第十五話 無謀? ママ、母さんをモフるつもりか?
リーダは手で二人の肩を順に軽くぽんぽんと撫でる。
『わたしはルードの母、フェルリーダ・ウォルガードです。お母様とあなたのことは聞いていました。こんないい子を産んでいただいてありがとうございます。悲しみに暮れていたわたしも、この子にどれだけ救われたか。これからもよろしくおねがいします。エリスレーゼさん、クレアーナさん』
エリスレーゼはリーダのことを、フェンリルの女性であり、ウォルガードという名ですべてを察したのだろう。
商家の出だけあって、へたな王族よりも知識は持っていたのであった。
リーダの顔を見ながら目だけを伏せて、エリスレーゼとクレアーナはその言葉に応える。
「大国のお方でしたか。これからもよろしくお願いしたします。エリスとお呼びください」
「はい。この命尽きるまで、お仕えさせていただきます」
『エリスさん、あなたも同じ母なのですから、わたしをリーダと呼んでいただいてもかまいませんよ』
「では、リーダさん。お願いがあるのですが」
『なんでしょう?』
「その、触ってもよろしいでしょうか? ふさふさ、大好きなんです……」
呆れたような、あきらめたような目をして苦笑していたリーダ。
『えぇ。構いませんよ』
「ありがとうございます。……あぁ、気持ちいいわ。ルードとそっくり……」
「エリスレーゼ様、お身体の具合、まだ戻っていらっしゃらないのですから、大人しくされた方がよろしいかと」
クロケットがエリスレーゼの傍に座りなおす。
「クロケットと申しますにゃ。よろしくお願いしますにゃ」
「はい。クロケット様。よろしくお願いいたします」
「いえ、私はその……」
クロケットはエリスレーゼとクレアーナの耳元近くでにごにょごにょと囁き、自分の身の上を話した。
「ルード坊ちゃまが成人するまで内緒ですにゃ。お願いしますにゃ」
「そうなのね。それはめでたいことだわ。はいはい。内緒にするわね」
「えっ? なんのこと?」
「女だけの秘密よ。ね、クロケットさん、リーダさん」
『そうね』
「そうですにゃ」
その後、クロケットも耳としっぽをいじられまくって、涙目になるとは思っていなかっただろう。
クレアーナは少しだけ、クロケットのことを不憫に思ってしまった。
▼
ルードはエリスレーゼとクレアーナを交え、これまであったことをすべてリーダへ話し終えた。
「母さん」
『何かしら?』
「僕、母さんのお婆さんに会ってみたい。僕がやらなければならないことがわかったんだ。そのためにはフェンリルのすべてを知らないと駄目だと思うから」
『そうね。わたしにも知らないことはあるの。きっとお婆さまなら……。いいわ、来月連れて行ってあげる』
「ありがとう、母さん」
『クロケットちゃんとクレアーナさんは連れていけないの。もちろん、エリスさんも難しいわね。お留守番お願いできるかしら?』
「えぇ、ゆっくりさせていただきますね」
「はい、お待ちします」
「はいですにゃ」
『ルードの立ち位置が不安定なまま、皆を連れて行くのは難しいの。最悪の場合、争い事になるかもしれないのです』
クロケットは元の家のあった場所で、『あれ』を見ているから知っている。
しっぽがぶわっと膨れ上がると同時にぴんと伸びて、しなしなと垂れ下がっていった。
「私では邪魔ににゃってしまいますにゃ。わかりましたにゃ」
「私は坊ちゃまにお仕えできても、守ることはできません。お言葉に従います」
『エリスさんありがとう。ふたりもいい子ね』
同じ母親とはいえ、まだ三十歳手前のエリスレーゼ。
リーダから見たら二人はまだまだ若いのだろう。
猫人も犬人も人間より寿命が長い。
それでもリーダは四百年生きているのだ。
リーダですら、ウォルガードへ帰ればまだ小娘扱いされてしまうかもしれない。
それほどフェンリルの寿命も長いのだろう。
なにせ、リーダの祖母がやらかした事件は、この国でも千年は昔の伝説、古い文献やおとぎ話として伝わっているのだから。
▼
それからひと月の間、ルードは忙しくあれこれこなしていった。
