第40話

 朝寝坊をしたのは、週に一度の休養日だからだ。そうでなかったらきっと、ロレインは一時間以上早くジェサミンを起こしていただろう。

 いつもせわしなく頭を働かせ、しなければならないことがあるからとじっとしていない人だが、あれだけ飲んで朝から動き回る元気はないはずだ。

 カーテンの隙間から朝の光が差し込んでいる。ロレインはジェサミンの側に横たわり、眠っている彼を見つめた。髪の毛が黄金色に艶やかに輝いている。

 ふかふかの絨毯とクッションの山をベッド代わりに、体に柔らかな上掛けをかけて朝を迎えたのは二度目だ。

 柱時計が鳴り、その音でジェサミンが目を開けた。


「ジェサミン、気分はどう?」


「ありがたいことに、だるくはあるが頭痛に襲われてはいないな」


「よかった」


 その程度で済んで何よりだ。ジェサミンほどの素晴らしく頑強な体の持ち主でなければ、二日酔いの頭を抱えて目覚めたことだろう。


「昨日のジェサミン、可愛かったなあ」


 ぽろりとそんな言葉が口をついて出る。ロレインはぱっと手で口を覆ったが、飛び出した言葉は戻せない。ジェサミンは顔を赤らめて、口をへの字に結んだ。


「ぐ……。どういう種類の弱みであれ人に見せるのは嫌いだが、お前は例外だ。た、たまには酔って心の奥底を打ち明けるのもいいものだな! 日々の重圧ですり減った心が癒されたぞ。それに何と言っても、ありのままの俺の姿を見るのは皇后の特権だしな!」


 わずかに眉を寄せて、やけっぱちみたいな声で言うのは照れ隠しだろう。ロレインは思わず唇を噛んだ。


(誰よりも男らしいというだけでも好きになる理由は十分なのに、たまに見せる可愛さで人をくらくらさせるんだから……)


 次の瞬間、ドアをノックする音が響いた。二人揃って瞬時に体を起こす。


「陛下、お休みのところ申し訳ございません」


 呼びかけてきたのはティオンだ。後宮は改装中だが、彼は管理人として皇帝と皇后の『公』と『私』を繋ぐ役割をしている。

 ロレインはジェサミンと視線を交わした。ジェサミンが立ち上がって背筋を伸ばす。彼の顔つきはすでに『皇帝モード』だった。 


「先ほど早馬が到着しました。マクリーシュに向かった一団が、宮殿まで三日の位置まで戻ってきているそうです。国王夫妻と王太子夫妻を伴っています」


 ジェサミンが扉を開け、ティオンが静かな口調で続けた。ジェサミンの大きな体が扉を塞ぎ、ロレインの姿を隠してくれている。


「王太子夫妻の結婚式等の報告書も届いておりますが、ご覧になりますか?」


「見る。だが、身支度を整えるために少しの時間が必要だ。そうだな、一時間で支度する。報告書はロレインも読むから、会議室に準備を整えておけ」


「承知しました」


 ジェサミンとティオンの声を聴きながら、ロレインはドレスの乱れを整えた。


「国王夫妻はともかく、エライアスとサラは怖気を震って現れない可能性の方が高いと思っていたが」


 扉を閉めて振り返ったジェサミンが、にやりと笑う。


「国のために、率直に謝罪するのが最善の道だと判断した……と思いたいですね」


 彼らの訪問がどういうものなのか、ロレインは思いを巡らさずにはいられなかった。

 普通に考えれば謝罪のためだ。ロレインが皇后になった事実は変えられないのだから、彼らはそれを受け入れて生きるしかない。

 ファーレン公爵とレイバーン公爵、そして八人の令嬢たちは最短ルートを使ってマクリーシュへと戻った。帰着した日は、エライアスとサラの結婚式の前日か当日だったはずだ。

 式が終わっても、招待していた諸外国の要人を送り出すのに数日かかったはず。いま現在宮殿まで三日の位置にいるということは、王家の人々はかなり急いだことになる。


「奴らの結婚式がどんなだったかを知る前に、まずは朝飯にしよう。腹が減っては戦はできぬだ」


「はい」


 ロレインは皇后の顔に戻り、女官を呼ぶために紐を引いた。

 三人の女官がすぐにやってきた。彼女たちはこちらの体調や気分、急いでいる状況を読んで、適切な食事をあっという間に用意してくれた。

 食後、女官たちは少ない時間でロレインの身支度を整えるべく尽力した。

 薄紫色のドレスに着替え、金色のガウンを羽織る。このガウンは皇后の証で、袖を通すときは身が引き締まる思いがする。


「今朝のロレイン様は、いつもよりさらにお美しいですわ」


 ベラの言葉に、マイとリンがうなずく。ロレインは「ありがとう」と答えた。

 その点で言い争うつもりはなかった。鏡に映る姿は、我ながらとても魅力的だと思う。ジェサミンに心から愛されていることがわかって、自信がついたせいだろうか。

 時間通りに会議室に向かうと、ジェサミンはもう肘掛椅子に身を沈めていた。人を望み通りに動かす皇帝らしい威厳が醸し出されている。


「まあ座れ」


「はい、ジェサミン様」


 ロレインは勧められた椅子に腰を下ろした。そして戦闘態勢に入ったように姿勢を正す。

 ケルグが進み出てきて、ジェサミンとロレインそれぞれの前に報告書を置く。あらかじめ自分の分まで用意しておいてくれたことが嬉しい。


「短期間で、よくこんなにたくさんの情報を集めましたね……」


 思わずそうつぶやいてしまうほど、報告書は分厚い。


「そのために三十人も『皇の狂戦士』を残してまいりましたから。交代でコンプトン公爵の身の安全を守りつつ、情報収集や諸外国の要人との接触など、様々なことに対処させました」


 ロレインはうなずいて、情報のたっぷり詰まった報告書を開いた。

 ジェサミンも同じようにする。二人してしばらくの間、夢中で読みふけった。

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