第二十一話 ルードの左目の力。

 ルードが力を徐々に集めていくと、周りの気配がざわついてくるのがリーダにもわかった。

 ルードたちの乗る馬車が停まったのに気づいたのだろう。

 後ろから追ってくる馬車も道端へ停まっていた。

 馬車には男たち数人が乗っているようだ。

 どうして男たちだとわかったか。

 なぜなら、いい匂いがしないから。

 ただ汗と鉄の錆の匂いが混ざって、近寄りたくない臭さになっているから。


 ルードは馬車を降りて、後ろの馬車に近づいていく。

 後ろの馬車の御者の顔が見えてくる。

 その男たちはあまりにも迂闊だ。

 ルードたちの馬車を抜いていくべきだったろう。

 ここで停まってしまっては、あからさまに後をつけていると宣言しているようなものなのだ。


「おじさんたち・・、僕たちに何か用?」


 御者席にいる男は、御者でよく見るような細身ではない。

 腰に剣を携えた男だった。

 馬車の方からも、金具や鉄が擦れる音が聞こえてくる。

 何より御者の男は驚いただろう。

 怪しいと思っている対象に、丸腰の子供が近寄ってくるのだ。

 それも右目を右手で押さえて、左目だけで自分たちを見ている。


「いや、一休みしていただけなのだが?」


 噛むことなく、すらすらと受け答えをする御者席の男。

 すぅっとルードの左目が赤から白くなっていく。

 ルードの身体から白い靄のようなものが発生した。

 それが馬車を包んでいく。


「おじさん。僕の目を見て同じことが言える? 『馬車から降りて、僕の前の地面に座りなさい』」


 御者の男は自分が何をしているのかわからないだろう。

 こちらへ虚勢を張りながらも、ルードの言葉に従ってしまう。

 馬車に乗っていたのは御者を含めて三人だった。

 皆、驚愕の表情になりながら、ルードの前に座ったのである。

 少しだけ力を入れすぎたのだろうか。

 ルードの左目の裏辺りに鈍痛が走る。

 力を少しだけ弱めてみた。

 この力はまずい。

 悪いことができてしまう。

 ルードはちょっとだけ苦笑いをするのだ。


「おじさんたち。もう一度聞くよ? 僕たちに何か用?」


 男たちは自分たちが置かれている立場に焦り始める。

 尻もちをついた状態で腰から下が動かないのだ。

 動くのは上半身だけ。

 沈黙を始める御者を含めた男たち。

 リーダは馬車の裏からこちらを見てクスクス笑っている。


「あれ言って。あれ」

「んもう、仕方ないなぁ。一度だけだよ?」

「うんうん」


『跪けぇっ!』


 ルードが顔を赤らめながら、力を込めて声を発する。

 恥ずかしいのだ。

 こんな恥ずかしいセリフを言わされること自体が、リーダの喜びの琴線に触れているとは思わなかった。

 声色が変わり、男たちは片膝をついた状態になってしまう。


 ルードが行使した力は『場の支配』だった。

 靄で覆うことができる空間だけの作用だが、今のルードではこの程度しかできないだろう。


「話す気がないなら別にいいよ。でも、『一生このまま・・・・・・』かもしれないよ? それでもいいなら、僕は構わないけど」


 前に力の使い方を試行錯誤していたとき、たまたま白いものに力を込めることができたときがあった。

 そのとき、目の前を通ったウサギのような小動物がルードを注目したのだ。

 『そこにとまれ』と何気に思ったら、近づいても逃げることはなかった。

 いくらモフっても逃げようとはしない。

 逃げようとしているのだろうが、動けない状態を保てたのである。

 力を注ぐのをやめると、その小動物はあっさりと逃げてしまった。

 それでやっと力の意味合いがわかり始めたのだった。

