最終話 青い空の下で

黙々と立ち上る入道雲が浮かぶ青空と、その青空の色さそのまま写し取ったかのように青く輝く海、そして夏の日差しが照り返す白い浜辺。そこには二人の背丈が同じ人影が海を向いてたたずんでいた。


「ここが・・・海・・・」

「うん、こことは違う所だけど、僕が小さい頃に、よく姉さんが連れてってくれたんだ。」

「綺麗・・・」

「どう、気に入った?」

「はい!波の音が、とっても心地よくて心が落ち着きますね。蒼井さ・・・兄さん。」


マジェンタは、蒼井が血の繋がった家族であることを知ってから、本当ならば叔父にあたる蒼井の事を兄と呼ぶようになった。だが、まだシキモリとして戦っていた時の癖から、しばしば昔の呼び方をしてしまうのだった。


「ご、ごめんなさい兄さん・・・つい、昔の癖が出ちゃって・・・」

「別に、僕はどっちでもいいよ。マジェ・・・いや、胡桃くるみ。」



そしてマジェンタも、人造生物兵器ではなく一人の人間として名前を改めることになった。その名は蒼井胡桃。彼女たっての希望で、名前に蒼井の姉、即ち自分の母の文字が入る名前にしたという。彼女の戸籍に関する諸々の手続きは、「彼」が上手くやてくれた。それでも、時々昔の自分の名前が恋しくなる時があるのだという。特に、一つ屋根の下で一緒に暮らすようになってからは。


「もう、たまにはマジェンタって呼んでくれてもいいんですよ!外出先ならまだしも、蒼井さんったら、家の中でも胡桃、胡桃って・・・せめてベッドの上では、昔の名で呼んでください!!」

「そ、それは今言わなくてもいいんじゃないかな・・・それに、」

「それに?」

「妹としての名で君を呼ぶと、より絆が深まって、より君を愛せるような気がするんだ・・・もちろん、マジェンタ呼びでも、僕は君の事が好きなことに変わりは無いけどね。」

「・・・むう、蒼井さんはずるいです。」

「ごめんね、マジェンタ。」


顔を膨らませたマジェンタをみて蒼井は笑みをこぼし、つられてマジェンタも笑い始める。こんなに思いっきり笑い合えたのはいったいいつぶりだろうか。最後の戦いから三日たって目覚めた蒼井はその後もいろいろなに追われてとても感傷に浸る暇などなく、あれから半年後の今日ようやく一区切りがついてマジェンタと共に海に遊びに来た次第だ。その事後処理にも、かなり「彼」の協力を仰いでいる。今日は、「彼」に呼び出されて二人ともここへ来たのだが・・・


「来ませんね・・・クロハさん。」

「急用でも入ったのかな。」

「・・・」

「・・・」


自然に、目と目が合う。手と手が触れる。だいぶ夏の空に放ったが、海水浴には少し早い時期なのでこの浜辺には誰もいない。だったら、これくらい・・・大丈夫だよね、とお互い黙ってうなずくと、目線を段々と近づけていく。いつも家の中でしていることなのに、なぜか外でやるとお互い変に緊張してすぐには出来ない。そして、永遠にも感じるほどの数秒間の静止を経て、二人はそっと、唇を交わし・・・


「俺のこと呼んだ?」

「うわあっ!!」

「きゃあっ!!」


あまりにも突然に現れた革ジャンにジーンズ姿の「彼」に慌てて互いにばっと身を引く。いつも突然音もなくぬうっと目の前に現れる「彼」の悪い癖は未だに二人ともなれない。


「別に途中でやめなくったっていいだろう?お前らがそういう関係だってこと、俺はもう知ってるわけだし。」

「もう!!音もなく現れるのやめてください!!」

「そ、そうだよ!くく、クロハの悪い癖も困ったもんだ。」

「ははは、こりゃあどうもすいませんな、蒼井教授。」

「く、クロハ、教授呼びはやめてって言ってるじゃないか・・・それに、まだ僕はいずれそうなると決まっているとはいえ、まだまだ僕は姉さんの足元にも及ばない見習いなんだから・・・」


色素生物の脅威が去ったことを受けて、日本国は国家単位での色力研究を再開。そして、武装組織COLLARSは正式に解散とし、新生色力活用研究機関として独立し、再出発することになった。その主任研究者として選ばれたのが、蒼井とマジェンタであったのだ。蒼井はすでに発展しきったエネルギー技術としての色力の活用から方針転換し、マジェンタに培われた技術を応用した、人体拡張医療技術としての色力の活用を目指して日々研究に勤しんでいる。


