第4話 勧誘
あれから一週間が経とうとしていた。
結論から言うと、僕の身には何も起きなかった。
てっきり、裏切った見境に
たり、彼女なりの何かしらのアクションを起こすのではと身構えていたが、
『怒ってない?』
『なにに怒るんだよ。アタシをキレ芸人か何かだと勘違いしてないか?』
『いや……なら、いいんだけど』
とこんな感じに電話の翌日以降も、普通に会って、普通に話をして、普通に暴力を振るわれることもなく、不思議すぎるくらいに何不自由ない日常を過ごしていた。
本当にただの杞憂だったのか。
週一のお悩み相談の場で担任に事の顛末を一部だけ話してみたところ、
「ちょっと待って。修学旅行に変えろって話、本当だったの?」
と、それ以前に紅澄に対して、正気を疑うような反応を示した。
「それも紅澄の命令です。学校行事そのものを否定するような口ぶりで……」
「うそうそ。紅澄さんは根は暗いけど、学校のために発言してくれるいい子よ」
「猫を被っていただけという証言も取っています」
「そうなの……? もし、あれが演技というなら、紅澄さんは女優になれるわよ……」
担任は困惑した様子でこちらを覗く。
「だったら、二重人格だったり?」
「あり得るわね……それも、あなたが来てからおかしくなった」
「僕のせい……?」
冗談に冗談で返されるとは思わなかったぞ。
「うちの優秀な生徒をよくもたぶらかせて……。どう責任とるつもりよつもりよ」
「この前、オレンジジュース奢ったんで勘弁してください」
「ああ‼ それも思い出した‼ お礼くらい直接言いなさいよね、このタコ助!」
僕はいま、【火に油を注ぐ】を体現したらしかった。
お礼も言わずに缶だけ置いて立ち去ったのは、さすがに悪かったなと反省してます。
「こんなこと信じないわ。昨日の私も今日の私も明日の私も」
担任には、【紅澄=チンピラ】の認識がどうしても受け入れがたい事実らしかった。
「今日からの私は信じてもらわないと話が進まないんですけど……」
担任が知っている紅澄木乃葉はどんな人物なのだろう、気になったりする。
「入学式であんなにハラショーな発言をしていたのにどうしてしまったの……」
「入学式? 紅澄が目立った行動でもしたんですか?」
「目立ったもなにも……」
「……なにも?」
担任は一時停止すると、なにか閃いたのか、
「出本君」と名前を呼ぶと巧妙な物言いで、こう言った。
「それは【オンナタラシ】ってやつじゃないかしら?」
なにやら慣れない言葉を使い始めたな……。
「まだ誰とも付き合ってませんよ?」
「だから【タラシ】なのよ。責任も取れないような男という獣」
うっ……。所詮テレビの受け売りのくせに、その言葉は今の僕には刺さる。
「私が真面目に働いている間に何があったのかは知らないけど、二学期に入ってから一度も交流無縁の人間が二人の女生徒を同時に攻略しようとするなんて無理な話よ」
「攻略なんて……ただ、きっかけがあっただけですよ」
一人のお人好しと一人の正直者に声を掛けられただけ。
真逆が故にこじれてしまっているだけで、主人公が出本雄一である意味はそこにはない。
「あー、反吐が出そう。節度のある交際を勝手にどうぞ。私は関与致しませーん」
「別に色恋沙汰の相談をしようと思って来たわけじゃないですよ」
「じゃあなんなの? 出本君から職員室に来るなんてめずらしいと思ったけど」
そして、その元凶は未だに解決の糸口を見つけ出せずにいた。
「実行委員が集まる役員総会って、明日でしたよね?」
「そうね、明日。必ず出席、欠席したら停学か退学」
「処分厳しすぎません?」
紅澄と一週間弱、毎日会話をしていたというのに【クリスマス会】の進捗はなかった。
避けられていた、という方がこの場合は正しい。
「生徒会長、副会長、各委員の委員長、各委員の担任教諭、さらには理事長が直々に顔を出すんだもの。そんな場を欠席して無傷で帰れるわけがないでしょ?」
「休むだけですよね?」
「だけじゃ済まないのよ」
どうにもこの高校は格差社会の縮図を表しすぎている気がしてならない。
「けど、出本君は出席するわよね。その言い草だったら」
「……わかりません」
「もともと参加したくなかったわけじゃないでしょ?」
「昔のことは覚えてません。けど、いまは成功させたいと思ってます」
「……そう、矛盾してるわね」
その言葉を前にも耳にしたことがあった。
――矛盾してる。
