第2話 告白

 

 紅澄木乃葉。同じクラスの同級生で、ついさっき同じ班になって、ついさっきバットで脇腹を殴られたお淑やかなはずだった女生徒。


「フルスイングじゃなくてよかったな。でなきゃ二学期も来れなくなってたぞ」

「……そりゃ、どうも」


 彼女曰く、クラスでの発言や行動はなるべく目立たないよう、猫を被っていたらしい。

 元々、中学時代は荒くれ者としてちょっとした有名人だったらしく、本性を現したからには滅茶苦茶にしてやると張り切っている……


「文句あんなら直接言えよ。アタシに不満なんてないと思うけどな」


 その謎の自信過剰は一体どこから来るっていうんだ。


「先に言っておくけどな、アタシは別にアンタに同情したってわけじゃないんだ」

「それはどうして?」

「アンタ、いい奴だろ? アタシ分かるんだ。自然な流れで水を二人分コップに汲んでくる奴はいい奴だって……」

「ただ水を汲んできただけだぞ。随分な過大評価だな」

「このメープルワッフル代を払ってくれたらもっと褒めてやるけど……どうする?」

「どうしよっか……にはならないな」

「だよな……器の小っせえ奴」


 はて。まあ、乞食はさておき……


 ここは初霜咲高校から徒歩十分で着く、木造建築の古風な喫茶店だ。

 初めて訪れる店だったが、これは知る人ぞ知る穴場店というやつじゃないだろうか。


「腹減ったから、なんか食いに行こうぜ」


 金属バットであばらを殴られた後、突如としてそんなことを言ってきた日には、何か企んでいるのでは……とそれはそれは疑ったものだが、今となっては単なる空腹感による八つ当たりだったのでは……と疑うようになっていた。だって、普通殴らない

 し。


 しかし、憎めない理由はあった。

 紅澄の空腹がきっかけで半強制的に連れられた喫茶店は、僕の好みに合っていたのだ。


 スピーカーから流れ出るやさしいクラシックピアノの音色に、天井に吊るされた温まるオレンジ色のランプ、カウンター席には黙々とコップを洗う顎髭が特徴的なマスターっぽい店員と、どれもが店の雰囲気を表す良い象徴になっている。

