13.315号室
警察はホテルユーカリを見張っていないようだ。あまり長くここに立っていると、かえって怪しまれる。
私はホテルユーカリに向かって歩き出した。足が震えた。
私は勇気を振り絞って、ホテルユーカリの玄関に進んだ。あの受付の小窓が見えた。今日はカーテンは閉まっていなかった。窓の向こうに人がいるのが見えた。テレビの声が聞こえている。私は窓のすぐ横の壁に背中をつけて、窓からは直接私が見えないようにした。そして、低い声で窓の中に「315号室」とだけ告げた。窓の向こうで少しガタガタと何か探すような音がして、やがて窓から手が出てきた。鍵を握っている。この前と同じ女性の手だ。315号室の本来の鍵は私が持っている。これは予備の鍵に違いない。私はその鍵を受け取ると、急いで階段で3階に上がった。
私は315号室に入ると、室内をくまなく見てまわった。室内はもうすっかり警察が調べているはずだが、それでも私は何か遺留品を残していないか自分の眼で調べないと気が済まなかったのだ。
私の遺留品は何もなかった。すべてが一昨日のままだ。私は八代浩二が倒れた床を見た。ドラマではよく鑑識が死体のあった場所にテープなどで
私は八代浩二が座っていた椅子に腰を落ち着けた。思わず、ため息が出た。一昨日七海に誘われて、ここで男を買ってから私の生活は一変した・・
約束の16時ちょうどに部屋のチャイムが鳴った。
私はゆっくりと歩いていってドアを少し開けた。隙間から廊下を見ると、197番の中年男が立っていた。小柄で貧相な男だ。口に卑猥な薄笑いを浮かべていた。私はドアを開けて197番の男を室内に招き入れた。197番の男は部屋に入ると、後ろ手でドアをロックした。ガチャリという音が315号室の中に響いた。
197番の男は黒のスーツを着て黒革の手提げかばんを持っていた。いかにも会社の営業マンが営業に出ているといった感じだった。室内に入ると、男はベッド脇のサイドテーブルの上にそのかばんを無造作に置いた。
そのとき、私の頭に引っかかるものがあった。
手提げかばん・・そう言えば、一昨日、殺された八代浩二は確か紙袋を持ってこの部屋に入ってきた。そうだ、間違いない。私は八代の紙袋を見て「ちょっと買い物をするために、家を出て来たという風情だ」と思ったのだ。そして、八代は紙袋をこのサイドテーブルの上に乗せた。・・あの紙袋はどうなったのだろう? 私は八代とすぐに抱き合った。それから、私はシャワーを浴びた。シャワーを浴びて浴室から出て以降、私はあの紙袋を眼にしただろうか?・・八代が死んでいたので狼狽したのは確かだが・・あの紙袋は見なかった気がする。
ひょっとしたら、私が浴室でシャワーを浴びている間に誰かが部屋に入ってきて、八代を殺してあの紙袋を持ち去ったのではないだろうか? きっと、そうだ。そう考えると説明がつく。
そう思ったときだ。私は197番の男がベッドの脇に突っ立って私を見つめているのに気づいた。
男の口が動いた。私の機嫌を伺うような声だった。
「奥さん。お金を・・」
そうだった。私はこの197番の男を買ったのだ。私は急いで5万円を出して、男の手に渡した。男は札を数えると、背広の内ポケットから折りたたみの黒い財布を出して大事そうにその中に仕舞った。
そして、男は私に背中を見せて服を脱ぎ始めた。中年男の貧弱な背中が見えた。
私は戸惑ってしまった。大倉の言いなりになって、こうして197番の男を買ったわけだが、私はこれから先どうするかを考えていなかった。大倉は「楽しめ」と言っていたが、もちろん私を
私はこの男を買ったのだ。お金はもう渡した。大倉の言ったことはもう実行した。後は男とセックスをしようがしまいが、私の勝手でいいはずだ。
私は帰ろうとした。
そのとき、197番の男が振り向いた。全裸になっていた。男の声がした。
「奥さん。・・抱いてください」
男が全裸のままで私に近づいてきた。
男の裸に、殺された八代の裸が重なった。私の思いが変わった。
そうだ。この197番の男はきっと殺された八代や私を脅迫した大倉と何か関係があるに違いない。この男を抱けば何か分かるはずだ。
私は男を誘うように言った。
「いいわよ。抱いてあげる。その前にシャワーを浴びさせて頂戴」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます