第12話 それぞれの我

   第五章


 結局、イタズラの実行犯は一週間経っても手がかり一つ掴めない状態だった。

 初霜咲生徒会の幅広い情報網、警備員の増加や厳重化、やれることは全部やりきった結果がこの有り様だった。

 もちろん、


 一週間が経過しているということは日付もそれなりに進んでいるわけで……


「クレープいかがですか~⁉」

「……」

「あの……」

「あ、すいません。私たちはこれなので……」

 慌てて会話に入った有紗は、腕にはめた実行委員の赤紋章を見せる。


「雄一君?」

「…………あ、どうかしたか?」

 反応遅れて相槌を打つと有紗は不審そうな目でこちらを覗く。


「どうもしてないよ。ここは予定通り進んでいるようだから、次の確認にと思って」


 幕を開けた文化祭は、あっという間に佳境の三日目に突入していた。

 今は生徒会の手伝いでクラスの出し物の進捗状況の確認を行っている最中だ。

 有紗は次に行こうと促すように腕を引っ張り、雄一はそれに従う形で後ろを歩いた。


「ちょっとまて。二年四組は……クレープ屋だったか。クレームが来てたらしいぞ」


 雄一は思い出したように足を止めると、配布された資料を確認した。やっぱりだ。二年四組の不満欄に『生地が薄い』『クリームが少ない』などの改善点が挙げられていた。


「確認は……」

「確認はさっきしたよ。生地が薄いのは費用の削減、クリームが少ないのは気にしていなかったので改善を図るとのこと」

「そ、そうか……わるい」


 既に話がついていたみたいだ。

 雄一はおかしいなと苦笑いしながら、人でいっぱいの騒がしい廊下を歩み始めた。


「少し休憩しようか?」

「でも、まだ終わってないし……」


 時間はそろそろ昼を回る。そろそろ小腹も空く頃ではある。しかし、正午までにはクラス経過をあらかた報告し終えて、実行犯探しに注力したいのだ。


「大丈夫だよ。時間的にも私の出番はサブステージのトリだけだし」

「そういう問題じゃ……というか何時だっけ?」

「十八時二十分からだよ」


 サブステージの十五分後……メインステージのトリは十八時三十五分からか。


「そうか。なら休むか」

 雄一は有紗の提案をすんなり了承した。どうしてか、途端に笑みがこぼれそうな有紗はいい場所を知ってるんだ~と得意げに先導し始める。


「それなら、あいつらも呼ぶか」

 そこまで太鼓判を押すならと雄一は他の班員を呼ぶために携帯電話をポケットから取り出した。


「あの二人、実はできてるらしいよ」

「え、まじかよ。あいつらいつの間に……」

 有紗は邪魔したら悪いよ、と二人の時間を尊重するようにして雄一の携帯を奪い取る。


「いつからだ」

「そうだな~。私の情報によると……」


 聞く話によると、水島と木原は班の結成の時期と同じ頃の数週間前から相性が良かったらしい。てっきり木原は学級長のことを好きだとばかり……。

 初めて耳にした噂だが、学級長の情報網から入手したのであれば、正確性はありそうだ。


「でも、連絡はしとかないと。仲間をほっといて勝手に昼を取るわけには行かないよ」


 水島と木原の二人組は人手不足のクラスに働きに行っているはずだ。汗水垂らして働いている彼らを差し置いて無断で休憩するなんて、真面目な雄一には到底できなかった。


「じゃ、じゃあ……昼休憩じゃなくて小休憩にしよっか~? 小食する程度で」

「まあ、それなら電話する必要もないか……」

 雄一は有紗の提案に妥協する形で小食を取ることにした。


「ここなら誰も来なさそうだね」


 着いた場所は、普段は立ち入り禁止になっている秋風がよく通る屋上。

 有紗は周囲を注意深く見渡すと、雄一が座るベンチに横並びで座った。


「誰か来たらまずいのか?」

「ここで会ったら気まずいかな~って」


 気まずい。たしかに勘違いされかねないシチュエーションだ。僕の頭がフル回転している状態であればいくらでも妄想出来たろうに。


「雄一君、あまり寝てない?」

「なにか変か?」

「さっき、無視してたから」

「クレープ屋か。あれは……言い逃れできないな」

 雄一は言葉を詰まらせた後、白状するみたいに自白した。


「朝まで監視カメラの映像を確認してたからな。あまり寝てないんだ」

「どうりで。目の下があざで腫れたみたいに黒くなってる。ゾンビ映画に出られるくらい」

「僕、出られるかな」

「ゾンビはもっと血色悪いよ」

「そりゃそうだ。ゾンビは死んでるんだから」

「じゃあ、雄一君は死にかけだね」

「かもな」

 ちょっとした洒落を言った後、雄一は買ってきてもらったハムレタスサンドイッチの封を開け、口いっぱいに一口で頬張った。


「けど、また帰らなかったってことだよね。 ……あ、飲み込んでからでいいよ」

 雄一は首を激しく縦に振る。

 しかし、有紗にはそのジェスチャーが喉を詰まらせたことを示唆しているように見えた。


「……雄一君? ……こ、これ‼」

 めずらしく焦ったようにして、有紗は持っていた箱のオレンジジュースを強く握りしめ、雄一の口に無理やり、突っ込んだ。


「~~⁉」


 もちろん、ジュースの箱を握ったことで推進力は増し、ストローから流れ出てくるオレンジジュースはホースの口先を半分くらい抑えた水みたいに勢いが止まらない。ましてや喉に直接入るとむせるとされているオレンジジュースだ。雄一は強烈な喉の痛みを感じ、首を激しく横に振った。


「fんじyうよ⁉」

「ごめん、苦しそうだったから」


 雄一は飲み込んだ後、自分の心情を吐露するように強く言った。

「さっきの話。やっぱ帰れないよ。文化祭が台無しにされるかもしれないっていうのに」


 それはきっと、僕が関わってきた実行委員の全員の意志だ。

 必死に考えて、どうにか実行しようとして、去年の高い壁をさらに超えようとして。

 僕も含めて、みんながみんな出来る限りの努力をしてきた。

 そんな良いとされる想いを、一人の生徒によって踏みにじられてしまうのが、とにかく嫌なんだ。


「それに僕も実際に惨事の現場を見た。あそこまで破壊衝動に興じる人間を許すわけにはいかない」


 裏ステージで使う予定だった機材が原因不明の障害で破損していたり、トリで使われる予定だった舞踏会ようの靴が何足か行方不明になっていたりと、両手で数えきれないほどの罪を繰り返していた。


