第九話 町で噂になっていた。

 ルードとリーダ、クロケットは朝早くから近くの砂浜に来ていた。

 浜辺には防風林があり、その木陰でルードは服を脱いだ。

 クロケットがルードの服を持つと、ルードは恥ずかしそうにしながらさっさとフェンリルの姿になってしまおうと思った。

 もう何度も姿を変えていたせいか、瞬時にフェンリル化できるようになっている。


 リーダとクロケットが見守る中、ルードは疾走感に酔いしれていた。

 人の姿で走ったときの速さなど、比べ物にならないくらい速く走れる。

 四本の足で走るのに慣れてきたルードは、砂浜の上を人では考えられない速さで、砂煙を上げながら二人の前を駆け抜けていく。

 リーダはルードの姿を目で捉えていたが、クロケットはあっさりと見失ってしまう。

 追えるのはルードの小さくなった背中だけだった。


「は、早すぎるですにゃ……」

『そうね。無理しなければいいのだけれど』


 ルードは身体の限界を調べていた。

 どれだけ速く走れるか。

 どれだけ高く跳ねることができるか。

 急加速、急停止、急旋回。

 これならば、猫人の集落まで余裕で行って帰ってくることができるだろう。

 ルードは、この力をくれたフェムルードに感謝をするのだった。


 ルードは二人の元へ戻ってくる。


「クロケットお姉さん」

「はいですにゃ」

「僕の背中に乗ってみてくれる?」

「いいのですかにゃ?」

「うん。クロケットお姉さんを乗せて走ってみたいんだ」


 クロケットはリーダの方を見る。


『ルードがいいと言ってるのですから、乗ってあげてほしいわ。ルード、あまり無茶をしたら、クロケットちゃんが落ちちゃうから気を付けるのよ?』

「はい。母さん」


 ルードはその場に伏せると、クロケットが乗りやすいようにする。

 クロケットは遠慮がちにルードに跨ると、ぼそっと呟いた。


「にゃ、にゃんかちょっとえっちですにゃ……」


 言われてみれば確かに、ルードの背中にクロケットのお尻の感触があるのだ。

 ルードはその感触を気にしないようにする。

 気にしたら負けのような気がしたからだった。


「な、何を言ってるの? ほら、しっかりつかまってね。行くよっ」


 ルードは立ち上がるとゆっくり歩き始める。

 徐々に早足にしていくのだが、クロケットには不思議な感じがしたのだった。


「うにゃ? あまり揺れにゃいですにゃ」

「うん。脚の関節をうまく使って揺れないように走ってるんだよ」

「そうだったんですにゃね。もっと速く走ってもいいですにゃよ?」

「いいの?」

「はいですにゃっ」

「……知らないよ?」

「うにゃ?」


 ルードは徐々に速度を上げていく。

 クロケットに振動が伝わり始めていた。


「うにゃ、速いですにゃっ」

「まだまだ」


 ルードの足元が跳ねるように地を蹴り始めた。

 クロケットにも上下の振動が若干増えたように感じる。


「うにゃにゃにゃにゃにゃ。まだまだ、ですにゃよ?」

「そっか。じゃ、もう少し」


 リーダが言ったようにクロケットを乗せていても重さはあまり感じない。

 彼女がまだまだいけると言ってしまったので、ルードも調子に乗って速度を上げすぎていたかもしれない。


「うにゃ、ちょ、っと。こわ、く、にゃって、きたにゃっ……」

「ん? なんか言った? クロケットお姉さん」


 砂を蹴る音であまりよくクロケットの声が聞こえなくなっている。


「ルード、坊ちゃま。そろそろ、まずいでずにゃ」

「まだまだ行くよっ」

「だから、そろそろ。うにゃっ!」

「ん?」

「振動が、ちょっと、まずいでずにゃ。止まって、ルード坊ちゃま、止まってくださいにゃっ!」

「えっ? どうかしたの?」

「いいからっ、あっ……。うにゃぁああああ……」


 クロケットの力ない声が聞こえてきたので、ルードは速度を落としていった。

 リーダの傍まで来ると、何やらルードの背中がほこほこと温かく感じる。


「だから止まってって……」

「あー、クロケットお姉さん。ごめんなさい」


 クロケットはあのときのように、漏らしてしまっていたのだ。


『ルード、駄目でしょ』

「ごめんなさい……」


 ▼


 リーダがクロケットを家に乗せて先に帰ったようだ。

 ルードはもう冷たく感じる海にざぶんと沈んで、波打ち際まで戻ってくると身体を振って水分を飛ばした。

 防風林のあたりまで戻ると、クロケットが持っていた服が置いてある。

 そこで人の姿に戻ると、服を着て家に戻ることにした。


 家に入ると、リーダが迎えてくれた。


『クロケットちゃんがまだ、お風呂に入ってるからルードも入ってらっしゃい』

「僕、海に入ってきたからいいよ」

『駄目よ。ほらこんなに冷え切ってるじゃないの。入ってきなさい、ね』


 リーダが座っているルードに軽く抱き着くように覆いかぶさる。

 彼女の温かさがじわっと冷えた体に沁みてくるようだった。


「はぁい……」


 ルードは脱衣所で裸になると、恥ずかしいからフェンリルの姿になった。


「クロケットお姉さん。入ってもいい?」

「いいですにゃ」


 目を瞑って風呂場に入っていく。

 そこにはクロケットの嬉しそうな目が光っていた。

 そのあと、泡だらけにされて、遊ばれてしまったのは言うまでもない。


 ▼


 満足そうなクロケットの表情に反比例して、ルードはげっそりとした感じになっていた。


「楽しかったですにゃっ」

「もういや。お嫁にいけないってこういうことを言うんだね……」

『二人ともちゃんと温まってきたの?』

「はいですにゃ」

「う、うん」


 クロケットは楽しそうにルードの毛をブラッシングしている。

 日に日に長く、美しくなっていくルードの純白の毛。

 あの日以来、人間のルードの髪の毛も変化していた。

 目の色はリーダと同じなのだが、フェンリルでいるときの姿に若干引きずられているような感じで、髪の毛も徐々に白くなってきているのだ。

 リーダはそれを成長と感じているようだった。

 フェンリルは幼少時に、母親と同じ毛色をしているという話をリーダは前にしたことがあった。

 そこから男の子は徐々に青くなっていくのだそうだ。

 ただルードはちょっと違っている。

 半分人間のようなものだから、白くなってもそれはルードの個性だとリーダは思っていたようだ。


 ルードは魔法を使えなくなったわけではない。

 相変わらず自由奔放な詠唱方法を独自で開発してしまっていた。

 ルードは人の姿になるとクロケットの後ろに立った。

 

「クロケットお姉さんいい?」

「はいですにゃ」

『風よ、緩やかに吹け。炎よ、風を温めよ』


 と、こんな風に二重で詠唱を続けることによって、手から温風を発生させることに成功してしまったのだ。

 クロケットの黒くて長い髪を乾かすのに、何度も拭き布で水分をとっていたのを見て、不便だなと思っての行動だった。


「温かいですにゃ。髪がさらさらになっていきます、にゃ……」


 指でクロケットの髪をわしゃわしゃとしながら、温風で乾かしていく。

 これはリーダもお気に入りの魔法だった。

 彼女も毛を乾かしてもらっているとき、とてもいい表情をしているのだ。

 家族に何かをしてもらっているときの嬉しさはルードも十分に知っている。

 だからこそ、役に立ちたいという一心でこんな魔法の使い方を思いついてしまったのだ。


 ▼


 シーウェールズの城下町では、白い大型犬の種族の目撃談が噂されるようになってきていた。

 その噂は神獣が現れたとか、白狼を見たなど。

 純白の綺麗な毛を持つ神々しい種族だとも噂されている。

 ただその姿をはっきり見たという話はまだ出ていない。

 とにかく速いのだ。

 もちろんその正体はルードである。

 近くの森で走るための訓練を欠かさないでいたため、誰かに見られてしまったのだろう。

 別に隠すつもりはないのだが、自分からそうだと言うのも恥ずかしい。

 おまけにそうなって見せるのには、まず裸にならないといけないのだから無理な話しだ。


『わたしはあなたのその姿は大好きよ。そのままの姿で一緒に町を歩きたいのだけれど、買い物をするにしてもこの姿は少し不便ですからね』


 リーダがそうフォローしてくれる、ルードは母の気遣いがとても嬉しかった。


「母さん」

『何かしら?』

「フェムルード君が生きてたらさ、やっぱり青い毛になってたのかな?」

『そうね。わたしの故郷ではそれが当たり前だったわ。わたしみたいなフェンリラは緑、男のフェンリルは青と昔から決まっているのよ。それは誰が決めたわけでもないのだけれど、それがわたしたちの種族性なのかもしれないわね』

