第十六話 母さんの恥ずかしい二つ名。

 ルードはリーダの姿を改めて見てみた。

 リーダはゆったりとした赤いドレスを着ていた。

 クロケットやクレアーナのように、頭に耳があるわけでもなく、しっぽもないようだった。


「ねぇ、母さん」

「何かしら?」

「母さんたちは、その姿のとき、耳としっぽはないの?」

「そうね。わたしたちは獣人ではないからね。どちらかというと人狼に近いかしら。出そうと思えば出せないこともないのだけれど、ないのが普通なのよ」

「そしたら、人間と見分けがつかないんじゃ?」

「あのね、ルード」

「ん」

「この国に入る前にね、普通の人間だったら獣にやられてしまうかもしれないわ。人間の住む地域との間にね、恐ろしい魔獣の出る森があるのよ」

「そんなに怖いの?」

「なぜか、わたしたちには近寄ってこないのだけれどね」


 リーダはウィンクしてから、ルードに笑顔をくれる。


「それなら僕がここにいても、ここの人たちにはわからないのかな?」

「どうでしょうね。あなたの髪は白いわ。ここの国の人はね、青い色に近い人、緑の色に近い人しかいないのよ。それだからね、目立ってしまうかもしれないわ」

「そうなんだ。母さんと一緒に歩いてみたいなって思ったんだけど」

「歩きましょうか」

「えっ? いいの?」

「何があってもわたしがいるから大丈夫よ。でもね」


 リーダはルードを両手で抱きしめた。


「こうして抱きしめてみたかったの。嬉しいわ。自分の子をこうして抱けるのですもの」

「うん。あったかい。すべすべしてる」

「そうね。ふさふさのあなたもわたしは大好きよ」

「うん。僕も」


 リーダはルードを連れて屋敷の外へ。

 そこはシーウェールズよりは田舎の感じがした。

 観光地と比べてはいけないのだろう。

 すれ違う人々の髪の色は青系と緑系だけだった。

 遠目から見ても男性と女性がはっきりとわかる。

 ルードは少し怖く感じた。

 ここにいる人すべてがフェンリルなのだから。

 強大な力を持つとされる種族の人々たち。

 少し歩いていくと、商業地区のような町並みになっていく。

 あちこちからいい匂いが漂ってくる。

 そこで売られている串焼きがまたいい香りだった。

 よく考えてみた。

 あの串焼きを焼いている店主も、その隣の店で飲み物を売っている売り子の女性もフェンリルだ。


「ルード、おなかすいてるの?」

「うん。いい匂いがしてきたし」

「そう。なら、あれ買ってあげましょうか?」

「いいの?」

「えぇ。大丈夫よ。わたしも若いころよくここでお買い物をしたものですからね」


 リーダがルードの手を引き、串焼きを売る店舗へ連れて行く。

 店主は笑顔でお客さんを迎える。

 つもりだった。


「いらっしゃ……、おや? なんともまぁ懐かしい子が来たもんだね。フェルリーダ様、また抜け出してきたのかい?」

「そんな、百年以上も前のことを持ち出さないでくださいまし。わたしの息子がそれを食べたがっているのです。おひとついただけないかしら?」

「おぉ。お子さんがいらしたのですね。うんうん、よく似ていらっしゃる。坊ちゃん、名前は何て言うんだい?」

「はい。フェムルードです」

「これは賢そうな坊ちゃんだ。よし、おじさんごちそうしちゃおうか。ほれ、これを持っていきな」


 店主は笑顔でルードに串焼きを一本持たせてくれる。


「タスロフ豚のばら肉の串焼きだよ。うまいぞ」

「そんな、タダでいただくわけには」

「いいんだよ。これからも贔屓にしてくれたらそれでね。帰ってるのなら皆にも顔をみせてやってくれないかな?」

「わかりました。ごちそうになります。ルード」

「うん。おじさん、ありがとう」

「いやいや。いいってことさ。ルード君でいいのかな? フェルリーダ様はね、昔『買い食い王女様』って有名だったんだよ。お忍びで抜け出しては私らの店の売り上げに協力してくれていたんだ」