「雄一君、前までは学校行事なんてクソくらえ~って言ってなかったっけ」

「……話、聞いてたか? 僕は文化祭を成功させようと……」

「昨日の体育祭を見てもそう言える?」

「あぁ……うん」

 率直な指摘に雄一の言葉は、またサンドイッチを喉に詰まらせたみたいに止まる。


「雄一君が運動音痴なのは仕方ないよね。50m13秒らしいし」

「12.9秒だよ!」

「12秒でもいいけどさ。貧血で倒れたのってさ」

「前日に昼寝はしたんだけどなぁ……伊櫻はどうしてああなったんだろうな~」

 核心に迫る有紗に、雄一は、苦笑交じりに誤魔化すような発言で回避しようとするも、


「原因って何だと思う?」

 有紗は、淡々とした物言いで純粋な疑問を雄一に問い続けた。


「いやー、それはだな……」

「それは、なにかな?」


 徐々に距離を狭めてくる、顔色に眉の動き、口の動き、どれを取っても一変、変わることのない無言の顔面圧力……これには屈するほかない……。あ、薄く化粧してる。


「えーと、睡眠不足……ですかね?」

「明らかに、睡眠不足だよね」

「……悪い」


 本当に土下座してる。心の中では。


「まあ、それはそうと今日はよろしく頼むな」

「よろしくって、なんのこと?」

 すっとぼけるように有紗は反応する。


「裏ステージのダンスだよ。上手に客をもてなしてくれよな」


 伊櫻は、顔立ちやダンスでの立ち振る舞いの評判から、ステージ数十五回中十三回踊ることが決まっているほどのレギュラー組だ。期待せずにはいられないだろう。


「見よう見まねで踊る素人に期待してるの?」

「ああ、素人に期待してる。初々しさもきっと伊櫻なら武器になるよ」

「初々しさ……つまり、それって私が失敗することも考慮して言ってるのかな?」

「そういうことになるかもな。捉え方によっては」


 客だってその手に厳しいプロがいるわけではない。カジュアルに学生らしく。

 適当に踊って、適当に楽しむ。そう伝えたかったのだが……


「発案者さんは裏ステージにどのくらい人が来ると思う?」

「なんだその質問」

「いいから」

「そりゃあ、出来るだけたくさんの人に来て欲しいけど」

「それは……メインステージより?」

「出来によっては超えることもあるかもな。まあそこまでは……」

「私は完璧に踊るよ」

「え……」


 それは、冗談でも適当ないつもの返しでもなんでもなく。


「発案者が望んだとおりの舞踏会にしてみせるよ」


 それは、期待を寄せる雄一に対しての、最大限の意志表示。


「成功させてみせるよ。絶対に」


 それは、ほんのすこし見せた、彼女なりの意地。


「だから――」




「伊櫻、そろそろ行こう。休憩が長引くと間に合わなくなる」

 言いかけた最後の一言に割り込む形で端的に促すと、有紗はこくりと頷いて雄一の後ろをついていく。


 時計は予定の休憩時間より大幅に過ぎた時間を示していた。


「……私、話の途中だったよ」

「文化祭が終わった後ならいくらでも訊くよ。今はこの仕事を終わらせよう」

 僕は透かした顔でそう吐いた。


 あの宣言に、ただ一つのメッセージが込められたことに気づかないふりをして。


      ※ ※ ※


 舞台裏の真実


 ここは、緊迫感漂う薄暗闇のステージ裏。

 男は最後の確認のために手鏡を手元によこし、身だしなみを整えていた。


 そしておもむろに一言。

「蝶ネクタイにスーツ姿……」と独り言を呟くようにして自分の容姿を再認識する。


「……ごめんなさい、注文と違いましたか?」

「いいや。やはり、私にこの格好はそぐわないと思ったんだ」

「そんなことでしたか。よくお似合いですよ、会長」

 視界があやふやな暗がりの中でも分かる自信に満ちた声色に、岸本はより自信を失った。


「しかしだな……」

「そんなことでしたら、チビの私はもっとそぐわないでしょう」

「君をそんなふうに思ったことは一度もない。断固として」

