第13話 前門の虎 後門の狼


 第一体育館に着くと、中央入り口の前では、受付の長机十数名に並ぶ生徒や一般人らの人だかりでいっぱいになっていた。


「整理券買えそう?」

「無理ぽー。もう帰ろうよ」


 と、仕方なしに帰るカップルもめずらしくはないほどの行列具合。初霜咲の行事は凄まじいと耳にしていたが、まさか遊園地のアトラクションと同じレベルとは思わなかった。


「そこの一年、証明書は?」

「生徒会です」


 雄一は首にかけていた生徒会証明書を見せると、受付の男子生徒は怖気づいたように、


「失礼しました!」

 と敬礼をし、裏口から通してくれた。


 これじゃまるで軍みたいだ。偉くなった気分になれた。

 しかし、


「あの、混み具合だと中はひどいことになってるんだろうなぁ……」


 少し憂鬱になった。


「うわ、熱気が……てか暑っ」


 案の定、入った途端に映し出されるのは人と人で埋め尽くされた人人人、人の山。


 雄一が想像していた東京ドーム二個分くらいの体感(実際には0.2個分)はあったような気がした第一体育館は、見事に人の山によって埋め尽くされていた。まさにスタンディングライブのような環境で一度定位置から動いてしまったらもう同じ場所へは動けないだろう。身動きの取りづらさも完璧に再現されている。体育館の温度は人の密集と汗によって、冬とは思えない暑さを宿し、皆それぞれが初霜咲文化祭の半袖シャツを纏っている。これだけ人がいたら、さぞステージ上からの光景は人がゴミのように見えるのだろう。一度は味わってみたい。


「と、そんなこと言ってる場合じゃないか」


 現在の時刻は分からないが、幸いなことに今は休憩時間らしく、人の視線もまばらでこれならどうにか人との間を潜り抜けて移動することも叶いそうだった。この機を逃したら控え室に顔を出すことすら叶わなくなる。早いうちに抜け出さないと……。

 雄一は苦しそうにしながらも、とにかく前に進むことだけを考えて歩き続けた。


 目指すは控え室であるステージ裏。約束を守るためにも雄一は行かなければならない。

 しかし……


「あれ。そういえば、僕、控え室の入り口を把握してないよな……」


 プロジェクト表の裏に書いてある全体校内マップを頼りにしていた雄一には痛恨。


 体育館の詳しい間取りがそこには載っていなかったのだ。


 直線上にある階段は東側の階段、反対側にある階段は西側の階段。

 話によると、どちらかが控え室で、どちらかが体育館特設の放送室らしいが、体育館の前めの方までなんとか足を運んだ今となっては、西側へ回るにはまた辿ってきた道を戻って西側の裏口から入らなければならないため、あまりにも労力と時間がかかりすぎる。


「ひとまず行ってみるしかない……か」

 そう決意を固めた数秒後、いまの雄一にとって、嬉しい手掛かりがそこにはいた。


「あ、雄一君!」

「伊櫻……どうしてここに?」


 恐らく控え室に繋がるであろう階段の前には、ものの三十分後には出番を控えているはずの白銀のドレスを纏い、おめかしをした伊櫻有紗の姿がそこにはあった。


「えーと……それは……うーんと……。雄一君が困っていそうだったからかな~」

「言い訳になってない。ひとまず中に入ろうよ。その格好だと目立つし」

「うん、いっぱい見られた~」


 有紗は嬉しそうに差し出された雄一の手をしかと握った。


 控え室に入ると、騒々しさを含めてそれぞれが準備をしていた。

 服に靴に身だしなみにメイク、どれも予断を許さないような現場でまるで……


「ファッションショーみたいだね~」

「そう……だな」


 一般人がこの光景を目にしたら、学生の文化祭でここまでやるのかと、百人中百人が答えるだろう。そこまでの完成度と本気度だ。裏のテレビ取材は初霜咲ブランド的にNGらしいが。


