第3話 チョロい男
第二章
「……えっと。なんて?」
「な、なんすか。二度は言わないっすよ」
「いえ、その……ごめんなさい」
教師は起点の利いた察しをするように謝罪をした……っていやいや。
歯の浮くような告白を吐いたのは間違いないと自負しているけど。
「あの、もしかしなくても勘違いしてますよね?」
「……わ、わかってるわよ。恋愛相談なんて思いもしなかったから……」
「昨日、なんでも相談してくれって言ったじゃないすか」
「だからって、こんな……あーもう……」
教師の言葉の端々から戸惑いと焦りを感じる。
そうもたじたじになられると、こっちも気恥ずかしさが凄いから勘弁してほしい。
「僕も二つ目は言うつもりなかったです」
「つまり、そういうこと……よね」
「勝手に解釈してくれて助かるんですけど、たぶん、それ間違ってますよ」
「いえ、その……君が言いたいことは分かるのよ? 若者特有の勢いってやつよね」
「勢い?」
後味の悪い口ぶりに、「わたしから言わせるの……」なんてことをポツリと呟き、
「しちゃったってこと――」
「やっぱり違います。というか、本当にあなた教師ですか?」
勘違いにも程がある。もはや妄想に近いぞこれ。
「でも、昨日ちょうどそのような話を……」
「あれはタイムリーだっただけです。冗談を真に受けないでくださいよ……」
「……失礼、不純でした」
まさか、昨日の冗談がこうもジャブのようにヒットするとは……。
それにしても、この食いつきよう……そういった話題を出すことすら拒まれていた状況だったのが嘘のようだ。色恋沙汰に厳しいのか、はたまた飢えているのか、全くもってはっきりしない。
「で、出本君はわたしに何を求めている?」
「何も求めてないですよ⁉」
「ねえ、出本君。わざとからかってる?」
「いまのはわざとです。すんません」
でもやはり、教師という立場ながらに生徒を試すような発言は猛省すべきだと思う。
「中央門の経緯は?」
「さっきも説明した通り、母と電話をしていたら口論になってしまって、つい大きな声を出してしまったんです」
「口論、ね……」
教師は未だに疑り深い表情をしてこちらを覗く。
「まあいいわ。ひとまず、中央門のことについては把握しておく。本当かどうか定かではないけれど」
「せっかく自白したっていうのに……」
「なーんか胡散臭いのよね。出本君ってそんな熱いキャラだったかしら……」
生徒を信じられない教師なんてひどい話だ。今回に関しては鋭いが。
「じゃあじゃあ、協力してくれますか?」
「期待以上のことは望めないわよ?」
「それを理解したうえで、先生に頼みたいことがあるんです」
こちとら、恥を忍んで恋愛相談という愚行に至っているのだ。ただでは帰らせない。
「合コンのセッティング? 未成年飲酒はダメよ」
「一回黙っていてもらっていいですか? 話が進まないので」
「話が滞った時は特技を聞くといいらしいわよ?」
先生。もしかして、勝手に楽しくなってきてます?
