第五話 海とお湯の国、シーウェールズ。
リーダの嗅覚はたいしたものだった。
自分たち以外の匂いがかぎ分けられる。
それもかなりの距離にもかかわらずだ。
暫くリーダの背に乗って移動すると、大きな港町が見えてくる。
城門のようなところに槍をもった男が二人立っていた。
城壁に沿って詰所が見えることから、きっと入国の審査をする場所なのだろう。
ルードとクロケットはリーダから降りてゆっくりと近づくことにした。
一人の男がルードたちを視認したようだ。
その男の表情はぎょっとしたような驚きの表情になっていた。
慌てて走ってくるのが見える。
「ちょっと、そこの少年。その。だ、大丈夫なのか?」
「大丈夫ですよ。僕の家族ですから」
ルードはリーダの首元に顔を寄せて目を細めて男を見る。
「なるほど、魔獣使いなのか。……こほん。この町はシーウェールズ王国の城下になります。この国にはどのような用件で来られたのですか?」
ルードを魔獣使いと勝手に判断した男は、言葉遣いを直して目的を聞いてくる。
ルードは姿勢を正し、男の目をしっかりと見て応える。
「はい。観光目的もありますが、家族を休めたいと思いましたので立ち寄らせていただきました。入国は可能でしょうか?」
「まだ小さいのに立派な立ち振る舞いですね。この国は観光目的で来られる方も多いので、銀貨を預けていただければ入国に必要な証書を発行できます。それでよろしければなのですが」
「はい。よろしくお願いします」
「ではこちらへどうぞ」
詰所のような建物へ案内される。
そこで必要な記入をして、銀貨三枚を引き換えに入国証書を受け取ることができた。
実は文字もリーダから教わっていたのだ。
実に博識な母を持って、ルードは幸せな子なのであった。
「海とお湯の国、シーウェールズをゆっくりとお楽しみくださいませ」
門を抜けると、いつも買い物に行っていた町より立派な町並みが広がっていた。
なぜルードたちが歓迎されたかがようやくわかった。
人間だけではなく、色々な種族がそこにはいたのである。
往来を行き交う人々の中には犬のような耳をしている人や、腕に鱗のようなものが見える人もいる。
きっとここは様々な種族が受け入れられている国なのだろう。
それに観光地でもあると衛士の男性が言っていた。
ルードには未体験の魅力的な国だったのである。
「あ、猫人もいますにゃね」
ルードの近くでこっそりとクロケットはそう言った。
クロケットは毛色からいって黒猫のような感じに対して、彼女の指さした方向には三毛猫のような毛色の子供を連れた母親がいたのだ。
クロケットの集落は皆、黒い毛色をしていたことから違う猫人なのだろう。
「本当だ。髪の色は違うけど、クロケットお姉さんにそっくりだね」
『あら本当。わたしも他の部族の猫人さんは初めて見るわね』
「ですにゃ。……あ、いっちゃった。なんとも世知辛い世の中ですにゃ」
「クロケットお姉さん。それ使い方違うから……」
「あら? そうでしたかにゃ? つい教養が粗相をしてしまいましたにゃ。おほほほ……」
「まったく意味がわからないってば……」
最近覚えが早かったため、ルードがあまり難しい言葉を教えすぎた感じはあった。
クロケットのボキャブラリーは増えたのだが、たまに使いどころを間違ってしまったりする。
相変わらずの天然さにルードは苦笑いを隠せなかった。
宿屋を探しながら通り沿いの商店を覗いていると、かなりの食材が売っているのが見える。
ルードは楽しそうにあれこれ食材を買い始める。
海産物も結構多そうで、この国を一目で気に入ってしまったようだ。
売り子の女の子や店主に至るまで、人間以外の種族の人たちが生き生きと生活している。
中には恐る恐るリーダの背中を撫でさせてほしいと、聞いてくる
リーダはそんなお願いを喜んで受け入れていた。
きっとリーダがフェンリラだということに気づいていたのかもしれない。
背中を撫でながら涙を浮かべていたのだから。
リーダとクロケットとも会話ができる人が多いため、彼女たちも実に楽しそうだった。
買い物の途中で宿のことを聞いたのだが、どの宿もリーダを嫌がるところはないという話だった。
