第3話 馬鹿は馬鹿であるべきなのに

 三年前。


「ねぇ、梅子ぉっ、聞いた?」


 私が街を歩いていると、友人の妙ちゃんが必死な顔をしながら、袴を揺らして走って来た。


「どったの、妙ちゃん。そんなに息を切らして」


 私は日傘を仕舞い、巾着から妙ちゃんにハンカチを渡そうとするけれど、妙ちゃんは手を振りながら拒むので、私はハンカチを巾着に戻した。


「勇作くん、いなくなっちゃうってっ」


「えっ」


「さっき、勇作くんの家の前通ったら、今日、出発するらしいってっ!!」


 妙ちゃんの話によると、勇作は都会のとても偉い家の養子になる話があるそうだ。私に対しては、ぶっきらぼうの態度の勇作だったけれど、とても賢く誰に対しても礼儀正しいことは知っていた。でも、才能が理由でいなくなるなんてことは微塵にも想像していなかった。


「梅子、勇作くんのこと好きでしょ?」


「それは、昔の話で・・・」


「私に嘘をつくんでねぇ。私と梅子の仲でねぇか。ちゃーんと、想い伝えてけれ」


 そう言って、妙ちゃんは私の目をじぃーっと見て、私の両手をぎゅっと握り締めた。こんなにも私のためを想っている妙ちゃんの気持ちに、私も嘘は付けなかった。


「ありがとうっ、妙ちゃん。行ってくるっ」


 私がそう言うと、妙ちゃんは大きく頷いた。私は勇作の家へと走って行くと後ろから妙ちゃんが、


「がんばれえええええっ」


 と、私を応援してくれた。

 私は走りながら、勇作との思い出を振り返っていた。一緒に野山を駆けまわったこと。川で水遊びをしたこと。秘密基地に連れて行ってくれたこと。私がいじめっ子からいじめられそうになっているのを勇作が守ってくれたこと。一緒に盗んで食べた桃の味。それが見つかって土蔵に二人で閉じ込められたこと。泣いている私の背中を擦って慰めてくれたこと。勉強を教えてくれたこと。お礼に作った料理をうまい、うまい言って食べてくれたこと。喧嘩したこと、喧嘩したこと、喧嘩したこと・・・。


 たくさん、喧嘩もした。

 嫌な思いもした。

 けれど、全部、全部私にとってはかけがえのない思い出だ。


 何を伝えればいいのか分からないけれど、私は勇作の家まで一生懸命走った。すると、勇作が家の前でオシャレな羽織姿にピッカピカの洋靴を履き、鞄を持って馬車に乗ろうとしていた。馬車なんて初めて見たから、よっぽど養親の家はすごい家なのだろう。


「勇作っ!!」


 私が声を掛けると、覚悟を決めていた様子のきりっとした顔が綻び、びっくりしてまん丸になった勇作の目が私を見た。


「なんで・・・梅子が・・・っ」


「都会に・・・行っちゃうってほんとっ?」


 私が尋ねると、馬車に乗っていた運転手がギロっと睨んできた。それに勇作も気づいた様子で、そこまで長く話せないのをお互い悟った。


「あぁ・・・」


 難しい顔になってしまった勇作は俯き、唸るように返事をした。旅行に行くのであれば、こんな返事の仕方ではないだろう。


「・・・っ」


 妙ちゃんが嘘を付くはずがない。

 けれど、勇作本人から言われると、私も堪えるところがあり、そして、何も言えなかった。だって、6年前のあの日を境に私たちはほとんど会話をしていないのだから。


 嫌だ。

 嫌だ、嫌だ、嫌だっ。

 勇作が居なくなってしまう。

 

 あの後すぐにごめんなさいを言って、勇作と仲直りをすればよかった。なのに、意地を張って、勇作から謝ってくるのを期待して、私は彼を無視してしまった。あの桜だって、勇作が折ったかどうかなんてわからないのに・・・・・・のに、のに、のにっ!!

 

「ごほんっ」


 運転手が無情にも咳払いをする。後悔で俯いていた私はもう一度勇作の顔を見ると、勇作も何か言いたげそうな顔をしていた。


「・・・じゃあ、行くから」


 けれどそう言って、勇作は馬車に片足をかけた。


「・・・・・・最後に、梅子に会えて良かったよ」


「えっ」


 私の顔をチラッと見た勇作は馬車に乗り込んだ。


「はっ」


 勇作が座ったのを確認して、馬車の運転手は馬を促す。すると、馬車はゆっくりと、進んでいった。遠い遠いどこかもわからない都会へと勇作を乗せて。私はそれをただ見送るしかできなかった。

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