 ルードが鍛錬をしているとき、たまたま言ったキーワードがリーダの琴線に触れてしまったらしい。

 それが『跪け』だったのだ。


 獣に試してみたのだが、『死ね』という極端な強制力は働かなかった。

 だが、簡単な命令なら成功するようだった。

 今みたいな方法だ。

 リーダたちにはなぜか強制力というより、『お願い』程度の説得力にしかならなかったのである。

 敵対するものや敵視するものと、家族や仲間には効果が違ってくるのだろうか。


 今の場面であれば、言葉を付け加えることで『恐怖』を植え付けることは可能だろう。

 『一生このまま』などという強制力は働かない。

 ただ、今動けないという事実と、その言葉だけでも男たちの表情は驚愕のものへと変わっていった。


「た、たのむ。いや、お願いします。正直に話しますので、それはやめていただけませんか?」

「いいよ。でも、嘘ついたら知らないからね?」

「わかりました……」


 ルードはさらに力を弱める。

 男たちの身体の自由が戻った、ような感じになっただろう。

 男たちに安堵の表情がうかがえる。

 だが、まだルードは力を解いていないのだ。

 いつでも元の状態以上にできるのだ。


「自分たちはエランズリルド王室から、そちらの二人を尾行するという命を受けています」

「おい、そんなこと言っては駄目だろう?」

「そうだ。それは勅命じゃないか」

「……いや。お前たちよく怖くないな? これだけの力の差を見せられて、よくそんなことが言えるよ。自分はあの人に忠誠を誓ったわけでもなく、ただ国で働いているというだけで……。冗談じゃない。自分はもうごめんだ」

「いや、お前は独身だからそんなことが言えるんだ。私なんて妻も娘もいるんだぞ。勝手なことなどできるわけがないだろう」

「そうだ。俺だって妻がいるんだ。これは任務なんだ。そうだろう?」


 急に仲間割れのような言い合いを始めてしまった。

 ルードはリーダを見た。

 彼女は肩をすくめて呆れている。


「あの……」

「はい。何でしょうか?」


 一番最初にルードに敵意を向けなくなった男が返事をした。

 おまけに強制していないというのに、片膝をついて頭を下げている。


「お給料出せるの遅くなるかもしれないけど、仕事ならありますよ?」


 ルードは何気にスカウトを始める。

 国で働いているということは、流れ者ではない。

 報酬で動いているのではなく、普通に給金で働いているのだろう。

 うまくいけば護衛が簡単に手に入る。

 そう思ったからだった。

 リーダはルードのしようとしていることに気づいたのだろう。

 口元に手を当てて、笑いを堪えているようだった。


「それは本当でございますか? 申し遅れました。私はマイルスと申します。王都で騎士をしていたのですが、このような密偵の仕事をさせられるとは思いもしませんでした。疑問に思いつつも、今まで勤めてまいりましたが、今は目が覚めたような気持ちでございます。自分はあなたになら忠誠を誓っても構わないと思っております」

「それはありがとうございます。ところで、マイルスさんは、猫人さんや犬人さんたちをどう思いますか?」

「はい。私はあのような扱いは間違っていると思っています」

「そうだよなぁ、たしかにあれはない。言葉が違うからと言って人扱いしないのは間違ってるよな」

「あぁ、私の娘もたまたま貴族街で見かけたのを見て、泣きそうになっていたからな。あの悪習だけは私も肯定できない」

「それなら提案があります。夜になったら人の往来も減るでしょう。着の身着のままになってしまうかもしれませんが、夜に紛れてご家族を連れてきてはいかがでしょうか? しばらくの生活は僕たちで面倒見ますので」