※ ※ ※
放課後。雄一は昨日と同じ時間まで校内をぶらりと回り、淡い期待を馳せながら中央門へと向かった。目的はもちろん一つしかない。
しかし、校門には誰一人として影も見えなかった。あるのは視線。警備員が敷地内
から不審そうな目でこちらを覗くだけだった。
昨日のこともあってか、中央門のセキュリティ面に見直しが入ったみたいだ。
「まあ、待ち合わせしてたわけでもないしな……」
雄一はそう言うと、淡い期待に打ちひしがれながら林の茂みへと消えていき、トボトボと帰路に着く……はずだったが。
「わっ」
と、心臓が声と共に飛び出しそうな衝撃を受け、地面を踏み外した感覚を足に捉える。
気付いたときには、視界は既に真っ暗で、何も見えなかった。
階段から足を踏み外すような落ちる感覚はあったのに入学式のときのような足首を捻った激痛はない。反射的に周囲を見渡すも眼前は土だらけで、何が起きているか到底理解が追いつかない。ココハドコ、ワタシハダレ……
「お前なにしてんだ……?」
頭上からは、心配は皆無そうな声が一筋。
「落ちた」
声の主は視線を横に逸らしながら、バツがわるいみたいに羞恥の的に目をくれる。
そのいたたまれない奇妙な配慮は一体何なんだ。自分で作った穴のくせに。
「とりあえず、手貸してくれるか?」
「いいぜ。あ、記念写真撮ってやるよ」
「なんの記念だよ」
「荷物用落とし穴に人間がハマった記念」
「荷物用なのかこれ?」
「スコップとかバケツとか、あ、昨日見せたじょうろもその中に入ってるぞ」
「どおりで足元の物が散乱と……」
というか荷物用落とし穴ってなんだ? 普通に倉庫にでも入れとけよ。
「で、一枚どうだ?」
紅澄はおちゃらけた様子でスマホをかざす。そこまでして撮りたいのか。
「仕方ない。僕一人だと惨めに見えるから紅澄も映れよ?」
「そういう問題なのかよ」
写真を撮影した後、
「おまえ変わってるな」と紅澄は付け足すと、頭上から雄一の腕を思いっきり引っ張った。
人一人が自力で上がれない落とし穴を掘る奴に言われるのはなんとも侵害だ。
それも、放課後に軍手をはめてスコップで穴を掘っている女子高生に、だ。
「身体中が土だらけだよ……」
「それは落ちるアンタが悪い」
「悪くない。道端に落とし穴を作るな」
ともあれ、こうして雄一は複雑な気持ちで紅澄との再会を果たした。
ちなみに今度はパンツを拝むことはできなかった。
下から見上げるチャンスだと思ったが、紅澄は学校指定用ジャージを着用していた。
学校指定のジャージを着るまで律儀に格好まで整える辺り、変なところで几帳面だ。
「ということで交渉は難しかった」
雄一は率直に交渉が失敗したことを伝えた。
変に発言を渋った方が、後々苦しくなるだけだと熟知していたからだ。それに内容も内容だし。
「そう……っか。まあ初日なら……仕方ない。……っしょ」
それに、頼んだ当の本人は大して気にしていないらしかった。
てっきり激昂してくるのかと思ったが、読み違えたか?
「ところで今日は何をやってるんだ?」
「見てわかるだろ? 穴を掘ってる」
大振りに振ったスコップは土をえぐり、次には土を空を舞った。
重労働だというのは紅澄の言動から見て取れる。しかし何故に
「また人を穴に落とすのか?」
「あれは例外だ。人間は普通、穴に落ちない」
僕は普通に落ちたけどな、と文句を言いながらスコップの先に目をやると、たしかに落ちるには浅すぎる、深さおよそ三十センチ程度に地面を削られた穴がそこにはあった。
用途、目的がまるで分からない。しかも周りを見渡すとこれと同じくらいの深さの穴がそこら中に埋め尽くされていた。……小ぶりな隕石が辺り一帯に降ってきた跡のようだ。
「見つけるんだよ、初霜咲の悪の根源を」
彼女は語る。穴を掘る本当の真実を……。
「これだけ長年、悪の所業を続けてきたんだ。ダイイングメッセージや白骨化した遺体が見つかるかもしれないだろ?」
やはり、そんなことだろうと思った。
「……僕は紅澄のせいでまた病院送りになるところだったけどな」
「なっ、そりゃ荷物用落とし穴は荷物用として活用してるんだから深さはある」
紅澄は口を尖らせると不服そうに反論する姿勢を見せる。
「注意書きも無しに無断で深い穴を掘ることは悪じゃないのか?」
「注意書きなら坂に入る手前に書いてあるだろ」
「あれは林の茂みに入ること自体を禁じてるだろ」
坂の前には【正門前にある林の茂みへの立ち入りは禁ずる】と注意喚起の標識が律儀に置かれているのだ、それを言ってしまえば茂みに侵入すること自体が禁じられた行為。
つまり、悪だ。
「間抜けに落ちた人間は僕が初か?」
「初だ。記念写真も撮りたくなる気持ちもわかるだろ?」
それはドッキリ番組だけにしてくれ。関係ない人間が落ちたらまず怒る。
「荷物用落とし穴は他にもあるのか?」
「東南西の三つがあるぞ。アンタが落ちたのは南だ」
「三つもこの蟻地獄が……?」
つかトンナンシャーまで作ったんならペーまで作れ。北はどこ行った。
「蟻地獄も住めば都かもしれん。かまくらみたいに包容力とかありそう」
「適当言うな、ただの土だったぞ」
それも結構柔らかめの農業でも出来そうな土。雑草への水やり効果が土にも活かされているのかと疑ってしまうくらいだ。
「いつもここにいるのか?」
「たまたま予定が被っただけだ。最近は中庭が多いな」
「中庭ではなにを?」
「アタシのやることは変わらない。やるべきことをやるだけだ」
やるべきこと、か。……この穴掘りが?
