第六話 お母さんの力とその素性。
食事も終わって部屋へ戻ってごろごろとしていた。
海からくる潮よいの香りの風も心地よい。
「ねぇ、母さん」
『何かしら?』
「あのね、お願いがあるんだけど」
『言わなくてもわかってるわよ。この国に住みたいって言うんでしょ? 食事のときにそう言ってたのを憶えていますからね』
「あのね。僕は前から母さんと、クロケットお姉さんと一緒に町を歩きたかったんだ。それがさ、この国では普通にできるじゃない? それにクロケットお姉さんと同じ、猫人の人もいるしさ」
「あのとき見た親子がまさかここで宿屋をやっていたにゃんて、驚きでしたにゃ」
「うん。あの子たちも可愛かったよね。双子なのに、疎まれず、呪われずに生きていける。心温かい人が沢山いる、いい国だと思う……」
ルードは窓から見える海をぼうっと眺めながら、心のうちを漏らしていたのだ。
あの森は、憎々しいあの男の国ではない。
買い物もあの国の城下ではないが、属している町へ出かけているのだ。
ことあるごとに思い出してしまうのは仕方ないのだろう。
ルードは母であるリーダに育てられたから普通の人間より丈夫に育っている。
クロケットも町へ買い物に行けるようにはなったが、猫人は争い事に向いていない。
身体能力はルードと変わらないが、腕力もルードとあまり変わらないのだろう。
ルードとリーダが一緒にいれば、クロケットは安全なはず。
クロケットの集落も、森の深い位置にあるため、人間がおいそれとは入ってくることはないないはずだ。
ただ、あの国の町、人里にはリーダは近づこうとしないのだ。
だから一緒に町を歩くことはできなかった。
『おうちに戻ったら、こちらへ引っ越してきましょうか? ルード』
「いいの?」
『えぇ。あそこは幼いわたしの息子を育てるために移り住んだ場所なの。ルードが大きくなったからもういいかな、とも思うのよ。あそこに眠ってるあの子も、きっと許してくれるわ。ルードにあの子と同じ名前をつけさせてくれたから、あの子を忘れることはきっとないと思うの。あの子の分まで元気に生きてくれたら、わたしはそれでいいの』
「母さん、その子はもしかしてあの国の人間が……」
『いいえ、違うのよ。あの子は元々身体が弱かったの。あなたに会う前にね、冬を越すことができなかったの。あなたが心配するようなことはなかったのよ。わたしがもう少し丈夫な子に産んであげられなかったのが、いけなかったの……』
リーダはルードの横に来て、同じように海を見つめていた。
ルードはリーダに甘えるように、彼女の首に顔を埋める。
クロケットはルードの背中からリーダに抱き着くように身体を寄せた。
「私はルード坊ちゃまとフェルリーダ様がいるところであれば、そこが私の居場所ですにゃ」
「ありがと。クロケットお姉さん」
その晩、ゆっくりと眠って、朝起きるとルードたちは三人で町を見て回った。
どこの誰もがリーダを敬遠することなく接してくれていた。
国の入り口を守っている男性たちは、きっと見慣れないリーダに驚いていただけなのだろう。
その人たちは人間なのだから、それは仕方のないことだ。
何度も顔を合わせればそれはいつか解消する。
この国にいる猫人や犬人などの種族は、あの国、エランズリルドでは魔獣や魔族と呼ばれていた。
この国ではそんな呼ばれ方はしていない。
猫人は猫人。
犬人は犬人。
各種族を尊重して人間と同じに扱ってくれている。
それから二日ほど、ゆっくりと海を見たり、浜で遊んだりしながら過ごしていた。
そしてこの国を発つ日。
ミケーラとミケルはクロケットの足に抱き着いていた。
「いやーっ」
「いやいやっ」
「ほら二人とも、また来てくださいねって挨拶なさい」
「いやっ。いやったら、いやっ」
「ぼくも、いやっ」
クロケットは困った顔をしながらしゃがむと、二人をきゅっと抱いていた。
ルードも二人の頭を撫でてあげている。
「あの、お世話になりました。大丈夫ですよ。僕たちこの国に越して来ようと思ってるんです」
「まぁ、そうなのですか。ほら、二人とも。またねって挨拶なさい」
「ほんと?」
「またくる?」
「また来ますにゃよ」
