第6話 組織
「なんとか、間に合ったね」
息ひとつ切れていない伊櫻は額を軽く拭った。
さすが運動部。僕のスピードについてこられるとは。
「意外とギリギリだったな……はぁはぁ」
「大丈夫?」
もちろん、運動部に所属したことのない雄一は満身創痍で息を荒げていたわけだが。
時刻は十六時五十七分。
廊下には生徒たちが長い隊列を形成していた。
「こ、この列が?」
「たぶん、そう。学校にとっても大規模なイベントの集会だからね」
「そっか……」
「なんか変?」
「いや、普通だよね。並ぼう」
ここに並んでいるのは一年から三年の計二十一クラスから選出された実行委員。
僕らのクラスとは違って、担任からの厳正な指名で選ばれた生徒たちだ。
到着してから私語が一度も聞こえてこないのは不自然と捉えるべきか不気味と捉えるべきか、いずれにしても異質な雰囲気だ。
「にしても、出本君は足が遅いねー。運動部に入ってなかった?」
「まさか、学級長が堂々と校内を走り回るとは思わなかったよ……」
女子更衣室の前で待つという苦行(ご褒美)をしたのはさておき、早々に校内を走らされる羽目になるとは思わなかった。
「私が廊下を走らないとでも?」
「走っちゃダメでしょ!」
「そりゃ緊急時は走るよ~。遅れたら元も子もないからねー」
緊急時でもクラスの代表である学級長が校則を破ったらダメだろと呆れながら、
「そりゃ、そっかー」
と適当に相槌を打った。
「それはそうと、せっちゃんは?」
「……あ、先生か。たしかに姿が見えないな」
というか教師らしき人物が一人も見えない。
先に中に入ってたりするのだろうか。
「もしかして入れ違いになったとか?」
「……僕、ちょっと、確認してくるよ」
「あ……うん。私行くよ?」
「いや、行ってくるよ。走るペースも合わせてもらったしな」
「じゃあ、よろしくー」
伊櫻に見送られた雄一は、廊下の端に並ぶ生徒の隊列を横目に、前へ前へと足を運ぶ。
伊櫻の気遣いを遮って譲らなかった理由は、頭によぎっていた一抹の不安。
そして、その不安の種がこちらを覗いていたような気がしたから。
「よっす」
背後から近づいて話しかける、すると女生徒はビクッと身体を反射させた。
「……」
しかし、振り返ろうとはしない。
案外、いつもどおり話してくれるんじゃないか。そんな思惑は数秒の沈黙で潰えた。
「あれ、紅澄さんですよね?」
「……」
「もしもーし」
「……用があるならさっさと話せ」
紅澄はいつもと同じように、視線はくれずにぶっきらぼうにそう返した。
「よかった……」とおもわず声が漏れ、雄一はそっと胸をなでおろす。
この前のような厄介ないざこざにはならなそうだ。
「用件」
「先生はどこに?」
「教師陣は先に入ってる」
「そうか」
せっかく、伊櫻を大変な思いして連れてきたっていうのに。
「……それだけか?」
「一人で来たのか?」
「同じ班の男子と一緒に来た」
「木原か」
意外なペアだ。
「気まずくなって別れたけど」
「なんじゃそりゃ」
会話が弾むイメージは確かにつかない。というか、紅澄の一般生徒に対する対応を僕はまだ見たことがない。
「恋バナでもしてればよかったのに」
「意味わからん。きもい死ね」
「そこまで言わなくても……」
冗談にもこれだから反抗期の娘は困る。
「木原はどこかにいるとして、水島もいるんだよな?」
「彼女は学級長が教室を出ていったのを確認した後、昇降口に向かってた」
紅澄は淡々とそう口にした。
「え。つまり、それって……サボったってことか?」
「ダチより惚気を取ったんだろ。アタシには理解できない話だが」
「止めはしなかったのか?」
「アタシがか? 止める理由がアタシにはないだろ」
冗談じゃないと言いたげな紅澄の口ぶりに、雄一は現実を自覚する。
困ったな、これじゃどんな処分を食らってもおかしくないぞ。
紅澄は善意で付き合ってくれているだけだ。そこまで求めることはできない。
「そうか……なら、仕方ないな」
一番は、これを知った伊櫻がどんな顔をするのか……想像するだけで目を背けたくなる。
「それで……例の男は本当に今日、来るのか?」
紅澄は自分の核心をさらけ出すかのように、声色が一層冷静になる。
「例の男?」
「渋ってんじゃねーよ。けど仲間の可能性もあるし、ここで名前を出すのは危ないか」
紅澄の中でもさすがに確認よりリスクが上回ったのか、馬鹿正直に言うことはなかった。
「ああ、本を借りた人のことか。たぶん来るんじゃないか?」
というか確実に来るだろう。
「まさか、あいつが黒幕だったなんてな……さすがのアタシも度肝を抜いたぜ」
「そうとは決まってないんじゃないか? すべてがお硬い人間って聞いてるし……」
資料のために使ったか、純粋に歴史に興味を持って調べたかの用途だろう。どちらにせよ、
「対面で話せる機会は?」
「……厳しいだろうな。なんせ有名人だ」
「それをやってのけるのが、ア・タ・シだ。覚悟しとけよ」
紅澄はバッチリと眉をひそませ、嫌味を企むような顔つきを見せる。
そんな冗談も本気に聞こえてしまうからこの子は怖い。……冗談だよな?
