第5話 朧な桜
(嘘、嘘でしょ? 幻聴?)
私は高ぶる気持ちを押さえつけ、冷静に、冷静に現状を把握しようと努めた。瞬きもせず、息もせず、微動だにせずに考えるけれど、誰にとっても一番幸せなことではなく、私にとって一番幸せなことしか想像できない。
ブワッ
「きゃっ」
春一番の強風が吹いて、桜の花びらが降り乱れた。瞼を閉じて、息を吐き出し、桜の枝をぎゅっと握って身構えた。その風はとても怖かった。死すら考えていた私をどこかに連れて行ってしまうようで。そして、今の声の主が幻だったとかき消してしまうようで。
私はゆっくりと、目を開ける。
人影がぼんやり見えた。
私の知らなそうな、男がぼんやりと見えて、そう言えば、声も彼と少し違ったような気がすると怖いが、私は何度か瞬きをして焦点を合わせる。
「知っているか? 桜を折る奴は馬鹿なんだぞ?」
優しい声に、柔らかい笑顔で私を慈しむ男性がそこにいた。
彼だ。
勇作だ。
佐伯勇作だ。
―――私が恋心を抱いていた男、佐伯勇作だ
勇作は三年経って身長が少し伸び、頬も少年のような丸みが消えて、シュっとしており、大分大人っぽくなって、そして色気を帯びていた。そんな勇作が私の顔を覗き込んでおり、顔の距離がとても近い。会えてうれしい気持ちがブワッと私の身体中、そして顔いっぱいに広がって熱くなった。あの別れた日、勇作と今度会った時は素直になろうと決めていたけれど、その距離だと私のため込んだ彼への気持ちが熱を帯び過ぎて爆発してしまいそうで、冷静に対処したいと思ったけれど、硬直することしかできなかった。
「綺麗になったのう、梅子」
私はその言葉で死んでしまうかと思った・・・・・・でも、どうやら生き残ったらしい。勇作は放心状態の私の顔を覗き込むのを止めて、昔のように悪戯っぽく笑った。
「なっ、なんで、あんたがいんのよっ!!」
照れ隠しで、思わず昔のように言ってしまった。
「ちょっと、この桜が見とうなって抜け出してきただけじゃ」
笑いながら返事をした勇作。私も大人になったところを見せようと思ったけれど、私に会いに来たじゃなくて、桜を見に来たと言ったのが、なぜか腹の虫がおさまらなかった。
「抜け出してって、駄目でしょうっ。ちゃんとしないと。家の名に傷がつくわよ」
「別に、駄目なわけなかろうが。ここは俺の故郷じゃ」
「そっ、そっ・・・・・・」
それはそうだ。
別に故郷に帰って来てはいけないなんてことは、どんな家の養子になったかわからないし、駄目なわけがない。だから、私は何も言えなくなった。本当に情けない。普通に話をしたいのに、ちゃんとした話を振れない。これじゃあ、女っぽくないとまた言われてしまう。いや、良い御家の養子になったのだ。私なんかと釣り合うわけがなく、私を異性として認識しないに違いない。それに私は、お見合いを抜け出した身・・・。
「それより、お前は元気か? 梅子」
私が色々考えて顔を暗くしていると、勇作が私に質問してきた。
「ええ、まぁ」
私は軽く答えた。そうでなければ、余計な感情が乗ってしまいそうだったから。
「そうか」
「勇作は・・・・・・どうなの?」
私が質問すると、勇作は遠くを見る。その方角は私を残して勇作が馬車に乗って向かった方角だった。
「西洋の文化は実に面白い。梅子、世界が変わるぞ。まるで、天と地が二転三転・・・・・・四転するくらいじゃ」
勇作の瞳は綺麗でまっすぐだった。
好奇心旺盛で勉強熱心だった勇作はこれからの日本を動かしていく立派な人になるに違いない。
それを見ていたら、お見合いから逃げた私が本当に子どもっぽくて嫌になった。私も勇作のように大人にならなければ、いけないと思った。
だから、決心した。
(さようなら、私の初恋・・・・・・)
「勇作、私ね・・・・・・結婚するんだ」
優しい風が吹いて、桜が散っていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます