弱さを誤魔化し続けるような真似はしたくない。

 とはいえ、現状、強くなる為に何をすればいいのかなどの具体案は何一つ浮んでいないのも事実。

 素振りをしようにも他の刀は握れないし。後出来ることと言えば筋力と体力をつけることくらいだろうか。

 今夜、寝る前にでも少し筋トレをしてみよう。


「随分と話がそれてしまったな。そろそろ本題に入るとするか」


 机を一枚挟んだ先の椅子に座った担任は何やら神妙な表情で口を開いた。


「勝手ながらお前について少し調べさせてもらった。その過程で何個か聞きたいことが出来た。もちろん、強制じゃない。言いたくなければ口を噤んでも構わない」


 手元の紙に目を落とし担任は小さく息を吐く。


「まずは去年の実技の参加率についてだ。学年どころか校内中を探し回っても参加率が二桁に達していないのはお前だけだった。参加しても終わるまで姿を見せなかったという話も聞いたな。お前は何故、実技に参加しなかったんだ?」


 担任として受け持った生徒のことを知るのは当然、必要なことだと思う。だから、いつかこうなるんじゃないかと予感していた。

 俺が実技に参加しなかったのは、言わずもがなこいつの存在が原因だ。実技の授業では基本的に安全を考慮して訓練用の模造刀を使用するのだが、俺はこいつ以外の刀を握れない。握らないのではなく、握れないのだ。

 もしそのことを言ったとしたら多分、不審がられるし。「だったら自分の刀でいいよ」と言われることだろう。

 それに素直に従って刀を握った瞬間、こいつと入れ替わりどうなるか分かったもんじゃない。

 俺は今になってもこいつが犯した罪のことを許せてはいないし、一回目が大丈夫だったなら二回目も大丈夫とは到底限らない。

 こいつがどうかは知らないが、少なくとも俺はこいつをそこまで信用している訳ではない。


「……言えないか」


 だんまりを決め込む俺に担任は「じゃあ」と続ける。


「質問を変えよう。正直、俺はこっちの方が気になっていた。召刀の儀の日のことを覚えているな」


 頷く俺に担任は続ける。


「召刀の儀は神聖なものとして年に一度、新入生へ向けて行われる。自分だけの刀を得られる特別な機会だが、お前はその日も遅刻をしたらしいな?」


 そういえば、そうだった。ここまで聞いて俺は担任が言わんとしていることの大半を理解した。理解したと同時に俺は固く口を結ぶ。


「遅刻やその他の理由で召刀の儀を受けられなかった者はその一年を刀なしで過ごし、翌年の召刀の儀に参加するのが決まりだが、お前は何故、自分の刀を持っている?今年の召刀の儀にお前の名前は見当たらなかった。お前はどこでその刀を手に入れたんだ?」


 木皿儀にも同じことを聞かれた。その時も俺は口を噤んだ。だから、今も固く固く口を噤むことにする。


「……」


「……言えないか?」


 短く頷きを返す。


「そうか。なら、仕方ないか」


 椅子に深く身を預け担任は紙を机の上に置く。


「言いたくないのなら無用な詮索はしない。だが、何かあればすぐに言え。俺は腐ってもお前らの担任だからな」


 その言葉が深く心の奥に刺さる。その優しさに充てられて全てを話そうかと口が開きかけたが慌てて閉じる。

 これは俺の問題で。俺の責任で。誰も巻き込みたくない。……ああ、ヒーローってこんな気持ちなのかな。

 悩みや苦しみを覚えても誰にも相談出来ない。息が詰まりそうで苦しくて。出来ることなら頼りたいけど、頼り方を知らなくて。

 皆で一緒に泣くことも満足に出来ない。でも、最後には寄り添ってくれる人と出会ってハッピーエンド。

 俺にもいつか日が来るのかな。全てを打ち明けて一緒に悩んで泣いて、寄り添ってくれる人がいつか現れるのかな。


「話は終わりだ。早く向かってやれ」


「はい」


 気付いてたのか。なら、早く行かないと。圭地たちが待ってる。妙に重い足取りで扉まで歩き手をかけたところで俺は担任へ振り返る。


「どうした?」


「……いつか話します」


 それを聞いてか担任は手を止め顔を上げた。そうして柔らかく笑うと、


「楽しみにしておく」


 と、言いながら俺を見送った。


「怒ってるかな。怒ってそうだよなぁ」


 保健室までの短い道のり。俺はひたすらに筋の通っている言い訳を考えるのに必死だった。

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