「研究機関の事もそうだけど、クロハには何から何までいろいろ世話になっちゃって、なんとお礼を言っていいのやら・・・」

「いいってことよ。それより、本当にいいのか、研究機関に色杯を置いとかないで。」


蒼井があくまでも平和目的のために使うのであれば、クロハは色杯を見なかったことにしてこの星に置いていくつもりであった。だが、蒼井はそれを丁重に断った。


「ううん、いいよ。確かに色杯はまだまだ分からないことだらけで、調べたいこともたくさんあるけど、僕たちは、身の丈に合った、平和な暮らしが維持できるほどの色力の使い方さえ知っていれば問題ないんだ。それに・・・僕らが持っているより、クロハに預けたほうが、よっぽど安全だからね。」

「・・・そうか。賢明だな。蒼井は。お前みたく謙虚な奴がもっと宇宙にいっぱいいたら、俺も何度も呼び出されずに済むんだけどな。」

「・・・そういえば、クロハさん。私たちを呼び出した用って何ですか?」


マジェンタがそう聞くと、クロハは申し訳なさそうに二人に向き直り、


「ああ、それの事なんだが・・・実は、俺は二人にさよならを言いに来たんだ。」

「「ええっ!?」」

「本当ならもう少しお前たちを手伝ってやりたかったんだが、そうもいっていられねぇ。どうもこの宇宙は色杯のような身の丈に合わない力を持った道具で悪さをする奴らが多くてな、それを一人で処理しなきゃいけないんだから全くブラックもいい所だよなあ、特異点って仕事は・・・」


クロハは自分の事を、宇宙正義の代行者たる特異点と名乗った。堅苦しそうな肩書を名乗った割には意外と砕けているその性格に少しギャップを感じたものだが、彼のいつもおどけているような態度の合間合間に蒼井が見た、宇宙の悪を捉えて絶対に見過ごさんとする彼のまっすぐな目つきが、その言葉に何よりも説得力を与えるものであった。その背中に宇宙の正義の執行と言う重い責務を背負って星々を一人渡り歩いている彼に、蒼井はただ畏敬を覚えるだけだった。


「でも、それをなんだかんだでこなしちゃうクロハはやっぱりすごいよ。僕も君みたく、この星の未来を引っ張っていけるような存在になれるかな・・・」

「なれるさ。きっと。お前は強いから、いつか姉さんや岐路井を越えられる。そんなお前だからこそ、この星を安心して任せられるんだ。あ、そうだ、蒼井。一つお前に大事なことを教えとく」

「?」


クロハは改めて蒼井に向き直って、真剣なまなざしでこう告げた。


「思い人は、何が何でも大事にしろよな。」

「えっ・・・」


蒼井は、またクロハが冷やかしのつもりで行ったのかと思ったが、彼の真剣な表情からはどうしてもそうは思えなかった。むしろ、そのまなざしが一瞬、ほんの一瞬だけ、悲しい色に見えたのを見て、蒼井は何も言わずに黙ってうなずいた。


「じゃあ、俺はそろそろ行くわ。だがもし、何か内政的諸問題以外で平和が脅かされるとか、困ったことになったらいつでも俺を呼んでくれよ。すぐ飛んでってやるからな。」

「ありがとう、クロハ。でも、大丈夫。後はもう僕たちだけでもなんとかなりそうだから。」

「そうか。」


そして、蒼井とクロハは、お互いに掌を差し出して、固い握手を交わした。


「・・・また、会えるよね?」

「・・・ああ。いずれな。」


そしてそこへ、マジェンタも掌を重ねる。


「今度会う時は、いきなり音もなく現れるの、禁止ですからね、クロハさん?」

「わ、分かったよ、悪かったって・・・」

「ふふふ。約束ですよ。」


そして、クロハは自分の体を微小構成体に変換し、青空に向かってきらきらと上っていく。


「きれいな空・・・すっと見ていられますね・・・」

「そうだね。マジェンタ。僕たちがこの空を守ったんだ・・・」




波がさざめく白い砂浜で、入道雲のように立ち上る白い砂塵が太陽のまぶしさにかき消されて見えなくなるまで、二人はずっと眺めていた。空は、雲を浮かべてどこまでもどこまでも続いている。その色は・・・澄み渡るような青だった。

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