「では、自分を僻むのはおやめください。それでは私も軽んずることになるでしょう」

「……すまない。取り乱した」


 疑心と不安。生徒会長である岸本は本番直前になって怖気づいていた。

 照明が光るいつものステージ。自分がいつも毎週月曜日に立っているあのステージ。

 登校してからまもなくする体育館の朝礼は、岸本の一週間の始まりで、清々しい気持ちにさせてくれる。しかし、それとこれとでは話が地球一周、違う。

 生徒会長たる所以、彼ら彼女らは生徒に示しをつけていたはずなのだ。


「緊張……してますか?」

「しないわけがない。開会式だぞ、それも文化祭の」

「では、私が代わりに読みましょうか? 式の言葉を」

「それは……いい。ここまで皆を導いたからには大将が示しを見せなくてはならない」

「会長、そろそろお出番です」

 係に呼ばれると岸本はガチガチの足で明かりの差す方へと歩んでいく。


「ダイジョブ、ダイジョブ。このくらい会長なら……」

 岸本は手のひらに人という文字を三回以上書いて飲み込む。


「あなたらしく、で構いませんよ」

「あれをしたらこうして……あれをしたらこう言って……」

 夏乃の助言むなしく、岸本は既に訊く耳を持っていなかった。


「会長!」

 夏乃は岸本の腕を掴み、無理やり目を合わせた。


「ど、どうした……?」

 岸本の手は微かだが震えていた。夏乃は見かねたようにしてこう言った。


「まだお客は入っていないですよ」

「……そうだったか」

 その言葉を訊くと、嘘のように足の震えは収まっていった。


 これは単なる全校集会と変わりはない。

 彼女のおかげで、愚かで落胆的考えに陥ることに成功したのだ。


「という話があったんですよ」


 その場にいた女子生徒は、悠々と女性教員にありのままを語っていた。

 その話をされるのは何回目だろうか。いいや、この際もう仕方がないと割り切ろう。


「それであのパフォーマンスを?」

「ええ、どうやら本当にお客がいないと錯覚したらしくて……」

「確かにステージから見たら、周りは薄暗くてどのくらい人がいるか分からないものね」

「まあ、その結果。開会式は異様な雰囲気で幕を開けましたけど」

「おい、過ぎた話をいつまでもするな。あれはあれで……良かっただろう」

 岸本は換気をするために外の窓を開けた後、いい加減にしろと言わんばかりに口を挟む。


「ではお聞きしますが、会長的にはあの開会式。どんな感想をお持ちで?」

「外はこんなにも賑わっている。それに、理事長に褒められた。それだけで十分だろう」

 それを聞くと、ため息は二人分漏れた。


「まあ、前々から思ってはいたけど、今期の生徒会長は度胸があるわね」

「先生までそんなこと……」

「私は数々の生徒会長を見てるから言えるの。ちなみに褒めてるわよ」

「何年前から務めていらっしゃるんですか?」

「女性にそういうことを聞くのは反則よ、会長さん」

「は、はぁ……それは失礼を」


 初霜咲に教員として務めている年数を言うと年齢が割れるということだろうか。

 つまり、高校か大学を卒業してから一度も転勤をしていないということになる。


「それはそうと、先生はどうしてここ監視室へ?」

「ああ、それは久しぶりにの顔を見たくなって」

「先生。わたしたちってそんなに仲良かったです?」

「ちょっと挨拶をしに来ただけよ。それと差し入れ」

 教員はビニール袋からゼリー飲料や飲み物を出した。


「ここ、飲食禁止ですよ」

「相変わらずうちの会長さんはお堅いわね。なっちゃんもそう思わない?」

「先生、規則は規則ですから。後ほど廊下でいただきます」

「さっきから私に対して当たり強くない? ちょっとへこむわよ……」


 教師はおもむろに肩を落とした。

 夏乃も冗談で言ったのだろうが、真に受けたらしい。


「え、飲んでいいんですか?」


 そこまで堅くはないぞ?