「それはそうと、今更だが口調は大丈夫なのか?」
雄一は今更ながら、気を遣ってひそひそ声で話しかける。も、
「アンタに話しかけてんだ。外野は関係ないだろ」
「なんて無茶苦茶な……」
そんな配慮はお構いなしに紅澄は通常の日常会話レベルの声量で返してくる。
「アタシに礼儀は期待するなよ。地獄みたいな空気にしてやっから」
「自滅だけはしないようにな」
そうして、不安だらけの第一回実行委員会は幕を開けた。
※ ※ ※
席は決まっていた。伊櫻の隣の席だった。
クラスごとにまとまるわけではなく、名簿順らしい。特殊だ。
会が始まると、はじめに実行委員の進行役が軽い自己紹介を始めた。
けれど、距離が離れているので声は微かにしか聞こえてこない。
マイクに音声が入っていないことを隣の男子生徒が教えると、マイクを持つ女生徒はペコペコと感謝の意を身体で表す。誤解がないように念のため補足しておくが、何故、遠目で女生徒だと認識できたかというと、男子にしてはあまりに小柄な体格だと思ったからだ。
最近見たような大げさな仕草だな……。そんな心当たりも一瞬で払拭された。
「えー、失礼いたしました。本日、実行委員会の進行を務めさせていただく生徒会副会長の中崎夏乃です。本日はよろしくお願いします」
始まって早々、雄一は目を丸くさせた。
「えっ……どういうこと?」
生徒会の会長、副会長は本来最上級生である三年生しか立候補することができなかったはず。もし、校則が変わったのなら生徒手帳にでも記載されていたり……
「出本君、中崎先輩に会ったの?」
隣に座っていた伊櫻がすかさず訊いてくる。
「先輩? 彼女に伊櫻がどこにいるかを聞き出したんだけど、マネージャーだよね?」
「いまはね。けど、少し前まではうちのエースだったんだよ~」
「エース⁉ あの小柄な体格で?」
耳を疑った。小柄で、元エースで、今はマネージャー……?
「言ったじゃん、強い先輩がいるって」
「キャラ付け盛りすぎだろ……」
「キャラ?」
「いや、そういうメタ的な発言は触れなくていい」
ということは、ケガをした三年の先輩は中崎先輩ってことなのか……?
そして、伊櫻のスランプの原因は、強すぎる彼女から生まれる劣等感。
……ダメだ、そんなのただの憶測に過ぎない。
雄一は踏み入れすぎてはいけないと思い、そっと口をつぐんだ。
自己紹介を終えた副会長様は、こちらの視線に気が付く素振りを見せると、優しく手を振ってみせる。視力どうなってんだ。
「中崎先輩は優しいからね~、先輩の魅力に惑わされないようにね」
「魅力?」
その魅力というのはあれだろうか、マスコット的なあれだろうか。
「先輩の根は私と違って、純粋だから」
「確かに健気な感じはしたな」
それも同級生はおろか、存在しないはずの後輩かと思うくらい。
「正直者なんだよ。いい意味でね」
「土下座されたしな」
「あー、よくやるよくやる」
「よくやるんだ⁉」
彼女の場合、ジャパニーズソーリースタイルの土下座で謝罪するのは、デフォルトなのかもしれない。
「自分が本校の生徒会会長、山岸です」
硬い口調で自己紹介をする彼……
生徒会長。肉眼越しに姿を見るのは二度目だが、整えられた七三分けに白縁眼鏡のスタイル……容姿といい風貌といい、思った通りの厳格な人格者のようだ。
そして、彼こそが初霜咲の歴史四巻を最後に借りた形跡がある『例の男』である。
もしもがあるとするならば、言動で分かりそうなものだが……
「本日はお日柄もよく、理事長を呼んでの集会にしては恵まれた環境で……」
と長ったらしい慇懃の台詞が飛んできたところで、理事長もしくは学校への忠誠心を理解するには十分だった。残念だったな紅澄、会長様は既にマーキング済みだ。
「生徒会長って硬いよね~。趣味とかあるのかな……」
伊櫻、そういうのは余計なお節介ってやつだぞ。
「ああいう人は本をよく読むんじゃないかな?」
「その根拠は?」
「根拠? えーと……僕がそうだったから、かな」
根拠というか経験則になってしまったか。
「私も同じかも」
「漫画以外も読んでたら、その可能性は否定できない」
「ラノベは読むよ」
「……‼ へ、へぇ~そうなんだ……」