 雰囲気を大事にする店は好きだ。


「いつもはなにを頼むんだ?」

「フレンチトーストかワッフルだな。気分によってはチョコワッフル」

「意外と甘党なんだな」

「悪いか?」

「いいや、僕も甘いものは好きだ」


 けど、チョコは苦手だったりする。バレンタインはクッキーでよろしく頼む。


「知らねーよタコ」


 タコではない。


「ここはよく来るのか?」


 ここに来るまで、街路灯の薄暗い光がわずかに灯る裏道だったというのに、紅澄の足並みに変化がなかったことを思い出す。


「母さ……お袋と昔な」

「こんな穴場を知ってるなんて、紅澄のお母さんは通だな」

「別に穴場じゃないだろ。客は他にもいる。それとお袋、な?」

「それでも学生は見当たらないだろ? 知る人ぞ知るって感じでいいな~」

「たしかに……。あのイカれた高校の奴らは見たことないかもしれない」

「わざわざそこまで言わなくても……」

「じゃあ、ここをアジトとしよう。もし尾行でもされたらタダじゃおかないからな」


 公共の場を勝手に私用目的しようとするな。


「それはそうと、お母さんとはいつも何を食べ~っ⁉」

 雄一は言い切る前に言葉にならない呻き声を情けなくもあげる。


「お袋、な?」


 脛を思いっきり蹴られた。別に僕がお母さんって呼んでも問題はないだろ……。


「腹は膨れたか?」


 紅澄は片手に収まるほどのワッフルを数分で平らげると、手拭きで口元を拭いた。

 野蛮なくせに礼儀は知っているようだ。


「アタシはもういいけど、アンタはそれで足りるのか?」


 僕が嗜んでいるのはコーヒーだが……


「足りるもなにも、別に僕は飯食いに来てるわけじゃないし」

「なあ、その言い方……アタシが食いしん坊って言いてえのか?」

「そんなことでいちいち突っかかってたら夜が明けちゃうよ……」


 定食屋に来ているわけじゃないんだから少しは自重しろ……

 なんて言った日には『火に油』だな。

 その、誰にも構わずいちゃもんをつけてくる態度は本当にだるい。


「さて……。アタシに質問することは?」

「急に改まってなんだ?」

「ここに来たってことは入るってことだよな? 反初霜咲派閥に」

「はっ」


 言われるがままについてきてしまったが、抜かった。

 そういう思惑だったとは……。


「……まさか、ここにいる客全員……⁉」

「それは、ない」


 さすがに例の組織的な展開までは用意していないみたいだ。

 一瞬、奥に座っている客がこちらに合わせて身構えた気がしたが、気のせいだった

 か。


「反初霜咲といっても、具体的にはなにをしているんだ?」

「デモを起こす……予定だ」

「予定ね、いまのところは?」

「さっきも言った通り、宣戦布告として、アスファルトの隙間に生えている雑草を成長させまくったり、生徒立ち入り禁止の喫煙所に入って、灰皿をひっくり返したりした」

「ただの迷惑行為じゃねえか」


 教員二人が話していたのはこのことだったのか……。


「侮ってもらっちゃ困る。アタシには奥の手がある」

「奥の手?」

「そう、憂鬱な学校行事をどうにかする奇策」

「奇策ねぇ……」


 彼女の言う奇策は、あの諸葛孔明が宇宙から物事を考えていたからこそ出てくるあの奇策だろうか。

 まあそこまでは求めずとも、奇策とまで豪語するのだ。雑草を成長させる以上のことで意表を突くような案を持ち合わせているのだろう。


「修学旅行ってあるだろ? あれを中止させて代わりに……」

「わかった、わかった。話はもう読めた」


 こんな雑草単細胞に少しでも期待した僕がバカだった。


「それはそうと……アンタ、どうして二学期から登校してきたんだ?」

「そこまで直接的に聞かれたのは初めてだな……」


 二学期から今までを振り返っても、少なくともそこまで真っ向から訊いてくる人間は一人もいなかった。純粋無垢な小学生でも不登校の子がいたら少しは遠慮するだろう普通。


「モジモジしたって仕方ないだろ? 今だってなんか空気が変だし」

 紅澄は横着することなく、ハッキリと自分の思ったこと(言いにくいこと)を口にしていく。


「あー……うん。そうだな」


 空気を読もうとしない人間も初めてだ。

 ……質問ばかりでネタ切れ気味だったから助かるけど。


「どうして二学期から登校してきた、だったか? 簡潔に言うと、入学式当日に歩道橋から落ちて、ケガをしたってだけだよ」

「どこのケガ?」

「身体を動かすことが許されないくらいのまあまあな足のケガ。まあ、二学期からって言い方には少し語弊があるかもな」

「どういうこと?」

「学校には通ってなかったけど、パソコンの画面越しには授業を受けていたから」

「オンライン授業ってことか……」

 紅澄の目が若干曇る。


「そう。対面授業と違って、講師は一人しかいないけどな」


 付け加えると、授業を受けている生徒も少なかった。

 当初はいること自体がめずらしいと思っていたが、病気やケガ、諸事情による不登校といった所謂、訳アリの生徒数名がオンライン授業を受けているらしかった。


「オンラインのクラスで誰かと仲良くなったりしなかったのか?」

「何人かはいたけど、あくまで授業だけの間柄だな。それ以外に絡むことはない」

「プライベートで会ったりしないのか?」

「会うもなにも、判断材料が声だけだからな……」

「……? アンタ、人を名前で呼ばないのか?」

「ほとんどの生徒は対面に復帰せずにそのままオンライン受講のままだ。それと、名前は知ることができない」


 初霜咲の方針上、オンラインの場合では生徒はもちろんのこと教師であっても、名前を含む個人情報を公開することは許されておらず、学校の監視の下で授業を行っていた。

 学校側の最大限の配慮だろうが、少なくとも僕の場合は既に二学期上がりとクラス中に知れ渡っているので失敗例だろう。もしも、二学期初日のあの日、正直にオンライン受講生ではなく、転校生と紹介すれば、クラスの対応も少しは変わったのかもしれないが……

 