どうしてさ。そう言うと、彼女は意味がないからと言った。
途端に声が出なくなった。一瞬でも彼女の言う通りだと思ったから。
けれど、たしかその後、僕は彼女の反感を買うような言葉を言ったはずだ。
それは、共感以上に自分がそういう星の下で生まれた人間だったから。
「僕はその矛盾の意味を知りたくて、今日ここに来たんです」
「…………ハッ」
なにかに気付いた担任はおそるおそると、尋ねてくる。
「もしかして、部活入ってくれるの……?」
「今日はその申請に来たんです。僕がわざわざ来るわけないじゃないですか」
「わかってるけど……一言余計。けど、どうしてその気に?」
「さっき言った通りです。二度も言いませんよ」
「あらそう、まあいいわ。期限は明日の朝のホームルームまでよ。ひとまず……これ、渡しておくわね」
渡されたのは、机の引き出しから雑に出した部活の申請書。
「部員はもう一人いるでしょ? それにこの書類は部員の署名が必要なの」
「……署名をもらってこいと?」
「もともとそのつもりでしょ? 私と長話する気もないだろうし」
「よくご存知で。実は人を待たせているんです」
雄一が立ち去った後、担任はポツリと一言零した。
「そう直接言われると、少し寂しいわね」
ああ、まるでドラマのワンシーンのようね……。
なんて、浸るみたいに。
※ ※ ※
「今日は遅かったな」
いつもの喫茶店に着くと、席には既に紅澄の姿。
「まあな。ちょっと野暮用があってな」
「野暮用? 漏らしたか?」
「その、実はな……」
「話す前に座れよ。立ち話は相手に失礼だろ?」
机には広げられた教科書とノート。
いい加減、衆人環視の中で白昼堂々と勉強をするのもいかがなものかと思うが……
「今日もやるか? 角が綺麗な新しい消しゴムも買って来たぞ」
「課題はもういい。あれは一人でやるものだよ」
「二日目まではアンタもそう言ってたな」
「最初っから教えてもらおうなんて思ってないからな。三日目はちょうど、英語の厄介な課題が来たから仕方なくだ」
どうして日本人なのに他の言語を覚えなくちゃならないんだ。と常日頃思っている。
「四日目の言い訳は……そう、電子辞書を忘れたからここを訳してくれって」
「それは仕方ないだろ? ヒントくらい教えたうちに入らない」
「単語の和訳かと思ったら、文章の和訳だったけどな」
「ふん……紅澄は僕より成績悪いけど、な」
「そ、それは……前回も前々回もたまたまテスト範囲の読みを外しただけだわ‼」
「ムキになるなよ。きっと、内申がカバーしてくれるよ」
「で、話ってなんだよ」
紅澄は意図を怪しむようにうんざりした表情で訊いてくる。
「……」
「なんだ、屋上か校舎裏の方が都合良かったか?」
「えーとだな、その……」
なかなか部活のことについて言い出せない雄一。
どもり具合に痺れを切らしたのか、紅澄はハッキリと、
「今度は何でわたしをハメるつもりだ?」
「ハメ……⁉」
って、違う違う。衆人環視の中で周りの目がほんの少しだけ痛くなるのを感じ取る。
「そんなつもりはない……。僕だって、初霜咲の校風はどうかしてると思うし……」
「どうかしてる。アンタの口からその言葉を聞いたのは何回目だろうな」
「薄っぺらいか?」
「ああ、きしょいな」
「そこまで言うか」
紅澄に話を受け入れる姿勢は一切なさそうだ。
「……用があって来たんだろ? さっさと話して帰れ」
紅澄は話を聞く準備の合図として腕を組むと、険しい表情でこちらを睨む。
どこか優しいというか甘いというか……。紅澄にはそんな一面があると思う。
渋々と了承を得ると、雄一は悠長にここ一週間の出来事について話し始めた。
「まず、紅澄が賛成してくれないには後押しする理由がないからだと推測をした」
「そのまずからして見当違いだな」
紅澄は首をかしげる。せめて、もう少し話を聞いてから否定してほしいものだ。
「紅澄は初霜咲の図書館を利用したことはあるか?」
「知らない」
「来週から読書週間だぞ。その前に一度、足を運んでおいた方がいいと僕は思うな。あの図書館結構広いから」
「余計なお節介どうも。家から昆虫図鑑でも持参するからアタシは問題ない」
「クラスにいたな~、そういう奴」
漫画以外ならなんでもいいという教師の言葉を受けて、永遠に図鑑とか〇ッケを読んでた奴。しかし、女子のくせに意外に虫とかいけるんだな……。
「普段から本は読まないのか?」
「漫画なら」
「やっぱりな。オススメの漫画今度教えてくれよ。漫画には疎くてさ」
