第二十話 ママのお父さんとお母さん。
エリスレーゼの話では、元々母方家系が狐人なのだそうだ。
交易商人だった父と一緒になった母とこの国へ移り住み、商店を始めたらしい。
人のいいエリスレーゼの父は、この国の貴族に気に入られたらしく、王家とも取引をするようになったそうだ。
だが、生活は裕福にはならなかった。
それでも親子三人で頑張って生活していた。
そのうち、美しく育ったエリスレーゼは、町でも評判の看板娘になっていた。
いつからかは知らなかったが、エルラドの耳に入ったらしく、父から申し訳ないがと頼まれたのだ。
エリスレーゼは、家族のためならと我慢して嫁ぐことになったそうだ。
「でもね、初めて会ったとき『あぁ、私の人生終わったわ』って思ったのよね。だって、豚よ? 醜いのに美しいって言わなきゃいけないのよ? 毎日が苦痛だったわ……。でもね、二人が生まれたとき、どうでもよくなったの。だって可愛いかったんだもの」
「そうでしたね……」
「でも、ルードがいなくなって、エルシードが死んじゃったとき。それこそどうでもよくなっちゃった。私には何の力もないから……。もう、家族はクレアーナしかいなかったのよ。毎日、辛そうに笑顔をくれるあなたに申し訳なかったわ」
「いいえ。エリスレーゼ様がお辛いのに、私……」
「でも、ルードと会えてよかった。あの子のことは悔しいけど。この子だけでも、もう手放したくないの」
ルードを膝にのせて寝かしつけているエリスレーゼを、リーダが後ろから抱きしめる。
「エリス。この子は、お婆さまが認めてくれたの。だからね、ウォルガード王家の立派な子なのよ」
「それ、本当ですか?」
「えぇ。あなたたちも次に来るときは連れてくるようにって、言ってくれたわ」
「……それなら、あれですね」
「何かしら?」
「エランズリルドなんかに怯えなくて済むんですね。リーダ姉さん」
「そうなるかしら」
「うん、それなら問題が解決しそうだわ。すぐにではないかもしれないけど」
エリスレーゼはルードとリーダが不在の時に、三人で話し合ったことを説明し始める。
クロケットの故郷との定期的な交易。
クレアーナの故郷への帰還と墓参り、できるなら交易。
エリスレーゼの実家のエランズリルド撤退。
商会をその交易に使いたいなど。
そのためには人手が足りない。
それをどうするか話し合っているときに、ルードが目を覚ました。
「ママ、母さん」
「あら、ルードおはよう」
「おはよ、ルードちゃん」
「坊ちゃまおはようございます」
「おはようですにゃ」
「いや、朝じゃないから……」
それは嫌でも起きてしまうだろう。
ルードが寝ているその前で、声を大きくルードの話をしていたのだから。
身体を起そうとすると、エリスレーゼが頭を押さえて膝へ戻してしまう。
「ちょっとママ」
「いいからそのままで話しなさい。せっかく気持ちよかったのに」
「……うん。あのね、僕、エランズリルドで捕らわれている人を助けようと思ってるんだ。それで仕事のない人はママの家を手伝ってもらうのってどうかな?」
ルードの頭の上から大きな声が聞こえてくる。
「それ、いいわ。そうよね。クレアーナやクロケットちゃんみたいに、人よりも身体が丈夫な人も多いし。うまくいけば、各地の獣人の集落や村とも交易できるようになるかもしれないし」
「エリス、あなたの実家は大丈夫なの?」
「そうね。十年以上帰ってないからどうなっているのか。でも、私も心配なの。私があの部屋を抜け出たのはもう騒ぎになっているかもしれないから」
「ルード、様子を見に行きましょう。私とあなたは見た目は人間なのだから、紛れ込んでも大丈夫でしょう?」
「そうだと思う。ママ、詳しい場所教えてくれる? 最悪、暴れてでも連れてくるよ」
「ルード、駄目でしょ」
「ごめんなさい。母さん……」
「ほんと、そこまでお婆さまに似てこなくてもいいのに」
「坊ちゃま、逞しくなられて……」
「うんうん。ルード坊ちゃまはこうでにゃければいけませんにゃっ」
▼
「一度こうして旅をしてみたかったのよね。いけーっ、ルードっ!」
「母さん……」
