第十七話 えっ? ひいお婆ちゃん?
商業地区を抜けると、そこに広がる刈り入れ前の麦畑。
それは雄大で、遠くの山脈が見えなければ金色の海の水平線のようにも見える。
これは確かに、他国に頼る必要はないのだろう。
ある一定の距離で水路に区切られているその麦畑。
うまくいけば米もいけるのではないかと、思うような気もしないでもない。
かなり進んできたのだろう。
やっと視界に入ってくる大きな町。
「母さん、あれは?」
「あれが城なのよ。それと城下町ね」
「えっ? 何それ」
「そのままなのだけれど。城の周りにね、王家の家や使用人の家族が住む家なんかが集まってるわ。もちろんわたしが通った学校もあるのよ」
馬車が町に入っていくと、遠くに背の高い建物、おそらく王城だと思われるものが見えてくる。
商業地区と違うところは、商店がほとんどないこと。
歩いている人がまばらなところ。
あとは男も女も制服らしき、似たような服を着ていることだろうか。
雨水のことも考えられているのか、王城に向かって徐々に高い位置へと登っていく感じもする。
王城までは一本道。
馬車は丸く弧を描いた形の馬車専用の道だろうか。
そこに入ると、正門のような場所で停まった。
ドアが開くと、ルードが先に降りてリーダへ手を伸ばした。
「ほんと、いい子ね。そこまで気を使わなくてもいいのよ?」
「んー。こうしたほうがね、いいような気がしたんだ。なんとなくだけどね」
これもルードの記憶の中にある、公の場で女性をエスコートするときの作法を真似てやってみただけなのである。
それがリーダの琴線に触れたのだろう。
とても嬉しそうな表情をしていたのだった。
ルードは王城を見上げた。
それはとてつもなく大きく、上層の階では雲がかかってしまっているくらいだった。
ルードが『上に行くの大変だろうな』なんて思っていたとき、正門が音もなく開いていく。
今日のルードの恰好は、あらかじめ用意させたしっかりとした造りの可愛らしい服だ。
まるでどこぞの騎士の制服のような、そんな感じがする。
まだ十四歳で背もあまり高くないルードでも、大人っぽく見えたりするのだ。
エリスレーゼに少し似ているリーダはちょっとだけ彼女と違っていたところがあった。
それは身長が拳一つくらい高いのである。
ルードと並ぶと本当に母子にしか見えない。
まるで七五三か、学校の入学式。
そんな習慣がここにあるかは知らないが、ルードはそんな言葉が頭に浮かんでしまったのだった。
これだけの建造物を造ることができる技術。
ここに至るまでの人がすべてフェンリル。
そういう意味では、人間の国など敵うわけがないのである。
ルードの頭に自然と浮かんだ『あ、これムリゲーだわ』。
王城の区画にある町にいた人々が着ていた制服。
その姿の人たちが、両側に並んでいた。
おそらく制服というより、正装なのであろう。
向かいに立っていた数人は違っていた。
皆、思い思いの姿をしている。
その中でも目立つ綺麗な女性。
リーダにそっくりだった。
その女性がリーダに歩み寄ると、リーダを優しく抱きしめ──。
ようとしたのだが、逆にリーダに抱き上げられてしまった。
それでもリーダはとても嬉しそうな顔をしていた。
「フェルリーダ。おかえりなさい。大変だったわね」
「母さん。その人、よく似てるけど。母さんのお姉さん?」
その女性は、足をじたじたとさせる。
気づいてリーダが降ろすと、その女性は微笑んでルードを抱きしめてくれる。
ルードとあまり変わらない身長だった。
「この子がフェルリーダの子なのね。可愛いことを言ってくれるわ。うんうん。いい子いい子」
「ルード……。あなたも知ってるはずよ。シーウェールズの伝説の」
「えっ?」
「初めまして。フェルリーダのお婆ちゃんのフェリスよ。よろしくね」
▼
「私の言った通りになっちゃったわ。だから言ったじゃないの」
リーダとルードはフェリスの部屋に案内された。
そこに同席したのは、リーダの父のフェイルズと母のフェリシア。
フェリスはフェイルズに向かって、その可愛らしい顔でプンプンと怒っていた。
怒られているフェイルズは大きな身体を小さく縮めて、言い訳ができない状況であった。
それもそのはず、フェリシアまで一緒に怒り始めてしまったからであった。
「そうよ。ママの言うとおりだわ。あなたの顔を立てて、公爵の三男と結婚だなんて、私は反対だったのよっ!」
「そうよそうよ。言っちゃえ、もっと言っちゃえっ!」
ルードの半身であるフェムルードの父親のことだろう。
彼はウォルガードへ戻っていたらしい。
「家柄なんて考え方はもう古いのよ。どれだけこの子が悲しんだと思ってるの? この子から逃げ出して、こっちに戻ってきて違う女と遊んでいたのよ?」
「いやそれは結果論であってだな……」
「結果論って何よ? あの人がそんな人だったなんて。優しかったのはあの子が亡くなる前までだったわ。お父様、『俺に任せておけばお前は幸せになれるんだ』ってあの言葉は何だったの?」
ついにはリーダまで怒ってしまう始末。
フェイルズは針の筵状態だった。
「二人とも落ち着きなさい」
「(いえ、ひいお婆さま。あなたが煽ったんじゃありませんか……)」
ルードは口には出せなかったが、そうツッコミを入れたくなってしまった。
「確かに『食っちゃ寝』のフェルリーダのことは私も心配してたわ」
「ちょっとお婆さま。息子の、ルードの前でその話は……」
「えぇ、そのくせ、運動もろくにしないのに太らないなんてずるいわ」
「いえ、お母様、それはちょっと。それにわたし、学校卒業したばかりだったじゃないですか」
今度はリーダが何気にいじられている。
この衝撃の事実。
ルードの母は『食っちゃ寝さん』だったのだ。
だからシーウェールズの王女、レアリエールのことを悪く言えなかったのだろう。
在りし日の自分の姿と被ってしまったのだろうか。
ルードはすとんと落ちるところがあったのだ。
仕方ないと思って、ルードは秘密兵器を出すことにする。
「あの、フェリス様」
「あら嫌だ。私のことはお婆ちゃんって呼んでくれていいのよ?」
少女のようなその姿に『お婆ちゃん』と呼ぶのは抵抗があるだろう。
ルードは足元にあった保冷箱を開けて、白い陶磁器を取り出した。
曾祖母、祖母、祖父、リーダの目の前に順に置いていく。
「ご挨拶の代わりに、僕が作ったお菓子をお持ちしました。どうぞ召し上がってみてください。今住んでいるところでは評判がいいんですよ」
「あら、これは? ん、優しいいい香りね」
うまくいった。
フェリスの注意がリーダから離れたのだ。
リーダは『ありがと』という感じにルードにウィンクをする。
きっと『食っちゃ寝さん』の事実を誤魔化したかったのだろう。
フェリスはそんな姿をしているが、さすがは先代の女王。
優雅にひと匙口に、と思ったら怒涛の一気飲み。
一口食べた後、つるりと一飲みしてしまったのだ。
「おかわりっ!」
とてもいい笑顔で、ルードに陶磁器を返してくる。
▼
すこしギスギスした空気がなくなった気がした。
「すごいわっ。フェムルードちゃん。これ、あなたが作ったの?」
「はい」
「さすが、私のひ孫。よし、次の王様はあなたに決めたわ」
「お母様、それは……」
「うん。フェイルズ、文句あるの?」
「お母様、それは対外的にもまずいのでは?」
「そう? わたしが決めたのよ? フェリシア、あなたも構わないでしょ?」
「それはそうですけど……」
「あの」
「なんでしょ? フェムルードちゃん」
「ルードでいいです。僕、人間なんですけど? 髪もほら、違う色だし」
「でしょうね。この国にいなかったフェルリーダが養子をとったというのだから、人間かな? とは思ってましたよ」
「それでも僕のことを『ひ孫』って」
「だってあなたからは、なぜかフェンリルの匂いがするの。私の鼻は嘘をつかないわ」
「お婆さま、ルードは──」
リーダがフェリスにルードと最初に出会ってからのことを打ち明けた。
フェリシアとフェイルズは少々驚いていたが、フェリスは納得した表情をしていた。
「珍しくない、いえ、昔、そういう力を持っていたご先祖さんがいたのを知っているわ。その方がいたおかげで、今のこの国がただの集落で終わらなかったと言われているのよ」
「フェリスお婆さま」
「はい、なんでしょ?」