 夏乃が監視室でチュウチュウとゼリー飲料を飲み始めた頃、岸本は疑問を投げかけた。


「しかし、同じ部活の顧問と生徒なんだろう。そこまで久しぶりだったのか?」

 岸本としてはめずらしい、会話に参加する形で夏乃に問いかけた。


「え、ええ。そうですね。部活は生徒会のことがいっぱいで最近はあんまり……。実行委員会にしても、今年は先生をお見えする機会が減ったので……」

 夏乃は岸本の突然の質問に多少戸惑いながらも、拙い言葉で返す。


 部活に顔を出せないほど、実行委員で手一杯な夏乃は仕方ないか。


「たしかに。先生、今年はあまり顔を出さなかったですね。なにか理由でも?」

 痺れを切らしたように鋭い口調で問いかけた。


 岸本は、教師が昨年、一昨年と、毎回欠かさずに実行委員会に出席していたことを記憶していた。だから、は万が一にもありえなかったのだが。


「ああ、それは忙しかったので……」

「そう……ですか。すみません、どうかしていました」

「どうかしていましたか……ね?」


 教員と夏乃は二人そろって「?」の顔を示し合わせる。

 教員は、すべての実行委員会の参加を強制されているわけではない。

 後から考えてみれば、神経質になっている今だからこそ、聞いてしまった質問だった。

 岸本は、教員が参加しなかったことをこれ以上追求することはなかった。


「それはそうと」と、岸本は明るい口調で場の雰囲気を変えようと試みた。


「つかねことをお聞きしますが、朝倉先生の担当クラスはどこですか?」

「……一年五組を請け負っておりますが?」

「ちょうどよかった。この後、うちの生徒会で預かっている一年五組班の一人がこちらに来る予定なんですよ。そろそろ来るかな……」

「えっ」

 教員の喉に何かを詰まらせたような鈍い声色を出す。


 丁度よく、監視室の扉は開かれ、男子生徒はまるで直前の話を聞いていたみたいに。


「僕らも、こうして話すのは久しぶりですね。朝倉先生――」


 教師が後ろを振り向くと、そこには今回の文化祭の立役者である一年五組班の一人。


「……あら、元気そうでなによりだわ。出本君」

 担任教師は、あくまで強気な態度で対応してみせた。


「副会長、担任の先生と生徒って普通あんな感じか?」

 夏乃は岸本の戸惑いの声にこっそりと耳を傾ける。


「あんなものじゃないですか? 知りませんけど」


 ※ ※  ※


 外から聞こえる騒がしい雑音をなくすためか、会長は換気をしていた窓を閉めた。


「担任なのだろう、話す機会はなかったのか?」

 会長は不思議そうに雄一に尋ねる。


「この間までは面と向かって話す機会があったんですけどね……忙しくなって」

 雄一は会長に促されると、いつもの定位置に重い腰を休ませた。

 担任教師は口を塞いだまま、雄一の動向を目で追うだけだ。


「進展は?」

 雄一はモニターを眼前に、端的に訊くと、会長はおもむろに首を横に振った。


「怪しげな行動を取っている生徒はモニター越しには一人もいない」

「現地組からの連絡は?」

「現地も変化なしだ」

「そうですか……」


 時刻はまもなく十七時。メインステージ本番までは残り一時間と少し。

 仮に初霜咲文化祭の目玉であるメインステージが台無しにされたら目も当てられない。

 このまま何事もないことを祈るしかないのだろうか……。


「えーと……どうして雄一君がここに?」


 異様な空気を催し始めた監視室に、担任は居ても立ってもいられずに尋ねた。

 監視室と呼ばれる、通常は教員および生徒会重役の人間しか入れないこの場所は、数十台のモニターが壁全体に設置されており、校内に設置されたおよそ七十にも及ぶ監視カメラをもってして秩序と安全が保たれていた。


