第5話 意外な一面

   第三章 


「ワイシャツ一枚じゃ少し寒いな……」


 季秋も近まる寒い一日。

 陽が暮れ始めた頃の風は少しだけ肌寒く感じた。

 授業を終えた雄一は、実行委員会に万全を期して挑むために早めに移動をしていた。

 それも40分も前。


『彼女、今も必死にラケット振っていると思うから。呼んできてもらえる?』

『……僕がですか?』

『学級長がいないと話にならないでしょ?』

『五人全員いないと話にならないんですよね?』

『そうそう。まだ時間あるからよろしくね』


 ついでにと頼まれた担任の用件も済ませるために。


 女子テニス部の副顧問を務めている担任教師(せっちゃん)は、事前に伊櫻に今日の練習はなしと伝えたみたいだが……


『時間まで自主練だけしてきます』


 とだけ言って、教室を早々に後にしたらしい。

 なんとも練習熱心なことだろう、継続は力なりとはまさに彼女のことを指すのだろう。

 学級長を兼任しながら運動部に所属して実行委員までも取り組む……

 病室で怠慢にオンライン授業を受けていた僕とはまるで違う。

 現にいまも部活に入部はしたもののなにもできていない有様。進展させないと仮入部だって取り消されてしまうかもしれない。


「どうにかしないとなぁ……」


 後先考えずに突っ走るのは僕の悪い癖だ。


 爽やかな練習風景が目に入る、校庭にあるテニスコートを金網のフェンス越しに遠目で眺められる場所に着くと、特徴的な髪色の女生徒を探した。


「……いない」

 パッと見、それらしき人物は見つからなかった。

 けれど帽子を深く被って確認できない人物は何人かいた。

 当たり前だが、あまり接近したくはなかった。コートの隅で仁王立ちしているテニス部顧問が苦手な教師というのもあるし、落ちこぼれの僕が女子テニス部なんて眩しい領域に踏み込んだら脚光を浴びることが分かっていたから。


 などと言っている間にも時間は刻一刻と迫っている。首を伸ばしてあれか?これか?と観察していても埒が明かない。

 覚悟を決めろ。

 雄一は意を決して、重い足をそろりと一歩ずつテニスコートへと踏み出した。


「何かご用ですか?」

「はい、すみません‼」

 背後から掛けられた声に対して、潔い謝罪が出た。


「っと……ありがとうございます? ああ、ごめんなさい。謝らせてしまって」

 話しかけてきたのは、学校指定の長袖長ズボンのジャージを着た、小柄で華奢な体格の部活関係者らしき長髪の女子生徒。身長からするに同じ一年生だろうか。困り顔でこちらを伺っている。


