第十四話 回復していくママとその実力。
エリスレーゼは徐々に体力を回復していった。
三日もすると家の中なら、ルードやクレアーナの補助で歩けるようになっていたのだった。
もう少し回復したら、一度シーウェールズへ連れて行くつもりでいる。
この五年間一番つらかったのは、個室|(トイレのこと)にひとりで行けなかったことらしい。
でも今は、ドアの前で待っていてもらえばひとりで用が足せる。
その辺はとても喜んでいた。
ちなみに、リーダも同じ個室を使っている。
この家は前に住んでいた人が大柄な種族だったこともあり、個室はかなり広いのだ。
ルードはリーダを心配して大丈夫なのか聞いたところ『秘密よ』と返答が帰ってきたらしい。
「ママ。ママはこれからどうする?」
「私? 私は帰る場所なんてありませんよ。元々私は、あの家に嫁ぐつもりもなかったのです。ですが、私の家はあの家に多大な恩があったそうです。それで私は仕方なく……」
家同士、それも相手が王族ならば断わることはできなかったのだろう。
「でもね、覚悟をして行ってみたらなに? 第三婦人ってひどいと思わない? 私だってね、結婚くらい夢を見ていたのよ」
現地から遠く離れたから言えるのだろう。
エリスレーゼはかなりご立腹だった。
「目を瞑って、耳を塞いで耐えたわ。実家のためを思ってね。でもね、耐えられないことがひとつだけあったの」
「それは何だったの?」
「あの男を『美しいですわ』とか『お綺麗ですね』とか言わなければいけないことよ」
ルードとクレアーナは意味がわかってしまうだけに、ため息のような『そうですね』という気のない返事しかできなかった。
クレアーナも同じ経験をしたことがあったらしい。
ルードはそのまま罵ってしまったわけだから、否定できる立場ではないのだ。
「でもね、あなたたちが生まれてくれて、よかったわ。あなたたちの顔を見ている時間が唯一の癒しだったのよ。あなたたちが生まれた後はあの男もわたしに構わなくなったから、少しは気が安らいだわ」
まだまだ恨み節が続くかと思われたが、エリスレーゼの表情は暗くなっていった。
「フェムルード、エルシードのことはごめんなさい。一度も弟に会わせることができなかったわね。私にはどうにもならなかったの。ごめんなさい」
「ママは悪くないよ。あの豚が……。いつか僕が──」
「フェムルード、いけません。あなたまであんなことになってしまったら、私はどうしたらいいのか……」
「あ、そうか。クレアーナ、僕のことママに話してないんだね?」
「えぇ。聞かれませんでしたから」
ルードに、自分のことを犬人だということを言わなかったのと同様の答えが返ってくる。
クレアーナは基本、自分のことはどうでもいいと思っているのだろう。
ルードは重たく感じる身体を動かして、隣の部屋までなんとか歩いていった。
ドアを閉めて着ている服を脱ぐ。
魔力が回復しているかわからなかったが、フェンリルの姿になってみた。
ルードが入った部屋のドアの隙間から光が漏れてくる。
ドアが開くと、そこには少し大きな純白の狼がのっそのっそと重たい足取りでエリスレーゼに近づいてくる。
目がとても優しく感じたせいか、エリスレーゼは怖いとは思わなかった。
「あら? もしかして、フェムルードが飼っている子かしら?」
「──僕だよ。ママ」
「えっ?」
さすがの天然っぽいエリスレーゼでも固まってしまった。
横にいるクレアーナは知っていたので、一生懸命笑いをこらえているようだった。
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困ったことにルードは人の姿に戻れるほど、魔力を回復していないのだった。
ルードが動けないのをいいことに、エリスレーゼはフェンリルを堪能していた。
頭を撫でたり、顎の下をくすぐってみたりしてコロコロと笑っていたのだ。
「この耳、可愛いわ。クレアーナったら嫌がって触らせてくれないんですもの。このふさふさした毛並みも綺麗ね、柔らかくて気持ちがいいわ」
「いえ、普通。くすぐったくて嫌ですってば……」
クレアーナは自分も同じようにされているという錯覚をおこしてしまったのかもしれない。
嫌そうな表情をして、心の中でルードにごめんなさいをしているのだ。