「大きな迷惑事は辞めろよー。暴力は暴力しか生まないからな」
「悪かどうかはアタシが決めることだ。アンタはそこで明日の作戦会議でもしてろ」
「へいへい。そうしますよ」
明日も何かが起こるのだろう。
雄一には、そんな予感がしていた。
※ ※ ※
教室に人が集まり始め、少しずつ騒がしくなり始めた頃、
遂に彼女がやってきた。
「うっす」
紅澄が席に着いたことを確認すると、平然を装いながら背後から声をかける。
「……ああ、うん」
紅澄は素っ気ない態度で反応する。
声色は案の定、昨日の横暴さとはまるで別人。髪も襟足の髪を包み隠すように髪留めで結われている。
「話しかけちゃまずかったか?」
「同じクラスで同じ班でしょ。まずくない」
そうは言うものの、紅澄は背後の僕には視線を合わせようとせず、前に向けたまま、口元を手で隠しながら会話をしていた。
周囲の目はそれとなく警戒しているようだ。
「クラスだと昨日みたいなチンピラぶりは見れないのかぁ……」
「徐々に馴染ませるから安心しろ。そしたら、売られた喧嘩も堂々と買ってやっから」
買われるにせよ、なるべく穏便に済ましてほしい。特に暴力は反対。
「馴染ませるって簡単に言うけど相当難しいと思うぞ……僕だって驚いたし」
【紅澄木乃葉】という人物が、寡黙で集団活動を得意としない社交性に欠けるイメージ……ではなく、不良もどきのチンピラと把握している人間は誰一人としていないだろう。
少なくとも、通学してから一ヶ月もの間、クラス全員の名前と性格をそれとなく把握していた僕はその本性を見抜くことはできなかった。
「具体的には、どう馴染ませる予定なんだ?」
「授業をサボったり、カツアゲしたりしてアピール……とか?」
「最低だな」
「……理由もなしにそんなことはしないよ?」
本気にしたらしく、紅澄の声色は焦りからか、少しだけ和らいだ。
「本当か? 初対面の人間をバットで殴るくらいだからなぁ、説得力に欠けるなぁ」
「あれはわるかったって……ごめん。これで最後、もう謝んないかんな」
悪いことだと認識した途端、素に戻るのもまたチンピラっぽくて、
そこが、いい。
「それはそうと、ちゃんと考えたんだろうな?」
「何の話だ?」
「クリスマス会をぶっ潰す交渉だよ。考えてたんだろ? 担任に断られたんだろ?」
「あー、そうだな。どうするか……」
本気とは言い難い、あの無茶苦茶な話を果たして交渉と呼べるのだろうか。
いくら僕と担任教師が親しげに見えたからといって、学校行事を変えさせることなんて不可能だ。というかその目的で僕に声を掛けたのであれば、紅澄は安直すぎるだろ。
「今朝、ダメ元で話はしてみたけど、難しいみたいだぞ」
「そうか。で、アンタは「はい、そうですか」でおいそれと帰ってきたのか?」
「そういうことだな」
紅澄の反抗的な態度にも怯えず、返答してみせる。
隠す必要はないだろう、どうせどうにもならないことだ。
それに、僕の本命はそこじゃない。
「まあ、いい。ほら先生来たぞ。さっさと席に着きな」
教卓にはいつもながらに気怠そうな雰囲気な担任教師が既に立っていた。
「話の続きはまた放課後な」
「ああ」
別れの言葉とともに手を据えた後、雄一は席に戻った。
「どうかした? 紅澄さん」
「……なんでもないよ」
据えた手に反応はなかったが、横に向けられた眼差しは、しばらく続いた。
紅澄のむっとした表情から少なくとも納得はしてなさそうだ。
けれど、今はいい。じきにそうせざるを得ない空気になる。
ちなみにの話。次に話す機会があるのも教室で、放課後ではなかったりする……かも。
※ ※ ※
「は? 言ってる意味が分かんないんだけど」
「ハッ……」
寝落ちしかけていた出本の目を覚ましたのは食い気味に言葉を返す水島の声だった。
もう、そんな時間か……。
昼休みの教室。
昼食を食べ終え、暇を持て余していた頃、
担任教師が朝と同様、教卓に立っていた。
