忘れたい過去 その2

――――――――黒髪少女は数年前の夢を見ていた。


 一隻の大型帆船が大海を越えて、遠い西の端にある国プルクテスを目指していた。船倉に拘束具をつけられた人々が樽のように敷き詰められていた。彼らは奴隷たちだ。その中に二人の黒髪少女の姿があった。周りと同じ年齢にも関わらず、身体は小柄。その二人は互いを励まし合うように抱き締め、不安を少しでも和らげようとしていた。これから、起きるであろう悲惨な未来に抗うように。


 数刻、数日に及んだ大航海は苦難な道だった。満足に食事が取れない状況と圧迫された状態が続き、死に至る者も出始めていた。死に絶えた奴隷はそのまま、引きずられながら船倉から連れ出され、上甲板から海に投棄される。一人減り、また一人減っていく内に、狭い船倉が気がつけば広くなっていた。次は誰が死ぬのか。明日は誰が力尽きるか、知っているだけの神々の名前を出し祈る。


 ある日、船倉の扉が開けられた。船員が毎日定期的に死んだ者が居るかどうかを確認しに来るのだが今回は別の目的があったようだ。鞭を手に部屋を歩き、汚物を見るような目で何かを探していた。そして、その船員の目が彼女らにとまる。


「――――おい。お前ら姉妹だな?」


 尋ねられたのは、黒髪の姉妹だった。小刻みに震えながらも頷く。船員が目をとめた理由が目立ったからかもしれない。その日の選ばれた運命をどれほど怨んだことか。二人は上甲板に連れ出された。


「まだ、私達は生きてる! 生きれる!!!!」


 足をばたつかせ暴れながら必死に元気な事を黒髪の姉は主張した。そうすれば、海に投げ捨てられることはない、と思ったからだ。


 がそんなことは最初っから船員らはわかっていた。むしろ元気だからこれからする余興のために連れ出したのだ。灰色髪の船長が麦酒を飲みながら黒髪姉妹に告げた。それは死刑宣告よりも辛いものだった。


「これから余興をしてもらう。お前ら、“二人で殺し合え”」


 そう短く、淡々とした口調で言った。周りを取り囲むようにこれから行なわれる殺し合いを観に船員らが群がる。誰もが酒に酔い上気していた。黒髪姉妹の両手足に付けられていた拘束具が解かれ、短剣を二つ姉妹が対峙する目の前に投げ込まれる。金属音が鳴り、二人は身体をビクつかせた。


 灰色髪の船長がなにを言っているのか理解できず、二人は見つめ合う。


「お前らは貴重な商品だが、少々不手際があってな。競りに出すのは一人でよくなったんだ」


 硬直させた二人を交互に見た船長はニヤッと笑い、両手を広げる。


「ま、生き残った方は俺が責任持って送り届けるから安心しろ」

「ほら、さっさと剣を拾え!」

「知ってるか? 闘いはな、先手必勝なんだぜ、グヘヘヘ……」


 黒髪姉妹は顔を見合わせ戸惑う。自分がおかれた状況を把握したのは意外にも妹の方だった。震える足で、短剣のある場所に歩みより、拾い上げた。船長の命令に従わないと殺されると思ったからだ。


「……お姉ちゃん」


 震える声に姉は後退りする。


「ダメ……そんな……私は、出来ない……」


 黒髪の姉は後ろに立っていた船長に振り返り、服を掴んで訴えた。


「出来ない! 私には出来ない!!!」

「いいから、さっさとやれ! 俺は暇じゃないんだぞ!」


 手を振り解き、突き飛ばす。倒れ込んだ黒髪の姉はすぐさま立ち上がり、また服の裾を掴んで、目を真っ赤にして見上げる。


「お願い! 私が、私が死ぬから!! 妹は生かして下さい!!」


 それに笑いが起きた。誰もが腹を抱えて笑う。船長が黒髪の姉の腹に膝蹴りした。ゆっくりと倒れ込み蹲る。顔の目の前に短剣を突き刺し、顔を悪人の顔で覗く。


「いいか? お前らは奴隷だ。奴隷の運命は一つ。相手を殺して生き残るか、殺されるかだ。死にたくなかったら妹を殺せ!」


 無理矢理起き上がらされ、右手に強引に短剣を持たされる。背中を押され、一歩、妹へ近づいた。黒髪の姉はもう逃げられないと悟り、唇を噛み締め、身体に力を入れた。目の前に立つ妹に告げた。


