第十話 誰が名づけたこのお菓子。

 シーウェールズへ来て、間もなく十二の月が経とうとしていた。

 ルードは十三歳、クロケットは十八歳になっていた。

 ルードは育ちざかりで、身長も少し伸びていたが、キッチンには相変わらず届いていない。

 そのため、近くの木工職人のいる店で踏み台を買ってきて、なんとか普通にキッチンを使えるようになっていたのだ。

 今、ルードはあるものを作っている。

 ボウルに卵を十個。

 砂糖を適量入れて、牛乳を入れながら撹拌していく。

 

 ここで人とは違う方法で料理を始めるのだ。


『風よ、勢いよく、そして優しく攪拌せよ』


 ボールを両手で押さえて、目線で渦を追いながら魔力を調整しつつ攪拌していく。

 まるでミキサーで混ぜるような滑らかさになっているのが、魔法で料理をするという違いなのだろう。

 この町で売られている牛乳は当たり前だが、加熱処理がされていない。

 とても美味しいのだが、すぐに悪くなってしまうのだ。

 その美味しい牛乳を使って、簡単なお菓子を作ろうと思っていた。


 滑らかになった材料を鍋に入れて蓋をする。

 竈の上に鍋を置いたルードは詠唱を開始する。


『風よ、圧力をかけ、それを逃がすな。炎よ、弱く、じっくりと加熱せよ』


 なんとも適当で、かつ、具体的な詠唱だろう。

 しかし、これでうまくいってしまう。

 この状態で暫く加熱して、次の手順へ進んでいく。


『風よ、圧力をかけ、それを逃がすな。氷よ、凍てつかせろ』


 加熱されていた鍋に結露が始まっていく。

 凍らせすぎない程度に加減しながら、鍋全体を冷やしていった。


「よし、こんなもんでいいかな? 魔力の供給を止めてっと」


 鍋の蓋を開けても中身が噴出さないくらいに冷えたようだ。

 最後に目で確認しながら、凍らないぎりぎりのところでキンキンに冷やしていく。

 ここまであまり時間はかかっていないが、ルードの記憶にある圧力釜の要領で無駄なく加熱、放熱、冷却したことで見事にできあがっていた。

 ルードは器三つと匙を三つ鍋と一緒に持ってくる。


「母さん、クロケットお姉さん。できたよ」

『ルード、淡いのにいい香りがするのね』

「お、お、お、美味しそうですにゃ……」


 ルードは鍋から器に取り分ける。


『クロケットちゃん、何かしら? この柔らかそうなお菓子は』

「私も初めて見るので、にゃんとも言えませんにゃ。ですが、ルード坊ちゃまが作ってくれたものですから、きっと美味しいのでしょう」


 ルードは器をひとつ、クロケットの前に置いた。

 クロケット自分よりも、まずはリーダにひと匙掬って食べさせる。


「はい、リーダ様。どうぞ」

『ありがとう。……何でしょう。蕩けるわ……。甘くて、滑らかで、舌の上で溶けてなくなってしまうの……」


 ナイフなどの食器が使えないリーダには、クロケットとルードが交代で彼女に食べさせることにしていたのだ。

 特に甘いものに関しては、クロケットが積極的にリーダの面倒を見ている。

 お互いに甘いものが大好きなせいか、時間を共有するのが楽しいのだろう。


 クロケットも一口食べてみた。


「うにゃぁ……。とろとろだにゃ。あまあまだにゃ。とても幸せだにゃ……」

「そう言ってくれると、作った甲斐があったよ」

『ルード、嬉しいわ。こんなに美味しいお菓子。生まれて初めてよ』

「はいですにゃ。生まれてきてよかったですにゃ」

「大げさなんだから」


 ルードは照れまくり、嬉しくて仕方がなかった。

 確かにイメージ通りにできていた。

 この国で初めて作られたプリンもどきだったのである。

 初夏の今、よく冷えたプリン(と言っておこう)はおやつに最高だった。