「先ほども言った通り、本クラスから出る実行委員はクリスマス会を担当することになりました。そして、その実行委員は厳正なる話し合いの末、伊櫻、水島、木原、紅澄、出本の班に決定しました」
不意の発表に狼狽する生徒に構うことはなく、言葉を続けた。
そして、はっきりと告げる。
「拒否権はありません。来週行われる役員総会に必ず出席するように。以上」
「もしかして実行委員って、自主退学した先輩もいるっていうあの……?」
「退学処分になったって話も聞くよね……」
教室内はざわざわと騒ぎ始め、どこからともなく不安を煽るような発言が飛び交う。
「クリスマス会って……一年生はなにも知らないのに実行委員を任せられるんですか?」
雄一は鬼気迫る様子で教師に質問する。
「何事も挑戦から入るものです。毎年、少数ではありますが、未経験のクリスマス会でも一年生の班が実行委員に選ばれている事例はあります」
「断ったら……どうなりますか?」
「断れません。生徒手帳に記載されている行事執行条例を参照ください」
急いで開いてみると、なんとびっくり雄一君。
なんとも胡散臭い条例だが、
『一度、教員に任命されたら最後までやり遂げること。さもなくば、罰す』
という、学校行事の催しのみに反映される規約が確かに存在していた。
恋など愛などに現を抜かしている初霜咲ならではの荒業……
担任教師による独断で、実行委員は選出することができてしまうのだ。
「そう、ですか……」
雄一は、あからさまに落ち込んで見せた。
それも、口元が緩むのを抑えながら――。
『私は職務を全うするだけよ』
胸を張って豪語したその発言の意味が、いま、初めて理解した気がした。
教室内、指名された五人以外には関係のない話。しかし……
初霜咲高校という、無茶苦茶な校風で塗り固められた高校を思い出させるには十分だ。
そう、自分にもいつか出番が回ってくるかもしれない……という認識を。
普段は温厚に振舞う担任教師も、たまには先生らしいこともできるらしい。
おひさまピカピカピクニック気分だった教室には、すっかり不穏の空気が流れていた。
「わたしパスー、むりむり。そんなことやってらないっしょ」
「決定事項です。何を言われようと」
この空気の中でよくハッキリ断ろうとできるなと、水島には感心する。
クラスで人気者の水島は、自分の信念を曲げることを絶対に許さない性格らしく、朝起きたら毎日欠かさずに、爪を三十分かけて磨いているという話だ。
「わたしにもその決定事項ってのが既にあるわけ。人の都合も考えてよ」
「とにかく、金曜日は必ず来てください。心変わりする可能性も……」
「わたし、その日はカレシと約束してるし。――センセと違って」
「…………決定事項です」
まさかのダメージ。共犯者が言うのもあれだが、『こうかは ばつぐんだ』。
「俺もやんないっすよ」
次に声を上げたのはケータイを黙々といじったまま、教卓に見向きもしない木原。
木原は授業中にも俯いてケータイをいじっていることが多々ある不届き者だ。教師に没収されている姿を何度も見かけたことがある。
「あなたたち……。私にそんな態度していいと思っているの?」
「あのさ、せっちゃん。無理やり決めるのは構わないんダケド、なにか忘れてない?」
せっちゃん……? と、いかんいかん。馴れ馴れしいあだ名に気を取られてる場合じゃない。
「言ってみなさい」
「うちら、たいした案は出してないと思うんだけど、そこらへんどう?」
「…………そうだったかしら」
教師はなにかを察するようにして、視線を逸らす。
しまった。
自分が案を提案しまくっていたせいですっかり忘れていたが、結論は『門』でなにかをする。という漠然とした案にまとまっていたような……
「ねね。うちらさ、中央門でなにかやろーって言っただけだったよね?」
「あ……はい‼ そうっ……すね」
同じ班員に同調を求める視線に目が合ってしまうと、屈するように僕は首を全力に縦に振った。なにやってんだ発案者。