伊櫻の唐突な告白に雄一の心は揺れる。
まさか、クラスの中心にいるあの伊櫻がラノベを読んでいるだなんて……。
けれど、「僕も……」なんて興奮気味に口を出すことは性格柄、できるわけがなかった。
「さきほどから、チラホラと鼠の鳴き声が聞こえてきますが、集会は私語厳禁です。本日はどうぞよろしくお願い致します」
生徒会長は手に持っている資料から目を離し、周りを一瞥しながら警告の勧告をする。
お𠮟りを受けてしまった……。名指しされなかっただけマシだろう。
副会長は目が良くて会長は耳が良いらしい。カプとしては箱推しできるくらいだ。
「注意されちゃったね~」
伊櫻は呑気にそう言う。
「静かにしよう」
そう促すと、
「こうだね」
と伊櫻は口元に手を重ね、Xマークを作って従順にアピールした。
なんだか、今日はよく話してくるな……。
雄一はそんな心で、どこかはしゃいでいる彼女を横目で追った。
そして、自己紹介は次第に一般生徒にまで回っていった。
「一年五組の学級長の伊櫻有紗です。初めてのことで緊張していますが、成功させたいと思っています。よろしくお願いします」
簡潔的な喋りで自分の伝えたいことを盛り込んだいい自己紹介。伊櫻はやはり一段上のステップで状況を把握している……と思う。
けど、おかけで自信がついた。こんな一瞬の自己紹介でいいなら僕にだって……。
「一年五組の出本雄一です。初めてのことばかりですけど、頑張ります……!」
全然一瞬じゃなかった。
頭を下げた後、静寂が続くたびに冷や汗がどんどん湧き出てくるようで、周りから認知の拍手が挙がるまで生きた心地がしなかった。
「どもらずに言えたね」
「……まあ、なんとか」
とりあえず、派手に躓くことはなく、順調に会は進んでいった。
ちなみに紅澄の自己紹介は……まあ、予想通りあれだったが、暴動を起こさなかっただけまだ及第点といえるだろう。
なんせ紅澄にとって、その怒りの元凶ともいえる人間が目の前にいるのだから。
一通りの自己紹介が終えると、誕生日席で静かだったスーツ姿の男がついに立ち上がる。
男はこの空間で最も注目される位置である教卓へ一歩一歩踏みしめるように移動する。
「えー、皆さんも知っているかと思いますが、念のため……ね」
この空間にいる全員から見える場所に立つと、男は一呼吸置いた。そして、周りを見渡すように自己紹介を始める。
「私がこの名誉ある初霜咲高校の理事長を務めている
まさに病室で見た映像どおりだった。堂々とした立ち振る舞いに、落ち着いた表情。
「こうして偉そうにしているのにも理由があるんです。立場とか尊厳とか……もう何年もやってるから慣れっこですがね」
ホホホと軽い笑みで空気を和ませた後、理事長は深々と頭を下げた。
「はじめに謝罪を。残念ながら、私にはあなた方全員の顔と名前を一致させることは不可能に近い。私ももう歳ですから」
そう言うと、男は後ろに腕を組んだ。
「ですので、毎年話していることをまた今年も話そうと考えております」
「私がこの学校に赴任してきた時、生徒の人数は今より少なかった。一クラスおよそ二十人ほどの生徒人数だったでしょうか……あの頃は周りの目が今ほど厳しくなく、弱いものいじめが当たり前のように起こっていました」
初霜咲の定員人数が溢れ出すようになった、つまり初霜咲の知名度が上がったのはもう何十年も前と記憶しているが、それ以前の話ということになるのだろうか。
一クラス四十人の今となっては、なんとも現実味を帯びない話だ。
「私は担任として、その問題をどうにか解決しようと試みました。どう解決したのか、結果はどうなったのか、とかは何年も前のことなので記憶はあやふやですが、ひと段落ついたことだけは覚えています」
「しかし、ローマは一日にして成らず。問題はそれだけでは済まず、生徒は私たち教員を困らせるようなことを毎日のように起こし始めます。これこそが悪循環の始まりでした」
「このままでは今まで培ってきた初霜咲の歴史が水の泡になってしまう。どうにか再起を図ろうとしたところに、一人の生徒が私の前に現れます」
生徒? 改革は理事長自身がきっかけじゃないのか?
