車坂峠ヒルクライム

 これから狩りに出掛けるって事を知っている猟犬がやる事を知ってるか?

 のっけから、ちょっと汚ねえ話で悪いんだけど、軽量化ってやつだ。身体の中に溜まっている要らない物を全て出して、自らを動きやすい状態にして猟犬は狩りに挑むって聞いた事がある。


 人間の身体も同じように出来てるんだな。少なくとも俺はそうだ。

 レースの日、ほぼほぼ毎回たんまりと出るんだ。今回だって別に緊張してないし、あまりレースモードになってないなって感じだったけど、身体はちゃんと知ってくれていたようだ。スッキリして、よっしゃ! って戦闘準備が出来た気分になるんだぜ。


 今回はスタートするまでにテンションを上げてくれる嬉しい事が色々とあったんだ。

 まず、前日の受付でオーさんに会った。あ、ここに出てくる登場人物の呼び名は、また俺が今勝手に付けた呼び名な。オーさんはもう何十年(?)もお世話になっていて、昔から応援してくれてる方で、男と女でクラスは違うけどヒルクライムレースでは同じ位のタイムで勝ったり負けたりしているライバル⁉︎ なんだ。 俺が書いた前回のエッセイも読んでくれていて「スイッチ入れさせてもらいました」なんて言ってくれた。嬉しくなっちゃうぜ。


 出場選手が全然分からなかったのだけど、当日俺と同じウェアを着て走るクラブ員が俺を入れて四人いた。人数的にはちょっと寂しいけど、旦那と二人じゃなくて、他に二人仲間がいるだけで気分は全然違う。

 おまけにスゲー可愛い手作りマスクをニシくんに貰ったんだ。昨日奥さんと一緒に作ってくれたんだって、旦那と二人分。ほら、ツール・ド・フランスの山岳王って赤い水玉ジャージを着るだろ? その赤い水玉が猫の顔型になって散りばめられてる生地がメインで、サイドの生地が黒と黄色でウェアにバッチリ合ってるんだ。スゲー嬉しくて、「うわ、これ付けて表彰台上がりてぇ」って思っちゃったぜ。


 スタート準備をしてアップしてると「風羽さ〜ん!」って声を掛けられる。二人の女子選手とちょっとだけ話出来たんだ。ヒルクライム大会で何回も顔を合わせてきたハーちゃんとミット。会えなかったけどバタも来てるって言われて、少なくともライバルとなるであろう仲間が俺入れて四人。でも今回はクラス別のスタートじゃないんだ。表彰はクラス別だけど、クラスに関係なく男女混合で三グループに分かれて好きな位置からスタートするって。で、自分のスタートから自分のゴールまでのタイムで競うんだ。なんだよ、女子がどこにいるのか分かんねぇじゃないか、女子は女子でまとまろうぜって思ったけど。

 みんな結構早くから並び出しちゃったから、俺は最終組のほぼほぼ最後尾からのスタートとなった。

 ま、各自が見えない敵に負けないように自分の最善を尽くして走るだけだ。またそれもいいのかもって思った。


 やっぱりレース会場はテンション上がるし、今年はあまりいい感じで走れてないとか全然思わなくなってて。頑張って走って、思うように走れなくても、それはそれで書くネタになって同じような人と共感し合えればいっか、とか思ったりして。

 センセに身体も整えて頂いたし、体の調子もここの所の中ではいい。以前の調子いい状態ってのはなかなか望めないけどな。

 スタート前から嬉しい事が色々あって、何か知らねぇけど、俺はそういうのを力に出来ちゃうんだ。いいだろ? ま、単純野郎ってとこかな。


 で、やっとスタートだ。スタートまで長く色々と書いて悪かったな。今回、十時半スタートだったんで、ちょっと時間持て余したぜ。ヒルクライムレースって大体朝七時とかスタートだから早起きしてもバタバタな事が多いからな。

 俺は二年ぶりのヒルクライムレースを程良い緊張感を持って、気持ちよくスタートを切る事が出来た。


 昔からペース配分は自然に出来ちゃう方だから、パワーメーターや心拍センサーはデータを取る為に付けてるけど、全然見ない。数字を見て走るのが嫌いなんだ。いくつを目標にとか思ってても、そんなもん日によって違うし無理にそこに持っていこうとするのは心理的に好きじゃない。ま、パワーをターゲットにしてやるトレーニングは効果的だと思える所もあるから時々入れてるけどな。


