第12話

「もう少ししたら宴が始まる。ひと粒の涙も流す価値のない愚か者のことは忘れて、一晩中楽しむとしよう」


 ジェサミンがそう言った次の瞬間、窓の向こうで金色の光が噴き上がった。いつの間にか薄暗くなっていた空に大きな花が開く。


「花火!?」


 ロレインは思わず叫び、急いで窓辺に寄った。


「宴の準備が整った合図だ。もしや花火は初めてか?」


「はい。信じられないくらい綺麗……ひと晩中でも眺めていたい」


 空を彩る赤や青や緑の花火を、ロレインはうっとりと見つめた。紫とピンクの花火が夜空に咲いたとき、ジェサミンが「ふむ」とつぶやいた。


「後日、正妃決定を祝う花火大会を開くとしよう。ケルグがマクリーシュから戻ってくるまで、いろいろと余興を用意してお前を楽しませねば。宮殿と後宮の者たちに、ロレインのためにできることを最優先に考えさせる」


「ええっと。そ、それは私を甘やかしすぎでは……」


 マクリーシュの王宮での扱いとは対照的すぎて、頭がくらくらする。


「そんなものは甘やかしたうちに入らん!」


 ジェサミンはきっぱり言うと、使用人を呼ぶための紐をぐいと引っ張った。待機していたティオンと女官たちが、すぐにやってきた。


「ティオン、例の物を持ってこい」


「はい。すでにこちらにご用意しております」


 ティオンは運び盆を目よりもやや高めの位置に持っている。彼がそのまま礼をしたので、盆の中身がロレインにも見えた。

 思わずはっと息をのむ。運び盆の中には小型のクッションが置かれていて、その中央に大きな宝石が載っていた。明らかに最上級の品質のものだ。


「レッドダイヤモンドだ。これも見るのは初めてではないか? 希少すぎて、一般には出回らない宝石だ」


「は、はい。マクリーシュでは見たことがありません……」


「これは正妃のための指輪で、俺の母が身に着けていたものだ。母の死後は宝物庫にしまってあった。急いで引っ張り出したが、流石にサイズ直しが間に合わなかったのだ。今夜はネックレスとして身に着けてもらう」


 ジェサミンは運び盆から宝石を取り出した。指輪が傷つかないように、チェーンではなく革ひもがついている。


「どれ、つけてやろう」


「ははは、は、はい」


 畏れ多さと緊張と感動が心の中で渦を巻いて、声が震えてしまう。

 ジェサミンはロレインを壁の鏡の前に立たせ、後ろからそっとネックレスをかけてくれた。


「よく似合うぞ」


 鏡の中のジェサミンが晴れやかに笑う。


「あ、ありがとうございます。私には、ジェサミン様に贈るものが何もないのに……」


 いろんな意味でずっしりと重い指輪を見ながら、ロレインは申し訳ない気持ちになった。


「何を言う。お前の存在自体が最高の贈り物ではないか!」


 ジェサミンが頭を後ろに傾けて大笑いする。  


「さあロレイン、宴を楽しむぞ。皆に盛大に祝ってもらうのだ。お前はそれだけの価値がある女だからな」


「は、はい」


 マクリーシュの王宮では褒められることが少なかったから、反射的に謙遜したくなってしまう。でもジェサミンの心遣いを無下にしたくなくて、ぐっと言葉を呑み込んだ。


 女官たちに髪と化粧を直してもらい、衣装の皺も伸ばして、ロレインはジェサミンと一緒に宴の会場に向かった。

 そこは広大な庭だった。房飾り付きの巨大なテントが立ち並び、数えきれないほどのテーブルと椅子が並べられている。木と木にロープが張られ、吊り下げられた無数のランタンがまばゆい光を放っていた。


「お嬢様ぁっ!」


 ばあやが駆け寄ってくるのが見えた。ロレインも駆けだした。


「ばあや、心配かけてごめんなさい!」


 お互いにきつく抱きしめ合う。幼くして亡くなった母に代わり、ずっとロレインの身を案じてきたばあやは、大粒の涙を流していた。


「ばあや……長い時間ひとりにしてしまったけれど、大丈夫だった?」


「はい、はい。後宮の方が気を遣って、おしゃべりに付き合ってくださいました。退屈しないようにと、ヴァルブランドの踊りも見せてくださったんですよ」


「よかった……」


 マクリーシュから連れてきた従僕や馬丁は、後宮には入れない。ばあやが寂しい思いをしていなかったことがわかって、ロレインの目にも涙が浮かんだ。


「お嬢様はヴァルブランドの皇后様になられたのですね。ばあやは、ばあやは嬉しゅうございます」


「私もまだ信じられないの。ばあや、ずっと心配かけてごめんなさい。あなたは私の母のようなものよ。これからたくさん孝行するわ」


「お嬢様、もったいないお言葉です……」


 ばあやが体を震わせる。彼女が泣き止むまで、後ろに立っているジェサミンは何も言わずに待っていてくれた。

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