第47話

 それから三日後、ついにマクリーシュからの一行がジェサミンに謁見する日になった。


「皇帝陛下、皇后陛下。お目にかかれて光栄です。拝謁をお許しいただき、心より感謝しております」


 マクリーシュ国王が深々と頭を下げる。王妃とエライアス、そしてサラがそれに倣った。


「うむ。顔を上げよ」


 玉座に座るジェサミンはオーラをかなり抑えていたが、その圧倒的な存在感で謁見室を支配していた。王妃もサラも怯えずにいることは不可能で、特にサラは血の気を失いガタガタと震えている。

 いまにも叫び声が口から飛び出しそうな表情だが、懸命にこらえているところに、ロレインは彼女の変化を感じ取った。

 国王が一歩前に進み出る。


「私共は今日、一縷の望みに賭けてここに参りました。マクリーシュを救ってほしいと懇願するためです。ですがその前に……皇后陛下の多大な温情に感謝申し上げます。陛下は寛大にも、私の体調に影響を与える花や食物を取り除いて下さいました。ご親切にありがとうございます」


 感謝の言葉を述べた国王の体調はよさそうだった。ロレインは笑顔を返事に代えた。誰であれ、体の不調で苦しんでいる人を捨て置くことはできない。


「こちらの宮殿も、皇后陛下の人柄同様、温かく心地よい雰囲気に満ちていて……陛下がヴァルブランド帝国に相応しい威厳をもって、見事に切り盛りしていらっしゃることがわかります」


「ああ。最高の皇后だ」


 ジェサミンがためらいもなく言った。

 確かにロレインは宮殿を最良の状態に整えていた。どんな場合でも皇后としての仕事をやり遂げると、自分に誓っていたから。


「そんな素晴らしい皇后陛下に、私たちは取り返しのつかないことをしてしまいました……」


 国王と王妃がほとんど同時に顔を歪める。彼らは本当にすまなそうな様子だった。


「私共の行った残酷な仕打ちを考えたら、謝罪などけんもほろろに拒否されても仕方ありません。十年もマクリーシュのために尽くしてくださったのに……」


「過ちを犯したのも、とんでもない愚行に走ったのも私です」


 国王を庇うように、エライアスが声を発した。


「私はどうしようもなく馬鹿な男で、自己中心的で卑劣でした。王太子であることにうぬぼれ、義務よりも心の声を優先させて生きてきました。皇后陛下を踏みにじって得た幸せは長続きせず……すべて自業自得です。あまりにも単純で、救い難いほど愚かでした。言葉での謝罪程度で許されないことは、よくわかっておりますが。皇后陛下……本当に申し訳ございませんでした」


 エライアスが頭を下げる。ロレインは初めて、彼から王太子らしい落ち着きを感じた。その地位を失う間際にようやく、生まれに恥じない態度ができるようになったらしい。

 以前なら激しい大爆発をしただろうサラの顔から、自分のやったことに対する後ろめたさや後悔の念が見て取れる。彼女も深く頭を下げた。

 ジェサミンがロレインを見る。ロレインは無言でうなずいた。


「我が皇后に対する謝罪を受け入れる。物笑いの種になるのはお前たちであり、ロレインの人生には何の汚点もない」


 ジェサミンの表情から、ほんの少し険しさが消えた。


「さて。マクリーシュ王国の今後と、お前たちの処遇だが」


 ジェサミンの言葉に、国王は血の気が引くほど強く唇を噛んだ。かなり緊張しているらしい。


「この謝罪で莫大な負債が帳消しになるわけではないし、傷つけられたり辱められたりした貴族たちの心が安らぐわけでもない。お前たちは責任を負わなければならない」


「は、はい」


「愚かな人間と権力は、決して良い組み合わせとは言えない。王族の地位は剥奪する。その上でお前たちの身柄を拘束し、ヴァルブランドの監視下に置く。心身に問題を抱えた人間を集めた島があるのだ。そこで多少苦痛を味わって貰う。それくらいしなければ、納得できない人間が多すぎるのだ」


「……はい」


 国王とエライアスが身震いする。王妃とサラは、絶望の目でジェサミンを見つめた。


「ちなみに、その島は医学の研究が盛んでな」


 ジェサミンがついでのように言う。


「体調に悪影響があるほど苦手な物がある──そういう体質について研究している連中もいる。免疫反応がどうとか言っていたかな。研究のために利用されることになるが、誰にも迷惑をかけないようひっそりと暮らすことはできるだろう」


 ジェサミンの言葉がじわじわと脳に染みわたったのか、国王と王妃が顔を見合わせた。


「それから、そこの娘。お前は明らかに精神のバランスを欠いている。先天的なものか後天的なものかは知らんが、普通の人間よりも多くの内なる悪魔を抱えているようだ。人畜無害ではない人間専門の医者がいる。つまり、お前もまた実験材料だ。強制的にセラピーだかカウンセリングだかを受けてもらう」


 そう言ってジェサミンは、ふんと鼻を鳴らした。


「それが生き残るための唯一の方法だ。その娘の邪悪な性格が矯正できるかは知らんが」


 エライアスが信じられないというような表情になる。


「私たちの命を、救ってくださるのですか……?」


「お前たちにさんざん酷い目に遭わされたロレインが、過激なことを望まんのでな。言っておくが、施設は要塞並みに堅牢だ。島の警備は万全で、逃げ出すことは難しい。自分たちの生活費をまかなう余裕もないのだから、せいぜい医学の発展のために役に立て!」


 もう話すことはないとばかりに、ジェサミンは虫を追い払うように手を振った。


「マクリーシュのことは心配するな。当面は俺が采配を取る。我が皇后はあの国を熟知し、国民を愛しているからな。これ以上の相談役はおらん」


 エライアスが黙って涙を拭う。

 ロレインは静かに口を開いた。


「あなた方の結婚は、何ひとつよいものをもたらしませんでしたが……いつかお互いをきちんと理解し、思いやれる関係になってほしいと思います。そうなったときに初めて、自らの行いを反省することができるでしょうから」


 もう二度と顔を合わせることはないだろう。そう思いながらロレインは「お元気で」と微笑んだ。

 マクリーシュにとっては明るい展望が開けた。いまから島へと送られる四人の未来が明るいとは限らないが、そうであればいいと願う気持ちはある。

 ジェサミンがまた手を振る。皇の狂戦士たちに追い立てられるように、四人は謁見室から出て行った。扉が閉まる前に全員が振り向き、こちらに向かって深く頭を下げた。


「ありがとうございます、ジェサミン様。現状で許される最良の判断をしてくださって」


 ロレインが微笑むと、ジェサミンが盛大に鼻を鳴らした。


「俺はもっときつい制裁を下したかったが、お前が嫌がるのはわかっていたからな! まあいい。これでお前の人生最悪の出来事に、ようやくけりがついた。前に進むぞ、前に。早速マクリーシュへ出発だっ!」


「負債の問題もありますし、王位継承の問題も……恒久的に続く平和の道を見つけるまでは、時間がかかりそうですね」


 ジェサミンが「まあな」と笑う。ロレインも笑った。お互いがいればなんだってやれないことはないと、ちゃんとわかっていた。

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