「サクラ!! 私を殺して! 私を殺して生き残って!!! 貴方だけでも!!」

「早くしろ! じゃないとどっちともサメのエサにするぞ」

「サクラ!!」


 サクラは混乱する。足を内股にして、今にも崩れ落ちそうな態勢で短剣を両手で掴んだ。急かすように黒髪の姉は強く言い続ける。


「早く!!! 私を殺すの!!!」

「う、うわあああああああああ!!!!」


 サクラは駆けた。両手で短剣を持って、真っ直ぐ向かう。涙を流しながら。対峙する黒髪の姉は短剣を構えず、瞼をゆっくりと閉じた。サクラの足音が近づきてくるのがわかった。剣先が胸辺りに近づいてくるのがわかり、その瞬間、民族の闘う本能が身体を勝手に動かせた。


「おぉ! こいつ避けやがった!」

「すげー完全に決まったと思ったぜ」

「え? なんで……? なんで、私は避けるの?」


 自分ではこのまま死ぬつもりだった。それにも関わらず、身体が勝手に左足を後ろに下げ、短剣を避けていたのだ。サクラは驚きつつも短剣を振るう。何も考えず、なにかに突き動かされるかのように短剣を縦横に振い続ける。


 妹の攻撃を避けたことに自分自身、驚愕していた。驚いているその間も無意識で手が勝手に動き、短剣を弾いて身体から遠ざけ、受け流す。サクラも目を見開いていた。それから目を細め、抱きつくかのようにあからさまに身体を密着させてきた。周りからはもみ合っているかのようにも見える。


 サクラが誰にも聞えないように耳元で囁いた。


「お姉ちゃん、生きて―――――」

「え?」


 サクラは力強い足技を使って、浮いたかかとをすくい上げ、姉を背中から転ばす。その上に跨って馬乗りになると、短剣を姉の頬に力強くかすめさせた。勢いで抱き合うような形になる。


 下衆の男たちが口笛を吹き、茶化す。


 そんな中、姉の手に生暖かいものが流れ込み、妙な感覚を覚えた。


「温かい……?」


 自分が持つ短剣に恐る恐る視線を送る。剣先がサクラの腹に刺さっている。自分が刺した覚えはない。


 だが、あのとき、サクラに右手を掴まれ、引き寄せられたことはわかっていた。数秒ほど、見つめ合ったあと、黒髪の姉はようやく察した。


「じぶんで――――」


 自分で刺したのか?! と言おうとしたが口をサクラに塞がれた。息を荒しながら目で訴えてくる。彼女の行動が自分を助けるためにしたと悟った瞬間、涙が溢れ出す。塞がれている手の中で黒髪の姉は叫ぶ。サクラは自分の姉に微笑んだあと、グラりと崩れ落ち、黒髪の姉の上に横たわる。


 そして、耳元で最後の力を振り絞って言う。


「お姉ちゃん……私、大好きだよ……。そして、サクラのこと、忘れて、ね……これから生きていくためにも―――――」


 そう告げたあと死に絶えた。ドサっとサクラの体重がのしかかる。身体が触れ合っているのに鼓動も、人としての温もりが感じられない。むしろ冷たくなっていく。


「いやだ……いやだ……いやだ……ああぁああああああああ」


 絶叫した。それから黒髪少女の姉は涙を流しながら口を半開きにし呆然としたまま、青い空を見つめ、“神を呪った”。

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