「失礼します、生徒会の者です」

「生徒会が何の用……って来たんだ。出本君」

 プロジェクト表を円状に丸め、女性教師は神妙な面持ちで椅子に腰掛けていた。


「彼女、まだ来てないわよ」

「本当ですか? すみません。約束はしたので来るとは思うんですけど……」


 時間を伝え忘れたか? いや、そんなはずは……。


「彼女って……紅澄さんのことですか?」

「伊櫻なにか知ってるのか?」

「いや、さっき第二体育館で見かけた気がしたんだけど……たぶん気のせいかな」


 第二体育館? 紅澄が第二体育館に行く理由はないはずだ。


「なにか用事でもあったのか……?」

「うーん。そこまではちょっと……。私も通りすがったくらいだから~」

「まあ、多少の遅刻なら許容範囲かしらね」

「代わりに先生が出たらどうです?」

「出本君が推薦してくれるなら出てもいいわよ? 話は聞いてるんだから」

「うへぇ……それは勘弁すね」

「ちょっと、何よその言い草」

 プロジェクト表で頭をポカンと叩かれた。


「それに、衣装だって気合い入ってるんだから」

「これがその衣装ですか」

「そう、他とはちょっと露出多めかしらね」


 教師の前に飾られたマネキンには、胸囲だけを隠すためのサラシの上に片肌脱ぎした法被が準備されていた。柄は注文通りに紅色。


「テーマは『祭り』。出本君がどうして彼女を選んだのかは知らないけど……いや、厳密には知ってるけど。どうして大人しい彼女を推薦したの?」


 なんとも回りくどい言い方をする。そこまでして隠す必要もないだろうに。


「先生のことだからそれも予想は容易でしょう。あまりからかわないでくださいよ」

「そうか、恥ずかしいか。うーん純だねぇ……」

 担任はニヤニヤと顎を触りながら、雄一の純粋な反応を楽しむ。


 あれだけ恋とかなんとかに反対してたくせに、もう開き直り始めてる節があるなこれ。


「それはそうと、そちらの後ろにいるお嬢さんは誰? ドレス姿の子なんて居たかしら」

 雄一の後ろの女生徒に対して指差す担任は、不思議そうな顔で化粧で色白くなった有紗を見つめる。


「……先生。彼女を誰かご存知でない?」

「ええ、紹介してくれる?」

 驚くべきことに、担任は彼女が誰か分かっていないらしい。


「先生も救われたことのある、我らの学級長といえば?」

「伊櫻さんならサブステージでしょ? こんなところにいるはずないわよ」

「ええ……」


 たしかに本番を控えているのにドレス姿で来るとは思わないか。僕だっていまいち理解できないし。

 その後も担任は一向に信じようとはせず、そろそろ忙しくなるからとその場を退席した。

 外は暑苦しいが、中は暑くはない。しかし、忙しないために肩身は狭い。


「外に出てようか」

「……うん、そだね」

 雄一が促すと、有紗はそれに従うように表に出た。


 表、つまり会場ではついに熱気を浴びながら最後のステージが始まろうとしていた。


 MACHINAKA STATION.


『どうも、こんにちはこんばんは。キャスターの足枷ッター久保でーす。ええー、既にみなさんお分かりかと思うんですが、いま、わたくしめはなんと――初霜咲文化祭三日目の模様を生でお伝えしてまああああ……す』


(なんかテンション低い?)


『ええー、ううん。そういうのいいから。さて、みなさん盛り上がってますかー⁉』


「「「「「YEAHHHHHHHHHHHHH」」」」」


 キャスターの問い返しに生徒らは、耳が割れそうなほどの大盛況を見せる。


『うっさ⁉ って、この発言はまずいね、まずい。みんな元気すぎてヤバいね、おじさんちょっと引いちゃうかも……』


「なあ。あのタレント、元気が売りのタレントじゃなかったか?」

 人混みの客席に戻って早々、雄一は進行を務めるタレントに苦言を呈した。


 キャスターを務める男は普段から黄金色のスーツを身に纏っているが、今ではネクタイは曲がり、羽織っている上着はヨレヨレ。サングラスの上からでも分かるほどに顔中汗だくで、テレビで見せるハイテンションぶりは見るからに失せていた。


「今日一日ずっとテンション上げて司会してたから疲れちゃったらしいね。なんでも『若者の情熱に打ちひしがれた』とかなんとか~」


 テレビで見かけるタレントもボロが出るとあんな風になるのか。イメージって大切だ。


「こんな大祭りのメインステージを一人で司会してたらそうなるか」

「私なら完璧に最後までやるけどね」

「伊櫻は完璧主義だもんな」

「私のこと、よく知ってるね」


 あまりにも自信満々にそう言うから、


「お、おう。知ってるぞ」


 その後の返事は、少しだけ困った。


『さて、今回の初霜咲文化祭のラストを飾るのは…………じゃーんとコスプレ大会! その全貌を今から紹介していくぜー⁉』


(無理やりアゲて)


『はいはい。で、今回のコスプレ大会の主催を考えたのはなんと生徒会長である岸本会長だ~。そして、彼ら彼女らが何を身に纏って壇上に上がるのか、全部言いたいところではあるんだが………………それは後の楽しみだぁ』

 溜めた末の発言に会場はブーイングの嵐が起きる。


『とにかく、俺にも気になってる子がいるからみんな楽しんでいこうぜー。では、ここまでの司会は足枷ッター久保でした~』


 (未成年淫行は犯罪です)


『俺、今年で四十二‼ 冗談だよ冗談⁉』


 会場は一斉に笑いの渦に包まれた。


「見た目によらず結構歳いってんだなー」

「……見た目と言えばさ。先生、私のこと誰か分かってなかったね」

 正体が見破られなくて、有紗はどこか嬉しそうだ。


「あれは神経疑うね。あれだけお世話になっている学級長の顔を忘れるなんて」


 もし教師になったら自分の教え子くらいは覚えていたいものだ。何年経とうとも。


「あはは、化粧もしてるし、髪型もいつもと違うから」

「僕は一目で気づいたけどな」


 透明感ある有紗の白い肌には頬に薄く、けど紅く染まっており、口紅は深紅に塗られていた。髪はいつものちょこんと左右に飛び出る可愛らしいツインテールハーフアップではなく、何の装飾もなしに肩までおろされて、大胆な風変りさを遂げていた。


「髪をおろしたのなんて久しぶりだよ~。男子受けがいいならこれにしようかな」

 と、有紗は雄一を正面の方に見据えながら、髪を一部分触る。


「伊櫻ってそういう意識するのか?」

「女の子なら誰でもするよ~。みんな可愛く見られたいのは同じだからね」

 その話を受けて、僕は昔母から受けたある鉄則を思い出した。


「そういうもの……ってやつか」

「うん、そういうもの……でもあるかな」

「…………」

「…………」


 含みを持たせたような言い方に、一時だけ時間が止まったような感覚がした。

 そんな空気に促されるように、雄一はつい口を滑らせる。


「実はさ……この前、偶然聞いちゃったんだけど、伊櫻が好きな人って……」

「うん、同じオンライン受講生の人」

 思っていたより、あっさりと。有紗は黒いとされている過去をすんなり吐いた。


「そ、そうか……」

「学級長になったのは、対面になってからの六月から。クラスでは雄一君と違って転校生で通したけどね」

「僕とは違って上手にやったわけだ」

「オンライン受講生だって自分から紹介する人なんて雄一君くらいだよ。雄一君は変なところで正直者だよね。あの頃から変わってない」

「そう、かもな」


 存在は認知されている口ぶり。雄一にも心当たりがないわけではなかった。


「雄一君は、私がなの、驚かないの?」

「それは……なんとなく気づいてたから。四月に習っているはずのダンスを初めてと言ったり、学級長としての業務で印象に残ったことが四月の入学式の答辞でなく、六月の発表会と言っていたり……」

「そこか~。まあ、隠すつもりはなかったんだけどね。いつものクセで」

「ああ、隠すことじゃないよ。遅れただけで平等に扱われないなんておかしな話だから」

 雄一の口調は次第に重さを増していった。


「時間は大丈夫なのか?」

「そろそろ始まりそうだよね」

「ああ、そうだな。……じゃなくて、裏ステージの方だよ」


 第一体育館と第二体育館の物理的な距離は、そこまで離れていなかったと記憶しているが、さすがに時間ギリギリに入るのは他のメンバーの迷惑になりかねないだろう。


「もう時間はないね。けど、雄一君が期待する紅澄さんの衣装を見たいんだよね~」

「僕は期待なんか……」


 期待なんか、していない。

 推薦をしたあの場に同席していた有紗に、そんな嘘が通用するとは思えなかった。


「期待、してないの? 