『息子がここに住みたいと言ってました。実はわたしも気に入っているのですよ。生まれて初めてです。猫人以外の人たちに温かく迎えてもらったのは』
「そうでしたか。また会えることを楽しみにしていますね。ご利用ありがとうございました。いってらっしゃいませ」
「またねー」
「またね……」
「はい。また会いましょうですにゃ」
「お世話になりました。またすぐに会いに来ますから」
三人に見送られながら、ルードたちは国を出ることになる。
城門の詰所に行くと、受付をしてくれた男性が出てきてくれる。
入国証書を渡すと、銀貨を戻してくれた。
「先日は大変失礼なことをしてしまいました。上司から話を聞きまして、申し訳ないことをしたと思っています」
「どうされたんですか?」
「いえ、そちらの女性が、あなたのお母さまだと聞きました。本当に申し訳ございません」
「いいんですよ。慣れていなければ仕方ないことです。僕たち、近いうちにこちらへ住みたいと思ってるんです」
「そうですか。それは歓迎いたしますよ。この国はいい国ですから。ではいってらっしゃいませ」
「ありがとうございます。ではまた」
その男性は三人が見えなくなるまで頭を下げていた。
▼
家に戻ってきて、すぐにルードはリーダにお願いをした。
「母さん」
『何かしら?』
「もうひとりのルード君に挨拶したいんだ」
『まぁ。……いいの?』
「うん。母さんを独り占めしちゃってるし、引っ越しするから。きちんと挨拶したい」
少し離れた場所に、見晴らしのいい丘があった。
ここに彼は眠っているのだそうだ。
樹齢千年はありそうな太い木があり、その足元にはもうどこにいるのかわからない状態に草木が育っていた。
『あの子はね、ここの底深くに眠っているのよ。フェムルード、この子がもうひとりのルードよ』
「フェムルード君。ありがとう。母さんに会わせてくれて」
「フェムルード君。ありがとうですにゃ」
三人はしばらく無言でその場に留まって、そこから見える景色を眺めていたのだった。
▼
夕方になろうとしていた。
日が落ちる寂しさを感じるのも、亡くなったフェムルードとの別れの時間がゆっくり取れたということなのだろうか。
『ルード、戻りましょうか』
「うん。母さん」
「はいですにゃ」
ルードが帰ろうとしたとき、頭の中で誰かが話しかけてきた。
『(あいにきてくれてありがと)』
「(えっ? 誰?)」
何となく誰かはわかっていた。
ルードには、さっきから誰かがいるような気がしていたのだ。
『(ボク。おねがいがあるの)』
「(どんなこと?)」
『(……ボクもつれていって)』
「(えっ?)」
『(なにもしないよ。ママのちかくにいたいだけ)』
「(いいよ)」
『(いいの? うれしい。ありがとう、ルードくん)』
地中から何かが出てきた淡い光が、すぅっとルードの身体に入ってきた。
刹那の時間の会話だったが、彼が入ってきたとき、決して嫌な感じはしなかった。
『何してるの? 帰るわよ、ルード』
「う、うん」
▼
家に戻ると、風呂に三人で入って、三人で固まって寝ることにした。
ルードは最近、リーダと離れて眠ることが多くなったが、今夜は彼女に抱き着いて眠ることにした。
『ルード。どうしたの?』
「ううん。こうしていたいの」
『変な子ね。ほらもっとこっちへいらっしゃい』
そう言って、リーダは前足できゅっと抱いてくれる。
「ママ」
『えっ?』
「ありがとう……、だいすきだよ、ママ」
『ルー、ド?』
『(ありがとう。やっとあっちにいける。ボクのちからはきみにあげるね。ルードくん。バイバイ)』
「(うん。もういいんだね? おやすみ、フェムルード君……)」
朝起きると、荷造りを始める。
ひとっ走り町まで行き、大きな鞄を複数買って帰ってくる。
そこに必要なものを詰めて、敷地の外へ出てきた。
『忘れ物はない?』
「うん、大丈夫だよ、母さん」
「はいですにゃっ」
『少し離れていなさいね』
「何をするの?」
『ここを吹き飛ばすの。もし、あの馬鹿な男が帰ってきたら唖然としてしまうようにね』
リーダは、いたずらっ子のようにウィンクをする。
男とは、おそらくリーダの夫だった人だろう。
