15.注射器

 大倉の手が再び私の髪の毛を掴んだ。手をひねって、私の顔を自分の方に向けた。私の首に再び激痛が走った。私の口から悲鳴が出た。涙が飛んだ。


 「ひぃぃ」


 大倉が透明な液体の入ったガラス瓶を私の眼の前に突き出した。


 「こっちを見るんだ・・あんたが八代とやった後で、あんたと八代をこの薬で無理心中に見せかけて消す予定だったんだよ。だけど、あんたがシャワーを浴びている間に、八代がこっちの計画に気づいて逃げ出そうとしたんだ。それで、このホテルを紙袋を持ってこっそり出ようとしたところを捕まえて首を絞めたのさ。お陰ですべての計画が狂ったよ。俺たちは死体の処置に困ったんで、この部屋に運び込んだってわけさ。あんたは風呂でのんきに鼻歌を歌ってたんで、死体を運び込むのは簡単だったよ。そして、奥さんが死体に驚いてホテルから逃げてくれたんで、警察があんたを容疑者として探し始めた。そこで、俺たちはあんたを犯人に仕立てることを思いついたのさ。奥さん、あんたは、これから八代を殺した罪を悔やんで、八代が死んだこの315号室でこの薬を注射して自殺するんだ」


 私の頭が真っ白になった。大倉は私をこのホテルユーカリの315号室におびき出したのだ。殺すために・・


 私は大倉に哀願した。


 「助けて・・誰にも言わないから・・お願い」


 大倉は冷たく笑った。


 「そうはいかない。あんたには八代を殺した犯人としてこの部屋で自殺してもらわないと困るんだよ・・おっと、言い忘れたが、このホテルの経営者は俺だ。受付の女は俺の女房だよ。それでね、今日はこのホテルは休みなんだ。だから、中には誰もいない。あんたが声を上げても誰も助けに来ないぜ」


 そのとき、女が部屋に入ってきた。太ってメガネを掛けた中年の女だ。女がドアを内側から施錠した。ガチャリという音が響いた。


 外からはもう開けられない・・


 女が大倉の横に立った。ホテルの受付にいた女だろう。大倉の女房だ。


 女は注射器を持っていた。注射器の針が蛍光灯に光った。大倉が女にビンを渡した。女がビンの中の透明な液体を注射器で吸い上げた。女がピストンを押すと注射器の針の先からピューと液が飛び出した。液が空中で一筋の放物線を描いて妖しく光った。


 女が私を見てニヤリと笑った。そして、私の横に来て、197番の男に押さえつけられている私の腕に注射器の針を押し当てた。手慣れていた。


 私の顔から血の気が引いた。


 いけない。あの注射をされたらおしまいだ。


 私の口から声が出た。


 「分かったわ。でも・・待って。私を殺す前にお願いがあるの」


 大倉が私の顔を見た。


 「殺される前に・・あなたたち3人に・・して欲しいの」


 大倉の女房が何か言いかけたが、大倉が押しとどめた。大倉は女房を手で後ろに下がらせた。


 「亭主とセックスレスだとそんなにしたいのかい。いいだろう。俺たちも楽しませてもらおう」


 大倉が岩本と197番の男に目配せした。二人は私の上から降りると、部屋に備えてあるタオルで私をベッドに大の字に縛り付けた。私は全裸で大きく足を開いた格好で仰向けに縛られてしまった。


 大倉がズボンとブリーフを脱いでベッドに上がった。


 「奥さん。いくぜ」


 私の眼から涙がこぼれた。


 


 私がそう思ったときだ。バーンと音がした。入り口のドアが激しく押し開かれた。大倉は女房がドアを開けたと思ったのだろう。私の上に乗ったまま振り向かずに言った。


 「何だ。一体?」


 そのとき、ドアから七海の声がした。


 「鮎美!」


 七海の後ろから何人もの人が部屋になだれ込んできた。先頭にホテル花園から出てきた赤いレインコートを着た若い女とグレーのスーツ姿の中年の男の姿があった。スーツ姿の中年の男が叫んだ。


 「動くな。警察だ」


 私は今日、大倉から電話があった後で、全てを書いたメールを七海に送った。そして、七海に私の跡をつけてもらうように頼んだのだ。私は七海の姿を見なかったが、七海は高田馬場駅から私をつけてくれているはずだった。私は197番の男と抱き合う前に浴室でシャワーを浴びた。そのとき、私が持っている本来の315号室の鍵を浴室の窓から下の道路に投げ落としたのだ。そして、そのことを七海にメールで連絡した。七海がその鍵を拾って警察に行って、その鍵で今ようやく315号室のドアを開けてくれたという訳だ。


 私と七海は警察でたっぷりと絞られた。幸い、警察は私たちの家族には、私たちが男を買ったことは黙っていてくれることになった。


 こうして、私の初めて男を買う体験は散々な形で幕を閉じた。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る