 有紗は弱みにつけ込むように着実に迫ってくる。声色は冷静だけど、一歩一歩。


「……紅澄の出番はまだ先だよ。だから、遅くなると思う」

「何時頃?」

「たぶん、十九時頃」

「十九時か~。その時間でも、私はまだ出番が残ってるや」

「そう、だな」


 どう足掻いても、メインステージと裏ステージの時間が被ることは把握していた。

 そして、有紗がメインステージに来る頃には終わっているということも。


「出番がもうすこしだけ少なかったら見れたんだけどな~」


 何故なら、スケジュールを組んだのは発案者であるこの僕なのだから。


「あのさ、僕……」

「一旦、外に出ない? 裏口で待っていれば紅澄さんも来るだろうし」

「そうするか……」

「うん、私もあまり時間がないし」

 今度は有紗に促されるままに、雄一と有紗は裏口から外へ出た。


 だからこそ。完璧主義者な伊櫻だからこそ、僕は伝えなくちゃならないと思った。


 これまでの尊敬と感謝と、謝罪を。


 ※ ※  ※


 病室で入学式をしたのは僕の人生史上初めてのことだったからよく覚えている。


『これから入学式を行います。起立!』


 初めて見た初霜咲の教師は、画面越しでも分かるほどの几帳面な性格の持ち主だった。


『先生、足が折れて立てないです……』

『あなたは……学籍番号0627さん。ケガをしているのはこちらも認知済みです。ですので、気持ちだけでも初霜咲に捧げてください』

『分かりました。全力でこの身を捧げます!』

 雄一は両手で合掌の形を作るとありったけの念を込めた。


 こちらの画面が相手に映っているわけでもないというのに。


『ええ、それで構わないのです。学籍番号0626さんは捧げましたか?』


 同席者は僕と彼(0626)を合わせて二人。いや、彼かもしれないし彼女かもしれない。

 ビデオカメラは教師のみが許され、本名の公開は禁じられているこのインターネット上では、第一声を聴くまで、男か女か判別することすら叶わない。


『何を捧げればいいのですか』

 同席者は彼女だった。それも凍てつく氷のように冷たい声色の持ち主だ。


『想いを込めるのです。たとえいまこの時に、入学式が初霜咲で行われていなくとも』

『ご説明ありがとうございます。私は立つ気も捧げる気もございません』

『そうですか、構いません。ですが、何故そんなことを申すのですか? せっかくの晴れ舞台だというのに』

『はて、晴れ舞台? 私が何もしない理由をいま、説明してくれたではありませんか』


『あなた方が言った、矛盾を――』


『あなたね、そういう問題じゃ……』

『今年の初霜咲入学式は一昨日に終わっています。私が出席する意味はもうないかと』


 そう言った顔も見えない強気な彼女は、数秒後、インターネットからも姿を消した。

 名誉ある入学式を諸事情で参加することができなかった生徒が集まる簡易入学式だ。


 ピリピリしているのは仕方ないだろう、とその場にいた教師は言った。


 しかし、次の日からの授業でも、彼女の強気な態度に変化は見られなかった。


 ※ ※  ※


 お互いに考えが変わったと思う。


 よく言えば、大人に。

 悪く言えば、諦めがついた。


 いま、こうして二人で手を繋いで歩いていることだって、あの時には考えられなかった。


 僕たちは、もっと窮屈だった気がするんだ。


『今期の一年生のオンライン受講生はおよそ二十人にも及びます。仲良くするように』

 画面上には昨日の簡易入学式で居た学籍番号【0626】さんの姿。


 授業には出席するんだ……。あれだけ文句を言っていたのに。


『今日は皆さんが円滑に交流できるように話し合いの時間を設けようと考えています』

『話し合いというと、どんなことを話せば?』

『個人情報を含むすべてのことを話すということは基本的に処罰対象となっていますが、世間話や恋バナなどは配慮さえしていれば、自由にしてもらって構いません』

『世間話に恋バナかぁ……。って、恋バナ……?』

『それでは、四人のグループにお分けしましたので、グループカッションに参加するようよろしくお願いいたします』

 まもなくしないうちに、通話画面は四人組に構成された部屋に強制送還された。


 世間話は分かるが、恋バナつっても何を話せばいいんだ……。それに加えて、配置されたBグループの出席者はもちろん全員が初対面だし、【UI0626】【UI0641】【UI0644】と表示された他の三人の学籍番号だけじゃ情報は愚か性別の区別すらつかない。

 ここは積極的に仕掛けるしかない……。

 雄一は率先して自己紹介をしていこうと試みた。


『ええと、学籍番号0627です。世間話は……なんだろう。あ、生憎と恋バナのネタは持ち合わせていないです。母の持ち話を皆さんに披露するくらいならできます! 顔すら合わせられませんが、これからよろしくお願いしまーす‼』


 ポジティブな姿勢に元気な挨拶。母さんに言われた第一印象絶対好印象ポイントは全部クリアした。これでインターネット上でも親密な関係を……。


 ――沈黙――。


 グループカッションが始まってから十五分。班は雄一以外の誰一人として発言が確認されないまま時間がただひたすらに流れていた。


 その間、雄一は現状を打開すべく『昨日の夕食は……』、『ペットを飼おうかと思って……』と出来る限りの知恵を振り絞ってひたすら液晶に話しかけたが、他三人のマイクのミュートがついには解除されることはなかった。


『皆さんに配慮してグループカッションの延長を十五分ほどしましたが、結果はどうだったでしょうか。親密な仲を築けそうでしょうか。感想をコメントに記載してください』


 そんなに長かったのか……。みんなの感想は……?


〈班員全員と流暢にコミュニケーションを取ることが出来た〉


〈趣味が一致し、仲を深めそうな予感がした〉


〈あだ名を付け合うほどに仲良くなれた、今後も一緒に授業を受けたいと思った〉


『みなさんからも好評そうで何よりです。それでは次の授業に移りたいと……』

『ちょ……ちょっと待ってくださいっ‼』

『どうかしましたか? 学籍番号0627さん』

『その……お恥ずかしいことに、僕たちの班だけ上手にお喋りすることが出来なかったので、またこういう機会を設けてくださいませんか?』

『スケジュールは配布された資料の基、組まれています。難しいかと』

『でも……』

『これ以上の議論は無駄ですね。では、次の授業に移ろうと思いま……』

『投げやりな教師にやる気のない生徒。そんな状況で授業が円滑に進むと?』

 そんな時、僕に助け舟を出したのは尖った思考を持った彼女だった。


『なにか質問ですか? 学籍番号0626さん』


 あ、昨日強気な態度を見せた同じ班の人……。


『対面とオンラインの格差に疑問を呈しているのです。きっとこれも感想だけで、実際は無言のグループカッションが行われていたのでしょうね~』

『意見や質問は、初霜咲の受付窓口までお願いいたします』

 彼女の饒舌な口ぶりは暴走機関車のように留まることを知らなかった。


『初霜咲に入学しようと思った人間がオンライン目的で入学するとお考えですか? そんなはずがないですよね。パソコンは友達ではないし、一緒にお出かけもできない。みんな誰もが夢見るあの中央門を跨ぐために入学をしてきている。オンラインなのに班で話し合い? お笑いも大概にして欲しいですね。私たちはそれぞれの事情があって、この液晶画面を前に話しているはずで。あなた方の言動はそれに見合っていない。いいえ……』