家を出る前に、ルードが『母さんはまだ人化に慣れていないだろうから、頻繁に姿を変えると負担がかかるのでは?』と気を使ったのだが。
リーダはにやっと笑ってそれを受け入れたのだ。
それもそのはず、リーダは人の姿でルードに乗ってみたかったのだ。
リーダはルードとお揃いの交易商人のような服を着ている。
さすがにドレスではまずいということになり、エリスレーゼが見立てたものをルードとお揃いで作ってもらっていたのだ。
裁縫に関しては、クロケットとクレアーナが得意だったため、布さえあれば縫い上げてしまう。
商人としての最低の知識はリーダがエリスレーゼから軽く教わった。
いくら『食っちゃ寝さん』でも学校を首席で卒業しているリーダだ。
ある程度のことは一度聞いただけで理解してしまうのだ。
一応、カムフラージュとはいえ、交易品として海産物の乾物などを持ってきている。
事が終わって余ったらヘンルーダに渡せばいいと思っていたからだった。
「あまり暴れないでって。首が絞まって苦しいよ」
「いけーっ。もっと速くっ!」
聞いてはいない。
リーダは、ルードの首輪状になっている服を握って、前傾姿勢で風を切って走っているのが楽しくて仕方がないようだ。
▼
やっとルードたちが住んでいた地域へ着くことができた。
もうすぐ日も落ちるという感じの時間に合わせて町へ入ることにした。
リーダはとてもご機嫌で、人の姿に戻ったルードの分まで荷物を背負って笑顔で後ろをついてくる。
馬車はないが、交易商人の母子に見えなくもない。
ルードも服装が違うことから、買い物に来ていたころとは見た感じも変わっている。
「匂うわね……」
「母さんもそう思う?」
「えぇ。とても不快だわ……。あなたがいなければ、帰ってしまってるところね」
リーダはエリスレーゼから聞いていた地形を思い浮かべながら、ルードの手を引き、先へ進んでいく。
目的の商会が視界に入ってくる。
それは小さな店だった。
店先にはルードが買い物をするようなものではない。
穀物や油、そういった各地でとれる交易品が並べられている。
この町でルードがよく買っていったものは、甘いものが多かった。
リーダが喜ぶもの以外は自給自足できていたから買うことがなかった。
初老の男性と若い金髪の女性が切り盛りしているように見える。
「おや? 見ない顔だね? 何か仕入れてきたのかい?」
これが商人同士の挨拶なのだそうだ。
リーダが受け答えをするように一歩前に出る。
「えぇ。乾物を少々。『狐の
この『狐の彩』というのはエリスレーゼから聞いた、この家の隠語なのだそうだ。
店主と思われる初老の男性の表情が若干歪むが、すぐに笑顔に戻って言葉を続ける。
「エランローズ、奥で茶を用意してくれるかな?」
「え、えぇ、あなた」
女性が二人に会釈をして奥へ戻っていく。
「あなたたちも長旅で疲れているだろう。今日はもう陽も落ちる。今日は店じまいするかな……。奥で話を聞くから入ってくれないかい? 同じ商人同士だ。遠慮はいらない。奥で家内が待ってるから先に行ってておくれ」
「お忙しいところすみません。お言葉に甘えましょう」
「はい、母さん」
ルードたちは商店の奥へ案内された。
商店の方からは明かりが見えなくなっている。
おそらく言葉通り店を閉めたのだろう。
「初めまして、こちらで商会を営んでいます。アルフェルと申します。こちらは家内のエランローズです」
リーダはぽんとルードの背中をたたいた。
「お爺さんとお婆さんですね。僕、エリスレーゼの、ママの息子です。フェムルードといいます」
「わたしはフェルリーダ。この子の育ての母です」
「……エリスが生きてるのですか? そう、よく似てるわ。目のあたりなんてそっくりね。フェルリーダさんもエリスそっくりで驚いたわ」
エランローズが身を乗り出すと、ルードの頭を撫でてくれた。
アルフェルといった、男性はエリスレーゼの父親なのだろう。
エリスレーゼが生きているということを聞いて嬉しくないわけがないのだ。
それでも商人としての顔を貫いているかのように、真っすぐ二人を見てくる。
