第23話 師匠

「もう一度聞く。何しにきた? 俺が水原家に捕まったから口封じに来たのか?」

「信用がないわねえ。助けにきてあげたんじゃない」


「十五歳以下の女の子しか興味がないんじゃなかったのか?」

「あら、私はそんなに薄情じゃないの。可愛いダンなら別よ」


 戦闘体勢をとっている俺をシックスは優しく抱きしめる。警戒していたはずなのに一歩も動けなかった。押しつけられた柔らかな胸に息ができなくなる。


「離せ!」

「せっかく十年ぶりの再会なのにぃ。弟子が冷たいわ。まぁ、抵抗しても連れていくけど」


 俺の反論を待たずにマントが被せられる。刺繍の入ったマントの内側にはシックスの隠れ家が見える。


 気がつくと写真のように思えるそれの目の前にいつの間にか立っている。何度体験してもこの感覚は慣れない。


 マントの中の闇を使った高難度の転移魔法。さらにシックスは死霊魔法を応用して、現世うつしよ幽世かくりよの狭間にこうして隠れ家を作っている。これに隠れられたら中堅程度の魔法使いが見つけるのはほとんど不可能に近い。


「ここも懐かしいな」


 俺がまだ一人で生きていけなかった頃、ここでシックスの世話になっていた。弟子、と呼ばれるような関係だったかはわからないが、俺と関係が深い唯一の闇魔法使いと言っていいだろう。


「闇魔法使い。まさかな」


 瑠璃の覚醒は近くで闇魔法が恒常的こうじょうてきに使われていた可能性がある。もしそうだとすれば高位の魔法使いであるシックスなら瑠璃の近くで水原家にもバレずに闇魔法を使い続けることができる。


 そして、俺の魔力の残り香をよく知っている人物でもある。それが、今回の犯人と繋がっていたとしたら。


「ダン、おかえりなさい」


 思考を遮るように後ろからシックスに抱きしめられる。昔もこんな感じだった。


「じゃあ、久しぶりにコーヒーを淹れてちょうだい」


 そのくせ人使いがやたらと荒いのも変わらない。俺は言われた通り、キッチンへと向かった。


 俺が出ていった時とコーヒー豆の位置もミルの位置も変わっていなかった。砕いた豆に熱湯を注ぐ。角砂糖は二つ。しっかり混ぜて少し冷ましてから出してやらないと不機嫌になる。


 小さなテーブルセットに座ったシックスは小さな小瓶を指で弄んでいる。それは前にイヴと一緒に作ったリンゴジャムの瓶だった。


「これのせいで気づいたのかしらね。なんとなくダンがいると思ったの」

「俺もそんな気がしてた。お前だったら、こんなもんにでも引っかかると思っていたのかもな」


「あー、なんかダンの料理が食べたくなってきたわ。リンゴジャムを塗ったトーストに合う料理作ってよ」

「それを言う前にキッチンを片付けろ。コーヒー淹れるのになんで鍋を移動させるところから始めないといけないんだよ」


 俺がここを逃げ出したのは十年ほど前だ。この隠れ家に住んでいた頃の家事はすべて俺がやらされていた。水原家で使用人として雇われるのにその時の経験が役に立つとは思わなかった。俺がいなくなってからは死霊魔法で呼び出した死霊リッチたちに片付けさせていたんだろう。知能の低い低級霊じゃ、きちんと仕事ができるはずもない。


「それからさっきからお前、って言うの他人行儀じゃない?」

「今はもう他人だろ」


「そんなことないわ。昔みたいに呼んでくれていいのよ。ママ、って」


 俺は口をつけていたカップのコーヒーを盛大に噴き出す。


「ふざけるな! 思い出を勝手に捏造ねつぞうするな」

「捏造なんてしてないわよ。私はちゃんと覚えてるんだから。まだダンがここに来たばかりの頃、私のベッドに潜り込んできて、泣きながらママ、って抱きついてきたんだから」


「そんなもんせいぜい一回か二回くらいだろ! まるで俺がマザコンだったみたいじゃねえか」

「えぇー、私はずーっとダンのママになってあげてるつもりだったのに」


 逃げるように立ち上がって、指で窓についたほこりを拭う。外は真っ黒な雲に覆われた荒野が広がっているばかりで見ても何もならない景色ではあるが、汚れた窓を通すと余計に嫌気がさしてくる。


「言っておくが、助けられたけど掃除してやる時間はないぞ」

「えぇー、いいじゃない。一日くらい仕事をサボっても。掃除はいいからおねーさんの昔話に付き合ってよ」


「俺の立場、わかってるか?」

「わかってるわけないじゃない。なんで水原家の護衛役なんてやってるの? そこから話してよ。ダンの話なら、なんでもおもしろいから」


 圧を放つシックスに従わせられて、俺はまた向かいに座った。これまであったこと。自分で話していても信じられない。天河に捕まり、牢屋にぶち込まれるかと思ったら瑠璃の演出をすることになり、瑠璃が闇魔法に覚醒。それを本人はまだ気づいていないから、なんとか発覚を遅らせようとしている。


「ふぅん。ダンはその子を守ってあげたいのね」

「別に守るわけじゃない。闇魔法使いとして生きていくなら、一人で生きていく力がつくまで面倒を見てやるってだけだ。お前が、俺にやってくれたことだろ?」


 シックスは微笑んだまま何も答えなかった。俺にその時の昔話をしろ、ってことなんだろう。あの頃の俺の話は魔法も精神も未熟であまり話す気にはなれない。でもシックス相手なら別にいいかと思えてくる。この魔女は俺の弱さを一番知っている相手なのだから。

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