 クロケットが入れた渋めのお茶にもよく合い、さらに美味しさを増しているのだ。


『幸せね。こんなに料理の上手な息子を持って、なんか母として申し訳ないわ』

「ルード坊ちゃまの作る料理にはいつも驚かされますにゃ」


 本来であれば見よう見まねどころか、レシピしか知らないものをここまで作れるとは思わないだろう。

 材料が揃って、ルードの繊細な魔法の制御で初めてここまでのものが作れたのである。

 この世界では、料理にこれほどの魔法を使う人はまずいないのだろう。

 部屋を冷やして快適にしたり、食材を保存するために使ったり、こうして料理に使ったりする発想の転換。

 これがルードの考えた、家族を幸せにするための魔法の使い方だったのだ。


 沢山作りすぎたこともあって、ミケーリエルの宿へおすそ分けをすることにする。

 もちろん家族三人で遊びに行くようなものなのだ。

 お昼の仕事が終わったあたりを見計らって着くように家を出る。

 ミケーラとミケルも少し大きくなっていて、一生懸命ミケーリエルの仕事を手伝っているようだ。


「こんにちは。お忙しくないですか?」

「あら、ルード君、こんにちは。今、お昼の仕事が一段落したところなんですよ」

「あ、お兄ちゃん、こんにちは」

「こんにちは、お姉ちゃん」

『ルードがお菓子を作ったのですよ。おすそ分けをしようと来てみたのです』

「まぁ、それはそれは。お茶を入れますのでお部屋へどうぞ。ほら、あなたたちは手を洗っていらっしゃいな」

「「はーい」」


 ルードたちは、ミケーリエルたちの部屋へ通される。

 最近はリーダもクロケットもたまに遊びに来ることから、部屋へ通されることが多くなったのだ。


「器を三ついいですか?」

「はい、ですが。あなたたちの分は?」

『さっき食べてきたばかりなのですよ。それも満足する以上にね』

「はいですにゃ」

「ということなんです。作りすぎてしまって、悪くなる前にお邪魔したということでして」

「いつもすみません」


 ミケーリエルは夫を病で亡くしたそうなのだ。

 それでも女手ひとつで宿を切り盛りしながら二人を育てている。

 リーダやヘンルーダと同じような境遇だったことから、家族ぐるみの付き合いを始めたのだった。


「おいしー。これ大好き」

「うん。甘くておいしい」

「これは……。なんというお菓子なんでしょう。ここまでのものは食べたことがありません」

「すみません。これ、僕が魔法を使ってかなり細かく作ったもので。普通の方法でも作れるんですけど、時間がかかるんです」


 ルードはレシピと作り方をミケーリエルに教えたのだった。

 その作り方は本来の作り方で、かなりの手順を踏まないとこの町で手に入る道具ではややこしいものなのだ。


「お菓子ってこんなに手間のかかるものなのですね……。焼き菓子くらいしか知らなかったもので。驚きました」

「もうほとんど趣味ですね。調理器具は使えるものがあると思いますので、時間があったら似たものは作れると思います」

「えぇ、挑戦してみようと思いますわ。リーダさん、ルード君、末恐ろしいですね」

『えぇ、どんな大人になるのかある意味怖いですわね』


 誉め言葉だとわかっているが、言い過ぎなんではないかと思ってしまう。


「蒸すというのはですね、大きな鍋にこうお湯を張って、小さな器にこの材料を入れてはい、そうです。そのまま蓋を閉めて、あああ、その前に上に布を置かないと水滴が入ってしまいますから」


 ルードは、ミケーリエルにここにある調理器具での作り方を教えていた。


「これで暫く蒸しておいて、あとは氷室の一番手前で凍らないように冷やせばいいと思います。夕方にはきっと食べられますよ。ちょっと雑になっちゃったんですが、それはそれで美味しいと思いますから」

