第七話 新しい我が家。
ボニーエラが固まった状態から復帰する頃、今度はウェルダートが顔面蒼白な状態になっていたのである。
「ふぇ、フェンリラ様というと、あの……。怒らせたら国一つ一瞬で蒸発させられてしまうという……」
『それはいつの時代の話ですか……。確かにわたしのお婆さまが昔そんなことをしたという話は聞いたことはありますけど。わたしは違いますよ。勝手に怖がらないでいただけますか?』
「は、はい。申し訳ございませんでした。では私は職務に戻らせていただきますので」
ウェルダートは一礼してそそくさと戻っていった。
おそらくは失言してしまって恥ずかしくなったのだろうか。
残されたボニーエラは呆然としていた。
きっと『私を残して逃げてしまった』と思っているのだろう。
「母さんのお婆さんって強いんだね」
『そうね。普段はおっとりとしているのだけれど、怒らせると怖かったわ……』
「でも、僕、会ってみたいかも」
『そうね。あなたが大きくなったら連れて行ってあげるわね』
「うん。あ、そうだ。部屋だった。あの、ボニーエラさん」
「は、はいっ」
「僕たち今日こっちに引っ越してきたんですけど、部屋を決めないで来てしまったのです」
「で、では。い、一軒家になりますけど、ちょうど空いてるのがありますので、ご紹介できますが」
「そうですか。母さん、いいかな?」
『えぇ、見せてもらいましょうよ。けど、お金足りるかしら? ルード、腰の鞄から宝石を出してもらえるかしら?』
「うん。これだね。まだ換金してないんですけど、これで足りますか?」
ボニーエラに袋を開いて見せる。
『宝石』という言葉を聞いて笑顔になっていたところを見ると、立派な商売人なんだろうとルードは思った。
ボニーエラの目が『お金』と書いてあるような感じにキラキラと輝いて見える。
「も、もちろん足ります。足りるどころか、このうちの半分ほどで買えてしまいますよ」
「そうなんですか。よかったです」
「やった。仲介料でうはうはになりそう……。いえ、すみませんでした。これからご案内いたしますね」
ボニーエラの心の声がダダ漏れしていたため、ルードたちは苦笑いをするしかなかった。
▼
案内されたところは、商店の並ぶ道沿いの一番外れにあった。
広い敷地に大きな庭のある、二階建ての広めの家だった。
しばらく人が住んでいなかったのだろう。
「ここは少し前まで、大型の種族の方が住んでいたそうです。ただ、作りが大きすぎて買い手がつかなくて、数年空き家になっていました。リーダ様にもいい大きさだと思いましてご紹介させていただきました。今、鍵を開けますのでどうぞお入りください」
外壁は白いブロック積みのモザイクのようにも見える。
白いレンガといえばわかるだろうか。
色味の違う石を互い違いに組み合わせて外壁を作り上げている。
ルードが一番気になったのは入口。
二枚の玄関扉になっていて、リーダも一枚開けるだけで余裕をもって入れるようだ。
大型の種族が住んでいたというだけあって、文句なしの作りだ。
両方開けてもらい、リーダと並んで入っていく。
家の内側の壁は薄いカーキ色。
落ち着いた感じがある色味のいい壁だ。
暖炉があり、広めのリビングのような部屋が目に入ってくる。
明り取りも申し分ないほど大きめの窓。
庭に出るとことは勝手口もある雨戸形式になっているようだ。
ここから寛ぎながら遠くに海も見ることができる。
右奥には広いキッチン。
これも結構横に大きい。
「ここのお風呂もお湯を引いてるんですか?」
「はい。源泉から直接お湯を引いてるんですよ。この国で沸く湯量は豊富でいつも綺麗なお湯に入れるのも特徴なんです」
「母さんよかったね」
『えぇ。ゆっくりお風呂に入れるのは助かるわ。お風呂の広さはどうなのかしら?』
「はいっ。こちらがお風呂に繋がっている通路になります。洗い場も広くて、浅めの湯船が大きく取られていますね」
広かった。
洗い場の奥に床を掘ったような感じで湯船が作られていた。
人間ならば五、六人は並んで足を伸ばして入れるくらいの広い湯舟。
ルードの肩くらいのお湯が常時張られているようだ。
奥に行くにしたがって徐々に深くなっているようで、うまく作られている。
壁からお湯が常時注がれていて、湯量が豊富というのも頷ける。
ルードは手を入れてみた。
「うん。ぬるくない。ちょっと熱めだけど気持ちいいかも」
硫黄の匂いがしないところから、食塩泉か単純泉なのだろう。
ちょっと舐めてみるとしょっぱく感じる。
