第20話
(難しい交渉役を任されて、彼らの苦悩はいかばかりか。上手く処理しないと、王宮がまた混乱に陥るだろうし)
二人の公爵は身も心も委縮している。自分に向けられる視線に驚愕が隠されているのを、ロレインははっきりと感じ取った。
マクリーシュで汚名にまみれた娘が皇后となり、明らかに特別扱いされている。彼らは信じられなかったに違いない──いまこの瞬間までは。
かつてはロレインを見る目に横柄さをちらつかせていた二人が、かなり不安そうな顔になっている。どう見ても、仕返しを恐れている表情だ。サラの尻馬に乗って噂を流し、相当に事実を歪めてきた自覚があるのだろう。
(私自身には、報復欲があるわけではないけれど……)
ジェサミンをちらりと見ると、彼の表情は温かみの欠片もなく、眼差しは冷ややかだ。存分に彼らを追い詰めるに違いない。
「確かな筋からの情報によると、マクリーシュの財政は手の施しようがないそうだな?」
ジェサミンがなめらかな口調で言った。
ロレインが身支度を整えている間に、ケルグが持ち帰ってきた情報を精査したのだろう。二人の公爵は、いきなり国の負債に言及されて目を丸くしている。
「ロレインが皇后になったおかげで、マクリーシュは我が国の経済支援を受けることができる。お前たちの国に繁栄をもたらす最高に有益な婚姻に、よもや水を差すつもりではあるまいな?」
「そ、それは……」
レイバーン公爵が口ごもった。彼は宰相だから、国民の福祉に回す財源が十分ではないことをよく知っている。
賢明な王太子妃になりたいと努力を重ねてきたロレインは、女ながらも数字に強くなった。エライアスは浪費家だし、サラは彼のさらに上を行く。マクリーシュの台所事情が厳しいことに、疑問の余地はなかった。
「ロレインは聡明な娘でなあ。巨万の富と大きな権力を手に入れたというのに、決して特権を悪用しようとせんのだ。あっという間に臣下からの人気を勝ち取ったぞ。ありがたく思うぞ、お前たちはよい娘を差し出してくれた」
「おおお、お待ちください! そのロレインについて、残念な知らせをお伝えせねばならないのです……っ!」
エライアスの最側近であるファーレン公爵が、焦ったように一歩前に進み出る。
「残念な知らせ?」
ジェサミンが鼻で笑った。
「まさかとは思うが『間違いがあった』などと言うつもりではなかろうな?」
「は、はい──」
「となると笑い事ではないぞ。国王の玉印が押された身上書やその他書類に間違いがあったとすれば、重大な問題だ。マクリーシュが諸外国に差し出した外交文書は、すべて信用ならんということになる」
「え、え」
「マクリーシュ国王の国家元首としての能力に疑問があることを、すぐに諸外国に知らせよう。どこぞの国が『間違った』協定や条約を結ばずに済むかもしれん」
「どうか、どうかお待ちを!」
叫んだのはファーレン公爵ではなく、宰相であるレイバーン公爵の方だった。そんなことをされては、とんだ恥さらしだ。ロレイン以外にもやっかいな問題を抱え込むことになってしまう。
「皇后決定は、ヴァルブランドの将来に影響を及ぼす一大事。陛下が伊達や酔狂でお決めになったのではないことは、よくわかりました」
レイバーン公爵が震える息を吐きだす。彼は意を決したように言葉を続けた。
「ですがロレイン・コンプトンは、皇后になるなどとんでもない女なのでございます。陛下の名声に傷がつくばかりか、ヴァルブランドの国民も辱めを受けてしまうでしょう」
「そ、そうです! 我が国の王太子に婚約破棄された娘が皇后になるなど、それではあまりにも体裁が悪うございますっ!」
ファーレン公爵が勢い込んで言った。
ジェサミンが「ふむ」とでも言いたげに片方の眉を上げる。
「確かに、それについては少々困っておる」
「そうでございましょう!」
「そ、それでは──」
「マクリーシュ側には早急に、ロレインの悪評を帳消しにしてもらわねばならんなあ。ちょっと調べれば、ロレインが被害者だということはすぐにわかる」
ジェサミンがにやりと笑った。地獄を支配する悪魔というのは、きっとこんな顔をしているに違いない。
「俺のような立場の人間は、他国に関する詳しい情報をたやすく得ることができるのでな。サラという女が、王太子に近づいて男女の関係を持ったのであろう?」
「そ、そのようなことは決して……サラ様はまだ、雪のように無垢でいらっしゃいます」
ファーレン公爵は口ごもりながら弁解した。
「言い訳をしてこの問題をややこしくするのは構わんが。こちらは証人や証拠、押さえるべきところは押さえてある」
「……」
ファーレン公爵が、喉まで出かかった言葉をぐっと呑み込んだのがわかった。
(エライアスの無軌道ぶりには手を焼かされたけれど。まさか結婚前にそんなことになっていたなんて……)
それにしても、ヴァルブレインの情報収集能力には圧倒される。諸外国に大変な影響力を持っているのもうなずける話だ。
「いいか、どちらの国も面目を失わずに解決できる方法などないのだ。ロレインに罪がないことを、俺自身が明らかにしてもいいのだぞ? そこをぐっとこらえて、寛大な心を持って対処してやろうと言うのだ。さっさと国に帰って、ロレインの名誉を回復するがいい」
レイバーン公爵は唇を噛み、ジェサミンに太刀打ちできるはずがなかったことを思い知ったかのような顔をしている。
しかしファーレン公爵の方は、硬い声で言い返した。
「わ、和解金のご準備を整えております……! それに、醜聞とは無縁で穢れを知らぬ美女を八名。いずれも我がマクリーシュに咲き誇る大輪の花でございます……っ!」
「はした金などいらん。我が帝国が本気で損害賠償を求めれば、お前たちの国は倒れるぞ」
ジェサミンの唇が皮肉っぽく歪んだ。
「だが、お前の希望通りに女どもには会ってやろう」
「ま、まことでございますか!」
ファーレン公爵の顔にみるみる生気が蘇った。
「ただし、少々条件を設ける」
ジェサミンが重々しい口調で言う。部屋の温度が一気に下がったように感じられ、ロレインの肌に鳥肌が立った。
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