第24話 魔女の家と男の娘

 闇魔法使いとして覚醒した俺は両親から逃れ、初めて一人でこの世界で生きていかなきゃならなくなった。世間で見れば小学五年生。まともな方法じゃ明日の食料すら稼げる状態じゃなかった。使えるのは覚醒したときに覚えた闇の基礎魔法、闇球ダークネスのみ。だから、俺が生きるためにとるべきは誰かから金を奪うことだった。


 ゴミを漁って手に入れた女向けの服と、顔を隠す帽子を目深まぶかにかぶって夜の街をうろつく。そうするとバカな男が食いついてくる。誘われるままに人気のないところまで連れていかれた後は、不意打ちで闇球ダークネスで失神させた奴から金を奪う。


 そうやって俺は何とか日々を食いつないでいった。


 怪しい女に襲われるという噂が流れはじめると、また別の街に行く。それを繰り返していたある日、いつものように女の振りをして夜の街を歩いていると、いつもとは違う相手に声をかけられた。真っ赤な髪に黒いドレス。キャバクラか風俗店で働いているような奴だろうと思った。


「どうしたの? 迷子かな?」

「うん。パパとママとはぐれちゃったの」

「そっかぁ。寂しいね。おねーさんが助けてあげるわ」


 女は俺の体をそっと抱き寄せる。その感触にまだ懐かしさを覚えるくらいにはまだ両親との思い出はせていない頃だった。


「だから、私のものになりなさい」


 抱きしめた腕に力がこもる。もがいても抜け出すどころか少しも緩む気配がない。


「離せ!」


 手から必死に魔法を飛ばすが、女は避けるそぶりすら見せず消えていく。


「乱暴な言い方。しつけもちゃんとしないといけないわね」


 黒いマントを被せられ、それが取り払われると、俺は荒野のような空間にいた。尖った屋根の山荘のような家の前で女が手招きしている。


「ここが私の隠れ家よ。私はシックス・ムクロ。お嬢さんの名前は?」


 その女の微笑みを見てすべてを悟った。こいつは闇魔法使いだ。それも俺とは格の違う本物の。


「……ダン」


 言ってからはっとした。もっと女っぽい名前を使って嘘をついた方がよかっただろうか。女の振りをして捕らえられたのだから、女のままでいた方が何かと都合がいい。この判断は後のことを考えるときっと間違っていなかった。


 シックスの隠れ家はひどい荒れようだった。野菜くず、昆虫や小動物の死骸が廊下に転がっている。本やメモがわりの紙が机に積まれて機能しなくなっている。一番酷かったのは、魔力を失った死体が腐りかけたまま放置されているのを見たときだ。吐きそうになるのをなんとか堪えて目を背けた。


「好きなところでくつろいでいいわ」

「は、はい」


 こんな汚い部屋のどこでくつろげというのか。俺は比較的きれいそうなクッションを見つけるとサメの泳ぐ海の真ん中で小さなイカダに乗っているような気分で、その上に体を小さくして座った。


 シックスは、本の上に積もったほこりを落ちていた鳥の死骸で払ってその上に座っていた。


「私はね、あなたみたいな可愛くて不幸な女の子が大好きなの。あなたの願い事聞いてあげるわ。なんでも言ってみて」

「だったら、私に魔法を教えてください!」


 この魔女に、シックスに弟子入りして本当に魔法を使えるようになる。それが俺が生きていくためには絶対必要なことだった。


「ふぅん、いいけど。おもしろい子ね。言っておくけど、私はそういうことしたことないわよ」

「じゃあ、今日から私の魔法の師匠ですね」

「えぇ、そうよ。よろしくね」


 シックスは不敵に笑うと、俺の頰を赤いマニキュアのついた指でなぞった。

 シックスが弟子をとったことがないというのは本当だった。


 俺に最初に言いつけたことはこのゴミ捨て場と化した部屋の掃除をすることだった。何に使うのかわからない死骸や草を整理して保存してやらなきゃならなかった。


 三日かけてようやく人の住める部屋になったと思ったら、今度は洗濯、炊事、買い出し。魔法の一つも教えないどころか見せてもらったことすらなかった。


「このままじゃ本当に都合のいい奴隷にされる」


 俺は空いた時間を見つけては掃除中に見つけた魔術書を読み、シックスの目を盗んで練習を始めた。


 もう一つ問題があった。シックスと暮らしている中で、知ったこと。こいつは十五歳以下の女の子だけは助けるが、それ以外にはまったく容赦する気がない、ということだ。


 狭間の世界に作った隠れ家に賞金首狩りがやってきたことがある。並の魔法使いでは存在すら知ることができないこの空間。そこにシックスの許可なく入ってくるということはそれだけで手練てだれであることに違いはない。


聖母ヴィエルジュ! 出てきやがれ!」


 顔にも腕にも数々の傷が刻み込まれ、過酷な戦場を生き抜いてきたことが窺い知れる。


「師匠、どうしよう?」

「心配しなくていいわ」


 玄関を出て傷だらけの男に向き合う。幼い俺の小さな体をぬいぐるみのように抱きしめながら、シックスは優しく俺の頭を撫でた。


「——抗え、定められた運命ディスティネに」


 子守唄のように詠唱が紡がれる。それに気付いた男が光弾を放つ。


「墓守の名は黒き蝙蝠ショーヴスリノワール


 光弾に誘われるように骨でできたコウモリたちが飛んでいく。敵の光弾とぶつかると消えていくが数が違いすぎる。数千を超えるコウモリは光弾を打ち消し、男へと向かっていく。


「ダン、いいかしら? 敵の目の前で大きな魔法を詠唱するのはバカのやることよ。相手を殺すための呪文はね、敵の意識の外側で秘密にして唱えるの」


 シックスはコウモリを必死に切り裂く男の姿を見ながら唇を舐めた。


「無惨な好奇心キュリオジテ


 男の影が伸び、その中から大きな黒猫が現れる。牙と目を光らせ男を捕らえると、その頭からかじりついた。


 男の体をおもちゃのように両前足でいじりながらかじりつく。その光景だけを見ていれば可愛らしい猫の戯れだが、その間ずっと俺の耳には男の断末魔と骨や関節が砕ける音が聞こえ続けていた。


「男だってバレたら殺される」


 あんなに強そうだった賞金首狩りでさえ、近付くことさえできずにやられてしまった。今の俺にはあのコウモリにすら骨になるまでしゃぶり尽くされることしかできない。


「魔法を盗もう。部屋に何か書きかけの紙があったはずだ」


 掃除をしているときに見かけた羊皮紙を重ねたノート。最近シックスは熱心にそのノートに何かを書きつけている。きっと新しい魔法の研究をしているに違いない。それを盗んで練習すればシックスも怖くない。


 深夜まで起きていることの多いシックスは、朝方の掃除中にダイニングのそばに置かれたソファで寝ていることが多い。俺はいつもより急いで掃除を終わらせると、シックスが寝ているのを確認して、部屋の中に忍び込んだ。

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