 最悪なのは、金網のフェンスに掴まる前に気づかれてしまったことだろう。傍から見たらフェンスをよじ登ろうとしていたようにも見えたかもしれない、本当に不審者っぽい。


「いえ、こちらこそすみません……」

 一応こちらも謝っとく。

 ぎこちない謝罪から始まる会話、お見合いってこんな感じなのかな……。


「あの……」

 沈黙がしばらく続いた後、女生徒は不審そうにこちらを覗いた。説明を求めていることが目で訴えているようだった。


「いや、決して卑しい気持ちがあって覗きに来たとかではなくて……」

「卑しい気持ち……?」

「えーっと、紛らわしくてごめん。今のはつい言っちゃた常套句というか……」

 必死に訂正の姿勢に入る。まだ何もしていないのに嫌われたくはない。


「常套句? もしかして……新手の方、ですか?」

 女生徒はおそるおそると警戒するように尋ねる。


 新手……? こうしてテニスコートまで足を運んだのは初めてだし、新手ではあるか。


「はい、新手です」

 それを聞いた女生徒は、部屋の隅でゴキブリを発見したみたいに軽蔑の目線をくれ、

「非常に申し上げにくいのですが……お引き取りをお願いします」

 そして、丁寧な口調で、お引き取りをお願いされた。


「えーと……僕、何かしました?」

 怖がらせないようにおそるおそると理由を問いかけた。

 僕の名前を知ったうえで断っているというなら納得がいく。けど、これはあんまりだ。


「何か……ってあなた、使いの方ですよね?」


 使い……? たしかに、担任に頼まれたから使いではあるか。


「はい、使いです」

 それを聞いた女生徒は、台所で腐敗物を発見したみたいに軽蔑の目線をさらにくれ、

 って、これまた悪い方向に向かってるんじゃ……


「ごめんなさい、不潔です‼」

 と、謝罪と軽蔑を声にして言い放った。


「ふ、けつ……?」

 不潔と呼ばれたことは何度かあったが、初対面の人間に言われると心に来た。


「非公式の常套句の使いの方なんですよね? もう言質は上がってるんですよ」

「いや、確かにそう質問には答えたけど……」

「何を言おうと言い訳無用です。シャバの空気を吸えるとはもう思わないことです」

「シャバって……って、え、ちょっと……」

 女生徒は、雄一の腕を無理やり掴んだ。


「先生に報告するのでこちらへ。初霜咲にあなたは不要です」

 そして、コートの隅にいる例の苦手な教師に向けて歩みを進め始めた。


 このままではかなりまずい。雄一は声を大にして抗議した。

「ちょ……ちょっと待って‼ 確かに学校側からしたら僕は非公式みたいな人間だけど、出本雄一としては公式だよ!」

「話を逸らさないでください。わたしは部活の話をして……っへ」

 間抜けな声を出すと、引っ張っていた腕が途端に解放される。


 動きを止めて頭を整理。

 一時、困惑した素振りを見せた後、おそるおそる訊いてきた。


「出本雄一さんですか……?」

 女生徒は、信じられないような表情でこちらを見つめていた。


「はい。出本雄一、【公式】です」


 自分の名前が入学してから初めて役に立ったと感じた。




「申し訳ございませんでした‼」

「そんな土下座までしなくても……。僕も名を名乗ってなかったし」

「いいえ、わたしの責任です。汲み取れなくてごめんなさいぃぃぃ……」

 さすがに頭を地面に擦り付け始めた辺りで顔を無理やり上げさせた。

 正直な性格なのだろう。彼女は未だに申し訳なさそうな顔をして俯いている。


「それはそうと、公式っていうのは?」

「言い訳がましいのですが、公式というのは先日公式の写真部を装った【微●ロ写真部】なる部活に騙されそうになったばかりでしたのでデリケートになっていました……ごめんなさい!」

