第36話 灰色の過去

重い瞼を開くと、そこは灰色の部屋だった。いや、厳密には色が抜けた部屋と言うべきか。しかし、この部屋にはどこか見覚えがある。ニスの剥げかかった机。机の上に大きく「色力」と書かれた分厚い本、朝日が差し込む方角に設置されているため、夏はよく目覚まし代わりになった窓。姉さんの下へ行くために、必死にこの部屋で勉強した、あの日々。この部屋のなにもかもを、自分は懐かしい思い出としてすべて覚えている。そうだ、ここは・・・!


「・・・岐路井さんの・・・家・・・?」


かつて姉と共にみなしごであった自分を引き取ってくれた、岐路井とその家族の家に二階の部屋で、蒼井は目覚めた。COLLARSに入るまではこの部屋で岐路井と寝食を共にしていたが、色力の研究者として多忙だった岐路井が帰るのはお盆と正月くらいなもので、それ以外はほぼ蒼井の部屋と化していたのだった。COLLARSに入隊したてからは、岐路井の両親が亡くなったとき以来全くこの家に立ち寄ることが出来なかったが、それから数年たった今でも、うっすらと埃をかぶっている以外にはある程度整頓されているように見える。


「でも・・・どうして・・・」


なぜ自分はここにいるのか。ついさっきまで自分は、その岐路井さんの成れの果てである灰色の堕天使に殺されかけたはずだ。だが、自分はこの通り意識がある。少なくとも色がまだ世界に還元されていないところから、まだあいつは死んではいないのは確かだ。こんなところでじっとしている訳にはいかない。一刻も早く奴を止めなければ。しかし、色がない世界では自分はシキモリに転身して戦うことは出来ないし、そもそも世界がモノクロームなので転身する為の青系物理色を含む物質の判別もできない。


否。その程度でへこたれてどうする。まだだ、まだ何かできることがあるはずだ。考えるよりも先に蒼井は、かつてのように机に座り込んで「色力」と書かれた分厚い本を開く。すると、中ほどのページに二枚の紙が挟まっていることに気づく。二つ折りにしてあったその紙には、びっしりと文字が書き連なっていた。岐路井さんが書いたのであろうか。蒼井はひとまずその紙を読んでみることにした。


{この遺書は、私、岐路井紀仁のりひとがまだ人間の心が残っているうちに犯した罪への懺悔を書き連ねた遺書である。この紙を書き終わってしばらくすれば、私は岐路井としての自我を殺し、色素生物イエルとしてこの星を裏切るであろう。}


岐路井さんの遺書。ここは岐路井さんの部屋であるためそのようなものが見つかってもなんらおかしくはない。蒼井はさらに読み進める。


{・・・私は、桃花を殺してしまった。ともに研鑽しあい、ともに競い合い、そして、ともに愛し合った蒼井桃花をこの手にかけてしまった。それだけではない。同僚のCOLLARS隊員まで手に掛けたのだ。もはや私は、己の中にいるもう一人の自分、イエルを抑えることが出来なくなった。だが、色杯で祝福してこの人格が生まれたわけでは無い。イエルはまぎれもない自分自身だ。火の国園にいた幼いころから私の心に潜み、虎視眈々と表に出る機会を狙っていたのだ。・・・}


火の国園?あそこは確か自分と姉が育ったみなしご園・・・いわゆる児童養護施設だ。岐路井さんもその園で育ったみなしごとは知らなかった。思えば、自分は岐路井さんのそばで暮らしていながら、全く岐路井さんの事を知らないし、知ろうともしなかった。もし彼について少しでも知っていれば、今よりほんの少しだけでもマシな状況なっていたのだろうか。


{・・・園内で孤独だった私に桃花はよく接してくれた。最初のころこそはうっとおしかったが、気が付けばいつも彼女といるようになっていった。だが、彼女はあまり体が強い方ではなく、それを理由によく他の子供にからかわれていた。その都度、私は彼女をいじめる悪童とけんかしていたのだが、いつも負けてばかりであった。俺にもっと力があれば、桃花を守れるのに。もっともっと、強い力が欲しい。そう心の中で何度悔しがった事か。今思えばその時すでに、私の中でイエルは生まれていたのかもしれない。成長して、勉学を重ね、色力活用研究機関に最年少研究者として桃花と共に入ってからは、その考えはより顕著になった。特に色素生物が襲来するようになってからは、研究機関の武装組織化やら色力式兵器の開発でよく桃花ともめるようになっていった。その時からだ、夜な夜な真っ白い空間にいる夢を見て、「力が欲しいか・・・」と言う幻聴を聞くようになったのは。そしてとうとう私は、その声に屈してしまった。そして、色素生物として、桃花を、この手で、私は、・・・}