「僕には弟がいたんです。わけあって、亡くなりました。フェムルード兄さんの力を借りても敵を討つ方法すら見つかりません。僕にはまだそんな力がないんです。だから、僕はフェンリルを知るためにフェリスお婆さまに会いたかったんです」
「いた……、ね。なるほど。何でも教えちゃうわよ。だから、ね。おかわりちょうだい」
苦笑しながら、ルードは四つ目の『フェンリルプリン』を差し出す。
ものほしそうにしていた、フェリシアにもおかわりを差し出した。
フェリシアは話に口を挟まず、嬉しそうに無言で食べ続けている。
「でもね、ちょっとだけ姿を変えてみてくれるかしら?」
「はい。でも、服が」
「あのね。ごにょごにょ……」
フェリスがルードに何やら教えているようだ。
ルードは驚きながらも、しっかりと聞き入っている。
「えっ? そんな魔法があったんですか?」
「えぇ。私が編み出したとっておきなのよ。誰にも教えてないんだからね」
「はいっ」
ルードは詠唱を開始する。
『祖の衣よ闇へと姿を変えよ。フェリスモーフ』
これは画期的な魔法だった。
ただ後半の言葉には魔力の動く感じがしなかった。
もしかしたら、ルードをいじって楽しんでる部分なのかもしれない。
ルードが着ていた服が拡散すると同時に、闇のような黒い霧状になり全身を丸く包んでいた。
その後すぐにフェンリルへと姿を変える。
その光は闇にとざされ、漏れることはなかった。
フェンリルの姿になったルードの首元に布でできた首輪ができあがる。
これがルードの着ていた服だったのだ。
「便利な魔法ですね。これ、あとはどうするんですか?」
「元の姿に戻ったときにね、握りつぶせばまた霧になって服に戻るわよ」
「ありがとうございます。これで悩みがひとつ消えました」
「いいの。このお菓子のお礼よ」
「こんなのであればいくらでも」
「ほんと? フェルリーダ、もう一個お願い」
「ごはん食べられなくなりますよ……」
「大丈夫。甘いものは別腹なのよ」
どこかで聞いたようなセリフだった。
フェリスもやっと満足したのだろう。
おなかを幸せそうに自ら撫でていた。
「……ふぅ。幸せねー。可愛いひ孫が作ったお菓子。生まれて初めて食べた美味しさだったわー」
「あの。僕いつまでこのままでいれば……」
「あ、ごめんなさいね。ふむふむ。なんだ、人間じゃなく立派なフェンリルじゃないの。色が違うのは理由はわからないけど、きっと理由があると思うわ。確かに二つの魂を感じる。人と、フェンリルの。溶けあってるけど、けっして嫌な感じじゃないわ。これね。純血にこだわるだけが種の繁栄になるだなんて、馬鹿げた話だって私も言ったでしょ? 力がすべてじゃないの。ルードちゃんがこうして証明してるじゃない」
それは義理の息子であるフェイルズに向けて言ったのだろう。
フェイルズはまた大きな身体を小さくしてしまう。
「お婆さま、ルードは」
「えぇ。私の正式なひ孫として迎えるわ。お帰りなさい、フェルリーダ。そして、生まれてきてくれてありがとう。ルードちゃん」
フェリスはルードをフェンリルの姿のままひょいと軽々抱き上げてしまった。
「よかったわ。お母様が認めたなら、遠慮することはないのよね? お母様、私にも抱かせてくださいな。初孫なんですのよ?」
「もふもふでふかふか。白くて綺麗な毛。いいわー」
「重たくないの?」
ルードが心配して聞くと。
「私とあまり変わらないでしょ? そんなでもないのよ」
フェリスは抱き上げたルードのおなかに顔を埋めて堪能している。
今までルードは気づいていなかった。
この世界に体重を測るという習慣がなかったからだが。
人の姿でもフェンリルの姿でも体重は変わらないそうだ。
確かに考えてみれば、変化したとしてもあるわけのない質量が増えるわけはないのだ。
フェリスはルードをそのままフェリシアに渡す。
フェリシアも軽々と抱いていた。
「ルードちゃん。お婆ちゃんよ。仲良くしてね」
「は、はい……」
フェイルズは羨ましそうに見ていた。
自分だって孫を抱きたいのだろう。
だが、母に怒られ、妻と娘に責められている今、そうは言えなかった。
こうしてルードはウォルガードの王家の一員として認められたのだった。
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