第13話 不気味な侵入者

 覚醒の自覚がない瑠璃の生活は今までとまったく変わらなかった。しかし、俺の心労は軽く三倍になった。


 魔法に覚醒したらまずは詠唱不要の基礎魔法。攻撃や障壁、探知、認識阻害といった属性に共通する魔法を学ぶ。しかし今の瑠璃は当然そんな学習をするはずがない。


 突然闇の力だと信じたまま、俺の見よう見まねの魔法をぶっぱなすかもしれないのだ。


 学校での護衛と演出の仕事に加えて、瑠璃の魔法の隠蔽いんぺいも考えなきゃならない。


 いつものように木の上に隠れて瑠璃の教室を監視しながら、俺は腹の辺りをさすった。


「はぁ、胃が痛くなりそうだ」

「牛乳でも飲むか? 日本での張り込みにはよく持って行くらしいぞ」


 イヴが自分の飲みかけのパック牛乳を差し出して、すぐに引っ込めた。


「なんだよ、からかってるのか?」

「いや、これだと間せちゅ、いやなんでもない」


 詠唱でもないのにイヴが噛んだ。口をもぞもぞと動かして痛みを堪えている。そんな焦ることでもあっただろうか。


「そういえば瑠璃の母親はいないのか。未だに顔を見ていないんだが」

流歌るか様か。あの方は一年前に」

「死んだのか」


 親が死ぬというのは、心に大きな負担がかかる。瑠璃の覚醒が一気に進んだのは、もしかするとそれが原因の一端になっているのかもしれない。もし政争に巻き込まれて殺されたのなら、黒い感情が沸き起こってもおかしくないが。


「あまり複雑なら詳細はいい。事実だけ教えてくれ」

「あ、あぁ。私も詳しくは知らないんだが」


 イヴは少し言いよどんで、考え込む。どんな込み入った事情があるというのだろう。凄惨せいさんな事件を数多く見てきているだろう魔法警察の精鋭が言い淀むほどの。


「一年前、マリアナ海溝の最深部に未知の生物がいる気がする、と言って飛び出していったんだ」

「は? お前、冗談でごまかすにしてももっとマシな嘘をつけよ」


「事実だ! 事実だから私も自分で言っていて頭が混乱するんだ!」

「瑠璃の頭がおかしいのは、母親譲りか」


 地球上で最も深い海の底にロマンを求めて、家族を置いて飛び出すとは。天河がやけに物静かで多くを語らない理由がわかった気がする。一人で二人分騒がしい人なんだろう。


 とりあえず瑠璃の母親は存命らしい。教育分野に強い影響力がある水原家らしく、母は海洋生物研究の第一人者だと言う。数年前までは頭にリュウグウノツカイのぬいぐるみをかぶって、テレビで深海生物を紹介する名物学者だったという。俺はテレビを見る余裕なんてなかったから知らないが。


「ん?」


 自分で言ったことに頭を抱えているイヴには見えていないようだが、校庭に教師とは思えないカジュアルな服装の三人組が見える。マスクで口元を隠し、一人はパーカーを深くかぶっている。


「なんだあいつら?」

「どうした?」

「いや、校庭の隅に怪しい奴らが」


 俺が三人組のいた方を指差す。


「なんだ、誰もいないじゃないか」


 イヴの答えに俺は目を凝らす。しかし、さっき見た三人組の姿はなかった。


「見間違いじゃないのか?」

「いや、そんなことはないと思うが。まぁ瑠璃には関係ないか」


 消えた三人組は卒業生か何かだったんだろう。そう思って俺はまた授業を受けている瑠璃に視線を戻した。


 中学校の授業は退屈だ。一度も通っていない俺が横で見ているだけでそう思うんだからまだガキにとってはよけいに退屈だろう。教師が淡々と説明している内容も、生きていれば勝手に身につくものばかりだ。宿も親もなしで生きていれば、だが。


 そんな中で、瑠璃は背筋をまっすぐに伸ばして、教師の話をしっかりと聞いている。ノートにペンやマーカーを走らせ、よそ見もしない。


「うちのお嬢様は優秀だな」


 嫌味のように漏らす。そこに予想外にイヴが食いついた。


「そうだろう、そうだろう。お嬢様は成績はもちろん、校内での生活態度も活動もご立派なのだ。だからこそ、せめて家の中ではくつろげるように我々がフォローしなくてはならない」

「だから隠れてスナック菓子を渡してるのか」


 鳴らない口笛を吹いて、イヴは顔を背けた。天河は瑠璃がこっそりスナック菓子を仕入れていることに完全に気付いている。そして時々、よりによって俺に対して小言を言ってきやがる。本人かイヴに言えばいいものを。関係ないことで叱られるこっちの身にもなれって話だ。


 まだ授業は三時間目。ここでまだ半分。退屈になって俺はあくびを漏らす。同時に静かだった教室のドアが乱暴に開けられた。


「なんだ?」


 教室の中の視線がすべてドアに集中する。そこに堂々とした雰囲気で入ってきたのは、さっき見た怪しげな三人組だった。


「この中に水原ってのはいるか?」

「水原はボクですけど」


 瑠璃がまっすぐに手を挙げる。誰ともわからない奴相手でも変わらない。すると、三人組はずかずかと教室を横断し、窓際の瑠璃の席を囲むように立った。


 距離が近くなったおかげでよく見える。リーダーらしい真ん中の一人は女。その右の男はどうやら左腕がないようだ。リーダーの左の男は、かなりの大柄で腕っぷしに自信があるらしい。


「あいつら、闇魔法使いだ」

「何!? どうしてわかる? まだ魔力の残り香は見えないが」


「そこそこ手慣れてる。周囲への重圧のかけ方がうまい。こんなに目立つ入り方をして犯行を繰り返しているのに、まだ捕まっていないってことは、普通の警察じゃ対処できない奴らってことだ」


 実際この三人組は教室に乱入してから怒鳴り声も上げていないし、暴力も振るっていない。だからこそ、状況が理解しにくい。いきなり物を壊したり叫んだりすると誰もが危機だと理解して助けを求めるが、今はまだ変な奴が入ってきた、としか思えない。


 その状況で不審者に標的にされるリスクをとってまで行動を起こせる奴はそうそういない。


「こういうとき、俺は手を出していいのか?」

「ダメだ。瑠璃様は学校に行っている間は我々が護衛していないと思っているのは知っているだろう」


 俺は瑠璃の護衛兼使用人として雇われていることになっているが、それはあくまで屋敷の中での話だ。特別扱いをしない普通の子どもと同じように、が教育方針の水原家では徒歩で登校するし、家から出れば一人で行動しなければならない。実際、琥珀にはもう外で護衛はついていない。


 瑠璃にイヴが護衛についていたのは、瑠璃がまだ魔法に覚醒していなかったから、水原家の娘として狙われたとき、最後の砦となるためだ。今は俺が演出のためについていて、イヴは俺の監視のためについてきていることになっている。


「極力、瑠璃様本人で問題を解決するのが天河様の方針だ。学校で目立つわけにもいかないし、今は見守るしかない」


「つい最近、学校中に子犬をバラまいたばかりだけどな」

「あれは不可抗力だ。瑠璃様が問題を起こす想定はしていない」

「それじゃ、瑠璃が闇の力で解決しようとしたらついでに手助けするか」


 そう言って、俺は事の成り行きを見守る。いつもの瑠璃ならそろそろ闇の力でお仕置きするといい始める頃合いだ。

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