「エラルド殿下の使いから先日話がありました。『エリスレーゼは死んだものと思え。お前の商会との取引は取りやめとなる。これまでご苦労であった』とのことでした。私たちはあの男を信じたのが間違いだと思っていたのです」
「えぇ。最初だけでしたね。あれから十年以上、娘の話も聞かなくなりました。それをあの一言で、亡骸もなく終わらせられてしまったと……」
「ここだけの話ですが、ママは元気です。今はシーウェールズで静養していますよ」
「そうでしたか。ありがとうございます。私たちには何も情報が入ってきませんでした。嫁に出したとはいえ、あなたのような孫が生まれていたことも、知らなかったのです」
「あの。僕、実は、フェムルード・ウォルガードって名前なんです」
「それは……。あの大国の……」
「えぇ、私はそこの第三王女ということになっています。息子は王太子ということになりますね」
「ということは、お二人はフェンリ……」
「えぇ。ルード見せておあげなさい」
「まったく、母さんったら……」
ルードは立ち上がると邪魔にならない場所に移動する。
『祖の衣よ闇へと姿を変えよ』
詠唱とともに黒い霧状のものがルードを包む。
そこから光が漏れたかと思うと、ルードは純白のフェンリルの姿に変わっていた。
「おぉ。これはまた……」
「えぇ、可愛らしい」
なぜか二人はルードの姿を見て驚かないのだ。
「あのね、ルード君。エリスから聞いていると思うけど、私は半分狐人なのね。母からフェンリル様の話は聞いているの。お目にかかるのは初めてだけれどね」
「そうだったんですか」
「ルード、戻りなさい。匂いが騒いでいるわ」
「はい、母さん」
リーダが言っていた『匂いが騒ぐ』というのは、きっとこの国に捕らえられている犬人たちのことを言っていたのだろう、とルードは思った。
慌ててルードは人に戻る。
光を発した瞬間、首元にある首輪を握りつぶし、服を着ている状態へ戻っていった。
「私もお目にかかるの初めてです。娘の息子が、フェンリル様だったとは……。ということはエラルド殿下の子では……」
「いえ、僕も色々あったんですけどね」
▼
「とにかく、詳しいことはママから聞いてほしいです。お爺さんとお婆さんにはシーウェールズに来てほしいのですが」
「はい。エランズリルドには未練もなにもございません」
「えぇ、そもそもあのような間違いをした私たちをあの子が許してくれるかどうかの方が、心配で……」
「ママもお二人が心配だからと、ですので僕たちが急いでお邪魔したということなんです」
「えぇ、エリスも心配してましたので。わたしがルードを急がせたのです。エリスはわたしの妹同然ですからね」
「あの子は幸せに暮らしているのですね」
「はい。ですからお二人も一緒に」
「えぇ、あの子に会って謝りたいと思っています」
▼
ルードたちは町の外に先に出ていた。
遅れて馬車が一台町の外へ出てくる。
御者席にはアルフェルとエランローズが乗っていた。
ルードとリーダも乗せてもらい、シーウェールズに向かうことになった。
半日ほど経っただろうか。
エランズリルドの国境を抜けたあたりでリーダが声を低くする。
「ルード、気づいてる?」
「うん。少し離れて馬車が一台。馬鹿だね、バレバレだよ」
「えぇ、馬鹿ね」
「どういうことでしょう?」
アルフェルが心配そうに聞いてくる。
「エランズリルドの王家の使いでしょうね。わたしたちの正体を知らない愚か者ですよ」
「そうだね。これ、僕がやっちゃっていい?」
「どうするの?」
「うん。お兄ちゃんの力、試してみようと思って。なんとなくわかってきたんだよね」
「もし失敗してもわたしがなんとかしてあげるから、やってごらんなさい」
「うん。ありがと。母さん」
「アルフェルさん、馬車を停めてもらえますか?」
「は、はい」
ゆっくりと馬車の速度が落ちていく。
ルードは馬車の後ろから追ってくる馬車を見ると、右目を押さえて左目の後ろにある白いものに力を集めていった。
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