すれ違う人が足を止めてリーダを見ている人もいたが、それは物珍しさではなく美しさがあったのかもしれない。
エランズリルドで感じたような、嫌な視線がなかったからそう思えたのだ。
ルードが泊まってみたいと思った宿屋が目に入った。
そこはさっきすれ違いで見つけた、猫人の小さな
他の宿屋より少し小さめだったが、小奇麗で間口が広い。
「すみません。三人なんですけど」
「はいっ。ほら、あなたたち邪魔しちゃ駄目よ」
母親なのだろうか、子供たちはその女性の足元に纏わりついてこちらを見ていた。
クロケットはしゃがんで子供たちに手を振ってみる。
すると二人とも笑顔で手を振ってくれるではないか。
「すみませんね。うちの子たちがご迷惑を」
「いえ。大丈夫ですよ。できたら一番大きい部屋をお願いしたいのですが」
「はい。大丈夫ですよ。入口を広く作っている部屋もございますので」
リーダの姿で察してくれたようだ。
ルードはリーダを見ると、彼女は嬉しそうな表情をしているのがわかった。
「二、三日お願いしたいのですが」
「はい。よろしくお願いいたします。ほらあなたたち、お客様なのですから奥へ行ってなさいね」
「「はーい」」
「あの、すみません。これ料理してもらえますか?」
ルードが海の幸が入った布袋を渡した。
受付の女性が中を見て微笑んだ。
「あら。美味しそうですね。これは頑張らないといけません。私たちと同じ猫人の方もいらっしゃるみたいですからね」
その女性はクロケットを見て、毛色は違えど同じ猫人だということ気づいていたのだろう。
「よろしくお願いしますにゃ」
「いえ。こちらこそ、娘と息子を気遣っていただいてすみません」
「可愛いお子さんたちですにゃ」
「ありがとうございます。ではお部屋へ案内いたしますね」
ルードたちは、女性について部屋へ案内された。
この宿はきっと、大柄な種族もくることを視野に入れて作られているのだろう。
部屋の前で女性はリーダにこっそりと言っていた。
「年齢よりしっかりとした、お子さんですね」
『ありがとうございます。わたしの自慢の息子ですからね。あなたのお子さんたちも可愛らしいですよ』
「いえいえ。やんちゃなばかりで」
ルードを見つめる眼差しが、母親のそれであったことに気づいていたのだろう。
リーダにしか聞こえない声の大きさだったので、ルードとクロケットには聞こえてはいない。
それは、母親同士の楽し気な内緒話だった。
案内された部屋は広くて風通しもよく、窓から町を見下ろせるところだった。
「お風呂ですが、お湯を引いてますのですぐに利用いただけるようになっています。では、お食事ができましたらお呼びいたしますので、ごゆっくりなさってくださいね」
「はい。ありがとうございます」
ルードは早速風呂場を見に行った。
『お湯を引いている』という言葉と匂いでなんとなくわかったのだ。
フェルリーダ家のお湯とは少し違うのだが、衛士の男性も言っていたのでそんな感じがしていたのだ。
おまけに部屋の気遣いと同じで、浴槽が大きく作られていた。
「母さん。うちと同じようにお湯が出るみたいだね」
『そうね。この国に近づいたときにね、そんな匂いがしたのよ』
「お湯ってそういう意味だったんですにゃね?」
「うん。ゆっくり入れるね」
「早速準備しますにゃ。ルード坊ちゃまとフェルリーダ様はゆっくりしていてくださいにゃ」
▼
海が近くて、温泉も湧く地域。
猫人や犬人のような種族も共に暮らしていける優しい感じのする国。
ルードは勇気を出して立ち寄ってよかったと思った。
ルードは相変わらず嫌がったのだが、結局三人で一緒に風呂に入ることになった。
風呂からあがり、海沿いだということもあって風通しがよく、汗でべたついていた身体もさっぱりしている。
身体もぽかぽかと温かく、外から来る風が余計に涼しく感じていた。
ルードとクロケットが仲良くリーダのブラッシングをしていると、部屋のドアがノックされた。
ブラッシングをルードに任せて、クロケットがそれに応えにいく。
「はいはい、ですにゃ」
クロケットがドアを開けると、そこには小さな女の子が立っていた。
「あ、さっきのおねぇちゃん。おかあさんがごはんできたからって」
クロケットはしゃがんで女の子と目線を合わせた。