「ば、馬鹿なことを言わないでくださいっ。あれは、その……」


 リーダが顔を真っ赤にして言い訳をし始める。


「あ、フェルリーダ様、お久しぶりです。うちにもたまには顔を出してくださいね」


 隣の店主だろうか。

 気さくに声をかけてくれている。

 リーダはまずいと思ったのだろう。


「そ、そのうちねっ。ルード、行くわよ」

「う、うん」


 リーダは恥ずかしそうに、ルードの手を引いてその場から逃げ出してしまった。


 リーダは普段の口調ではなく、まるで若い女性のような言葉遣いをしていたのだ。

 ルードは近くにある公園まで串焼きを片手に引っ張られてきた。

 柔らかい芝のような草が生えている場所に座ると、リーダは一息つく。


「ここまで来れば、騒ぎにはならないわね。ほんと、困るわ……」

「母さん、『買い食い』って?」

「細かいことはいいのよっ! ほら、冷めちゃうから早く食べなさい」

「うん。いただきますっ」


 一口食べてみた。

 赤身の部分はとても香ばしく柔らかい。

 脂身部分と一緒に噛み続けると、旨みが物凄いのだ。


「うわぁ。これ美味しい。母さんも食べてみて」

「いいの? じゃ、一口だけね」


 ルードが差し出した串焼きをぱくりと齧る。

 右手を口元に手を当てて、咀嚼する表情はとても幸せそうだ。


「懐かしい味ね。まるで学生のころに戻ったみたいだわ……」


 シーウェールズで言っていた『見た目よりも小食』という言葉。

 リーダの今の姿はルードよりも背は高いが、フェンリルの姿からは想像もできないほど細く引き締まった身体をしているのだ。

 人の姿が本来の姿で、あの言葉は嘘ではなかったのだろう。


「……ふぅ。おいしかった。母さんこれどこに捨てるの?」

「ほら、あそこにゴミを捨てる箱があるわ」

「うん。捨ててくるね」


 公園は整備されていて、ゴミのひとつも落ちていないほど綺麗な状態。

 この国の人々は思ったよりもしっかりとした躾けや教育をされている人々なのかもしれない。


「ねえ、母さん。この国の人々はフェンリルじゃないの? 母さんはフェンリラだって言ってたよね?」

「あのね。種族としての名前はフェンリルで正しいのよ。でもね、私のお婆さまが王位に就いたときのことだけれど。お婆さまの就任の宣言のときにね……。うふふふ……」


 リーダは思い出したように、急に笑い出した。


「どうしたの?」

「……噛んだのよ。フェンリルというところを、フェンリラってね……」

「噛んだって……」

「そのあと、顔を真っ赤にして引っ込んじゃったの。すごく悔しそうだったわ。その後すぐに戻ってね、お婆さまは開き直って、『女性を尊敬の念をもってフェンリラと呼ぶように』と、押し通してしまったの。自分は間違ってない、噛んでもいないのよって」