 結局は後の祭り。僕にとっては、そんな雀の涙程度の救済措置だ。


「感覚的にはネットで知り合ったゼミ仲間、みたいな感じか?」

「近いかもな、呼び名は数字で○○番さんがほとんどだったけどな」


 親しくなった人間は、英字と数字を組み合わせてあだ名をつくって呼び合ったり……

 ちなみに不要な情報を教えると、僕の学籍番号は【UI0627LK】で、にーなな君だった。


「そりゃあ……まるで囚人同士の馴れ合いだな」

 紅澄はあからさまに嫌悪感を示す。制度に対しての怒りだろう。


「オンラインも新感覚で楽しかったけどな。ただ、それっきりでお別れっていうのは少し寂しいかもな……」


 名前は隠されており、連絡先の交換も許されていない厳重な環境でのオンライン授業。

 頼りは声だけ、三学年、何十クラスといるこの初霜咲から探し出すのは困難だろう。


 せっかく仲良くなっても、これから会える保証はない。


「でも、よかったな。アンタは運良くアタシというジャンヌ・ダルクに出会えた」

「……⁉」


 けれど、僕は確かに叶えていた――。

 初霜咲に入学する前、高校生活に夢を見ていた少年は入院中、いくつかの目標を馳せ、掲げていたことを思い出していた。そして、それはその中の一つ……


 ・女子と二人でお茶をする。


 いま、まさにこの状況を指すのではないか……⁉


「……勝ち目はないと思うぞ」

「だから、手伝ってもらうんだよ」

 そう言うと、紅澄はニヤリとその口元を緩ませる。


 些細な事柄に思えるかもしれない。

 女子と二人……というか友達と二人に近い気もする。

 けれど、少年にとってこの小さな目標達成が、ただの一歩が、


 止まっていた季節ハルを動かす――。


「初めに、アンタに一つ頼み事があるんだ。頼まれてくれるか?」


 そう言うと、紅澄は僕のコーヒーを勢いよく一口啜った。

 三秒後には「にがーっ」と、顔をしかめたが。


     ※ ※ ※


 翌朝。


「先生」

 まだ静けさがある朝の廊下で雄一は教師に声を掛けた。


「……⁉ ど、どうしたの? 出本君」

 背後から突然声をかけられて驚いたのか、担任教師はどこか弾んだような声色で反応する。


 毎朝校門で元気よく挨拶をしてくる体育科の先生すらいなかった早い時間だ、驚くのも無理はない。


「えっと……今後について相談が」

「相談⁉」

 教師は過敏に反応すると、ギョッとした目でこちらを凝視する。


 平常心で言ったつもりだが、深刻に捉えたらしく……おそるおそる訊き返してくる。


「相談って……どういうこと?」

「そのままの意味です」

 その言葉を聞くと、教師は速やかに周囲を確認した。


「わかったわ。ここだと人目に付くから移動しましょうか」


 着いた場所は、今は使われていない空き教室。

 机と椅子はセットで教室の隅に片付けられていて、室内には若干の埃が舞っていた。

 教師は教室の窓の近くまで移動すると、リラックスを促すように深呼吸する。


「さて、何の用かしら」

「まず、訊きたいことがあるんですけどいいですか?」

「きききききききき……訊きたいこと?」


 痙攣するように噛みまくっているのはさすがに動揺しすぎだが、僕から真面目に相談するのはこれが初めてということを踏まえれば仕方ないか……いや、それでも過度だ。


「別にたいしたことじゃないです。落ち着いてください」

「ふぅ……わ、わかったわ。落ち着く」


「えーと、昨日ってなにしてました?」

 単刀直入に切り出すと、教師は淡々と語り始めた。


「昨日は……あの後、すぐに帰宅しました。観たかった新作ドラマを録画し忘れて時間に追われながら帰った記憶があります」

「そ、そうですか……」


 事情聴取みたいで堅いなぁ……。ここはリラックスしてもらおう。


「何を観たかったんですか?」

「『君と僕とのワンラブパーレボリューション』というドラマです」

「あ、それって学園が舞台の物語ですよね。よくコマーシャルで見かけます」

「ええ、そうね。……べ、別にドラマと現実との違いに辟易しているわけではないから。教師は生徒を正しく導く指導者だから。恋愛なんてもってのほかよ」


 教師は見栄を張るように強く言ってのける。前々から聞いてはいたが、ドラマの趣味は恋愛ドラマ……と。


「それは興味深い。指導者として、先生方の間で工夫をされたりしているんですか?」

「そりゃあ、連絡網くらいは……あ、そういえば、昨日はめずらしく連絡がきたわね」

 教師はふと思い出したように、言葉を漏らす。


「……どんな内容でしたか?」

「たしか、中央門がどうとかこうとかっていう話を聞いたような……」

「中央門って、入学と卒業の二回しか通ることができないあの門ですよね?」

「あら、そんなことないわよ。毎年、クリスマス会の時は確実に開くわね」


 門が開いたからって何かなるんですか……と、興味本位に聞いてみたいところではあるが、目的を忘れてはいけない。


「クリスマス会って、そこまで特別な行事なんですか?」

「ええ、思い出に残るイベントなのは間違いないわね」

「生徒全員が強制参加の義務イベントではないと?」

「そうね。ただ一つ、出本君に理解してほしいのは、私は考えなしに班員を決めたり、情報を漏らさないということ」

「……何が言いたいんですか?」

「このクラスに、出本君のほかに元オンライン受講生が居ると言ったら?」

「ブラフだ、そんな人いるはずがない」

 雄一は即座に否定した。


 仮にいたとしてもクラスで馴染めている可能性は限りなく低い、そして見てわかる通りクラスに馴染めていない人物は出本雄一の一人しか存在しない。


「まあ、それは自分で確かめるとして……」


「私は、出本君の用件を聞きたいと思っているわよ?」

「……見透かされてました?」

「いいえ、適当よ」


 遂に言うしかないのか……そう覚悟を決め、紅澄から預かった言伝を教師に頼み込む。


「クリスマス会を修学旅行に変更することって可能ですか?」

「そんな、阿呆なことを聞きたかったの?」


 もちろん、ダメだった。


「一応、訊いてみただけです。冗談くらいに思ってください」

「あなたの冗談は分かりにくいから困るのよ……」


 それはおよそ半年の付き合いからカバーしてほしいものだが、勘違い乙女数値が異常に高い教師にそれを強いるのは無駄というやつだろう。

 考えなしに班員を決めてないという発言は少し引っ掛かるが……。


「正直に用件を話したので、昨日の件について具体的に教えてもらえますか?」

「いいわよ。大したことじゃないけどね」

 教師はそう言うと、思ったより素直に状況の説明を始めた。


「わたしが聞いた情報によると、中央門の前で生徒が誰かと大声で揉めていたらしくて、守衛さんが下校を促そうと近づいたら、既にその場から姿を消していた、かしらね」

「どうして揉めていたと分かるんです?」

「なにかを訴えるような、そんな大きな声が校内まで響いてきたらしいわよ」

 らしいということは、それを門の近くにいた守衛が聞いた、ということだろう。

「残念ながらその場には一人しかいませんでしたよ。つまり、電話ですよ。母と今後の進路のことについて相談をしていたら、息子が反発して熱くなってしまった、と」


 チンピラに出逢う直近、部活への入部を教師に催促された際、雄一は部活について考えておく、と明言していたことを頭に留めていた。


「先生、それ僕です」

「……! へぇ~そう」

 担任は多少驚きの反応を見せるも、狼狽えることはなく、話を流した。


 その一連の流れで電話越しに母と言い争いになった、といえば辻褄は合うだろう。

 彼女も担任の身、家庭の事情くらいはわきまえているはずだ。

 それと、


「僕、好きな人ができたかもしれないです――」


 九月某日。

 まだ暑さが抜けないある秋の日の夕暮れ、僕に転機が訪れた。

 不器用で単細胞な不良女生徒に絡まれた僕は、抗う術を知らずに流された。

 それは、奇しくも、そんな彼女に惹かれたから――。

『照紅葉』

 秋に紅葉こうようした葉が美しく照り輝き、花で言うところの満開の状態をそう言うらしい。


 これは、入学登校が半年遅れた純粋無垢な男子生徒が、青春を取り戻す物語である。

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