エピローグ ~次こそ『ぶひぃ』と鳴かせてやるんだ~

 床に伏せたまま気絶をしている男を縛り上げ、そのまま転がしておくことにした。

 ルードとマイルスは町を抜けて森の近くに停めてある馬車へと戻ってきた。


「マイルス、その怪我」

「大丈夫です。ルード様が魔法で治療してくれました。王室は、自分たちが任務から逃げ出すのを予想していたみたいです。こちらには誰も?」

「治癒の魔法まで使われるのですね……。あぁ。この森はエランズリルドの人間は近寄ろうとしない。だからこっちは大丈夫だった」

「そうか。それはよかった」


 ルードとマイルスが御者席に座った。

 夜逃げ同然な状況なのだが、リカルドの妻も、シモンズの妻と娘も辛そうな顔をしていない。

 むしろ嬉しそうな感じにとれるのだ。

 それはきっと、リカルドとシモンズが家族に笑顔を向けているせいだろう。

 ルードは思った。

 あの国で苦しんでいたのは、猫人や犬人のような種族だけではないのだということを。

 ルードはまだ王でも神でもない。

 今のルードにはこの程度のことしかできないだろう。

 もっと自分の力に自信が持てるようにならなければならない、と改めて思うのだった。


「では、先を急ぎましょう。とある集落で落ち合うことになってますから」

「はい。では参りましょう」


 マイルスは御者席に座ると、馬を操り馬車を進めた。


 ▼


 森の気配は騒がしいのに、魔獣や獣が出てこないのに皆驚いている。


「皆さん。安心してください。僕がいれば、獣は出てきませんから」

「そうなのですか。気配は感じるのですが、夜の闇の中、これほど森の中を安全に進めるとは思いもしませんでした」


 そうこうしている間に、目的地。

 猫人の集落へ到着していた。

 そこは森の中とはいえ、かがり火が焚かれていてとても明るい。

 さすがに夜遅いこともあって子供たちは外には出ていなかった。

 ルードの匂いを感じたのか、リーダが走って近寄ってくる。


「ルード、怪我はなかったの?」

「うん。僕の代わりに、マイルスさんが怪我を……」

「いえ、治療をしてもらいましたので、問題はありません」


 リーダは素直に腰を折り、頭を下げるのだった。


「うちの子を庇ってくれたのですね。ありがとうございます」

「いえ。主をお守りするのが自分の務めですので……」


 マイルスは恐縮しまくっていた。


 ヘンルーダの家で遅い夕食をご馳走になっていた。

 食事が終わると、ヘンルーダとアルフェル、エランローズの三人で話をしているようだ。

 あらかじめヘンルーダを交えて、エリスリーゼの話を二人にしていたようだ。

 そのため、アルフェルは仕事として、ヘンルーダの話を聞いているようなのだ。

 さすがは元交易商人というところなのだろう。


「エランローズさんからは何やら私と同じような匂いを感じますね」

「えぇ。私は半分狐人ですので」

「そうだったのですか。ということは、エリスリーゼさんも」

「はい。私の半分ですが、血を受け継いでいますね」

「旦那さんは、人間の方ですよね?」

「はい。この老け方をみればわかりますよね? 妻がいつまでも若くて綺麗なので、仕事も頑張れるというものなのですよ」


 照れ笑いのような感じを返すアルフェル。

 見た目の歳の取り方は違えど、立派なおしどり夫婦に見える。

 二人はエリスレーゼと会えなかったはずなのに、悲しいとも苦しいとも言わないのだ。

 『強い人たち』だと、ヘンルーダは思った。


 ▼


 ヘンルーダに見送られながら、夜の闇の中、発つことになった。

 朝まで待てばという話もあったのだが、夜の方が安心して進めるだろうとルードが言ったことで出発することになったのだ。


 馬車二台がゆっくりと進んでいく。

 ここまで道を覚えてもらう意味もあったのだが、基本的には街道を進んでいけばシーウェールズまで行けないわけではない。

 途中、国境には関所がないため、警戒しながら進めばいいだけなのだ。

 人がいないはずの場所に人の匂いがする。


「母さん」

「なぁに?」

「あっちから人の匂いがするんだけど」

「きっと盗賊さんでしょうね」

「そんなさらっと……」

「大丈夫よ。出てきても怖くないわ」

「そりゃ母さんならそうかもだけど」

「ヘンルーダさんのところを出る前にね、ほら明かりで見えるでしょ? 馬車の幌にウォルガードの紋章を彫っておいたの。余程のお馬鹿さんでもない限り襲ってこないわよ」