 全力投球で彼女は素振りの音がするくらいに頭を下げ続けた。


 僕のことを勧誘かと思ったってことか。


「けど、そんな部活が……停学程度じゃ許されないね」

「ほんとですよ。困った人たちです」


 そんな危ない部活もあるなんて。やはり、自由に部活を作れる制度はどこかしらに穴があるというものだな。ところで、公式との差はどのくらいあるんだろうか。


「でも、お一人……ですよね? 部活の用ではないのですか?」

 女生徒は雄一の周りを確認する仕草をすると、不思議そうに尋ねる。


 僕の名前を知っているなら、部活に入っていないことも知っていそうだが……


「いや、部活じゃなくて、人に用事があってだな……」

「人? ごめんなさい。もしかして……有紗ちゃんに用があって来たんですか?」

 心当たりでもあるのか、女生徒は閃いたように声色を変えて言ってきた。


「話が早くて助かるよ。この後、用事があるから呼びに来たんだ」

「そうですか、あなたが……」

 女生徒は納得した様子で頷いた後、雄一の身体を隈なく観察し始める。


「えーと……なにか変なものでも付いてます?」

 あまりにも自然に見てくるものだから、警戒して胸を手で覆ったりしてしまいそうだ。


「いえ、ごめんなさい。こちらの話なので大丈夫です!」

「そ、そうですか……」

 女生徒は困惑する雄一に構いもせず真剣な表情でうんうんと頷くだけ。


 何を持ってして観察されているのか見当もつかないが、なんだか不気味だ。


「それで伊櫻さんはどこにいるかわかりますか?」

 さっさと目的を果たして実行委員会に向かおう。時間も段々と余裕がなくなってる。


「わかります。けど、その前に一ついいですか?」

 若干接近してくる女生徒に、バットは持ってないよな……と身の安全を確認する。


 なにも持ってないですよ? と彼女は不思議そうに言う。大丈夫こっちの話だ。


「有紗ちゃんのこと、頼みますね」

 と、耳元で囁くように優しい声色で言われた。


 勝手に任せされたらしい。

 そんなこと頼まれる義理も好感度もないと思うんだが……


「うちの学級長さんはなんでもできると思いますよ。僕が頼まれなくても」

「あ、それは……そうかもですね!」

 女生徒ははにかんだ顔でニコッと微笑んで見せた。


 伊櫻のことを知っているのであれば、そんなこと一目瞭然だろうに。


「わたし、女子テニス部マネージャーの中崎っていいます」

「ご丁寧にども」

 マネージャーだったのか。テニスをするには向いていない身体(主に身長)と思ってはいたが。


「有紗ちゃんなら第二体育館で壁打ちしてると思いますよ。早く行ってあげてください」

「体育館か、ありがとう」

 雄一は感謝の言葉を残すと、その場を後にした。


 その後、体育館へと向かう道は、テニスコート一帯から異様な注目の視線を浴びているような気がしてむずがゆくなった。雄一は駆け足で体育館へと向かった。


 体育館に着くと、半袖ポロシャツを着た伊櫻が壁相手にラリーをしていた。


「あ、そろそろ時間だっけ」

 伊櫻は、横目でこちらの存在に気づくと、確認するように訊いてくる。


「まだ大丈夫。けど、そろそろ着替え始めないと間に合わないかも」

「今は何時?」

「十六時三十分」

「三十分かー。なら……もう少しだけ」

 フラットにそう言うと、伊櫻はタオルで顔や首元の汗を拭き取った後、ラケットを握り直す。


 実行委員会は十七時からだ。女子の着替えの時間を考慮すると準備に手間を取りそうなものだが……


「着替えの時間なら大丈夫だよ。ここから更衣室近いから」

「そっか。なら……よかった」


 って、それじゃあ本当に着替えのこと考えてたみたいじゃないか。いや、考えてはいたけど、それは心配の意味合いで考えていたわけであって、不純な意味合いは特に……


「先に行ってていいよ。私もある程度アップしたら行くから」

「先生に連れてこいって頼まれてるから終わるまで待ってるよ」

「そっか、なら見学でもどうぞ」


 不潔ですと言われなくて少しホッとした自分がそこにはいた。

 トラウマになったかも。


 滴る汗にお手本のような綺麗なフォーム。

 壁打ちをしているだけだというのに絵になるなぁ……。


「上手そうに見える?」

「えっ」

 ふいに訊いてきた。伊櫻の視線は正面でボールを捉えている。


 呆けた面で見ているのが視線でバレたのか。ジト見するのは辞めよう。


「変な質問だな、上手そうもなにも……」

「テニスはやったことある?」

「授業でなら少しだけ」

「そのときは軟式? 硬式?」

「たぶん軟式かな。どうしてそんなことを?」

 おそらくボールの種類の話だろう。伊櫻は硬式テニス部だと思うが。


「軟式と硬式の違いについて、一つ知識マウントを取ってやろうかと思ってね~」

「マウント?」


 マウントもなにも数回しかラケットを持ったことがない僕を経験者として扱っていいものだろうか。そんな雄一の戸惑いを無視して伊櫻は話を始めた。

「まず、ボール。軟式はぷよぷよしていてザ・ゴムって感じだけど、硬式は意外と硬い」

「当たったら痛そうだな。僕なんか……」

「痛いよ。ある先輩は打撲してた」

「そ、そうか」

「……何か言おうとした?」

「いや、些細な事だから気にしないでくれ」


 危うく口が滑りそうになった。中学時代、衣服の下に忍ばせ、女性の胸に模して下品なことをしていたとかそういうことを言える雰囲気ではない。


「他にはネットの高さ、ラケットの重さ、ラケットの使い方とか……まあいろいろ」

「軟式と硬式じゃそんなに変わるのか……」

「変わるよ。だって、私がスタメンに入ってなかったんだから」

 ラリーを止めると、伊櫻は掴んだボールを見つめる。


「今までってことは、次からはスタメンか」

「そう。だから、これからは自分自身に喝を入れないと」

 自分に言い聞かせるように伊櫻はそう言う。


「自分の腕には自信があるのか?」

「そりゃあるよ~。私、一年同士の模擬線は一度も負けたことないんだから」

「それ凄すぎないか……。あれ、一年のテニス部員って何人いたっけ?」

「20人くらいかな。毎日練習来る人はもうすこし少ないけど」

「練習って全員来るもんじゃないのか?」

「ボール拾い、一年生はそこからだから」

「……なるほど」


 上を知るには下を学んでからっていうことか。

 そういえば担任も「ボール拾いが……」とか言ってたような気もするな。

 あの人、ちゃんとテニス部だったんだな。


「せっちゃんの指導も案外、悪くないよ」

「案外ってことは悪い部分もあるってことで合ってるか?」

「今の私に、せっちゃんの指導は合わないと思うだけだよ」

「そう……か」


 それは、あのちびっ子(中崎さん)が案じていたことに関係しているのだろうか。

『頼みますね』とどこか悲し気な顔をして言ったあの台詞。


 それがどうもフラッシュバックするようで、雄一の頭から離れないでいた。

 そうこう考えているうちに、沈黙は流れ、伊櫻はいつもの調子を取り戻すように、


「私って、普段はこんなに練習熱心じゃないんだけどね」


 と、軽い口調で言ってのける。

 それも、誰にでもわかるような枯れた笑顔でこちらに愛想を振りまいて――。


「……時間。そろそろかも」

 体育館の時計を覗くと、長針は四十五分を指そうとしていた。


「ほんとに? そろそろ準備しないとかー」

「うん。遅れるとまずいから早く行こう」


「もしかして、なんだけどさ。出本君って結構な心配性だよね」

「普通だと思うけど」

「そうかなぁ……練習中、ずーっと私のことを見てたのに?」

「そ、そ、そ、そ……そんなつもりは……」


 あれは暖かく見守る……みたいな感じだったんだけど、それもそれでちょっとキモいな。


「まあ、いいや。早くしないと遅刻しちゃうよ」

 この後は、遂に学校行事の催しを綿密に計画する実行委員会。

 僕のボキャブラリーから彼女を鼓舞する言葉なんぞ、出てきやしないが……


 必ずいいものにしたいと願う。


 

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