食塩泉のようだ。
確かルードの記憶の中にあるものによれば、飲んでも体にいいとあったはず。
「このお湯に入りに来る観光の方も少なくはないんですよ。傷にも肌にもいいみたいだと言われていますね」
森の奥にあった湯とは違う質だが、十分贅沢な環境だということだろう。
あっちでは薄い硫黄の匂いがしたからこっちとは違う。
かといって、湧かす必要がないのは便利だろう。
「うん。お風呂は文句なしだね。二階はどうなってるんだろうね」
「はい。では二階に案内しますね」
風呂を出てキッチンとは逆側に階段があるようだ。
階段の幅も二人がすれ違えるほどの広さがある。
一階の広い場所に荷物を降ろしてリーダも一緒に上がってきた。
二階は三部屋あり、一部屋は二部屋分の大きさになっていた。
開放感のある廊下に贅沢に広い部屋。
ルードには広く感じたのだが、前に住んでいた人には普通なのだろう。
おかげで圧迫感は全くなく、リラックスできることだろう。
「母さんどう思う?」
『えぇ、ここでいいと思うわ。窓から遠くに海も見えるし、いい景色だと思うわよ』
「あの、庭の入り口の横にあった建物はなんでしょうか?」
「はい。あれは前に住んでいた方が食堂を経営していたようで、そのまま残っているのです。使われないのなら倉庫にもできますので」
「へぇ。そうなんだ。だからお店のある道に面してるんだね」
「そうですね。お店をなさる方にお貸しすることもできますので、その際はご相談に乗れるかと思います」
「クロケットお姉さん。どう?」
「はい、綺麗な家でとても素敵だと思いますにゃ」
「僕も気に入ったよ。母さんここにしよう」
『そうね。ここでお願いできるかしら?』
「はいっ。ありがとうございます。では後日書類をお持ちしますので、その時にお代と引き換えでよろしいでしょうか?」
『えぇ。今日から住んでも?』
「はいっ。構いません。ではお買い上げありがとうございました」
ボニーエラはホクホク顔で帰っていった。
見るとクロケットは早速荷解きを始めている。
リーダは雨戸を開けて、庭を見ながら一休み。
「母さん。いい家だね」
『そうね。あっちと違うのだけれど、落ち着くわ。広くて気持ちいいわね』
「うん」
▼
夕食の材料を買いにいく前に、お世話になったミケーリエルの宿へ顔を出すことにした。
道順はリーダとクロケットが匂いでわかるという話だった。
クロケットがルードから一歩下がったところを歩きながら、道順を教えてくれる。
「次の角を右ですにゃ」
「うん」
夕方になって陽も落ちてきたのだが、観光目的の人も来ているせいか、かがり火が焚かれていたり、魔法の明かりが点いていたりして結構明るい。
魔法があるのだからかがり火は必要ないと思うのだが、雰囲気作りの演出もあるのだろう。
ここはエランズリルドよりも北に位置しているせいか、真夏なのに夜になると涼しい。
ただお湯が沸く温泉地でもあるため、全体的にあちこちで湯気も見える。
温泉を売りにした宿も多く、往来は結構賑わっている。
このあたりがエランズリルドと違うだろうか。
これだけの種族が集まっていると、案外リーダも目立たない。
それもルードがこの国に住みたかった理由のひとつだったのだ。
「その角を曲がったらすぐですにゃ」
新居から歩いてもそれほど遠くなかった。
宿が見えてくるとルードは少しだけ嬉しくなってくる。
この国での数少ない知り合いなのだ。
ウェルダート、ボニーエラを含めてもまだ五人。
これだけの人がいる中、知り合いがいるというのは実に心強いのだ。
「こんばんはー」
「はい、いらっしゃいま、あら? おかえりなさい、皆さん」
「はい。こっちに越してきました」
「よろしくお願いしますですにゃ」
『息子のお願いに乗ってしまいましたのよ』
「えぇ、子供の暮らしやすいところが一番ですものね」
夕食はミケーリエルの宿で食べていくことにした。
魚の捕れる町であったため、魚が中心の晩御飯だった。
猫人の好物でもある魚だからこそ、料理の仕方にこだわりが見える。
どの魚はどうしたら一番美味しいのか。
それがわかっているように思えたのである。
だから美味しかった、文句なしの味だった。
余計な味付けがないため、魚の旨みがしっかりと味わえた楽しい晩御飯。
ただちょっと不満だったのが、主食がパンだったことだろう。
どんなにルードの頭にある味付けになっていても、温かいお米を食べてしまっているのでもったいなく感じてしまうのだ。
