第44話
「ああ疲れた。船から降ろされたと思ったら、ほとんど休みなく馬車を走らせて。私たちはマクリーシュの王族なのだから、もう少し気を遣ってくれると思っていたのに!」
サラは周囲を気にかけることなく、どさりと椅子に腰を下ろす。
王妃が苛立たし気に顔をしかめた。
「楽な旅ではなくて当然です。私たちがヴァルブランドへやってきたのは謝罪のためなのよ」
「それはそうですけれど……」
サラがぶうっと頬を膨らませた。
いまのロレインと同じ制服を着ている城の侍女が四人、銀のトレイを手に姿を現した。水の入ったポットや何品もの料理の皿、ワインのボトルなどを無言でテーブルに置く。
彼女たちが消えたところで、国王が痛みにうめくように椅子に座った。
「あなた……頭が痛むんですの? 花粉に弱いのですから、室内に飾ってある花を撤去してもらいましょうか?」
王妃が国王に駆け寄り、背中をさする。
「よい。いまの私たちに、ああしろこうしろと命令する権利はない」
「でも……旅に出てからというもの、あまりお食事もなさっていませんし。やはり、苦手なものくらいは伝えておいた方がよかったのでは……」
ジェサミンが首をかしげる気配がした。彼はロレインの耳元で囁いた。
(国王の健康状態が不安定だという報告はなかったが)
(医師は病気ではないと言っていますが、とにかく苦手なものが多い方なのです。食事の後に急に咳が出たり、ひどいかゆみに悩まされたり。塗りたてのペンキのにおいで呼吸困難になったことも……神経質に暮らしていれば問題ないのですが)
(なるほど)
国王は「大丈夫だ」と王妃を手で遮った。
「ワインを飲んで、早く寝てしまおう。お前たちは食事をしなさい」
「でも、こんなに夜遅くなってから夕食だなんて……」
サラの愚痴を、国王はまた手で遮った。
「つまらない文句を言うのはやめなさい」
「つまらないことなんかじゃ──」
「黙りなさい、サラ」
国王の声は冷たかった。ずっと黙っているエライアスの目はうつろだ。
四人はぎこちなく食事を始めた。視覚的には完璧な料理だから、きっと味もいいはずだ。だが国王は感覚を鈍らせるようにワインばかり飲んでいるし、王妃とエライアスの手はほとんど動かない。
「……私にもワインを」
王妃がマクリーシュから連れてきた侍女に命じた。
「じゃあ私も。酔っぱらって現実から離れてしまいたいわ。だって、ちっともプライバシーがないんだもの」
サラの目が扉に向けられた。それは開け放たれたままで、廊下には監視をする狂戦士が立っている。
水のようにワインを飲みながら、サラは「せめて扉を閉めてくれないかしら」とつぶやいた。
「新婚生活って、本当なら夢のように楽しいはずなのに……私もエライアスも世界中の笑いものになって、ロレインだって十分留飲が下がったはずなのに。どうして新婚旅行を取りやめにしてまで、謝罪に行かなきゃいけないの?」
サラの言葉に、国王と王妃が同時にため息をつく。
「二度と皇后陛下を呼び捨てにしてはいけない。そして、未だにおとぎ話のお姫様のような生活に未練があるのなら、きっぱり捨てなさい。私たちはヴァルブランドまで、身の安全を確保するために来たのだから」
「サラは本当に、曖昧な言い方では理解できないのね。いい? 私たちが生き延びるには、皇后陛下に誠意を見せるしかないの」
「そんな……。ロレ……皇后陛下が私たちの命まで望んでいるということですか?」
「そうではない。私たちの身の安全を脅かしているのは、傍系の王族や諸外国の国王たちだ。いまとなっては誰も、私やエライアスが統治者に相応しいとは思っていない」
国王が指先で眉間を揉み解した。
「皇帝陛下の出方しだいでは、クーデターが起きるかもしれないの。近隣の国々も侵略のチャンスを窺っているわ。権力の座から引きずり降ろされるだけならまだいい方よ、あのまま国に残っていたら、まず間違いなく誅殺されたでしょう」
王妃が深くため息をつき、ワインを口に運ぶ。
「そうだ。そうすることが、皇帝陛下に気に入られるための手段だと思っている輩は多い。私たちは皇后陛下を傷つけた大馬鹿者の大間抜けだからな。あの戦士たちは私たちを監視していると同時に、守ってくれてもいるのだよ」
サラがぽかんと口を開ける。国王はさらに言葉を続けた。
「他に手立てはない。唯一の希望は、世界で最も力のある皇帝陛下が、我が国を支配下に置くことだ。実際に、その方向で動いていらっしゃる。少なくとも、国民は血を流さずに済む……」
「そ、それじゃあ私はどうなるの? 王太子妃で、上には王妃様がいて、さらに上にロレ……皇后陛下ってこと? そんなの──」
「王妃と王太子妃のままでいられるかどうか……」
王妃が悲し気につぶやいた。
「サラとつまらない無駄話をしていても、この状況が変わるわけではないわ。さああなた、もうワインはやめて休みましょう」
「ああ……私が孫の顔が見たいなどと思わなければ。サラとでなければ子をなさないなどという、エライアスの脅しに屈しなければ。傍系に王位を譲りたくないなどと考えなければ……」
「酔っ払って、心が脆くなっていらっしゃるのね。確かに、懸命に努力してきた皇后陛下を切り捨てたのは、私たちが犯した人生最大の誤り……」
王妃が国王の体を支え、続き部屋のひとつへ消えていく。
ロレインが知る二人とも気が弱くて、揉め事や面倒くさいことを嫌うという点ではそっくりだったが──。
「何なのよ、あの被害者みたいな口ぶり! 全部私が悪いみたいなじゃないっ!」
サラが怒りを爆発させた。耳がきいんとするような声だ。
「どうして庇ってくれないのエライアス! あなたが愛する私が傷ついているのよ!? あなたは私を守ってくれるって信じてたのに、王位継承者じゃなくなるかもしれないですってっ!?」
サラは動揺し、思う存分エライアスに怒りをぶつけた。
「桁外れのお金持ちかと思ったら、経済力には限りがあったし! 最高の条件が揃った男だと思ったのに、とんだ期待外れじゃない。素晴らしい未来を信じて結婚したのにっ!」
エライアスは料理の皿にじっと目を落としている。
「何とか言ってよエライアスっ!!」
サラに肩を揺さぶられて、エライアスがゆっくりと顔をあげる。
「サラ……君はいつだって、自分の事しか頭にないんだね」
感情のこもっていない声で、エライアスがぼそりとつぶやいた。
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