 確かに目につく場所に紋章らしきものが彫ってある。


 道中、一番近い町に泊まることになった。

 町に入る際に、衛兵がそれを見てビビるのはお約束だった。

 夕食後、マイルスとアルフェルにはどのあたりで人の気配がしたかを教えておいた。


「このあたりですね。あとここからもそんな匂いが」

「ルード様は、なるほど。そういうことなのですね」

「はい。ここではなれませんが、例の姿のときよりは落ちます。ですが、この姿でも普通の人よりは嗅覚が優れていますので」


 このように夜は無理をせずに近い町へ泊ることにしながら、三日ほどでシーウェールズへ到着することになった。

 いつものようにウェルダートが迎えてくれるのだが。


「お帰りなさいませ。ルード君、フェルリーダ様。……そちらの女性はもしや、またお母様とかでは?」

「いやいやいや。僕のお婆ちゃんとお爺ちゃんです。それと新しい家族の皆さんですよ」

「えっ? そんなにお若いのに?」


 今度は違う理由で混乱するウェルダートだった。

 ルードはいつものようにウェルダートは置いておいて、先にボニーエラのところへ顔を出すことにした。


「こんにちはー。ボニーエラさんいますか?」

「はいはいはい。ルード様。今度はどんなウハウハを?」

「あのね……。家族用の部屋を三つ。あと、一階が店舗になってる家を借りたいんですけど」

「お急ぎですか?」

「はい」

「では、後ほど鍵をお持ちしますので少々お待ちくださいね。またウハウハですよ……」

「お願いしますねー」


 ボニーエラの後ろ姿は今にもスキップしそうな感じであった。


 ゆっくりと馬車を走らせ、ルードは家に帰ってきた。

 家の広い敷地の中に馬車を停めると、ルードは声を大きく。


「ママ、ただいまー」

「ルードちゃん。お帰りなさい」


 家からクレアーナの肩に手をついて、ゆっくりとエリスレーゼが出てくる。


「もうひとりで歩けるのよ?」

「いいえ、まだ足取りが覚束ないではありませんか」


 エリスレーゼの前に、馬車から降りたアルフェルとエランローズが待っていた。

 二人の姿を見つけたエリスレーゼは、立ち止まって笑顔を向ける。


「あら、お母さん、お父さん。久しぶりね。元気そうでよかったわ」


 明るく振舞ったつもりのエリスレーゼの声は、徐々にかすれていってしまう。

 平静を装っているが、目から頬に伝わる涙は嘘をつけなかった。

 クレアーナの肩から手を離して、エランローズにゆっくりと一歩一歩近づく。

 十数年ぶりの母と娘の再開だった。


「……お父さん。老けたわね」

「お前は全然変わらないな」


 上を向いて涙を堪えるアルフェル。

 堪えきれず涙を流し、声を押し殺して泣くエランローズ。


「お母さんも涙もろくなったわね。駄目でしょ、この程度のことで……」


 もう駄目だった。

 エリスレーゼも涙が流れているのに気づいていない。


「──お母さん、お父さん。会いたかった……」

「エリス」

「済まなかった、エリス」


 黙って三人を見ていたルードの右肩にリーダが顎を乗せてくる。

 ルードは、無事会わせることができて本当によかったと思った。


 ▼


 ボニーエラがその後鍵を持ってルードの家にやってくる。

 商店のある建物から案内してもらった。

 そこは、ミケーリエル亭のある通りの一本隣にある角地から数えて二つ目。

 エランズリルドにあった商店よりも三倍の広さがあった。

 二階にある部屋も広さは申し分なく、例外なく風呂に温泉が引いてあるのだ。

 マイルスたちの部屋もその近くにある商店の二階。

 一緒の建物ではなかったが、比較的近いところに借りられそうだ。

 もちろん、風呂とキッチンに温泉が引いてある。

 足りない寝具や家具などは、ボニーエラに頼んで手配してもらっている。

 部屋に荷物を運び終わって、皆はアルフェルの新しい店の二階に集まってもらっていた。

 ルードの前にマイルスが座っている。

 並んでリカルドとその妻、カリエナ。

 シモンズとその妻、リリエッタ、その娘アンリラ。

 ルードの右隣にはエリスレーゼ。

 左隣にクレアーナ。

 エリスレーゼの隣にアルフェルとエランローズ。

 皆が集まったところで、今後の話を始めることになった。


 カリエナとリリエッタ、アンリラはエランローズの手伝いをしてくれるそうだ。