「先生。彼、今回の裏ステージの発案者なんです」

「いい案だとは思ったけど……その社交ダンス会を? 雄一君が?」

 夏乃が補足で説明をすると、担任は信じられない様子で言葉を呑んだ。


「彼の実力は会長である私が保証します。彼は優秀な実行委員です」

 会長がそう言い切ると、担任は質問するみたいにおもむろに右手を挙げた。


「迷惑はかけていないのですか?」

「これといったことは特に」

「実行委員に彼は馴染めているのですか?」

「あの、先生は僕の保護者か何かですか」

 過保護な質問に雄一は思わず口を挟む。


 実の母にもここまで心配されたことがない雄一にとってこの状況は、新鮮というか少し気味が悪くなっていた。


「それで……他の班員は?」

「しっかりと働いていますよ。理事長に下された分以上の働きをね」

「ああ、あの無断欠席の処分……」


 理事長の命令がなければ、ここまで生徒会の「重役」(仮)として、文化祭に関わることはできなかっただろう。いまとなっては貴重なチャンスだったと言える。


「水島木原ペアは他クラスの手伝いに務めています。それと一年五組班からは二人出番があります。有紗……じゃなくて、伊櫻さんは裏ステージにレギュラーで出場してますよ」

「一年生でレギュラー⁉ とんでもないわね……」


 新鮮な反応を示す。担任は本当に何も知らないらしい。

 有紗に関しても、部活を通して副会長と元々交流があったとはいえ、実行委員をきっかけに行動したことは間違いないだろう。


「特に伊櫻さんは精神面でも、生徒会を通じてさらに成長したと思いますよ。副会長の私が保証します」

「へぇ~。副会長兼元部長のお墨付きね~」


 そして、彼女自身もこの間の話し合いから、何らかの心境の変化があったように見える。

 最近は、僕とも距離感が縮まってきているような気がして嬉しい限りだ。


「何はともあれ、私がいなくても上手くやれてそうでよかったわ」

「お帰りですか?」

 一通りの話に区切りがつくと、担任は先を急ぐようにして、席を立った。


「ええ。この後、理事長に呼ばれているので」

「なんと、それは急ぐべきです」

「ええ。それに……あまり長居しても悪いようだし」

 そう言うと、担任はチラリと雄一がいる後方に視線を向ける。


 やはり、まだあの時のわだかまりは消えていないということになるのだろう。

 雄一は担任教師に避けられている気がしてならなかった。


「あ、その前に会長さんに一つ訊いてもいいかしら」

 担任は扉の前に立つと思い出したかのように、踵を返した。


「答えられる範囲でなら」

「今回の文化祭は、恋愛要素が深いと聞いたのだけれど、あれは本当なのかしら」

「本当です」

「そう、本当なのね」

「なにか不満が?」

「あ、いいえ、そういうわけでは……」

「会長、うちの担任は恋愛脳なんです。ですので、察してあげてください――」

 雄一のカミングアウトで、監視室内はクスクスと微笑みで溢れかえる。


「ちょっと余計なことを……。まさか、オンライン受講生二人がここまでとはね……」

「え……、先生いまなにか……」

 微かに聞こえた気になる単語を追及しようと雄一は呼び止めようとするも、


「もう! 私、行くわね。出本君も最後まで気を抜くんじゃないわよ~」


 後ずさり際にそう言うと、少し怒り気味な担任教師は足早に監視室を去っていった。


「なにか急いでいるようだったな」

「そのようですね。用事でも思い出したのでしょうか?」

「たしか、朝倉先生の担当はメインステージのトリだったような」

「残り一時間を切るというのにここへ顔を出したということですか。よくもそんな余裕がありますね」

「理事長に会うと言っていたな。まさか、この不祥事もバレテイルカノウセイガ……」

「会長、落ち着いてください。あと一時間あります。出来る限りのことはしましょう」




 オレンジ色に染まっていた窓は黒く染まり始めていた。


「あと一時間……か」


 雄一は藁にも縋る想いで、何度見たか数えきれないくらい見尽くした過去の監視カメラの映像をもう一度、隈なく確認し始めた。


 ※ ※  ※


「……も……ん、……ずもと……ん、出本君!」

「……はっ! ね、寝てませんよ?」


 反射的に身体を起こすと、机に垂れたよだれを服で拭い、慌てて時計の針を確認する。

 時刻は既に十八時を回ろうとしていた。


「……すみません、寝てました」

「君のそういう一面は初めて見たよ。昨晩、あれだけ仮眠を取れと言ったのに取らなかったのだな」

「いえ、一応取ろうとは努力したんですけど……って、あれ、副会長は?」

 監視室にはモニター画面と疲れ切った目で睨み合う会長の姿しか見えない。


「ああ、ステージを見に行ったんだ。最後のトリくらい見させてくれと頑固でね」

「会長に服従してる副会長でも行きたがるんですね、文化祭のトリは」

「なんだその心外な言い方は……まあ、祭りの終盤だからな。致し方なかろう」

 そう言うと、岸本は目をショボショボさせて疲れを促進させようと試みる。


「リラックスがてら、会長も見に行かれたらどうですか?」

「私には仕事が残っている。顔を出すのは小一時間やる後夜祭の挨拶だろうな」

「仕事ではなく監視ですよね、それなら他の人にやらせれば……」

「私のことはいい。それより――メインステージ(コスプレ大会)。楽しみにしているんだろう?」

「どうしてそれを?」

「どうしてもこうしても彼女を推薦したのは君だろう。思い返しても見ろ」


 そういえば、そうだった。


『僕に任せてください‼ 絶対ピッタリな子がいるんです‼』


 あの時は自分の発言を顧みることもなく、ただ自分の感覚としての自信しかなかった。


「私に服従する君があそこまで強く推薦するんだ。それ以外にあり得ないだろう」

「会長も冗談とか言えるんですね」

「行きたまえ。もし、なにかあれば近くの係員が伝えてくれる」

「そうですか。じゃあ、僕も行こうかな~?」


 雄一は随分と軽い口ぶりで尋ねるようにして訊いた。返事はなかった。

 「自由にしろ」ということなのだろうか。


 雄一は席を立った後、身体を伸ばすように背伸びをした。


「……なにかあったら必ず、伝えてください」

「ああ、必ず伝える」


 厳格な言葉を聞いた後、雄一は早歩きで第一体育館へと向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る