第35話 力に溺れゆく男

色がこの星から消えたという事は、即ち色力を前提として成り立っていた社会が音を立てて崩壊するという事と同義であった。色力で動く発電所が。水道局が。ライフラインが。インフラが。色力を用いるありとあらゆるものが一瞬にして役立たずとなる。だが、軍事兵器に関しては色力を用いない兵器が世界の主流となっていたのが幸いして、問題なく動かすことが出来た。色素生物の総攻撃を受けて日本全国の自衛隊、そして米軍の全戦闘機が色力式兵器が使用不可能となったのを確認し、遅まきながらスクランブル発進した。だが、その先に待っていたのは大量の色素生物ではなく、一体の灰色の・・・天使だった。


天使に向かって攻撃することなど宗教的にご法度ではないかと思われるが、そこはかつて教会がある地に平気で二発目の原爆を落とした米軍の事だ、即座に思考を切り替えて”天使”に容赦なくミサイルをぶち込む。しかし、天使はそのミサイルを避けるそぶりも見せない。このまま炸裂するかと思いきや、ミサイルはなんと天使が纏っている灰色の鎧にずぶずぶと呑み込まれていく。天使はけだるそうにミサイルが来た方へ、片翼を少し仰ぐと、その翼から無数の羽が飛び立ち、戦闘機のコックピットめがけて鋭い羽根の切っ先が突き刺さった。コクピットの中は限りなく黒に近い灰色液体が飛び散り、それに羽が触れたとたん、羽根はどろどろと泥濘状に変形し、たちまち戦闘機を包み込んでしまった。


戦闘機を吸収した灰色の泥濘はそのまま小さい色球となり、羽根を飛ばした主の下へ帰っていく。主はそれらを吸収すると、やはりけだるそうにため息をついた。


「腹の足しにもならん。おとなしく隅っこで震えていればいいものを。なぜわざわざ死にに来る・・・?」


全ての色力をその体に無理やり収めた、究極の色素生物にして、力の権化の到達点、グレイエル。神々しくも恐ろしいその身体からは何人たりとも寄せ付けないオーラを感じさせていた。天使の視線は今この星で唯一生き残っている色素生物――人間たちが自分たちの防衛用に生物兵器として調整を加えた――に目を向けた。シアンとマジェンタの二人を戒めていた十字架はとっくに破壊されており、二人を担いでこの場を離れようとしているのは色素生物でも、人間でもない第三の存在の男だ。やはり奴は少し弄ったくらいではびくともしないか。


「く・・・クロハ・・・」

「・・・」

「二人とも、しっかりしろ!今の状態で戦えば絶対殺されちまう、ここはひとまず撤退だ!!」


あのクロハとかいう第三の存在は、二人を見捨てれば自分と思う存分戦えるはずなのに、くだらないプライドを優先してあえて撤退を選ぶのか。実に興味深い。そして、実に気に食わない。そう思った瞬間には、グレイエルはクロハの前に瞬間移動して立ちふさがっていた。


「・・・どこへ行く?もう少し遊んでくれてもいいのだぞ?」

「ちいっ!!退きやがれ!!」


クロハは即座に二人を後ろに回すと即座に腹部を狙って右腕の拳を入れた。しかし、拳は体に当たっても手ごたえのないまま、そのままずぶずぶと吸い込まれていく。まるで泥の中に手を突っ込んだような感触だ。仕切り直すために腕を抜こうとするが、もがけばもがくほど腕はグレイエルの体の中に沈み込んでいく。


「く、くそっ!!放せ!!放しやがれ!!」

「君はこのくらいでは死なないだろうが、一応色力は残らずいただいておくよ。」


グレイエルはそう告げると、即座に自分の体を色球に変形させてクロハを一瞬で呑み込んだ。叫び声をあげる暇もなく、色球の中で散々に色力をしゃぶりつくされた後、等身大に戻されたクロハの本体が色球からはじき出された。黒系物理色をたっぷり吸収した色球は再び堕天使の姿に――少し黒味が強くなった――戻り、クロハを嘲った。


「わざわざ私と戦うために色力をため込んだのが、仇になったな。」

「なにを、この姿でもお前を倒すには十分なんだぞ!」

「そのとおり、何度も言うが、私は君に敵わない。だが・・・この二人はその限りではないな。」

「・・・!!やめろ!!」


グレイエルはぐったりとしているシアンを蹴り飛ばした。瓦礫だらけの大地にシアンの体が力なく転がり、わずかにうめき声をあげるだけでもはや立ち上がる力もない。


「蒼井君・・・案ずることはない・・・君ももうすぐ楽になる・・・もう疲れただろう、私が介錯してあげよう・・・君の姉を殺した、この手でな・・・」


触れただけでけがを負いそうなくらいには鋭くとがっているグレイエルの左腕の爪は、その恐ろしい切っ先をシアンに向けた。既に腕が届く範囲にまでにじり寄ってきている。後はこの手で奴を貫くだけ・・・その前にクロハが急いで立ちふさがった。見ると、手には何やら白い棒のようなものをもってグレイエルに向けている。疑似網膜で簡易走査をしてみたが、中の構造はどうにも解析できなかった。


「てめえ、もしシアンを殺したら・・・ただじゃおかねえぞ!!」

「ははは、せいぜい虚勢を張っているんだな、クロハ。君には今から起きることを止められない。君は二人を助けられないまま傍観するしかないのだよ。」


クロハがここぞという時に使う最後の手段、フラッシュコンバーター。その白い棒から放たれる装置は生きとし生けるものすべての記憶を消し去る能力がある。特に色素生物にはこの光を直接浴びせるとたちまち色素が還元されて肉体が消滅してしまうが、それはシキモリでも同じことだ。だからこそ、クロハはこの装置をあまり使いたくはなかったのだ。今この場で使えば、グレイエルどころか、シアンやマジェンタも同時に消滅してしまう。敵も味方も共に消し去る、まさしく最後の手段なのだ。