「私は……貴方達だから選んだの。決して大人の事情や誰かの思惑ではなく。私だって、誇りに思ってほしいくらいなのよ」
「論点ずらしおつー。建前じゃなくて理由を聞いてんの」
「私は…………成績を加味したうえで……」
「俺らの成績って、学級長以外落ちこぼれだと思うんすけど」
学級長の成績は成績上位者五十名のみが廊下の壁に発表されるシステムの通り、周知の事実となっている。ちなみに、僕の成績は登校が遅れた影響もあるので中の下くらい。水島と木原はたいして賢そうには見えないが……電撃が走るかのごとく身体をビクッと震わせた女生徒の成績も期待するほどではなさそうだ。
「成績なんて参考にしてないわ。それに実行委員になれば上がることだって……」
「だから、俺らはそんなこと……」
痺れを切らしたように木原が強い口調で言い返そうとした瞬間、
「わたしは、楽しそうだと思うけどなー」
もう一人の班員が声を進んで発言をした。
先ほどまで存在を薄めていた学級長が突然、前のめりになって話を進め始めた。
「学級長まじ? 絶対めんどいって、最悪だよ?」
「実行委員になれば、みんなより先にクリスマス会がどういう行事なのか、知ることができると思うんだけど……どうかな?」
他言無用とされているクリスマス会の全貌をいち早く知ることができる。伊櫻はその優位性を伝えたいのだろう。
「たしかに、それはそう……」
あっさりした口ぶりで、水島は人が変わったように静かに頷いてみせる。
驚いた。省かれ者の僕が言っても説得力に欠けるのは分かってたが、まさかここまでの効力があるとは……。
先ほどまで反対の姿勢を見せていた木原もおもむろに顎を触り始めている。
「でもあたし、金曜日はどうしても外せない用事が……」
「初霜咲の学校行事よりも?」
「でも、すぐ始まるってわけじゃないし……」
「もうクリスマス会は始まってる。準備するのも立派な学校行事だと思わない?」
「それは……人によるけど……」
そして、伊櫻は畳みかけるように水島の手を取る。
「思い出、つくろうよ」
「……あー、わかったよ。有紗に折れる」
数秒間の沈黙の後、あそこまで渋っていた水島は難なく実行委員の参加を受け入れた。
「ありがとう。木原君もいいかな?」
「学級長がやるなら……まあ、猫の手くらいにはなってやるよ」
そして、木原も反対していたのが嘘みたいに了承していく。
「……ありがとう。頼りにしてるね」
「お、おぅ……ふ」
クスッと微笑むと、有紗は二人に対して丁寧に感謝の意を示した。
しかし、木原の奴、赤面しちゃって純だな……。
「出本君も参加してくれる?」
「え、ああ……もちろん」
高ぶる声色を抑えると、何気ない風を装った低めのトーンで返事をする。
「おっけー、金曜日よろしくね~」
伊櫻は愛想笑いとは思えない振る舞いを見せた後、教師に報告へと向かった。
急に話しかけられると困るな……。
誰にでも明るくて優しい彼女だからこそ、言動には気を付けるべきだ……と僕は思う。
勘違いするのはもう、こりごりだからな。
「わたし、傷ついただけじゃない?」
耳元で話しかける教師に「後でジュース奢ります」と言い残した後、
雄一は、最後の班員に声を掛ける。
「紅澄さんもいいと思うよね?」
「……うん。いいと思う」
最後の一人は少々強引だったが、猫を被っているのであれば、断る権利はないだろう。
ということで、何はともあれ満場一致。
僕らは見事、クラス代表のクリスマス会実行委員に選抜された。
※ ※ ※
「上手くいった……」
雄一は一人、自販機でジュースを買いながら、作戦成功の喜びを噛みしめていた。
一時はどうなることかと肝を冷やしたが、僕の選択は間違っていなかったみたいだ。
『実行委員に選抜して欲しい?』
『はい、まあ、学校行事の、しかも実行委員で参加するのはちょっと癪ですけど……』