ここから先は何やら文字のインクがぐじゃぐじゃになって判別不可能だった。おそらくこれを書いている途中で岐路井はたまらず涙を落し、それによってインクがぼやけてしまったのだろう。ここで一枚目は終わっていた。そして二枚目もかなりぼやけがひどく、半分は全く読めるものではなかった。しかし、どのような内容であったかはある程度想像がつく。インクのにじみから岐路井のやるせなさをひしひしと感じつつ、蒼井はかろうじて読める部分を読み進めていく。


{・・・私はせめてもの罪滅ぼしとして、墓に埋める時だけは五体満足にしようと無理を承知で医療センターで桃花の死体を一つ一つつなぎ合わせて、修復させてもらった。色力を使った医学では体の損傷は復元できても命だけは復元できないことは分かっていたが、目の前の桃花は、まるで今にも動き出しそうで、見ているだけで心苦しかった。私は一つの命を奪ってしまったのだ、取り返しのつかないことをしてしまったのだと改めて突き付けられた私は、許してくれ桃花、と人目をはばからずに泣いてしまった。しかし、私が奪った命は、二つだった。それは、桃花の体の奥の奥に根付いていた。たった一度、息抜きは必要だと、久々に二人だけで休暇を取り、その夜、私は桃花と体を重ねていた。その時にできた愛の結晶が、よりにもよって私が桃花を殺した時に判明してしまったのだ。・・・}


初耳だった。まさか岐路井さんと姉さんが子供をもうけていたなんて。そしてそれをよりによって姉が死んだ後に知ってしまった岐路井さんの気持ちを思うと、蒼井は心が締め付けられた。しかし、紙はまだ続きがあった。


{・・・だが、まだ受精卵の状態だった。既に着床してしまっていたので人口子宮に移すことが出来ず、人間として生まれることは絶望的であろう。だが、この子のDNAはサルベージできる。桃花はもう救えない。だが、この子は、この子だけは救いたい。そう考えた私は後先考えずに既に医療センターの器具に手を伸ばし、桃花の子宮を摘出し、この子のDNAをサルベージしていた。そして私は、あらかじめ保存されていた、色素生物シアンのサンプルDNAと彼女の遺伝子を掛け合わせて、本来予定にないはずのシキモリ二号としてこの子を作り上げた。自己満足でしかないことは分かっている。この程度で罪を償うことは出来ないと思っている。でも私はこの子を、この子を、どうにか生かしてやりたかった。そして私は、かつて桃花から貰ったカプセルストーンの、桃色の石にその受精卵を埋め込んで、彼女に渡し・・・}


そこで紙は終わっていた。本当はもう少し書きたかったのであろうが、その時すでに岐路井はイエルと言う人格に支配されたのであろう。だが、もし、この紙に書いてあることが真実なら・・・岐路井さんが、姉さんのお腹の中から救い出したその子は・・・まさか・・・と、そこまで蒼井が考えを巡らせていた時、後ろに気配を感じてばっと振り向くと、そこにはここへ蒼井を連れてきたであろう張本人が立っていた。おそらく、彼はこのことについて岐路井さんと邂逅した時に既に感知していたはずだ。


「・・・全部読んだか。」


蒼井は無言でうなずく。モノクロームの世界だと彼の黒ずくめの服は良く目立つ。


「ここへ連れてきたのは、クロハ、君なんだね。僕に全てを知ってもらうために・・・」

「ああ・・・ずっと黙ってて悪かった。俺の口から言っても、信用してもらえないと思ってたからな。」

「マジェンタは・・・?」

「イエルの攻撃からお前を守って倒れた。」

「・・・!!」

「安心しろ、まだ死んじゃいない。COLLARSの医療センターで横になってるが・・・だいぶ弱ってる。本当は色力式集中治療装置にかけてやりたいが・・・」

「・・・マジェンタ・・・!!」


岐路井の家と医療センターは目と鼻の先であった。蒼井は一目散にマジェンタがいる病棟へ向かって行く。包帯に巻かれ、酸素マスクやら点滴に繋がれて、ベッドの上で横になっている彼女は、応急処置が手早かったこともあって何とか容体は安定しているものの、それでも予断を許さない状況であった。