ルードとクロケットが荷物を持って離れると、リーダは前足を地面に食い込ませるように力を入れていた。
『いいかしら?』
「うん」
「はい、ですにゃ」
すると、リーダの身体から魔力のようなものが立ち上ったかと思うと、全身に帯電が始まったかのように、バチバチと何かが弾けるような細かい、青白い光が纏わりついている。
周りの鳥や獣の気配が遠ざかっていくような、そんな気配を感じた。
リーダを中心に、風が暴れている。
クロケットの身体が恐怖を感じてか、震えが止まらなくなっているようだ。
ルードはクロケットの手をきゅっと握る。
ルードの手を通してクロケットの震えが伝わってくる。
だがクロケットの震えもルードの気持ちが手を伝わっていたのだろう。
徐々に治まっていたのだ。
リーダは後ろを向いて二人の様子を確認すると、優しい目を向けてくれた。
今一度敷地を睨むと、力を解放する。
その刹那、雷が落ちたような衝撃音が発生する。
辺りつんざく轟音と共に、一面がホワイトアウトした。
クロケットは音と同時に目を閉じてしまったが、ルードは一部始終を瞬きせずにしっかりと見ていた。
リーダの放った雷撃は周りを一瞬で消滅させるほどの威力があった。
視界がはっきりしてきたときには、すべての敷地内にあったものは消滅していだのだ。
「……すごいね、母さん」
『あら。これでも手加減したのよ? 全力の
リーダはさらっと言うのだが、これが彼女の力の一部なのだろう。
絶対に敵わない圧倒的な怖さ。
でもいつか、追いついてみたい強い母は、ルードの自慢の母親だった。
「クロケットお姉さん、もう大丈夫だよ」
クロケットが恐る恐る目を開けた。
「ほぇえ……。にゃんにもにゃくにゃってしまったのにゃ……」
▼
シーウェールズ王国へ行く前に、クロケットの集落へ寄ることになった。
前来た時と違って、ルードたちを見つけると、集まってきて声をかけてくれている。
この集落も今の調子であれば困ることはないだろう。
そのうち男たちも帰ってくるので、より効率よく米の収穫が行われるはずだ。
リーダはヘンルーダにシーウェールズ王国へ行くと伝えている。
ヘンルーダはクロケットに厳しい視線を向けた。
「別にこちらへ寄る必要はなかったのですよ。どこへ行ってもあなたの大切な人たちを最優先になさい。力の限り支えなさい。私のできなかったお返しでもあるのよ。それはあなたに任せるわ。ここのことは心配しなくても大丈夫。ルード君のおかげでみんなの生活も楽になったのですからね」
「……はい、ですにゃ」
クロケットはルードの傍に座って、ヘンルーダの目をしっかりと見ている。
『仕方ないわね』という表情を娘に見せたヘンルーダは、リーダに近づいてルードがよくやるように首元へ頭を寄せた。
「フェルリーダ。あなたに助けられて、ルード君にも助けられて……。もう、なんと言えばいいのか……」
『いいの。クロケットちゃんもルードを可愛がってくれてるわ。とても助かってるのよ。わたしだって、あなたに助けられたのだから。それにね、いつでも会いにこれるから、ね』
リーダとヘンルーダは抱き合って別れを惜しんでいるのだろう。
娘よりも友人との別れが辛いのだろうか。
猫人の母親であるヘンルーダは案外ドライな性格なんだな、とルードは勝手に勘違いしていた。
クロケットが後ろから抱き着いてきたが、今日は彼女のしたいようにさせてあげよう。 これからはもっと、クロケットに優しくしてあげようとルードは思った。
そんな気持ちになりながらも、ルードは湯気が上がりそうなくらいに真っ赤な顔で俯いていたのだ。
何気にリーダとヘンルーダはそんなルードを見て、口元を少し吊り上げて、にやりと笑みを浮かべていた。
クロケットはルードを抱きしめて、二人にぺろっと舌を見せていた。
このことを知らないのはルードだけだったのは言うまでもない。
別れを済ませたクロケットとリーダを連れて集落を出ようとすると、集落の皆が集まっていて三人に礼をしていた。
それはルードにとって常軌を逸した場面だった。
皆、通路の両側に仰向けになって、例の服従のポーズで礼をしていたのだ。
子供たちやそのお母さんたち、総勢二十名はいただろうか。