この世界に動物と触れ合うことで心の平静を保つような、アニマルセラピーがあるはずはない。
ただ、小さいころからエリスレーゼは動物が好きだったらしいのだ。
クレアーナを傍に置きたかったのも、それがなかったわけではないという新事実も発覚してしまった。
エリスレーゼには、ルードがフェンリルになったという事実を口にする前にこの姿がとても気に入ってしまったみたいなのだ。
「あのね、ママ」
「えっ? どうしたの?」
「僕ね。フェンリルの母さんに育てられたんだよ」
これまでのことを詳しく二人に話し始める。
クレアーナは目を閉じて黙ってルードの話を聞いていた。
エリスレーゼの反応は違っていた。
緑色の毛をした、綺麗なルードの母に興味を持ってしまったのだ。
「会ってみたいわ。フェルリーダ様に」
そう言いながら、エリスレーゼは目をキラキラとさせている。
きっとリーダにもじゃれつかせてもらいたいのだろうか。
「そう言ってくれると助かるよ。僕と一緒にシーウェールズへ行こうね」
「えぇ」
そうして、ルードが体力を回復したらシーウェールズへ連れていくことになったのだった。
そこからエリスリーゼの回復は著しかった。
身体の調子がいいときは、猫人の子供たちと遊んでいたり、ルードにフェンリル化させてモフモフしていたりしていた。
食欲も旺盛になってきて、なんでも食べられるようになっていた。
クレアーナの話では、あの豚の前でなければ、元々は明るい性格だったらしい。
第一、第二夫人ともそりが合わなかったらしく、話し相手はクレアーナくらいしかいなかったのだという。
エリスレーゼだけ、商家の生まれで奔放に育ったせいか、王室での生活は息苦しかったのだそうだ。
いつかあの豚の息がかからないようにして、エリスレーゼを実家に帰らせてあげたいとルードは思っていた。
それから数日後、やせ細っていたエリスレーゼも、顔の血色が良くなり、少しふっくらとしてきた。
猫人の子供たちと遊んでいても、疲れて倒れ込んでしまうような心配もなくなってきた。
そろそろお世話になった猫人の集落から出発する日が近づいてきたのであった。
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エリスレーゼは、その元から明るい性格と聡明なものの考え方。
ルードも気づかないような発想などを持ち合わせているようだった。
商家の生まれというのも頷けると、ルードは思った。
子供たちの母親とも仲良くなり、今何が困っているかなどを話している最中に感じ取ってしまったようだ。
今度、ルードはこっちにくるときに持ってくるようにと、エリスレーゼから言われてしまうくらいの勘の良さ。
ルードは自分の母ながら、尊敬してしまうのだった。
「また来てくださいね」
「えぇ、身体がよくなったら必ずね」
ヘンルーダとも仲が良くなったようだ。
同じ子を持つ母親として、話も合ったのだろう。
子供たちに『いやいや』されながら、見送られて集落を出ていくことになった。
「ルード、あの人たちは大事にしなければ駄目よ?」
「うん。そのつもりだよ」
「それにしてもエランズリルドは駄目ね。人間がどれだけ偉いと思ってるんだか。他種族に目を向けないと、いずれ国はおかしくなってしまうわ。これから向かうシーウェールズはそんなことはないのでしょうけどね」
「うん。とてもいいところだよ」
「楽しみね。きっとクレアーナも伸び伸びと生活できるのでしょうね」
「私はエリスレーゼ様と坊ちゃまがいれば、どこでも構いません」
「ほら、こんなに可愛いこというのに、耳としっぽはなかなか触らせてくれないのよ……」
そう言って拗ねる自分の母に、驚きを隠せないルードだった。
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シーウェールズ近くの森を抜ける前に、ルードは人の姿に戻った。
「ママ、クレアーナ。苦しくなかった?」
「速かったわ。とても楽しかったわよ」
「いえ。大丈夫です。……坊ちゃま」
「どうかしたの?」
「いえ、エリスレーゼ様が私の耳から手を離してくれないのです。なんとかしてください……」
「我慢だよ。クレアーナ……」
ルードは正規の手続きを踏んで、エリスレーゼとクレアーナをシーウェールズへ連れていくつもりだった。
