全日本MTB観戦 ②偉大な母達 その1

 俺、こんなに長く自転車競技をやるつもりはなかったから。


 あ、今回は俺口調で書かせてもらうけど、俺、女だから。母親になれるチャンスはあったはずなんだ‥‥‥。

 あ、ここ笑う所な。今回はかなり砕けて書いてるから真面目に受け取らないで笑いながら読んでくれよ。


 大学の時に自転車競技を始めて、今しか出来ない事を目一杯やろうって思ってた。

 三十歳で結婚して、でも子供を産んだらそこでレースは終わりにしなきゃいけないって思ってたから、子供は後回しで、今しか出来ない自転車をやりたいって思ってた。

 今しか出来ないって思ってた事、結局何年やってんの?

 子供は後回し後回しって思ってたら、いつの間にか子供を産めない歳になってたんだ⁉︎


 こんなに長く自転車やる事になるなら、さっさと子供を産んで、また競技に戻れば良かったんだ。

 な〜んて、今思えば、そんな風に思う事も無いではないけど、当時は必死だったし、母になってから競技に戻るなんて考えもしなかった事だ。


 この全日本の会場にいた三人の偉大な母親の事をちょっと書いておきたいって思っちゃってさ。今回は普段の呼び名で書いちゃうぜ。

 誰から書こうかな〜?


 ☆


 まずはリエの事からザッといこうか。

 書き出したら一冊の本になりそうだから絞りに絞って。


 リエは全日本を九連覇して、北京とロンドンのオリンピックを走った選手。

 歳の離れた妹であるような、それでいて時々は頼れる姉であるような存在。

 彼女が駆け出しの頃の強烈なバトルは今でも忘れられない。

 駆け出しの頃から他の選手とは目が違ってた。ちっとも遠慮なんてしないで、バンバンやり合ってくるんだ。

 あいつ、風邪ひいてた時のレースで鼻水ブンブン飛ばしながら先頭を走り続けていて、俺が前に出ようとしても先頭譲らないんだ。

 まいったぜ。

 駆け出しの奴に負けられねぇ! って俺も必死だった。

 でも楽しかったな〜。

 ん? 今だから楽しかったって思えるんだと思う。きつかった。


 リエが世界を舞台に走り始めてからは、レースではどんどん手の届かない存在になってしまったけど、のぼせるくらい温泉につかりながら色んな話もしたな〜。


 ロンドンでやり切って、引退する時は、本当によく頑張ってやってきたよなって讃える気持ちが大きかった。

 今回は旦那さんがマスタークラスに出場。(昔から俺のチームで走ってる。今回俺は彼のフィードをやったんだぜ。あ、フィードって決められた箇所でボトルとか渡す役割)

 リエは四歳(かな?)の娘ちゃんを連れて会場に来ていた。


 彼女は引退する時、一番悲しいのはワールドのコースを走れなくなる事だったらしい。だからこうして日本にワールドレベルのコースが出来た事を凄く喜んでいた。

 レースには出場しなかったものの、大会の公式トレーニング中にテクニカルコーチとして(だったかな?)走る機会を得て、このコースを走れた事が凄く嬉しかったようだ。

 流石だな。現役を離れて子供を産んで、そこそこ乗ってるって言ってもちょっとやそっとの事でこんなコースは走れないぜ。

 ま、テクニカルコーチだか何だか知らないけど、そんな役目など関係ないように、リエがこのコースをあの目をして走っている姿が目に浮かんだぜ。走れて良かったな。


 ☆


 この全日本で一番会場を沸かせた選手はミオに違いない。

 沸かせただけじゃなくて、女子エリートのチャンピオンだ!

 自転車を操る技術は別格で、まさにオンリーワン。世界でも特別な存在のはずだ。


 物心ついた頃からトライアルに夢中になっていて世界シリーズを連覇。日本じゃなくて世界だぜ!