『えーと……出本君の言ってる意味が支離滅裂でよく分からないのだけれど』
『つまり、理由が欲しいんです。紅澄木乃葉と一緒の時間を過ごす理由が』
『……出本君、今日は何曜日だったかしら?』
『木曜日です』
『昼休みはいつも教室にいるかしら?』
『いますけど……まさか』
『今週までには決行するわよ』
その今朝の話し合いからまさか、数時間後の当日に決行してくるなんて……。
これは憶測にすぎないが、担任の異様な食いつきからするに、他の理由(班を決めかねていた等)もあったのかもしれない。なにより校則まで利用する戦法を取ってくるのは予想外だった……教師のくせに生徒手帳まで暗記してるとか、油断も隙もない。
とはいえ、あのままではゴリ押しすることはできなかった。最後の一押しをしてくれた彼女の功績は称えるべきだろう。その場だよりではあったが、上手く事が運んだ。
「上手くいきすぎて怖いくらいだが」
雄一はどこか足を弾ませながら、勝利の美酒を分かち合うため、職員室へと向かった。
足音を鳴らさないように、静かにステップを刻みながら――。
「あ……伊櫻さん」
「有紗ね、こんにちは。そのジュースは?」
「えっと……せ、先生に差し入れと思って……」
「二本も?」
「……う、うん。最近、夜遅くまで残ってるみたいだから……」
「へー、そうなんだ」
「見た……?」
「なにを?」
「いや、なんでも……ない」
仮に見られていたら普通距離を置かれるよな……? ひとまず一安心していいか……。
目的地の職員室の扉には『会議中』の看板。
そういえば今日は木曜日だったらしい……しくじった。
決まって毎週木曜日のこの時間帯は、職員室で教員が集まって定例会議をしていた。雄一はそのことが頭に入っていながら、のらりくらりと浮足立って来てしまったわけだ。
「会議中みたいだね」
「だねー」
だねーじゃなくて、出直したかったりするんだが……。
「出本君も待つ?」
「おう、少し待ってようかな~……」
本心とは裏腹に、この場を退くことそのものが、雄一には難しかった。
「学級長は職員室に何の用?」
「私はクリスマス会のことでいくつか質問をしようと思って」
視線をくれると、伊櫻の手元には学習用ノートとクリアファイル。
「一応、班のリーダーだからさ。念のために留意すべきこととか訊こうかなって」
素直に偉いと感じる。僕は、宿題は後からやるタイプだ。
「例えばどんなこと?」
「それをいま確認しようかなーって」
「……ああ、そっか」
僕に言うにも、確認が必要ってことなのね……。
「これまでに印象に残った行事とかはあるのか?」
「この前の一学期振り返り会は小規模だったとはいえ、大変だったかな~」
「ああ、あの夏休み前の七月にやったっていう……」
「そうそう。学級長はクラスの意見をまとめなくちゃいけなかったんだけど、科目ごとに授業の感想を言い合ったり、人によっては作文まで発表したりで、イレギュラーなことだらけでもう頭がパンクしかけてたよ~」
てっきり印象に残った行事は、各々のクラス代表者、学級長に選出された即日に行う入学式の答辞だろうと予想していたが、話を聞いた限り、伊櫻は思ったよりグループワークに苦手意識を持っているらしい。
担任から聞いた話。初霜咲には毎学期末にクラスごと一日かけて授業の総評をする行事『振り返り会』というものがあるらしく、日頃の生徒の勤しみや生徒の声を聞いて授業改善を図る行事らしい。楽しくはなさそうだ。
「なんせ一日だからねー。クラス一人一人の意見をまとめるだけで一日が終わってたよ」
「指がマメだらけになりそうだね」
「ほんとだよ~。普段は鉛筆派なんだけど、あの日はさすがにシャーペンだったなぁ」
鉛筆か……小学校以来に聞いたな。持ち手が凸凹してるから長時間は指が痛くなりそうだ。
「鉛筆はめずらしいね。濃さは?」
「HBだよ~。書き心地が好みでして……あはは」