それと、ルードはとある調味料が欲しくなっていた。
ただその材料があるかはわからない。
今まで森でもエランズリルドの雑貨屋でも見たことがないのだ。
いつか挑戦してみようとは思っている。
ミケーラとミケルにも挨拶を終えて、家に帰ることにした。
途中で飲み物や果物、甘いものなどを買って帰った。
リーダもクロケットも『甘いものは別腹』らしいのだ。
ルードが欲しくなって買ったものは、新鮮な卵や家畜の乳の入った瓶など。
キッチンの床下に氷室を見つけたので、買い置きしておこうと思ったのだ。
家に戻ると部屋の温度が高いことに気づいた。
クロケットが窓を開けようとしていた。
「クロケットお姉さん。窓は開けないでいいよ」
「暑くにゃいんですかにゃ?」
猫人は暑いのが苦手らしい。
もちろん、リーダも苦手だということだ。
いくら北に位置しているとはいえ、森の中よりは少し暑いだろう。
「今僕が涼しくするからね」
『ほどほどにしておきなさいね。倒れたら困りますよ』
「うん、大丈夫」
「にゃ?」
ルードは目を瞑って深呼吸をひとつ。
『氷よ、我を取り巻く大気を凍てつかせろ』
ルードが詠唱を終えると、周りの温度が少し下がったような気がする。
若干鳥肌が立つくらいだろうか。
「うにゃにゃ? す、涼しくなったですにゃ」
「……ふぅ。うん。これ以上は身体に悪いからやめとくね」
『えぇ。涼しいわ。クロケットちゃん、さっきの甘いのが食べたいわね』
「はいですにゃ。今、用意しますにゃ」
クロケットがリーダのリクエストに応えている間、ルードは氷室を開けて買ってきたものを詰めていた。
『氷よ、氷結しろ。……氷よ、凍てつかせろ』
あらかじめ置いておいた水を張った入れ物に魔法をかけたあと、連続して詠唱した。
瞬時に凍った氷と氷の呪文が氷室を冷やしていく。
「うん。これでいいね。クロケットお姉さん、ここ開けたらなるべく早く閉めるようにしてね」
「はいですにゃ」
リーダは魔法の概念について物凄く詳しいのだが、詠唱をすることは苦手のようだ。
そんなことをしなくても、力を具現化できるのだから必要ないのだろう。
そのおかげでルードは魔法を使えるようになった。
必要な時はルードが使うようにしていたのである。
クロケットは魔法を使えない。
だが家事は完璧。
きっとヘンルーダが厳しく鍛えたのだろう。
ルードはグラスを三つ並べてキッチンの上に置こうとしたのだが、ちょっと身長が足りないようだ。
身体の大きな種族が使っていたということを忘れていた。
「クロケットお姉さん。お願い」
「はいはい、ですにゃ」
クロケットはルードを後ろからひょいと抱き上げる。
するとちょうどいい高さになったのだ。
「ありがと。ちょっとだけお願いね」
「はいですにゃ。んー、いい匂いですにゃ」
クロケットはルードを抱えあげながら襟元あたりの匂いをすんすんと嗅いでいた。
「あのねぇ……」
ひとこと呆れた声を出しながら、ルードは水をボウル状の入れ物に入れると慣れたように詠唱を開始する。
『氷よ、氷結しろ』
またも瞬時に水が氷に変わっていく。
流し台にお湯がでることがわかっていたので、お湯の出る部分の蓋を取るとお湯が流れてくる。
そのままボウルの外側をお湯で温めると氷がするりと外れてくれた。
氷を手に取って、腰の小刀で数回氷を斬りつけた。
すると氷は小さく砕けてボウルの中へ落ちていく。
「うん。もういいよ。これでお茶を冷やしてね」
「ルード坊ちゃま、ありがとですにゃっ」
ルードの頬に自分の頬を合わせて軽くスリスリしてくる。
クロケットは優しくルードを床に降ろすと、グラスに氷を入れてそこに入れておいたお茶を注いでいく。
少し濃いめに入れたお茶は、氷が溶けていい感じの濃さになっていった。
「どうぞですにゃ」
この家は家具もある程度残っていた。
リビングには低めのテーブルがあったのでそれを使うことにしたのだ。
クロケットはテーブルにグラスを乗せた。
リーダは後ろ足で座ったまま、両手で器用にグラスを持ち上げて冷たいお茶を喉に流す。
ナイフなどの食器は使えないが、この程度であれば普通にこなしてしまう。
『美味しいわね、冷たいお茶がたまらないわ。この小さな果物の砂糖漬けも美味しいわね』
「そうですにゃね。冷たいお茶が飲めるのは、ルード坊ちゃまのおかげですにゃ」
そうして引っ越してきた初めての夜は更けていくのだった。
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