「ありがとうございました。正直、これを毎日やるとなると、かなりしんどいですね。宿の仕事ができなくなってしまうくらいに……」

「夕方食べられるの?」

「おいしいしいの?」

「そうですにゃ。お母さんが作ってくれましたのにゃ。いい子にしてたら美味しいのが食べられるんですにゃ」

「やったー」

「うれしいな」

「でも、毎日はごめんね。お母さん、ちょっと無理よ……」

「うん、がまんするー」

「がまんするー」

「ごめんね、ありがとう……」


 ▼


 ルードはしばらくの間、プリンを作ってはミケーリエルの宿に届けることにした。

 宿の名物にしようと思ったのである。

 材料さえあれば、ルードにとっては容易い作業だった。

 ミケーリエルの宿は十日もしない間に、全室埋まってしまうほどの人気の宿になっていた。

 手が足りなくなり、忙しい時間帯はクロケットが手伝いに行っている。

 ルードはプリンの作り方を教わりに町の菓子屋がきたという話を聞いて、その菓子職人と話をすることとなった。

 しかし、手順と手間が複雑で、材料代と手間賃の割に合わないものだということがわかってしまう。

 調理器具などが新しく作られない限り、暫くの間はミケーリエルの宿でしか食べられない人気のお菓子になってしまった。

 ルードは朝の短い時間で大量に作ってしまう。

 作り慣れると魔法はとても便利なのだ。

 できあがったものをミケーリエルの宿へ届けると同時に、クロケットの手伝いも始まるのだ。

 毎日作っているプリンはせいぜい五十食分。

 その美味しさは毎日午前中には売り切れてしまって、並んででも食べる人が出るくらいに、この温泉の町にも有名なものになっていく。

 毎日忙しくも充実しているとミケーリエルは言っていた。

 クロケットも給金をもらえるのと同時に、忙しくて楽しいと言っていた。

 ルードも料理をするのは楽しく、ちょっとした収入にもなるので続けていこうと思っていた。

 商品の名前は『フェンリルプリン』という恥ずかしい名前が付けられてしまっていた。

 リーダはおなかを上にひっくり返って笑っていたし、クロケットは笑ってはいけないと一生懸命我慢していたようだ。

 怖いと言われたフェンリルのイメージがこうして柔らかくなっていく。


 ▼


 そんなある日、ルードたちの家にお客さんが来たのだ。

 なんでも『フェンリルプリン』の噂を聞きつけて、話がしたいということだったのだ。

 きっと菓子職人だろうと、クロケットにお願いして居間に通してもらった。

 それがルードの人生の転機になるとはこの時点では思っていなかったのであった。


「お初にお目にかかります。わたくしはこのシーウェールズ王室で執事を務めさせていただいております、ジェルードと申します。我が国の王女がですね、是非この『フェンリルプリン』の作られた方に会いたいとのことで、お探ししていたのです。ですが、驚きました。まさか本当にフェンリルの女性が関係していたとはわたくしも思いませんでした」


 そのジェルードという初老の人間の男性は、頭を全く上げず、礼をしたままそうルードたちに伝えたのだった。


『あの、お顔を上げていただけませんか? わたしたちはそんな大層なものでは……』

「いえ、わたくしもある程度は調べさせていただいたのです。フェルリーダ様。あなたはウォルガード王国の王家の出だと聞きました」

『あら、わかっていらしたのですか。でしたら隠していてもしかたないですね……』

「ウォルガード?」

『えぇ。わたしの故郷ですよ。ジェルードさん、わたしはウォルガード王国第三王女でした。フェルリーダ・ウォルガードと申します。息子はフェムルード・ウォルガード。こう見えてもフェンリルなのですよ』


 ルードの白い髪を見てジェルードは頷いた。


「純白のフェンリルの噂は聞いておりました。やはりあなた方だったのですね。由緒正しいお方のご子息が作られたと聞き、こうしてお願いに上がった次第なのです。是非、わたくし共のわがまま王女の……、あ、いえ、申し訳ありません。王女の話を──」

「食べたいんですね?」


 『わがまま王女』という言葉で一気に場が和んでしまった。


「お恥ずかしい話、そうでございます……」


 リーダはくすくすと笑っていたし、クロケットも笑うのを堪えていたようだ。

 ルードも苦笑しながら素直に答える。


「少しお時間をいただけますか? これから作りますので」

「本当に申し訳ありません……」


 ルードは、この人はこの人で苦労してるんだな、と思ってしまった。


 『フェンリルプリン』を手早く作り上げると、準備ができたとリーダに伝える。

 クロケットはあらかじめ用意していた、ジェルードにも負けない侍女の服装に着替えていた。

 ルードとリーダはいつもの恰好で行くつもりだ。

 何も着飾ることはないだろうと思ったからだった。

 クロケットは二人に恥をかかせたくないと思ったため、着替えたということになる。


「ジェルードさん、準備できましたよ」

「はい。本当に申し訳ございません。表に馬車を用意していますので、お乗りになってください」

「母さん、クロケットお姉さん、いこっか」

『えぇ、行きましょう』

「はいですにゃ」


 この国に来て、まさか王城へ行くことになるとは思っていなかった。

 それも『フェンリルプリン』がきっかけになるとは、ルードも思っていなかったのである。

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