オンラインで授業を受けていた僕には対面授業なんて遠い話のように聞こえていたが、実際の体験談を聞いてみると、なにやら現実味を帯びてくるようだ。
「でも、思ったより楽しかったけどね」
「思ったより?」
伊櫻はあの日を思い出すように、楽しそうに語る。
「うん、入学説明会で聞いたときは退屈そうとか、めんどくさそうとか、みんな思ったと思う。けどそれこそ『百聞は一見に如かず』。実際はみんなと意見交換することで自分の視野が広がったり、集団活動を通しての学びだとか、いろんなことが得られた気がするの」
伊櫻は横目でこちらを捉えると、言葉を続けた。
「だから、クリスマス会も意義のある……そして、大切な思い出にしたいんだ」
「…………」
「出本君?」
「悪い、ちょっと衝撃を受けて」
「……衝撃?」
認識が誤っていたと確信した。
伊櫻は己の成長を図るとともに、思い出作りにも真剣に取り組む熱い生徒だった。
僕は彼女の成績への執着さ、人を引き寄せる社交性ばかりに気を取られていた。
再認識すべきなのは、伊櫻は純粋にクリスマス会を成功させたいと思っていることだ。
「出本君はやらなかった?」
「僕は……」
言葉を濁らせながらも、黙っていては仕方がないだろう、はっきり言ってしまおう、と決意した瞬間、彼女が先に口火を切った。
「オンライン受講生だよね? オンラインではそういうのなかったの?」
「入学説明会はビデオで見たよ。まだ空想でしか想像できないけど……」
「そっかー。じゃあ、尚更楽しみだね」
「楽しみ……?」
そんなこと言われるとは思ってなかったから、思わず口が滑る。
「私が出本君の立場だったらそう捉えるよ。だって、まだ始まってもないよね」
伊櫻に励まそうとかそういう気はない。
「だから、初めてのことだらけだね。って」
もしかすると、この学校の女生徒は僕が思うより少しだけ、勇ましかったりするのかもしれない。それも、落ちこぼれを助けるくらいに。
「それはそうと、終わらないね」
「もうすぐ終わると思うんだけどな……」
時計の短針は六時を指そうとしている、部活もそろそろ終わる頃だ。
「……オレンジジュース、好きなの?」
「ああ、これ? 飲……」
「飲まない。いい思い出にしようね、クリスマス会」
結局、職員会議が終わった後、僕は教師と目も合わせず、机にオレンジジュースの缶だけを置いて下校した。
※ ※ ※
雄一が家に着いたのは八時を過ぎた頃だった。
「おかえり。夕飯、机に置いておいたから」
眠気眼をこすりながら出迎える母に、
「ありがと」
と一瞥くれると、雄一は即座に風呂場へ向かった。
今日はシャワーではなく、湯船に浸かりたい気分だった。他意はない。疲れたからだ。
ゴボゴボと水の鈍い音を耳にしながら、流れていくのをじっと待つ。
そうして湯船にお湯が溜まっていく過程をぼーっとして眺めていると、呆けていた心を覚醒させるように、電話が鳴った。
『もしもし』
『おい』
『もしもし?』
『おい』
『イタズラ電話か……切るぞ』
『ちょっ……アタシだよ、アタシ』
急かすように呼ぶと、電話越しの彼女は慌てるように取り繕った。
『なんだ紅澄か、おいじゃなくておいおいって言ってくれないと分からないだろ?』
『アタシだって、電話の挨拶くらい普通の時はもしもしって言うわ!』
『なんだ、普通じゃないのか?』
『ああ、今日のアタシは機嫌が悪い。アンタ……今日、どこに行ってた?』
『放課後、職員室に行ってたくらいだな』
それと、伊櫻とクリスマス会を成功させる約束を勝手にしちゃったくらいだ。言わないけど。
『職員室……そうか、担任にまた交渉してたのか。どおりで……』
彼女が何を考えているか大体の想像はつく。ただ、残念ながら今日の僕は担任に報酬としてジュースを奢ったくらいで褒められるようなことは何もしていない。
『そういうことだ。風呂に入るからまた後でかけ直してもいいか?』
『ああ、いいぜ。ゆっくり入るといい』
『そりゃどうも』
