2-4

「天原君」

 後ろから足音と呼び止める声が聞こえて、ミコトは振り返った。

「矢吹先生。自分に何か用事でしょうか」

「少し頼みたいことがあるんだけど、いいですか?」

 申し訳なさげに眉を下げながら、矢吹がそう尋ねてきた。

「はっ。何なりと御命令ください」

 姿勢を整えて、さらに表情を厳しいものにしたミコトに、少々恐縮したようだったが、矢吹は再度口を開いた。

「天原君の住んでいるアパートの隣のおうちに、御宅田くんっていう子が住んでいるんだけど、このプリントを届けてあげてほしいの」

 体育祭についての案内などの数枚のプリントを矢吹から受け取り、ミコトは深くうなずいた。

「了解しました」

「ごめんなさい。本当は私が行ければ良かったんだけど……」

「いえ。矢吹先生のお手を煩わせるまでもありません。しかし、疑問なのですが」

「なにかしら?」

「その御宅田という生徒は、何故学校に来ていないのでしょうか。自分が学校に来て数日経ちますが、その生徒の姿を見た覚えがありません」

「ええっと……それは……」

 言い淀む矢吹に、ミコトは視線を鋭くさせた。

「失礼ながら、自分にはその生徒が不登校である理由がわかりません。彼は一体どのような問題を抱えているのです?」

「……友達とその、問題が、あって……それで、学校に行きたくないみたいで……」

「問題とは、具体的にどういうものですか? 」

 ミコトがするどく追及すると、矢吹は目を伏せ唇を震わせていた。

「詳しい事は……わたしの口からは言えないわ。プライバシーの問題もあるし」

「……そうですか。ならばこれ以上の詮索は無用ですね」

 ミコトはそう言って、プリントを懐にしまい込み、その場を去った。



(……確証はないが、校内を周った結果、一番何かが隠されていそうなのは、この旧校舎だ。ナナフシギといい、会長殿の話といい……此処に遺跡がある可能性が高い)

 ミコトは校舎から出て、真っすぐに旧校舎へ向かった。

 ぐるりと古びた校舎の周りをまわる。壁は朽ちて、さびれた校舎はいつ取り壊しが行われても不思議ではない状態だ。

 入り口には『立ち入り禁止』と言う張り紙が張られているだけだ。

 しかしよく見れば、古びた校舎にはふさわしくない真新しい監視カメラがいたるところに設置されていた。

(PTAは学校側に問題提起しないのだろうか。使われてはいないとはいえ、今にも崩れそうな建物の近くを子供に通らせるのは問題だろう。……あるいは)

 か。このような状態で何年も放置されているという話も聞いたので、ミコトは後者だと思った。

「天原、旧校舎は立ち入り禁止だよ」

 振り向くとそこには片瀬の姿があった。制服ではなく、学校指定のジャージ姿だ。

「片瀬。どうしたんだ? 陸上部での訓練があるのでは?」 

 一八時まで部活動の時間だったことを思い出して、ミコトは問う。

「今日は自主練。気分転換にグラウンド外を走ってんの。お前こそ、こんなところで何してんだよ」

 いつも通りの柔らかい声音だが、片瀬の口調は咎めるようなものだった。

「迷ってしまってな。歩いていたら此処に」

「あー、あるよな。俺も最初来た時は迷ったわ。白学シロガク、割と敷地広いもんな」

「ああ。でも、そろそろ帰る事にする。君は訓練に戻るといい」

 視線を合わせずに、ミコトは適当に言ってきびすを返す。

「……好奇心猫を殺すって言うだろ? やめとけ」

 見透かすように、片瀬が静かな口調で言った。日本語の慣用句やことわざに疎いミコトにはその言葉の意味が正確に分かるわけではなかったが、片瀬が言わんとしていることは理解できた。

「……好奇心が猫を殺すことはないと思うが、君の言わんとしていることは理解した。案ずるな、俺は問題を起こす気はない。友達として、君に恥はかかせないように努力する」

「ビミョーに違います。……俺はただ、危ないから旧校舎に近寄ってほしくないだけだよ。なんかぼろいしさ、こーゆー場所って、変なヤツとか潜んでるかもじゃん?」

「……確かに、潜伏したり、物を隠すにはうってつけの場所だな」

 ぼそりとミコトが言うと、片瀬は困ったように眉を下げた。

「……なんかお前って、爆弾みたいだろ?……あー、えっと。なんていうか、危なっかしいって言うか、なんか暴走しがちって言うか、そんな感じって意味ね」

「……俺はいつも冷静に行動している。経験と知識に基づいて、適切な行動をとっているつもりだ」

 ミコトは心なしか不快そうな表情で、そう反論した。

「ごめんごめん、べつに馬鹿にしたわけじゃないんだよ。いや、どう聞いてもそうにしか聞こえないか……なんていうかさ」

 片瀬はしばし黙ってから、暮れかける日の色と同じ目を細めた。

「天原が何でここに来たのかは詮索するつもりないんだけど、結構心配してんだよ。俺としては天原と仲良くなりたいし、力になりたいって思ってる。そんだけ。友達の事心配するのは普通の事だろ」

 言いながら、片瀬はミコトの背中を軽く叩いて、旧校舎とは反対方向へ導いていく。

「……それが一般的なのか?」

「うん。そうそう。イッパンテキ。だからほら、行くよ天原。部活もそろそろ終わるし、ちょっと待ってて。着替えてくるからさ。コンビニでも寄って帰ろ」

 そのまま片瀬に促され、ミコトは旧校舎から踵を返した。

(……妨害はされたが)

 不思議と、苛立ちは覚えなかった。

(……彼の前では、なるべく『一般的な高校生』としているべきだ)

 理由は分からないが、ミコトはなぜかそう強く思った。

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