「話を逸らすな。これ以上逸らしたら帰るぞ」
話を一向に進めようとしない牛歩戦術に紅澄の堪忍袋の緒は静かに限界を迎えていた。
冷静さを保っているようで保てていない、紅澄の素っ気なく返す一言一言は、胸の疼きをこらえているようだった。
緊迫した空気を緩和させる余興はこれくらいにしておくとして……さて、本題に移る。
「初霜咲のキャッチコピーは知ってるか?」
「一応な」
『恋に部活に、初霜咲の生活は桜模様――』なんて宣伝ポスターが駅に貼られているのを初めて目撃した日は興奮して夜も眠れなかったことを覚えている。大抵の人間はそのポスターで入学を志すのだろう(ソースは僕)。
「あんなキャッチコピーを謳っているんだ。根拠、もしくは裏があるとは思わないか?」
「それは間違いだ。あの学校には生徒を陥れる醜い思惑の裏しかない」
相変わらずのあまりにも偏った意見だが、それも含めての行動だ。
「そこで、僕は図書館を利用して、たしかな情報を得ようと考えた」
初霜咲の情報はなにかとあやふやな情報ばかりだ。紅澄と僕の中央門を通る解釈が微妙にずれていたのが情報の曖昧さを証明している。
「図書館で一体、何の情報が得られるというんだ」
「歴史かな……厳密に言うと、今の初霜咲の起源」
昔から本を読むのが好きで、図書館の司書からは名前を覚えられるほどに通っていた。
その小中学校の経験から、学校の歴史が記された書物はだいたい図書館に保管されていることを雄一は記憶していた。
予想は当たり、初霜咲創立からおよそ三十年の歴史を記録した書物が発見された。
「それを読めば、初霜咲がどんな経緯でこんな悪しき校風になったか分かる、と?」
紅澄の純粋な疑問に雄一は首を縦に振った。
「けれど、そんな簡単なことじゃないんだ」
図書館の司書を長らく務める女性に話を伺ったところ、
『訊いてくる生徒は過去に何人かいた。けれど、実際に読む人間は滅多にいない』
と言った。
提示された書物を目にして納得した。
見た目は辞書のように分厚く、数千ページにまで及ぶ創立から現在までの過程が綴られた数々の記録は膨大な活字のみで構成された代物であった。それも現在は六巻まである。
「疑問を抱いた生徒も、わざわざ数千ページにも及ぶ記録を探ることはしない……か」
「そういうことだ」
僕自身も最初は「調べがいがある!」と図書館の独特な静寂に背を押され、粛々と本を捲り始めたのだが……
「その小芝居いるか?」
「最初は本当にやるつもりで張り切ってたんだよ」
「……最後まで読まなかった、と?」
「……」
記されていた内容はその年度ごとに更新されていった学校行事の数々と、生徒の名前が記された無数の名簿。昔から行事を好む学校というのが記録から見て取れたが、僕が知りたかったのは経緯の話だった。捲る手のペースは徐々に早くなっていく。しかし、これも星の
「言い訳はもういい。最後まで読まなかったんだな?」
「あー、まあ……そうだな。読めなかった」
実のところ、一巻すら読み切れていなかった。自分の集中力のなさにはいつも不甲斐なく感じる。中途半端だ。
「じゃあ、この話は終わりだ。アタシは帰る」
「けど、手がかりはあった」
「読み切ってないのに?」
「読まなくても分かることがあったんだ」
勿体ぶるようなことをして悪いとは思う。けど、いまから話すことはただの結果論でしかないのだ。
雄一は制するようにケータイを取り出し、ある画像を紅澄に提示する。
「これは?」
「初霜咲の図書館で現在行方不明になっている本の数々だ」
画像にはいくつもの本の表紙が印刷された貼り紙がピンで止められている。そして、貼り紙の下には『探しています。所持している方は今すぐ返却を』という文字。
自由に貸し出すことが許される図書館ではお馴染みの問題。所謂、借りパクだ。
「あ、これ……」
紅澄がその中から異質な存在に気づき、指をさした本。
それは、とてもじゃないが市販の本には到底見えない辞書のように分厚い本で……
「初霜咲の歴史における書物は全部で六巻あると言ったよな。けど、僕が確認できたのは一巻、二巻、三巻、五巻、六巻だけだった……」
「つまり……?」
雄一は汗を滲ませ、息を呑む。
「そう。四巻が存在しないんだよ――」
「……存在はするでしょ」
「うるさいな」
正しくは誰かに借り出されたまま返されていないという表現が正しいが、決め台詞に水を差されたら癪に障るのは仕方ないよな?