 ドレスの裾を気にもせず、リーダは寝っ転がっておなかを押さえて笑っている。

 シーウェールズにいた頃では考えられないほど、リーダは感情を表に出していた。


「母さん。お婆さんってどういう人だったの? よくわからないよ」

「はぁぁ……。久しぶりに笑ったわ。『フェンリルプリン』以来よ。あ、お婆さまのことね……。ちょっとまっててね、笑いすぎて苦しくて」


 あのときのリーダは、やはり本気で笑っていたのだった。

 リーダは起き上がると、ルードを膝の上に乗せてきゅっと抱きしめた。


「そうね。とても優しくて、穏やかで。それでいて負けず嫌いなの。変な人でしょ?」

「想像もつかないね。会ってみたいな」

「大丈夫よ。もう連絡入れてあるから、今夜には会えると思うわ」

「そうだ。お婆さんって甘いもの好きかな?」

「そうねぇ。確か好きだったと思うわ。もしかして作っていくの?」

「うん。僕を知ってもらうのにいいかなって」

「いいかもしれないわ。その方がわたしのことを誤魔化せるかもしれないし……」


 いったいリーダは何を誤魔化そうとしているのだろうか。


 ルードはリーダに連れられて、食品の市で買い物をしてリーダの屋敷へ戻っていった。

 リーダの屋敷が暫く帰ってなかったのに綺麗なことをルードが聞くと。


「一応第三王女だったからね。いつ戻ってもいいように定期的にお掃除しにくる人がいるみたいなのよ。わたしも昨日戻ってきたとき、驚いたのよ」


 そんな母子の他愛ない会話をしながらも、ルードはあっさりと『フェンリルプリン』を作り上げてしまった。

 それどころか、この国で買った素材の素晴らしいこと。

 ついさっき食べた串焼きの豚肉がとても美味しかったことから、ルードは期待していたのだった。

 驚いたことに、牛乳だけでなく、生クリームも売っていたのだ。

 卵も見たことのない大きさのもので、売り子さんに聞いたことろ『濃厚で美味しい』とのことだった。

 農業畜産技術の高さ、生活水準の高さ。

 さすが人間の及ばない大国だけはあるのかもしれない。

 器もリーダの屋敷のキッチンにあったものを拝借して作ってみた。

 これがまた綺麗な器で、とんでもないものができてしまったような気がする。

 リーダに試食してもらったとき。


「うわぁ、何これ? まるで別物みたいだわ。美味しい……、としか言いようがないわね」


 食べなれているリーダも絶賛していた。

 それに、自分の手で食べられる喜びもあって、余計に美味しく食べられたと言っていた。


「わたしもお婆さまに教わって、少ない魔力でこの姿を維持できるようにしようかしら……」


 そんなことまで言い出したのであった。


 ▼


 夕方、リーダの屋敷に馬車がつけられた。

 リーダの屋敷は屋敷の入り口も真冬以外は開けたままらしい。

 この国では人間の国と違って治安がいいからとリーダは笑っていた。

 そのため、その入り口から馬車を降りた迎えの者が部屋まで迎えに来るなどという、人間界では考えらない珍事もここでは珍しくはないのだそうだ。


「お迎えに上がりました。フェルリーダ様、お坊ちゃま」

「あら、ご苦労様です。ルード、準備はいいかしら?」


 外から戻って、リーダの言葉遣いも元に戻ったようだった。

 食材を買っていたときに雑貨屋で見つけた珍しいもの、保冷箱なるものにルードは氷を先に入れた。

 キッチンにあった氷室(こちらでも使っているようだ)からプリンの入っている容器を出して丁寧に入れていく。

 キッチンにあった銀食器(さすがのルードもこれには驚いた)も一緒に冷やしておくことにした。


「大丈夫。準備はできたよ、母さん」

「では、まいりましょうか」


 ルードは保冷箱を肩から下げると、リーダについて屋敷を出ていく。

 これだけ広い屋敷にさっきまでルードとリーダしかいなかった。

 今まで主人不在だったこともあるのか、使用人がいない理由はルードにはわからない。

 リーダの様子は別に不便は感じていなかったから聞いてはいなかったのだ。

 迎えに来た男性が開けた客車の傍に立つと、ルードはリーダに手を差し伸べる。


「あら。嬉しい……。息子にこうしてもらうのは、思ってもいなかったわ」

「大好きな母さんだもの」


 リーダはルードよりも背が高いが、左手でルードの手を取って右手でドレスの裾を持ち上げ、笑顔でタラップを上がっていく。

 リーダが乗り込んだことを確認すると、ルードも客車へ乗り込んだ。

 ドアが閉められ、御者席に座った男性が声をかけてくれる。


「お出ししてもよろしいでしょうか?」

「えぇ、お願いしますわ」


 リーダの応えにより、馬車が滑らかに動き始めた。

 買い物をした商業地区を抜けて、王城へ向かっているようだ。

 道は整備されていて、人が歩く部分と、馬車が通る部分は分かれている。

 客車の外からは光の具合で見えないようだが、中からは外がわかるようになっているようだ。

 普通の人々が普通に生活をしているように見える。

 この人たちが全員フェンリルだということが、ルードにはまだ信じられないのだ。

 屋敷にいるときリーダから聞いたのだが、ウォルガードは決して他の種族との交流を拒んでいるわけではない。

 ただ、国から出ると、その見た目から怖がられてしまい、国交を持つ国が少ないらしいと話していた。

 そのせいで、この町にいる人はフェンリル以外がいないということらしい。

 生活に必要なものはすべて国内で賄われていることから、他国との取引が必要にならないのだと。


「そういえば、母さん」

「何かしら?」

「母さんはなぜあの森にいたの?」

「それを聞くのね……。それには深くて悲しい理由が……、これといってないのよね」

「えぇっ?」

「わたしたちはね、結婚すると外の国を見に行く習慣があるの。それも長い時間をかけてね」

「そうだったんだ」


 ルードはあえて、その先は聞かなかった。

 その先の話はリーダが話したいときに、聞こうと思っていたからだ。

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