 何かのテレビ番組で彼女を見た時驚いた。日本にあんな女の子がいるんだ! と。


 2001年、911が起きた時、俺たちはアメリカのコロラドにいた。

 世界選手権。ニューヨークで起きたテロ事件の為に報道の人達はほとんど現地に来る事が出来なかったんだけど、大会は普通に開催されて、ミオはDH(ダウンヒル)でジュニアの世界チャンピオンに輝いた。

 MTBの世界選で唯一君が代を聞けた瞬間に俺は立ち会う事が出来たんだ。


 エリートに上がっても世界選で銀メダル、全日本DHは何と17連覇。だったか? 多過ぎてわかんねぇ。

 DH選手なのに、俺がやってたXC(クロカン)にも挑戦してきてさ。

 DH選手に負けられねぇ! って俺も必死だった。

 俺がMTBのレースから離れてから、DHと共にXCも2連覇してるんだよな。


 DHって凄い下りのコースをいかに速く走れるかを競う競技で、頭のネジがぶっ飛んでないと出来ないような、普段の生活から違う人種のようなイメージがあったけど、ミオはそんなイメージとかけ離れた選手だ。


 普段はちょっとオドオドしているような、控えめで可愛らしい性格。

 レースモードになった時の目と普段の目とのギャップが魅力的だぜ。

 天才っていうイメージだけど、もうこれは小さい頃から自転車に夢中になって過ごしてきた時間と負けん気の強さと努力の賜物だよな。

 あ、やっぱり天才である事には変わりないと思うけど。


 昔の話だけどさ。全日本で同じレースを走る日の朝、俺はコース状況を見に行ったんだ。そしたらミオも見に来てた。

 その時、思った。

 こうやってしっかりと事前のチェックを怠らずにずっとやってきた選手なんだろうなって。

 この時の事はすごく印象に残ってる。


 活動を休止して母親になって。

 ミオは競技に復帰して東京オリンピックも目指した。

 あの難易度の高いテクニックを要するコースはミオ向きなものでもある。

 突然のコロナ禍によって様々なレースが中止になる中、全ての人達が納得出来る選手選考は難しい物となった。


 選考落ちした時、ちょっとメッセージでやり取りしたり、その後リエ家とミオ家が一緒に遊びに来てくれた時に色々話もしたな。


「このまま選手としてフェードアウトしてほしくない。

 オリンピックは走れなくても、オリンピック自体がどうなるか分からないし、あのコースを走れるチャンスがまだあるかもしれないから」

 そんな事を話したと思う。


 選手として、一区切りをつけて活動を始めたミオだけど、昨年位から、これまでの勝ちにとことんこだわるモードとは違った形で、再びDH系のレースにも出場するようになった。

 XCを走る事は頭になかったようだけど、オリンピックコースで全日本が行われる事が決まって、ミオの走りを見たいという人達の声に応えるように、ギリギリまで悩んで申し込み締め切り日にエントリーしたらしい。


 そしてあのパフォーマンスだ。

 雨でツルツルになった大きな岩の上をピョンピョン飛びながらバイクの向きを変えて、トライアルをやっているようにこなして下っていく姿に、大きな歓声が上がった。


 エリートで一番になって、両手を高々と挙げてゴールしたミオを真っ先に迎えたのが、五歳(かな?)になる娘ちゃんだった。

 満面の笑顔で抱き合う二人は多くのカメラマンにとっての恰好の被写体になっていた。

 娘ちゃんはちゃんと分かっている。もう既に、お母さんとオフロードを沢山走っているもんな。勝つ事の嬉しさや負ける事の悔しさも知っている。


 このレースの後、レポートにミオは書いていた。


【自分の心の中にあった伊豆のコースで何かやり残したもの。‥‥‥

 このレースを走る事でどこかに引っかかっていたそうしたものも取れた気がする。】


 ミオにとっての東京オリンピックへの挑戦の結末が素晴らしい物になって本当に良かったな、と思うのは変かな? 変じゃないよな。

 このレポートを見て、俺も嬉しくなったぜ。



 あ〜、簡単に書こうと思ったのに長くなってしまったな。

 三人目は次回に回すとするか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る