 アンリラは今年十二歳になるそうで、活発な母親思いの女の子。

 ルードが持ってきたフェンリルプリンを笑顔で食べていた。

 カリエナとリリエッタは三十代前半で年も近いらしい。


「──そんな感じになるわね。お父さんとお母さんと私でこの商会を大きくしていくつもりよ」

「ママ、大丈夫なの?」

「えぇ。お家から歩いても近いもの。まだクレアーナに支えてもらってるけどね、近いうちひとりでここまで来るのもできるようになると思うのね」

「だが、エリス。交易といってもな、案はあるのかい?」

「これよ」


 エリスレーゼがテーブルの上に置いたもの。

 それは米だったのだ。


「これはね、ヘンルーダさんの集落でしか作ってない穀物なの。麦にも引けをとらない栄養があって、料理次第でどんな食べ方もできるの。おまけにね、今年は大豊作らしくて、倉庫に入りきらないくらいにあるそうよ」

「でも、仕入れをするにしてもお金が」

「そこは大丈夫よ。ね、ルードちゃん」


 エリスレーゼがルードの頭を撫でて『言ってあげて』という笑みを浮かべていた。


「はい。僕はこの国でそこそこ稼がせてもらっています」

「そうなの。ルードちゃんはね、有名な菓子職人でもあるのよ」

「あははは。そんなに大したものじゃないってば。それで、ヘンルーダさんには米と引き換えに、生活必需品や海産物の乾物などと引き換えでいいと言ってもらっているんです」

「なるほど。ここで仕入れて、あちらで米と交換する。そうすれば、いいんだね?」

「はい」

「ルードちゃん。私は私でお父さん、お母さんとみんなで頑張ってみるわ。もちろん、クレアーナの故郷にも行ってみるつもり。だからね、あなたはあなたのやらなければならないことだけを考えてくれていいのよ」

「うん。ありがとう、ママ」

「元々私は商人の娘。結構得意なのよ、色々考えるのがね」


 こうして、商会の名を『エリス商会』と改め、近日中にヘンルーダのいる集落へ最初の交易をするための準備が始まったのだった。

 ルードがエリスリーゼの祖母に会ってみたいと言っていたことから、狐人の集落への交易も考えているらしいのだ。

 もちろんマイルスたちは、流通経路での護衛。

 それまでは力仕事などを担当してもらっている。

 仕事が終わると、今までできなかった家族サービスなどに時間をとってもらっていた。

 マイルスはなぜか、ミケーリエル亭に入り浸っていたのは皆見ないふりをしている。


 ▼


 毎朝、フェンリルプリンとフェンリルアイスをミケーリエル亭に届ける仕事は、交易が始まるまではマイルスが進んでやるようになった。

 もちろん、目的は言わなくても皆わかっていた。

 ルードの作る菓子の売り上げだけで、普通に生活できてしまっていたため、リーダは残っていた宝石をすべてエリスレーゼに預けた。


「リーダ姉さん。こんなによろしいのです?」

「えぇ。あなたなら有効的に使ってくれるでしょう?」

「はい。お預かりします。何倍にしてでもいつかお返ししますからね」

「別にいいのに……」


 リーダは苦笑していた。

 エリス商会の建物は、この宝石を数個使って購入済だ。

 マイルスたちが住む部屋はまだ借りている状態だが、いずれ近いところに宿舎として建てるか、買うかを考えているらしい。

 ボニーエラにいいところがないか、探してもらっている最中だった。

 残りの額は、ざくっとルードたちの家を軽く数軒買うことができるだけの金額になるだろう。

 宝石自体は、リーダが適当に拾ってきたものだったりする。

 だからあまり頓着していないのだった。

 きっと『また拾って来ればいいわ』程度に思っているのだろう。


 エリスレーゼの笑顔を見れてよかったとルードは思った。

 これであの国への憂いはとりあえずなくなったと言ってもいいだろう。

 今度はルードが攻める番だ。

 後ろから抱いているリーダの手をきゅっと握って『次こそぶひぃと鳴かせてやるんだ』、ルードはそう思ったのだった。

 その気持ちがリーダにも伝わっただろう。

 もう少し強めにルードを抱きしめて、リーダは後ろから頬ずりしてくるのだった。

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フェンリル母さんとあったかご飯 ~異世界もふもふ生活~ はらくろ @kuro_mob

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