『フェンリルプリン』の作り置きの方法の試行錯誤。
夏場ということもあって、新しい氷菓子も作り始める。
『フェンリルブランド』の第二弾。
『フェンリルアイス』の誕生だった。
材料はプリンとまったく同じ。
作るときに加熱するか、冷却するかの違いもあるのだが、製法もちょっとだけ違う。
卵白と卵黄に分けて、卵白だけを魔法でメレンゲ状態に仕上げる。
卵黄と砂糖を魔法で混ぜ合わせ、最後にメレンゲと合わせてから冷却する。
たったこれだけなのだが、魔法で作るという手順だけで空気を混ぜやすいのだ。
ふわっとした舌触りの、この町では目新しい氷菓子ができあがった。
『溶けるわ……。冷たくて甘くて、ふわふわ。プリンとは違った美味しさね……』
「えぇ。あの国では食べられなかった贅沢なお菓子ですね」
「冷たいですにゃ、あまあまですにゃ……」
「美味しいです。プリンも生まれて初めていただきましたが、これも凄いですね」
器をもっと見栄えがよく、安くて丈夫なものをとエリスレーゼからの提案などもあり、『フェンリルプリン』と『フェンリルアイス』は見た目も立派になってしまっている。
ミケーリエル亭で発売開始の翌日、レアリエールがおなかを壊して寝込んでしまったと、ジェルードとアルスレットが苦笑いしながら話していた。
きっと際限なく食べすぎて冷やしすぎたのだろう。
▼
週に一度のアルスレットの家庭教師の日。
なぜか今日は、レアリエールがアルスレットについてきてしまった。
今日はもう授業にならないということで、談笑だけになってしまった。
「ルード様。教えていただいた、製法で王室の料理人に作らせたのです。ですが、同じ味、同じ舌ざわりが出ないのです」
「でしょうね。僕は魔法で作ってますから」
「ずるいですわ。でも、次の朝までは我慢できるようになったのですよ」
『偉いでしょう?』という感じに、レアリエールは胸を張ってそう答える。
アルスレットも傍に仕えているジェルードも、苦笑いしてた。
聞くと、アルスレットは十八歳。
レアリエールは二十歳らしい。
アルスレットはこの国を継ぐことになっている。
適齢期であるレアリエールは本来であれば、近隣諸国へ嫁ぐことになるらしいのだが。
本人はまったくそのつもりはないらしいのだ。
「『フェンリルプリン』の食べられない国へなんて、行きたくありませんわ」
そうばっさり切り捨てているらしい。
元々引きこもりがちな彼女が、外にでるようになっただけでも王室では『事件』だったらしい。
国王も王妃も喜んでいるとのことなのだ。
ルードは料理人として、菓子職人として有名になりつつあった。
シーウェールズへ旅行にきていた近隣諸国の人々が自国へ伝えたことで、さらに旅行客も増えてきている。
ルードは、国王と王妃からも感謝されていたのだ。
あくまでも家族に喜んでもらうための延長だったのだが、真面目に新しいものへ挑戦していくつもりでもあったのだ。
実はエリスレーゼは、この国の温泉のおかげもあってか、随分体力が回復したようだ。
ルードがつくるお菓子や、この国で食べられる海の幸。
猫人の集落から手に入る米の滋養もあってか、食欲も旺盛になってきていた。
それでも五年ベッドで寝たきりだったこともあって、筋力の低下までは解消されてはいない。
クレアーナの支えがないと転んでしまうこともあったが、町を散歩するくらいまでにはなっていたのだった。
ルードたちの家の地下に大きな氷室を作れたおかげで、『フェンリルアイス』と『フェンリルプリン』の作り置きができるようになっていた。
このあたりの保存方法や保管場所の形状。
氷室の知識にも詳しかったエリスレーゼの助けもあって立派なものができていた。
毎日必要数をクレアーナとクロケットがミケーリエル亭に届けることになっている。
そのうち五個ずつがレアリエールの分だとは、ルードは知らない。
ミケーリエル亭も毎日満室になっているおかげで、菓子の売り上げは全てルードの収入になっていた。
ミケーリエルたちの生活も前より向上して、親子に感謝されている。