 前半は一緒にスタートしたニシくんがいい目標になってたんだ。

 自分のペースを保ちつつも、目で追う目標があるのはありがたい。

 抜いても抜いても次々とターゲットが現れるから上手く波に乗っていく感じで進めていくんだ。

 悪い苦しさじゃねえ。走れねぇ時は無駄に苦しんでるだけで全然進まないんだけど、今日はイケてる感じだぜ。五日前に試走した時より勾配も緩く感じるし、中間の桜地点は思ったより早くやってきた。苦しいけれどいい追い込みが出来ている。いい感じで走れてなかったら、たぶんエッセイに書く言葉が浮かんできたりすると思うんだけど、そんな雑念も浮かんでこずに集中できてたぜ!


 ゴール地点の建物も思っていたより早く見えてきた。もう少しだ。最後の力を振り絞ろう。まあ、そこから上げられる力は実際には残ってないはずなんだけど。

 そこで先にスタートしていたハーちゃんの背中を発見! 少しずつ近づいている。ゴールで捉える事が出来るか逃げ切られるかギリギリの距離。一緒にスタートしてないので順位に変動は無いだろうけど、先着したいと思うのは生まれ持ってのさがだな。俺のロックオンは怖いぜ。これまでロックオンされた人間は何人も餌食になってるんだぜ。自分でも驚く程の力が出たりするんだ。そこで上げられるならその前からもっと頑張れよって言いたくなるけど、これは「デザートは別腹」みたいなもんかな? ん?

 ハーちゃんに向けた最後のロックオン攻撃が始まった。背中、ぐんぐん近づいてくるぜ!

 ところが‥‥‥。ハーちゃんがラストスパートを始めたんだ。俺が迫ってる事を誰かが伝えたようだ。マジか〜。再び遠のいていく背中。ハー。ムリ! でも一秒でも早く!


 そしてゴールを迎えた。ハーちゃんも俺もラストで少しタイムアップ出来たな。一人だったらあそこまでは振り絞れねえ。お互いにな。


 前のエッセイで笑顔でゴールするって書いてたよな。

 ハーちゃんとハイタッチして(ん? したっけ? したと思う)、二人とも苦し笑顔だったんじゃないかって思う。

「きっつ」って言ったかな? 言ってねぇかな? 忘れた。


 ゴール直後は何を思ってただろう。たぶん「きっつ」だな。今の力は出し切れたと思ったし、今の状態では上出来だって思えたけど、嬉しいって感じではなかったと思う。「やった!」って感じではなかった。達成感とかそんな感じも無かった。

「ホッとした」

 という気持ちが一番近いような気がする。


 頂上は一九七五メートル。下で預けた荷物を受け取り、冷えないように着込む。ゴールした選手達と労い合う。今回はゴール地点のレストランでランチパーティーがあって、表彰式、抽選会もあった。

 ランチパーティーはいいぜ。一人一人に豪華弁当って感じでカレーとサラダとスープやドリンクが配られてさ。カレー、美味かった。身に染みたぜ。


 ゴールしてハーちゃんと、表彰式でミットと話が出来て嬉しかったな。二人共、俺よりはずっと若いけど、選手としてはもう若くはない年齢だ。

 二年間会ってなかったけど、皆、苦しみとか悩みとか身体の痛みなんか何も無く楽しいだけでこのレベルで戦えているわけじゃねえ。


 ハーちゃんはこの大会、もう何連勝もしてるんだ。でも言ってた。年々女子の参加が少なくなって、二年間の中止を挟んで、今回は参加する女子が増えて嬉しかったって。今回ハーちゃんはギリ表彰台に上がれなかったんだ(表彰は三位まで)。でも速い選手達が参加せずに自分が一番になるよりも喜んでいたんだぜ。勿論悔しい気持ちはあるに違いねぇけど、そんなものも表さないのがあの人の強さでもあるって思う。