「そうですにゃね。わたしの集落が黒毛だけで、ミケーリエルさんの集落は多分三毛色にゃんだと思いますにゃ」

「僕が母さんの国に行ったら、変な目で見られないかな?」

『それは大丈夫よ。もし、変な目で見られたり、嫌な扱いをされたとしたらね、わたし怒っちゃうもの……』


 そう言って口元に笑みを浮かべていたリーダの目はもちろん、笑ってはいなかったのだ。


『だからね、あなたはわたしが絶対に守ってあげる。もう二度と息子を失いたくないから。わたしの生きがいはあなたたちだけなのですからね』

「リーダ様、ありがとうございますにゃ……」

「うん。僕も二人を守れるように強くなる。そうじゃないと、いつか母さんを捨てた男を殴れないからね」

『ありがとう。ルード、クロケットちゃん』


 ▼


 ルードは噂が悪いものにならないように、二人に迷惑をかけないようにと、フェンリルの姿で町に出ることにする。

 予想通り、家を出た瞬間、ルードは皆の注目を集めてしまった。


「皆さんお騒がせしてすみませんでした。僕はここに住むフェルリーダの息子、フェムルードです。今まで隠していてすみませんでした」


 すると、なんと順応性の高い人々だったろう。

 皆口々に『なんだ、そうだったのかい。また買い物に来ておくれよ』とか『綺麗な毛ね、触ってもいいかしら?』など、普通に接してくれるではないか。

 悩んでしまって馬鹿みたいだ。

 ルードは気持ちがすっきりしていくのを感じていた。


 家の周りの人々に受け入れられて一安心したルードたちは、ミケーリエルの宿へ顔を出すことにした。


「あの噂はルード君だったのですね」

「はい。最近やっとこの姿になれるようになったんです。それで嬉しくてあちこち走り回っていたら、その、見られていたみたいで」

「おにいちゃん、しろくてふわふわしててきれい」

「うん。やわらかくてふかふかしてるね」


 前よりも増して、ミケーラとミケルがルードに抱き着いてくれるのだ。

 クロケットがちょっと羨ましそうにそれを見ていたら。


「おねえちゃんもいっしょにふかふかしよ」

「おねえちゃん、きもちいいよ」

「はいですにゃ。んー、やっぱりモフモフしてて気持ちいいですにゃ」

「もふもふ?」

「もふもふ?」

「モフモフですにゃ」

「クロケットお姉さん。変な言葉教えないでよ……」


 二人並んで自分たちの子の姿を見ていたリーダとミケーリエル。


「リーダさんとそっくりですね。可愛らしいです」

『えぇ、口に入れて育てても、苦しくないほどですからね』


 『目の中に入れても痛くない』という意味なのだろう。

 彼女らの種族ではそう表現するようだ。

 ルードはミケーラとミケルを背に乗せて、その場で軽く跳ねてあやしていた。

 ちゃっかりクロケットも乗っていたのを見て、リーダとミケーリエルはくすくすと笑って見ていた。

 この姿でいるとき、重さをあまり感じないから気づいていないのだ。


 その日、リーダの息子は、純白のフェンリルだったという話が町中に広まっていった。

 ただ買い物に出るときはルードは人の姿になっている。

 そうでないと不便だったのだ。


 ただ、クロケットの故郷の集落へ行くときは、ルードもクロケットを乗せて一緒に行くようになったのだ。

 ルードはリーダと一緒に走れるのが嬉しかった。

 リーダは息子の成長に驚きながらも、嬉しくて仕方がなかった。

 リーダがある程度加減しているからといって、ルードは遅れることなくついてくる。


 集落に着いた時、皆に驚かれてルードは集落の子供たちの人気者になっていた。

 背中に五人ほど乗せて、集落の広場で歩き回る。

 軽く跳ねては、子供たちの笑顔と笑い声が聞こえてくる。

 帰りはルード用にあつらえた鞄を背負って、リーダと分担して荷物を運んでいけるようになっていた。

 そのうちルードとクロケットだけでこちらへ来るようになるだろう。

 こうして少しずつルードは成長していくのだった。

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