数か月先の予約まで埋まっているそうなのだ。
エリスレーゼはミケーリエルとも仲が良くなったそうだ。
双子のミケーラとミケルもお気に入りなんだそうだ。
きっと『モフモフの魅力』に憑りつかれてしまったのだろう。
▼
そうこうしている間に、ひと月が経っていた。
リーダとルードがウォルガードへ旅立つ日になったのだ。
ひと月は帰ってこれないかもしれないと二人には伝えてある。
長年ルードと離れ離れだった二人はひと月ほどは我慢できるのだそうだ。
寂しそうにしていたクロケットのことは、エリスレーゼが任せるように言っていた。
あまり構いすぎて、痩せてしまわないか心配だったりもするのだが。
「いってらっしゃい、ルード、リーダさん」
「いってらっしゃいませですにゃ」
「いってらっしゃいませ」
三人はいつもと同じように送り出してくれたのである。
一歩下がってエリスレーゼの後ろで見送ってくれるクレアーナ。
エリスレーゼに肩を抱かれたクロケット。
きっとこの先どれだけいじられるか、逃げることができるのか。
好対照な二人だった。
▼
シーウェールズ王国よりもさらに北にあるウォルガード王国。
どんなに急いでも、二日はかかるとリーダは話していた。
リーダとルードの足でそれだけかかるということは、かなりの距離なのだろう。
ウォルガード王国までは、途中に人間の国は存在しない。
北にある深い森を抜けて行くため、人間では通り抜けることができないのだ。
人間ではない違う種族の集落はあるのだが、交易が結ばれている種族ではないのと、リーダを怖がってしまうかもしれないということもあり、寄り道せずに真っすぐ向かうことにしたのである。
途中、さすがに疲れてしまったルードを背負ってリーダは走り続けていた。
「母さん、結構遠いとこまで来たんだね」
『そうね。寝ててもいいわよ。起きるころにはもうついているかもしれないわ』
「……うん。母さん、ごめんね」
『いいのよ。おやすみ。ルード』
優しい手がルードの額を撫でていた。
それは柔らかくてすべすべしていて、いい匂いがする。
ルードは目を覚ました。
天井がある。
まるであのとき目を覚ましたように。
優しい目をした女性がルードを見守っていたのだ。
「あれ? ママ?」
「馬鹿ね。わたしよ」
「あれ? 母さん? あれ? 緑色の髪の毛。すっごく綺麗。服着ている。夢?」
「夢じゃないわよ。わたしよ、忘れちゃった? あ、この姿ね? もうついたのよ」
「ついたって?」
「ほんと、寝ぼけちゃって。可愛いわね。ウォルガード王国についたのよ。ここはね、わたしの屋敷なの。暫く帰ってなかったけど、綺麗にしててくれたみたいね」
ルードは身体を起してみる。
ルードはもちろん人の姿のまま。
リーダが人の姿をしていたのだ。
見た目の年齢はエリスレーゼと変わらない。
ミケーリエルやクレアーナより少し高めなくらいだろうか、
「母さんなの?」
「えぇ、そうよ。この国はね、魔力が濃いみたいでね、わたしたちもこの姿を保てるのよ。前に話したかもしれないけれど、驚かせてごめんなさいね」
「うん、びっくりした。母さん、すっごい綺麗。あー、そうか」
「どうしたの?」
「髪の色違うけどね、なんとなくママにそっくり」
「あら、そうなの? エリスにそっくりだなんて、わたしも嬉しいわ」
「うん。間違えちゃったくらいだし」
「それならきっと、あの子もルードそっくりなのでしょうね」
「だったら嬉しいかも。そういえば、母さん」
「何かしら?」
「いつもの姿にもなれるの?」
「ルードも知ってるでしょう? 服がね破れちゃうのよ」
リーダは笑っていた。
「やっぱりそうなんだ」
「えぇ、小さいころにね、お母さんに怒られたことがあったわね……。だからね、ルードが服を破いてしまったときに、そういえば昔って思ったのよ」
昔を懐かしむように、ルードにそう言ってくれたのだった。
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