 ミットはこのコースで女子で初めて五十分を切って優勝したんだ。

 プロじゃないぜ。いい記録だ。彼女とは毎年乗鞍で対決していて、中止になる前の二年間は同じような展開で中盤に抜かれてやられてるんだ。その前までは俺の方が先着してたんだけどな。

 二〇二〇年は調子良かったらしいのに、中止は本当に残念だったけど、今年もイケてるぜ。はるかに俺の前を突き進んでるぜ! いっつもニコニコしていて謙虚な言葉しか出てこねーけど、その身体を見れば、スゲー頑張ってやってるなって分かるぜ。


 三位だったバタとは話は出来なかったけど、彼女も頑張ってる。まだレースで負けた事ねえけど、今回はこれまでで一番僅差だったはずだ。危なかったぜ。


 俺、二番。あの可愛らしいマスクを付けて台の上に上がれたぜ。

 まだ簡単には引き下がれねえ。


 悔しいっていう気持ち、今回はなぜかあまりないんだ。

 優勝した選手がめちゃくちゃ強くて、レベルの差が大きくても国内で負けるのはいつでも悔しかった。自分の力は出し切れてもやっぱり悔しいっていう気持ちの方が大きかった。優勝した選手へのリスペクトの気持ちはいつも持っていたし、表彰台ではそれなりにニコニコしてきたけどさ。


 今回はどうしてだろうなって考えている。勝つ事を諦めてる? 冷めてる? それはねえと思うんだ。たぶん。

 一つ思いあたるとすれば、今回は各々のレースをしてたからかな?と。一緒にスタートして、付いていけなくて、ちぎられて、力の差を見せつけられて、ってのが無かったから? 俺の視界から遠ざかって見えなくなるミットの背中を見せつけられていたら悔しいっていう気持ちが大きかったかな? もしかしたら今回は、他人と比べるよりも自分自身のレースが出来た事が俺にとっては良かったのかもしれない。


 だけど、タイムレースだって負けたら悔しいはずだよな。今回の感情がどこからくるものなのかはまだ分かんねぇ。

 レースが終わって悔しくて泣くのが悪いとか、結果が良くても悪くても嬉しいって思えるのがポジティブで良いとか、俺はそんなふうには思っていないんだ。

 感情ってのは自然に湧いてくるもんだから、それをコントロールするのは難しいと思うんだ。勿論自分一人で生きてるわけじゃないから、誰かに不快な思いをさせるのは良くないと思ってる。

 感情は感情でちゃんと持っていながら、大人だったら外に表すものはコントロールしろって感じかな。


 泣くほど悔しい思いもプラスに出来れば良いと思うし、嬉しい思いも浮かれて堕落していくものだったら結果的に良くないものになってしまうと思うんだ。これまで嫌というほどの悔しい思いが大きな原動力になってきたけど、今回はそれがあまり無いって事は?


 負け惜しみじゃなくて、悔しくないってのは、平穏だぜ。これはいい事なのか悪い事なのか? 歳の成せるわざなのか? 分かんねぇ。今は。

 俺の中の変化なのか、たまたま今回がそうなのかも分かんねぇ。

 でも自分の感情や変化をちゃんと感じ取って大切にしていきたいんだ。そんでもって、俺にとってプラスと思える方向に向かっていきたいって思ってる。

 今回の気持ちが俺にとっていい事なのか悪い事なのかはたぶん、これからの俺次第。


 このレースで「くそ〜!」って思ってスパンっ! ってスイッチが入った感じじゃねえ。

 けどさ、ひっそりと大人のスイッチが押されているような気がするんだ。今回、ミットと交わした言葉を思い浮かべながら、八月の乗鞍でゴールした後に一緒に戦った選手達とどんな会話をしているか想像しちゃうんだ。

 いい練習を沢山なんて出来る身体じゃなくても出来る事は色々あるぜ。乗鞍までは地味〜なエクササイズを一つだけ追加してやっていこうと思ってるんだ。


 レースだよな。これがレース。上手くいってもいかなくても、いつも何かがそこにはあるんだ。

 楽しかったな。やっぱり俺はレースが好きだ。今もこうしてレースを走れている事に感謝だぜ!

 関わってくれたみんな、密かに応援してくれていたみんな、(いたら)ありがとう!









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る