The man in the greenhouse.

箱庭の住人

 透明な空を、白い大樹が枝を伸ばして支えている。

 不思議な光景だった。まるで、太古に神話の挿絵を見ているような。そんな世界がリオたちの目の前に広がっている。


「ここはね、かつての世界を再現しているんだよ」


 温室に住まう青年は、そう語った。かつての世界を縮小して模したのがこの施設なのだ、と。


「かつての世界?」

「人間の文明が滅びる直前の世界さ。当時、天が何本もの大樹に支えられていたのだと、僕はそう聞いてるよ」


 白い姿の青年の言葉に、リオとアリィはいぶかった。天を仰ぎ、ガラスの向こうの青空を見つめる。空気の層でしかないその空が、樹に――何か形のあるものに支えられていただなんて、とても信じられなかった。




 リオたちがその半球形の建築物を見つけたのは、ほんの少し前のこと。アリィ自慢のマイクロバスが高原を割くように作られた古い道路の上を走っている最中だった。過去放牧が行われていただろうそこに、酪農とは関係のなさそうな施設が突然見えたものだから、興味を惹かれたのだ。

 好奇心旺盛なアリィは直ちに進路を変え、その建物に接近した。手前でバスを止め、関心薄そうなエカを急き立てつつ車を下りる。


「えー? なんだろうこれ。家?」


 興味津々とはいえ、さすがにいきなり中に入るだけの度胸はなかったのか、アリィはバスの横からその建築物を観察していた。ガラス張り。その向こうには、緑が見える。植物があるのだと知り、アリィはますます首を傾げていた。


「家の中で普通植物育てる? ガラス張りで日光充分だから? でも、雨入ってこないし、水とかどうするんだろう?」

「知らん。どうでもいいだろう」


 落ち着きを失くしたアリィの横で、エカは欠伸を噛み殺す。


「入るなら入る。入る気がないなら、とっとと先に行くぞ」


 れったいのが嫌なのか、エカは不機嫌に言い捨てる。空気涼やかな高原とはいえ、夏の日差しの下では、布をふんだんに使った黒のゴシックドレスは暑いのかもしれない。ちらちらと緑の瞳を車内に向けていることからしても、日陰に入りたいと思っているのだろう。

 リオは少し慌てて妹を急かそうとしたが、声を掛ける前に「入る!」と言ってアリィは施設に突進してしまった。

 その背後をちょこちょこと青い色のペンギンが追う。


「ちょ……ちょっと待て、アリィ!」


 遅れてリオが手を伸ばした頃には、妹はすでにガラスの壁に貼り付いていて、何処かに入口はないか、と辺りを探っていた。危険を顧みないアリィの行動にリオの肝が冷える。

 外周に沿って歩きはじめた彼女をよたよたと追って、タンクトップで剥き出しの細い肩を掴んだ。


「こら、何があるかもわからないのに、勝手に――」


 きょとんと赤い瞳を大きくしたアリィに苛立ったリオの言葉が、小さな駆動音が聞こえ始めたのに合わせて減衰する。妹の頭の向こうに視線を飛ばすと、ガラスの壁の一部が壁面に沿って左右に開いた。

 身を固まらせた兄妹の視線の先で、ひょこりと白い影が姿を現す。


「……ああ、やっぱり人間だ」


 その言葉に、リオは思考まで固まらせる。

 柔らかい声で話しかけてきたのは、男だった。あちらも人間だ――少なくとも、姿形は。金色の髪、琥珀の瞳、白い肌。白い貫頭衣と七分丈のズボン。足先に引っ掛けるだけの履き物。簡素な恰好だ。この建物の住人だろうか、と頭の片隅で思う。

 またしても滅びたと思われていた人間に出逢った衝撃は、接近した彼が儚げな笑みを向けてきた後にじわじわとやってきた。


「あ、あの……」


 言葉が喉に引っ掛かる。自分よりも歳上らしく、そのことがまた衝撃で、先程からリオの胸は激しく動悸している。


「貴方も人間、ですか……?」


 熱に浮かされたような不確かな気分で問い掛ける。間抜けな質問だ、と心の中で誰かが毒吐どくづいた。


「そうだよ」


 目の前に立った彼は、身長が高かった。アリィやエカだけでなく、リオも彼の顔を仰ぐことになる。一方で身体つきは凄く細い。骨と皮、は大袈裟にしても、肉がまるで付いていなかった。突進してきた獣に容易く跳ね飛ばされてしまいそう。小柄なアリィを抱え上げるのも、難しそうだ。

 はあ、とアリィの口から感嘆の溜め息が漏れた。


「嬉しいな。僕、他のヒトに会うの、初めてなんだ」


 ふわりと浮かべた微笑は、やはり儚げだった。冬の日差しのような。舞い落ちる羽のような。――繊細なガラス細工のような。

 凄みのあるエカとはまた、正反対。

 そのエカは、相変わらずバスの隣に立ち、不貞腐ふてくされた表情でリオたちの邂逅かいこうを見守っている。


「ねえ、もしよかったら、話でもしないかい? 僕は外のことを知らないから、他の人がどういう生活をしているのか知らないんだ」


 リオとアリィは互いの顔を見合わせ、それから視線をエカへと送った。無関心な彼女は「好きにしろ」とばかりに肩を竦めるばかりで知らん顔だ。


「……是非」


 アリィが応えると、彼は破顔する。これまでに浮かべていた当たり障りのない微笑とは違う、心の底から嬉しそうな笑顔だった。


「ようこそ、旧世界環境再現施設アトラスへ」


 僕はリノウ、とその青年は右手をリオに差し出した。

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