「せめてもの情けだ・・・蒼井君、一発で確実に仕留めてやろう。あの世で桃花と仲良くな・・・」

「やめろ!!」

「死ねえっ!!」


グレイエルの貫手が、シアンめがけて繰り出される。クロハはもはや躊躇する暇もなく、視界機能を停止してフラッシュコンバーターのスイッチに指を置いた。すまない、シアン、マジェンタ、許してくれ。あの世で散々になじってくれ。今此奴を片付けるには、こうするしかないんだ・・・と、心の中で謝罪をしながら。そして、装置のスイッチに掛けた指に力を入れようとした、その瞬間であった。


ザシュッ!!


グレイエルの爪が、肉体を貫く音がした。だが、それにしてはわずかに早い。クロハが違和感を感じて視界機能を再始動させると、シアンの体は貫かれてはおらず、そのままぐったりと横たわってるだけであった。まさか・・・まさか!!


「・・・く・・・が・・・がはっ・・・」

「・・・な、何故だ・・・」


イエルの爪は、確かにシキモリの胴体を貫いた。だが、貫いたのはシアンではなく、マジェンタの方だった。彼女は最後の力を振り絞り、自分の戦友を、自分の愛する人を、文字通り身を挺して守ったのだ。だが、それに一番驚いていたのは、クロハでも、シアンでもなく・・・ほかでもない、グレイエルだった。


「あ、蒼井、さん・・・」


マジェンタは力を使い果たし、なぜか動揺しているグレイエルの前で力なく倒れて、そのまま消滅し、人間態に戻った。この時クロハがとっさにマジェンタの体を微小構成体の不可視膜で包んだおかげで、マジェンタがそのまま還元されたかのように見えた。


「マジェンタ・・・やはり奴は・・・」


なぜ奴がマジェンタを手に掛けてあれほど狼狽しているか、クロハには心当たりがあったが、今はとりあえず逃げることを最優先として、シアンを蒼井に戻しつつ、二人を抱えてテレポートした。命からがら、シキモリ達はグレイエルから逃げおおせたのである。


・・・


「やめて・・・キロくん・・・い・・・や・・・」


何故この光景を今になって思い出したのか。色力活用研究機関の地下。色力式高機能エンジンの実験室。暴走するエンジン。二人の研究者。一人は女性で、一人は男だ。男と女はお互いを良きライバルとして、良き友人として、そして良き恋人として認識していたはずだった。だが、わずかなボタンの掛け違いから二人の間に壁が出来るようになり。時を経るにつれてその隔たりは増していった。


男は女を守りたかった。守るために力が欲しかった。だが、女は力の追求は争いと破滅の呼び水になるとして力を追求する男の姿勢を決して肯定しなかった。男は女の考えに一定の理解を示したが、力を追求することはやめなかった。そして、時がたつにつれて男は力に心酔するようになっていき、いつしか目的と手段が入れ替わった。己の中に湧き上がる灰色の感情を抑えきれなくなった男は、夜な夜な真っ白な夢を見るようになり、その夢で繰り返される幻聴に悩まされるようになる。


「力が欲しいんか・・・?そんなら、そこにある色杯で自分を祝福しなはれ・・・」


色杯で祝福すれば、男は人間ではなくなる。人間にあだなす色とりどりのけだものに身を堕としてしまう。そんなことは絶対にあってはならない。男は己の欲望を理性で押さえつけていたが、ある日、とうとう色杯に手を付けて、人間の体を捨ててしまったのだ。表では奴らを忌み嫌っていながら、実は心の底では自由に色に宿る力を行使できる奴らに羨望のまなざしを向けていた男からは、もはや理性はなくなった。


「その力を、もっと自由に行使したいと思わへんか?そのためにはな・・・」


女を殺せ。女は力のあくなき欲望からけだものに身を堕とした男を絶対に許しはしないだろう。やられる前にやるのだ。研究中の事故を装って女を殺せ。殺せ。殺せ。

灰色の感情に支配された男は、女の首を絞めた。時に切磋琢磨し、時に未来を語り、時に愛し合った女を。


「・・・ご・・・め・・・んね・・・」


女の顔が、シキモリ二号の顔になる。彼女の胴を、自分の手が貫いている。シキモリ二号は、腕から引き抜かれるように崩れ落ち、消滅した。自分は、また、この手で、この手で、彼女を、彼女を殺してしまったのか・・・彼女は・・・彼女と・・・自分の・・・なのに・・・


「うあああああああ!!!!!」


なんという偶然の符丁だろうか。あの時と同じように、自分はまた殺してしまったのだ。大切な人を。愛するものを。・・・自分の心を。一度目の感情の爆発は研究室のエンジンを吹っ飛ばす程度に収まったが、今度は違う。自分の体に無理やり押し込んだ灰色の色力が崩れ始めていく。灰色の体が、灰色の澱んだ泥濘に形を崩して己の意識を呑み込んでいく。それはまるで、自分が決して浮き上がることのない、力への渇望という泥沼に沈んでいく様を再現しているようだった。


泥濘は不完全な色球を形成し、瓦礫だらけの大地を飛び立つ。もはや己の意識ではどうすることもできない。力そのものが意思を持ち始めているのだ。いや、最初から自分は力に操られる人形だったのだ。それを認識した時、己の意識は再び泥濘に沈んでいった。




泥濘の塊は、あふれ出る力の器を求めて宇宙に飛び出た。器がある船は、すぐ近くにある。器が欲しい。器・・・うつわ・・・呑み込もう・・・のみこもう・・・











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