固まっていたルードを引っ張りながら、クロケットは手を振って進んでいく。
後日ルードから聞くまで、リーダは彼がなぜ驚いていたかを知らなかった。
▼
シーウェールズ王国から買ってきた大量の魚の干物と引き換えに、少し多めに米をもらってきた。
なんでもこの集落では、米を年に二回収穫できるらしい。
それだけ成長の早い品種だったみたいだ。
今年は去年よりももっと多く作るらしい。
いつルードたちが取りに来てもいいようにするとのことだった。
リーダの身体に大きい鞄をいくつかぶら下げての旅。
その鞄によっかかるようにクロケットが座り、彼女の前にルードが座っている。
リーダの話ではこれくらいの重量は重いうちに入らないそうだ。
その上二人を乗せていても、走るのには全く影響がないらしい。
全く凄い母親であった。
それほど急いではいなかったが、夕方になる前にシーウェールズ王国が見えてきた。
城門の入り口には、見覚えのある男性を見つけた。
というより、詰所から三人を見かけて走ってきたのである。
「お帰りなさいませ。ルード君、お母さん。お姉さん」
「はい。今戻りました」
「先日手続きをしてましたのでこのままお入りください」
「あの、お願いがあるのですが」
「はい。何でしょうか?」
「家を貸してくれるか売ってくれるところを紹介してほしいのですが」
「……そうですね。では、私が案内いたします。申し遅れました。私はこの国の衛士長をしています。ウェルダートと申します」
「ご丁寧に、ありがとうございます」
「では改めて。皆さま、ようこそシーウェールズ王国へ」
ウェルダートは、踵を鳴らして足を揃え、姿勢を正して丁寧に一礼してくれた。
それは三人を歓迎してくれた彼の意思表示だったのだろう。
夕方だというのに、まだこちらは明るい。
ウェルダートに案内されて連れてこられた場所は、周りの商店と比べたらそれほど大きくないところだった。
「ここは私の知り合いが経営しているところなのです。あ、ボニーエラさん。この方たちが部屋を探しているそうなんですけ──」
ボニーエラと呼ばれた女性がこちらを振り向いた瞬間。
見慣れた光景が目に入ってしまった。
その女性は犬人だったのだ。
おなかを上に向けて、寝転んで胸の前に手を置いて目を瞑ってしまったのだ。
「……えぇっ?」
もちろん、ウェルダートは固まってしまった。
きっと服従のポーズを初めて見たのだろう。
「こ、こ、これはよくおいでいただきましましまし……」
「あの、落ち着いてください」
「いえ、私のようなものがフェンリラ様にお会いできるなんて光栄ですっ」
『そんなに大げさにしないでくださいませんか? 息子の目もあるので……』
リーダは予想していたみたいだが、苦笑は隠せないようだ。
ボニーエラは、恐縮しながら体を起こした。
「フェンリラ様、ですか? あれ? どこかで聞いたことがあるような……」
ウェルダートはボニーエラが獣語を話しているのに気づいて、獣語で話し始める。
きっと必死になって覚えたのだろう。
「フェンリラ様は私たち犬人の憧れなのです。美しさと強さを兼ね備えた気品ある種族なのですよ」
ボニーエラは、さも自分のことのように、ウェルダートに自慢をする。
『わたしはフェルリーダという名前があるのですから、種族名に様をつけられても困るのですけどね。よかったらリーダとお呼びください』
「は、はい。フェルリーダ様……、えっ? 確か、王女様のお名前がフェルリーダ様と……」
『あっ。うそっ。今の忘れてください。わたしはただのリーダですからね』
慌てているリーダは珍しかった。
口調は優しかったのだが、リーダの目は笑っていなかった。
もちろん、ジロリと睨まれたボニーエラはビビっていた。
「は、はい。もちろんでしゅ。リーダ様。で、ごじゃいますね?」
動揺しまくり、噛みまくりでルードも困ってしまった。
「母さんって、王女だったの?」
『ほら。息子にもバレてしまったではないですか。説明するの大変なんですよ……』
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