「それは……」

「祖国を捨てる、ですか」

「えぇ。僕はあんな豚が治める国に未来はないと思っています」

「豚……。それはエラルド殿下のことでしょうか?」

「誰とはいいません。ですが、僕はあの男を許すつもりはないのです。いずれ『ぶひぃ』と鳴かせてやるつもりですから」


 マイルスは吹き出しそうになるのを堪えていたようだ。

 他の二人もそれは同様だった。


「よし、俺は決めた。妻を連れて逃げてくる。俺はリカルドと申します」

「あぁ、私も妻と娘を連れてくるよ。私は、この隊の長でした。シモンズと申します」

「はい、一応ひと家族ずつ、僕がついていくことにします。母さん、馬車をヘンルーダさんのところにお願い」

「大丈夫?」

「うん。何かあったら手加減しないよ。僕には目的があるんだから」

「わかったわ。さっきの『跪けぇっ!』。かっこよかったわよ。あっちで待ってるわね」

「勘弁してよ、母さん……」


 リーダはルードの額に軽くキスをすると、ルードとは反対方向へ馬車を進めた。


「うん。では皆さん行きましょう。僕は、フェムルード。フェムルード・ウォルガード。ルードと呼んでもらって構いません」


 勘のいい三人。

 それも宮仕えであれば、ウォルガードの名は知識にはあっただろう。

 マイルスたちは目を輝かせる。

 あのありえない大国の関係者であれば、さっきのようなことも不思議ではないと。

 それも名前に国名が入っている。

 ルードが王家の者だと思うのは必然。


「あ、あらかじめ言っておきますが。もし僕をどうこうしようと思っているのなら、手加減はしませんからね」


 冗談だろうが、笑顔でそう言われると、三人の背筋にはうすら寒いものが走った。


「いえ、滅相もございません。あの、『ウォルガード王国』のお方ですよね?」

「えぇ。そう思っていただいていいと思います」

「……一瞬で国を消滅させたという」

「あれですか……」

「あはは。お婆さまって有名なんだ。ここでもその話が伝わってるんですね」

「えぇ。伝説として、力の象徴として伝わっています」


 そんな雑談をしていると、三人も緊張が軽くほぐれたような表情になっていく。

 徐々に陽も暮れてきた。

 町からほどに近いあたりに馬車を停め、ルードは予定を話し始める。


「荷物は、貴重品などの手荷物にできる程度にしてください。皆さんは貴族街に住んでるんですか?」

「いえ、全員外に住んでいます。あのようなところに住めるほど給金が高いわけではないので」

「そうですか。それなら比較的楽にいけそうですね」


 ▼


 馬車に鎧を置いてから家族のもとへ行くこととなった。

 二人の家族は夫、そして父の言うことは素直に聞いてくれたようだった。

 ルードは、なんとか無事に二人の家族を連れだすことに成功した。

 最後にマイルスの貴重品を取りに後をついていった。

 彼の部屋は比較的人通りの多い商業地区の建物にあった。


「申し訳ありません。自分のようなものに付き合わせてしまいまして」

「いいんですよ。戻ることはないでしょうから、大事なものは持っていけるようにしてくださいね」

「はい。ありがとうございます」


 荷物も鞄に詰め終わり、部屋から出ようとしたときだった。

 マイルスはルードの前に両手を広げて立ちふさががった。


「ルード様、危ないっ!」


 ルードはここが終われば一安心と、若干油断していた。

 人の汚さに鈍感だったのかもしれない。

 マイルスは左肩に切り傷を負い、傷口から血が滴り落ちている。


「ルード様、お怪我はありませんか?」

「う、うん」

「よかった。……ご同輩、これは酷いんじゃないかな?」

「裏切者が。エラルド殿下の命を受けていたのではないのか?」

「豚はもう飽き飽きなのさ。自分の今の主人はこの──」


『ひれ伏せ……』


 ルードは無意識に左目の裏に力を注いだ。

 それはまるで体操選手が床に伏せるような速さだった。

 マイルスを斬りつけた男は自分の意思に関係なく、床に伏せた状態で動けなくなっている。

 当のマイルスはぽかんとしていた。

 傷の痛みより、今の自分の状況の方に驚いていたのである。


「あれ? 動ける……」

『癒せ』


 ルードはマイルスの傷口に手を当てると詠唱を終えた。

 傷から出た血は戻らないが、もう傷口は塞がっているだろう。


「申し訳ありません。これが魔法ですか……。まったく痛みはありません。凄いですね……」

「僕は大丈夫なんです。これくらいなら……、いいえ。ありがとうございました」

「主を守るのは自分の務めです。それよりも、自分はなぜ動けるのでしょうか?」

「僕の力は家族には効きが悪いんです。お願い程度まで弱くなってしまうんですよ。だから僕を守ろうとするマイルスさんの強い意志には効かないんだと思います」


 床に伏せている男はいまだ、微動だにしていない。

 ルードは男を見下ろして言葉を続ける。


『お前はもう、痛みを感じることはない。目も見えない。感触もない。ただ耳が聞こえるだけ』


 男はその意味がわかってきたのだろう。

 身体の震えが大きくなってきたようだ。


『ほら、今、左足から血が流れている。僕が斬ったからだね。痛みを感じるかい? 感じないようにしたからわからないだろうね。今度は右腕。このまま血を流し、深い闇の奥へ落ちていくがいい』


 男は怖かったのだろう。

 口元に泡を吹きながら、失禁して動かなくなっていた。


「ルード様、何もしてませんよね?」


 ルードは左目の後ろから力を抜いていく。


「……ふぅ。うん、何もしてないよ。視界と感触を一時的に奪っただけ。そこに言葉で恐怖を植え付けたんだよ」


 マイルスは笑顔で説明してくれる自分の新しい主に、ただただ驚くことしかできなかったのである。

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