「成績も優秀でクラスでも人気者だった彼女は、この学校は退屈だと私に言ってきました。当時の私は臆病でそうは言われても……とたじろぐばかりでした。そんな時に生まれた行事が今では本校の特徴的なイベントになっているクリスマス会でした」
一人の女子生徒からの発案でここまで長続きしている……ということか。
発表は佳境。男の発表には徐々に熱がこもり始めていた。
「彼女は言います。
この高校は平凡を逸脱し、異常にシフトするべきだと」
「彼女は言います。
初霜咲以外の人間には聖域を踏み荒らす権利を与えない。ここは神聖な宴会場だと」
「彼女は言います。
自分たちの霜は自分で取るべきだと」
男は理路整然と脈絡のある言葉を並べた後、締めの言葉を発する。
「クリスマスという特別な時間に、生徒たちと絆を深め合う行事。それがクリスマス会の始まりであり、目的です。文化祭ももちろんですが、本年度もかの目的を果たすため、皆さんで協力して素敵な思い出を作りましょう」
そう説明が締めくくられると、途端に有象無象の拍手喝采が教室中に巻き起こった。
上級生はもちろんのこと、教員も当然のように手を鳴らした。
「なんだこれ……」
まるで毒された宗教のような統一された組織的拍手喝采に、雄一は唖然とした。
空気を読めない自分たちが間違っているような、
そんな無情な疎外感を受けながら……
「あ、そうそう。今日、欠席した生徒がいるらしいじゃないですか」
理事長は思い出したようにそう発言すると、生徒会長は慌てて資料を漁る。
「は、はい! 一年五組です」
心臓がキュッと締め付けられる。一人の休みは連帯責任……。
『停学や退学も……』と、そんな声が耳の奥で鳴りやまない。
「いいでしょう。みせしめとして該当する班には私から、実行委員の仕事とは別に、ありがたい罰を与えることとします」
「時には厳しさも、必要ですからね」
「ええ、そのとおりです。ですので、該当する班は全行動を生徒会に従ってもらうことにします」
「せ、生徒会ですか……⁉ それは私めにお任せしてくださるということでしょうか?」
生徒会長はあからさまに動揺した様子を見せる。
「説明するまでもないでしょう。まさか、言ってる意味がわからないとでも……」
「……とんでもございません。承知いたしました」
教師と生徒の関係とは思えない絵面でその場を終えると、理事長は早々に教室から立ち去って行った。
「わくわくしてきたね」
「ドキドキの間違いじゃないか?」
大変なことになったというのに、相も変らぬトーンで話す伊櫻には感服する。
少なくとも、一学期分の冷や汗はかいた自信がある。
「初めてのことばっかりで楽しみだね~」
「そんな呑気でいられないよ……」
そんな余裕は僕にはない。正直、羨ましいとさえ思う。
「呑気に行かないと、正気の沙汰じゃいられなくなる?」
「僕の場合は、そうだけど……」
もしかして、こうして今は明るく振舞っている伊櫻も場の空気を和ませるため
に……?
「まあ、休んだ水島には注意しないといけないかもね~」
「そ……そうだな」
そんなことはなかった。
いつもどおりの口調で、水島のヘイトを煽るような発言をする伊櫻は、ちょっとだけ怖かった。恐らくその発言に他意はないのだろうが……いや、愚痴くらいはあるかも。
なんせこうなったきっかけは、今、この場にいない彼女に責があるといっても過言ではないのだから。噂されていた重い処分より生徒会に従事するだけで済んだだけマシというものだろう。伊櫻の場合、自分の成績に傷がつくことでの怒りがありそうだが……
「……どうかした?」
「いや、なんでも……」
伊櫻の表情に大きな変化は見られない。
紅澄のように怒りを顕著に表してくれれば、まだ身構えることができるのだが……。
と、雄一はひとりでにモヤモヤした状態で、その場をしばらく過ごした。
結局、
理事長が去った後はなにも起こることなく、第一回実行委員会は閉幕し――。
結果、僕ら一年五組班の命運は、生徒会によって委ねられることとなった。
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