第17話 悪戯心
航平を保育園に送っていった後、銀行や市役所などのお使いを済ませた。家事以外にも、細々と用事は尽きない主婦である。それでもちょっと時間が空いた。
ほんの少しの悪戯心から、美優は慧也の美容院を覗いてみたい、と思った。
いつも自分しか客のいない美容室が、普段はどれだけお客が入っているのか興味も有る。それに、慧也がどんな風に他の客に接しているのか、見てみたい気がしたのだ。
慧也にも連絡せず、突然訪ねたら驚くことだろう。仕事中で忙しそうなら、ちょっと店の繁盛具合を見るだけでもいい。
そんな悪戯心を起こしたのが悪かったのか。
彼の美容院のある路地に入る辺りから、聞き覚えの有る声が聞こえてきたのだ。
「なんでさっさとモノにしないのよ。証拠らしい証拠が取れないじゃないの。」
「いや、無理なもんは無理です。俺がどんなに頑張っても、向こうにその気がないんだから。」
「それをなんとかするのが、あんたの商売じゃないの。既成事実までは行かなくても、それっぽい写真とか、それっぽい言動だけでもいいんだから。ホラ、どっかのラブホの入り口あたりまで二人で散歩するとかだけでもいいのよ。」
「そういう隙さえもない。ガード硬いんです、あの人。」
「そんなんじゃ、向こうは納得しないわ!」
「俺は無理かも知れないって念を押して引き受けた。相手有りきのものなんだから、思い通りに行かないかもって言ったはずです。それでもいいって言うから・・・。」
「もお、あんたそれでもホストなの?女落としてなんぼなんじゃないの?」
「やめてくださいよ、もうホストは廃業しました。」
「なによ、現役の頃さんざんひいきにしてやったのに!」
「勘弁して下さい。そうやって俺を何回利用したら気が済むんです?」
「これで最後にするから!!」
「何回目の最後ですか!もう、俺は嫌です。美優さんにバラしたければバラしてもいい。あんなちゃんとした人、騙せるわけがないんだ。」
自分の名前が聞こえ、美優の身体が震えた。思わず声が出そうになるが、どうにか飲み込む。
慧也と一人の女性が言い合っているところからは死角になる場所へ逃げ込み、そっと様子をうかがっていたのだが、動揺の余り踏み込みそうになった。
かろうじてそれを耐え黙って立ち尽くす。
話し合いが決裂したのか、
「もう、いいわよ!!使えない!!」
捨て台詞と共にその場を後にした女性の後ろ姿に、見覚えがあった。
すらっとしたスタイルのいい、小奇麗な身なりの女性。きちんと整えられた外見は、実年齢より若そうだ。
当然だろう、彼女の職業は美容部員。美優と会うときですら、気合の入った外見でやってくる。ついこの間もそうだった。
慧也と会っていたのは、橋岡美波。ママ友になって、もう何年経つだろうか。子供の保育園が一緒になったのが縁だったから、三年以上にもなる。
彼が自分の店に入っていったのを見届けてから、通りがかった風を装い、美優は彼の店の前をゆっくりと通る。ちらっと店内を見渡して。通常営業しているはずの彼の美容院に、客は一人もいなかった。
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