シーウェールズの城下町への入り口。
衛士が立っているその場所へ行くと、馴染みの衛士が迎えてくれる。
「いらっしゃいませ。海とお湯の国、シーウェールズへようこ……。ルード君ではないですか。お帰りなさいませ。おや? そちらのお二人は見ない方ですね」
「はい。遠くに住んでいた僕の家族です。迎えに行ってきたんですよ」
「そうでしたか。ルード君のご家族であれば手続きは必要ありません。どうぞ、お入りください。私はウェルダートと申します。よろしくお願いいたします」
「エリスレーゼと申します。ルードの母です」
「クレアーナと申します。坊ちゃまの侍女でございます」
「ご丁寧にありがとうございます。では、どうぞ……、あれ? 母親って……、あれっ?」
エリスレーゼの『母』の一言でウェルダートは軽く混乱していた。
とりあえず置いておいて、さっさと町中へ二人を案内することにした。
門を抜けると、そこは温泉のある観光地。
エランズリルドの町以上の賑わいを見せる、これこそ城下町という感じだろう。
二人の目には、ルードから聞いていた通り、様々な種族の人々が見えている。
「ここは素晴らしい国ですね。坊ちゃまから聞いていた通り、人間と私のような種族が手を取り合って暮らしているようです。このような国もあったのですね……」
「えぇ、あそこと違って穏やかでいい国ですね」
この町では、ルードは有名人だ。
誰もが知る『フェンリルプリン』の考案者であり、料理人でもある。
まだそれを知らないエリスレーゼとクレアーナ。
ルードの姿に気づいたものは笑顔で声をかけてくれている。
幽閉されるはずのあの赤子が、この国では人々に愛されていた。
二人にとって嬉しくないはずがないのである。
「エリスレーゼ様、坊ちゃまはこんなにも人々に愛される子に育っていました。嬉しいですね」
「そうね。本当によかったわ」
いつもの道を家に向かって歩いていると、侍女の服装をした綺麗な女性にルードは抱き着かれてしまう。
「ルード様、お帰りなさいませ。プリン切れです。在庫がないのです。このままでは私、死んでしまいます」
「はいはい。明日は絶対に用意しておきますからね」
「絶対ですわよ? 朝一番で並びますからね?」
そう言うと、ルードのおでこにキスをして走り去ってしまう。
「坊ちゃま、今の女性は?」
「ルードがお付き合いされている女性かしら?」
「あははは。この国のお姫様、だよ」
「「えっ?」」
歩きながら、この国の王族との出会いを話した。
「──そのようなことがあったのですね。坊ちゃまらしいというか……」
「そうね。この子を普通の子と比べてはいけない気がしてきたわ……」
「なんでだろうね。僕もわけがわかんない……」
やっとルードの家が見えてきた。
開け放たれている玄関を抜けると、居間に大きな緑色の毛のフェンリルがこちらを見て優しい目をしていた。
横には猫人の女の子が座っている。
きっとルードの匂いで帰ってきたのがわかったのだろう。
『お帰りなさい、ルード』
「お帰りにゃさいませ。ルード坊ちゃま」
ルードはリーダに駆け寄り、抱き着いて嗚咽を漏らす。
もう涙腺は決壊していた。
「……母さん、間に合ったよ。二人に会えたんだよ」
『そうだったの……。良かったわね……』
「うん。でもね、僕の弟は死んでしまったんだ。悔しかったよ……」
『よく我慢したわね、ルード……』
きっと『我慢した』の言葉には『復讐心に駆られなかった』という意味が込められているのかもしれない。
リーダはエリスレーゼとクレアーナに優し気な目を向けた。
『その女性がママね? それと犬人の女性がクレアーナさん?』
「うん」
『どうぞ、こちらへおいでなさいな』
エリスレーゼはリーダに深々と頭を下げる。
「エリスレーゼと申します。ルードをここまで育てていただき、このような素晴らしい名前を与えていただき、感謝以外の言葉が見つかりません」
クレアーナもエリスリーゼに倣って深く礼をする。
「クレアーナと申します。エリスレーゼ様の侍女をさせていただいておりました。こちらでもぜひお仕えさせていただきたく思っております」
二人は挨拶を終えると、リーダの前に座った。
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