「・・・」


しゅうしゅうと呼吸音だけが響く病室で、蒼井とクロハはマジェンタをただじっと見つめていた。長い沈黙に耐えかねたようにクロハが蒼井に告げる。


「・・・イエルは、やろうと思えばマジェンタを殺すことが出来たんだ、でも、しなかった。むしろかなり狼狽していた。・・・その意味、今ならわかるな?」


蒼井は黙ってうなずいた。色素生物としての姿を現した時、マジェンタを色杯と共に奪おうとしたのも。さっきの戦闘で、とどめを刺さなかったのも。それは彼の中にまだ岐路井としての人格が僅かに残っていることを表す何よりの証明だった。自らと同じくみなしごだった岐路井にできたたった一人の家族を、自分のわずかに残った良心を形にしたような存在をどうして手に掛けられよう?みなしごにとって、たった一人の肉親の存在がいかに重大であるかは、何より蒼井がよく知っていた。


「・・・クロハ。」

「覚悟、決まったか。」


蒼井の目が座っている。覚悟を決めた男の目はこうもりりしく見えるのかかとクロハは内心で独り言ちた。そして、蒼井に色力抽出装置を手渡した。


「前に俺との戦いで使った重光線装置があるだろう。こんなこともあろうかと修理しておいた。そいつで地球を覆っている色彩屈折装置カラーフィルターに穴をあけて、光を一瞬だけ元に戻す。その間に転身するんだ。」

「・・・イエルは、今どこに?」

「奴は今太陽と水星の間にいる。戦いの後に色魔殿を呑み込んでかなりでっかくなりやがった。正直言って、勝てる見込みはほとんどないと言っていい。良くて差し違え、が相場だ。・・・それでも、行くんだな。」


蒼井は力強くうなずく。


「僕、行くよ。・・・イエルを倒しに。そして、岐路井さんを救いに。」

「・・・分かった。もう俺は何も言わねえ。地球は俺に任せて、あいつと存分に戦ってこい!」

「うん!」


既に作動した重光線の照射地点の座標に急ぐため、蒼井が病室を後にしようとした、その時だった。


「い・・・や・・・」

「!」

「あ・・・蒼井、さん・・・いっちゃ・・・いや・・・」


マジェンタが蚊の鳴くような声で、死地に出向かんとした蒼井を必死に止めようとする。かつて、自分が姉を引き留めようとした時のように・・・


『いやっ、いやっ、お姉ちゃん、行っちゃいやっ』


今、自分はあの時の姉と同じ立場にいる。本当なら、地球を守るシキモリとしての任を放り出して、マジェンタと地球が滅ぶその時まで共にいたいのは蒼井も同じであった。だが、自分は行かなければならない。この世界に色を取り戻して、姉さんが作り上げた平和な世界を取り戻すために。そして・・・マジェンタという、自分にとってたった一人の家族を守るために。蒼井はようやく、あの時の姉の気持ちが理解できたような気がした。


「・・・マジェンタ・・・ごめん。」


蒼井は背中越しにそう告げると、未練を断ち切るようにして病室から駆け出していった。


「いや・・・いや・・・蒼井さん!・・・行かないで!」


マジェンタは傷だらけの体を無理に起こして蒼井を追いかけようとするも、クロハにがそれを止める。


「離して!クロハさん、お願い!!蒼井さんが・・・蒼井さんが!!」

「マジェンタ。蒼井はもう覚悟を決めた・・・行かせてやれ。」

「でも・・・でも!!・・・うううう・・・」




ややあって、病室の窓の向こうで、天から一筋の光の柱が現れると同時に、その光を利用して転身した青い色球が、最後の戦いへと出向いて行く光景を目にして、マジェンタは己の無力さと蒼井との、おそらく一生の別れに大粒の涙をこぼした。クロハはそれをみて、ただただ彼女を慰めることしか出来なかった・・・









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