第12話:適材適所が尊重される社会へ ⑤

つまり、社会全体で個人よりも組織を守る傾向にあるのだ。これでは、問題を観た人によっては“本人は社会に殺されたと同じ”・“死人に口なし”・“組織の不正は個人の責任”という悲観的なワードしか連想されないし、このような問題を取り上げられた会社にとっては会社の印象だけでなく、勤めている社員の印象も悪くなる。


 そして、このような問題に対して問題視されたときはいろいろな意見が出るが、その問題が出るまでは誰も問題視しないという社会構造の問題や“長いものには巻かれろ”ということわざにもある通り、組織などに立ち向かっても勝てないことから泣き寝入りや仮に会社が間違っていたとしても間違っているとは言えない環境や告発や情報発信などをネット上で行うと転職活動などに大きく影響することも少なくない。


 つまり、こういう社会的倫理観のゆがみが、個人にとっては“あなたが間違っているから諦めなさい”と思わせるように仕向けることや“会社が正しい”という“整合性の取れない事実が真実とみなされる”という矛盾が引き起されてしまうのだ。


 今の日本における労働の比重がかなり崩れてきている。例えば、10代に限っても公務員や会社員などは一定数いるものの、多様な職業選択が可能になった現在では組織に属す必要性のないものが目立ってきた。つまり、組織的労働から個人的労働への移行が着実に進んでいるということを示している。では、多くの子供たちがいい大学を目指すのか?理由として推測できるのが①“学歴社会を生きてきた両親などの影響”・②“何かやりたいことが見つかったときに名刺代わりの肩書きを作るため”・③有名になったときにいい大学を出ているとイメージが良いなどさまざまな理由が考えられるが、共通点としては“相手からよく見られるため”・“世間体のため”という見方も出来るような部分もある。


 そして、今は脱・学歴社会と言われているが、実際のところそういう社会的風潮は感じることが出来ないし、逆に“学歴”を前面に押し出して活動することで個別有益性が高まるだけでなく、その人のイメージが固定されていき、そうではない人が排除されていってしまうのだ。


 私は排除されてしまった人がどうやって動いていくかもきちんと検討する必要があると思うし、これらの問題を解決する糸口を持っていることから問題定義をしやすい環境を整備するべきだろう。


 排除された人も自分の意思で辞めた人、会社の意向で辞めさせられた人などさまざまな境遇の人がいるため、一概に言えないが、これまで功績を鑑みて人材を適材適所に振り分ける事が大事だろう。


 働きたい人が“働けない”ではなく“働く機会作り”が大事だと思う。

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今、働き方が変わる~コロナ渦が与えてくれたヒント~ NOTTI @masa_notti

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