制服を丁寧にハンガーにかけた後、おもりを外すように服を脱ぎ捨てる。
お湯の温度は四十二度、比率はお湯がギリギリ零れない七対三、あと数秒でも電話が長引いていたら、狂わされていた環境だ、まさにベストタイミング。
「うわぁ……」
入水した瞬間、身体のやすらぎを感じさせる快楽とともに、一日を思い出す。
なんだか、今日はいい日記が書けそうな予感がした。
「少し、あざとすぎたかな」
ペンを置き、いま一度書いた文を心の中で読もうと……する行為が既にダメだった。
ただの自惚れ話だが、親にバレたりでもしたら自分しか死なないデ○ノートに早変わりだ。全力で冷やかされるに違いない。そっと定位置の引き出しの底の板の下に隠した。
「何を書いてんだか……」
これはつまり……あれだ、葛藤に近い。
心の中に相反する欲求が同時に起こり、そのどちらかを選ぶということの意。
その域に達しているわけがないというのに、意識せざるを得ないのだ。
僕みたいな人間の皮を被った獣は特に――。
って、それじゃあ僕も担任に引けず劣らずの脳内お花畑じゃないか……?
考えを改めるべきかもしれない……。結論がまとまり、頭が軽くなった途端、
「あ、電話」
没頭してすっかり忘れてしまっていた。電話は2コール目でつながった。
『もしもし』
『おいおい』
『なんだそれ。ちゃんとおいって叱ってくれよ。電話忘れてたんだからさ』
『はぁ? アンタが二回続けて言えって言ったんだろ』
『そうだっけ』
てっきりそれが電話の挨拶なのかと。
『で、用事はなんだ? そういえば、なんかいっぱい送ってたみたいだけど』
『なんかじゃねーよ。アンタ、全然ケータイ見ないのな』
『見てはいるぞ。通知もオンにして絶対に気付くようにしてる』
『だろうと思ったぜ。なんせアタシがどれだけメールを飛ばしても全然……って、は?』
『この『おい』って短文が五分に一回のペースで無数に連投されてたけど、これはなんだったんだ? イタズラか?』
『なんだったって……いや、アンタに用があったんだよ』
会話からため息は絶えない、声色からするに呆れているようだ。
『そんなのどこにも書いてないぞ?』
『トークの上の方に書いてあるだろ?』
言われたとおりに過去のトーク履歴を探ってみると、『放課後、話があるから例の場所で待つ』という文が初めのメッセージに書かれていた。
『こんなの気づかないよ』
『通知には気づいてたんだろ。なんでトーク画面を開かなかったんだ?』
『だって開いちゃったら【既読】のマークになるだろ。そんな秒速でついたら相手も嫌な気分になるだろうし……』
『……それだけの理由で?』
『それと、考える時間とか……』
『アタシに対して、か?』
紅澄は冗談だろ、と確認するハリウッドばりの問い返しで、あっけらかんとしている。
疑問が晴れないような声色で、未だに不思議そうに言葉を返している。
そんなに考えることないだろ、と次には言いそうな雰囲気だ。
『クリスマス会、紅澄はどう思う?』
『どうもこうもないだろ。アタシの意志は変わらない』
『実行委員に選ばれても、か?』
『……アタシの回答でアンタの考えが変わるってのか?』
『それは……』
言葉が詰まる。
どう答えれば、理解してくれるのか。紅澄が声を出すまでに答えは見つからなかった。
『もういい。今日のアンタは話していて疲れる。それじゃ、また学校で』
『学校って、まだ話は――』
紅澄は聞く耳を持たず、簡潔に冷たく、それだけ言うと、通話は切れた。
「また学校で、か……」
理由はなんであれ、怒らせているのは間違いないみたいだ。
話をしてくれるだけ、まだ救いがあるというものだが……
「僕がその気になったの、気づいてるよなぁ……」
クリスマス会を成功させたくなってしまった【チョロい】実行委員がここにはいた。
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