「四巻の時系列はどのあたりになるの?」
紅澄は半信半疑だった数分前とは違い、前のめりになって、真剣に訊いてくる。
もう少しで堕とせるかもしれない。
「初霜咲は今年で三十一年目。一巻が五年ごとに更新されていて、去年に六巻が刊行されたばかりだから、そこから計算するに四巻は十一年~十五年前の内容になる」
「十一~十五年前……。当たり前だけど現生徒ではないか。最後に貸し出した人間は?」
「えっと……現三年生の男子生徒Aで途絶えていた。本人は返したって言い張っていて、図書館を管理する司書も男子生徒Aが返したのをこの目で確認していると証言している」
「どうして、借りたのかは?」
「それは……訊いてない」
「……訊いて、ない?」
質問攻めだった紅澄は、雄一の発言を皮切りに会話の速度を落とした。
雄一はバツが悪いみたいにこくりと頷く。
それを見た紅澄は「はぁ……」とうんざりした表情でため息を漏らし、苛立ちを表す。
「アタシを説得させようとしたかったのは知らないけどさ――」
「厳密に言うと! まだ、訊いてない」
雄一は心の中に隠していた気持ちが爆発するように、思わず声を張る。
「……どういうこと?」
「いや、これから訊こうかなと思っていて……」
雄一は必死に合わせてくる視線を逸らすと、透かすみたいに言葉を選ぶ。
「何が言いたい?」
ハッキリしない雄一を前に、紅澄の苛立ちはさらに増していく。
これ以上の逃げ道はもうない……か。
「赤と青を合わせると紫になるだろ? そこで、だ……」
雄一は意味の分からない比喩を提示した後、空気に吞まれないようになるべく、ポジティブな声色を意識して、大事に大事に用意していた台詞を優しく吐き出す。
「部活、入ってみないか?」
「却下する」
「即答かよ」
紅澄は顔色一つ変えずに拒否した。
「入らなくても咎められないものに入る必要性があると思うか?」
初霜咲では在学している生徒全員がなにかしらの部活へ入部しなくてはならない……とまではいかないが、運動系でも、文化系でも、小規模の部活もどきの同好会でも、入部することが初霜咲では暗黙の了解とされていた。だから都合がいいと思ったのだが。
「入らない」
「僕と紅澄で暴き出すんだよ‼ 初霜咲の陰謀をさ」
「……」
「それに部活に入ることだって、初霜咲だと当たり前になってるし……」
「当たり前をアタシに押し付けるな。百人の意志より一人の意志を尊重すべきだ」
紅澄はスイッチを切り替えるように警戒心を高める。
「顧問もいないくて大丈夫だし、内容も適当でいいんだよ。それなのに部活に入らないって、屁理屈じゃないか?」
「だったら、どうして……アタシを裏切るような真似をした?」
すごい剣幕で紅澄はこちらを睨む。
「裏切る? どうして僕が」
心当たりがない雄一はたじろぐことなく、正直に訊き返す。
とんでもない。僕が一度でも紅澄を陥れるようなことでもあったら、それこそみぞおちにでも鉄バットが飛んでいるだろう。
「クリスマス会、アンタがやる気満々なことに気づいてないとでも思ったか?」
「あー、それは……」
やはりバレていたらしい。これには雄一も言葉を濁らせるほかない。
「……明日の集会くらいには顔を出してやる」
「本当か⁉」
「ああ。クソ理事長の顔を拝みにな。けど、アタシがそれ以降学校行事に参加することは絶対にない」
あー、そういう感じですか。
「準備するだけして、行事には参加しない実行委員は大変そうだな」
「明日行くだけだ。それ以降は本当に行かない」
流れでクリスマス会も合意させられないかと思っていたが、道のりはまだ遠いらしい。
「そんで部活にも入らない。これはアタシなりの意思表示だ」
「嘘だろ、ここまでさせておいて?」
正直、紅澄は押せばなんでも甘いと認識していたので部活に入ってくれないのは困る。
「アンタが勝手にしたんだろ。仮入部くらいなら許してやらんこともないけど……」
「仮入部ならいいんだ⁉」
やっぱり、結構甘い。
「アタシは反対だからな。クリスマス会。それだけは把握しろよ」
「ああ、わかったよ。ありがとうな」
「なんの感謝か知らないけど、アタシは自分がしたいと思ったことを他人に振り回されることなく、やるだけだ」
「はいはい、そういう建前な。ありがとうな」
「なんだそれ、調子狂うな……」
自然と口から出てくる感謝の言葉に、紅澄の頬は若干紅く滲んだような気がした。
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