『矛盾している――。と言った方が正しいでしょうか』


『…………あなたもそう思いますか?』

 弱々しくなった教師の声がパソコンを通じて細々と耳に入る。


『僕は……そうは思いません。どうして、そんなことを言うのか理解もできません』

 雄一は自信をもって、彼女に納得できないことを伝えた。


『あなたも聞いたでしょう。私たちがいましていることは、意味のないことだからです』

『そんなこと……』

『中央門は通れなかった。それだけで十分ではないですか?』


 掛かり気味の雄一もついには、言葉を詰まらせた。

 入学できなかったら。スタートラインを上手く切れなかったらそこで試合終了。

 初霜咲の恩恵を求めて入学を決意した雄一もまた、同じ存在だと気付かされたから。


 けれど……


『そんなこと……間違ってるよ。今からでも遅いことなんてない。今から完璧にすべてをこなせば、きっと、どうにか出来るよ!』

『完璧……? そんなのできる確証なんて何処に……』

『あるよ。だって……』

 渾身の一撃。けれど、確証と呼ぶにはあまりにも幻想に過ぎなかった。


 僕らはそういう星の下で生まれた人間だから、大丈夫だよ――。


 ※ ※  ※


 体育館東裏口の扉を出た数秒後。

 有紗が突如として吐いた唐突な宣言らしきものに、雄一は戸惑いを隠すことなく訊いた。


「えーと……それはドラマの台詞か何か?」

「雄一君……じゃなくて、にーなな君のね。あれは傑作だったよ~」

「うわ、懐かしー。数字からもじって付けたあだ名だよな。むにむにさんとか」

「それ私」

「あ……そうだよな。忘れてたよ、まだ実感湧かなくて」


 整理すると、つまり、僕と伊櫻は対面で同じクラスになる以前に、同じ場で共に授業を受けていたということになる。しかし、仲がほどほどに良かったとはいえ、急に馴れ馴れしくなるのも僕の性格柄ではない……。伊櫻だって困るだろうし、扱いが難しいぞ。


「そのままの関係でいいよ。私も変わらず、雄一君として見てるから」

「そうか。それならよかった」

 有紗は雄一の心を読むかのようにペースを促す、雄一からは自然と安堵の声が漏れた。


「ところでさ、雄一君が初霜咲を入学して、最も印象に残ってることは何?」

「……それを聞く理由を訊いてもいいか?」

「今度は私の番だから。雄一君、前に私にも聞いてたでしょ?」

「なんだ。ならいいんだ」

「?」

 大丈夫、こっちの話だ。と雄一は不審に思う有紗をなだめた。


「そうだな……。やっぱり、文化祭かな」

でもいいんだよ。行事じゃなくても」

「それでも今だよ。クラスメイトと仲良くなれたり、生徒会と協力して文化祭を成功させようとしたり……こんなに楽しかった一ヶ月は後にも先にもないかもしれないから」


 そして、跨いではいないけど、僕のきっかけもみんなと同じ、中央門になった。

 あの日、あの時、彼女が手を差し伸べてくれなかったら。僕は、ここには……


「紅澄さんはどういう存在……?」

 おそるおそる訊く有紗に雄一は真摯に返した。


「僕にとって、大切な人だよ」

「一時期放課後はいつも二人で帰ってたよね。二人で行きつけの店でも行ってた?」

「なんでも知ってるんだな。学級長の情報網には感服するよ」

「それを踏まえたうえで、雄一君には私の晴れ舞台を見てほしい」

「…………」

「私たちが作り上げてきた、裏ステージのトリに相応しい集大成を雄一君に見てほしい」

「……うん」

「雄一君の言う完璧主義ってやつに、私がなれたってことを証明したいから」

「……あのさ、伊櫻。僕は……」


 言いかける寸前。

 寸でのところで雄一のポケットから唸りが上がった。電話だ。相手は……


「会、長……?」

「出てもいいよ」

「ああ、悪い」


 係員から知らせるんじゃなかったのか……?

 雄一は悪い予感を予期しながらもおそるおそると電話に応じた。


「もしもし……」


「落ち着いて聞いてほしい。最悪な事態だ。第二体育館で悪質な事件が発生した」


「事故……ですか?」

「照明器具である電灯が原因不明の不具合で二階から地面に落下した。幸いケガ人はうちの生徒数人の軽傷済んだが、奴の仕業かもしれない」

「じゃあ、またそこで……⁉」

「ああ、可能性は高い。まさかこんな非行に及ぶとは……。一体どうやったのか……」

「僕もすぐに向かいます。第二体育館は……」

「君は現場には来なくていい」

「は……?」

「私には君に伝える義務があるが、君がここに来る義務はない。君は退勤しただろう」

「そんなこと言ってる場合じゃ……」

「選ぶのは君だ。君の思うままに行動したまえ。では、失礼するよ」


「僕は……」


 無責任だ。選択を僕に任せるだなんて。

 いっそ、来てくれと言われてしまえば、第二体育館に潔く足が向いただろう。

 その猶予が、僕には憎く見えた。


「なにかあったの? 雄一君?」


 だけど。


『楽しみにしてる』


 あの言葉が嘘に、あの約束を破ることに、なってしまおうと。

 僕は、後悔のない選択をしたい。


「伊櫻、事件発生だ。今すぐ第二体育館に行こう」

「……うん。わかった」


 こうして、僕は、初恋を選ばなかった。

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