頭を優しくグリグリと撫でると、女の子は目を細めて気持ちよさそうにしている。
「ありがとうですにゃ。いい子いい子」
「んふふふ」
クロケットはその女の子をひょいと抱き上げた。
「ルード坊ちゃま、フェルリーダ様。行きましょうか」
「うん」
『えぇ』
ルードたちは部屋を出ると、階段を下りて女の子の案内で食堂へ向かった。
「そこ。そっちだよ」
「はいはい、ですにゃ」
「母さん。僕も小さいときあんな感じだったの?」
『そうね。ルードはもっとやんちゃだったわよ』
「嘘だぁ」
『うふふふ……』
食堂に着くと、女の子の母親がキッチンから顔を出した。
「こらっ。ひとりで行っちゃ駄目って言ったでしょ?」
「だって。おねえちゃんとおはなししたかったんだもん」
「いいんですにゃよ」
「あー、ずるい。ぼくもー」
男の子もクロケットの足にひしっと抱き着いてくる。
生まれ育った集落が小さかったこともあって、クロケットは小さい子供が好きで、扱いに慣れているようだ。
二人とも五、六歳くらいだろうか、可愛らしい三毛色の耳がちょこんとついている。
嫌がっていない証拠に、クロケットの黒いしっぽは左右にゆっくりと振れていた。
ルードの記憶にある知識では、リラックスしている状態を現しているはずだ。
『大丈夫ですよ。うちの子も同じくらいのときに、もっとやんちゃでしたの。目を離すといなくなっていて、泣きながら戻ってくるんです。必ずどこかしら怪我をしてきて大変だったんですよ』
「か、母さん……。ひどいよ」
さっそく自分がリーダの息子だとバラすような返事をしてしまう。
そんな雑談をしている間に料理がテーブルに並び始めていた。
そこでルードは少し驚いた。
次々と素朴で美味しそうな料理が運ばれてきたのだ。
魚の種類はルードの頭にあるものにはなかったのだが、根魚と中型の青物だったと思う。
半身になった青物と思われる魚のあら塩を振った塩焼き。
根魚と根菜の煮つけ。
カニの澄まし汁。
一番驚いたのが、エビを殻のまま焼かれた鬼殻焼のようなものまであるのだ。
「改めまして、この宿を切り盛りさせていただいています、ミケーリエルと申します。リエルとお呼びください。この宿のご利用ありがとうございます」
あまりに美味しそうな料理の調理方法に見とれていたルードは、ミケーリエルの丁寧な挨拶を受けて我に返った。
「あ、はい。こちらこそ、丁寧な対応ありがとうございます。僕はフェムルード、こちらは母のフェルリーダ。家族のクロケットです」
「これはご丁寧に。この子が双子の姉でミケーラ。こっちが弟のミケルです。ほらご挨拶なさい」
「ごりようありがとうございますっ」
「ありがと」
「うんうん。ありがとうね」
ルードは自分よりも小さな二人が、一生懸命挨拶をしてくれたのでとても嬉しかった。
しゃがんで頭を撫でると二人とも気持ちよさそうにしてくれる。
「あの、よかったらなんですが。量が多すぎるのでみなさんも一緒にどうですか?」
「あら。よろしいのですか?」
『あのね。わたしは身体の割には小食なのですよ。わたしたち三人では食べきれないと思いますので』
「はいですにゃ。みなさんも一緒だと、嬉しいですにゃ」
ミケーリエルは少し考えたのだろう。
「ご宿泊いただいたうえに、なんか申し訳ありません。ですが、お言葉に甘えさせていただきますね。ほら、あなたたち、手を洗っていらっしゃい」
「「はーい」」
料理は美味しかった。
こちらへ来てから、森の奥ということもあって川魚しか食べていなかったのだが、この海の幸にはすごく満足したのだった。
リーダも『川魚と違って、味が濃いのね』と。
クロケットに至っては、返事をするのが辛そうなくらいに夢中で食べすぎてしまった。
双子の姉弟も美味しそうに食べてくれている。
「それにしても、フェムルードさん、でいいのかしら?」
「はい。ルードで構いません」
「ではルードさん。鱗の処理、エラと内臓の掃除も見事なものでした。驚きましたよ」
「いえ、川魚で慣れていたので。それよりも、この粒の粗い塩は?」
「えぇ、ここの海の水から私が作っています。この国の家庭では普通のことなんですよ」
「やっぱりそうでしたか。クロケット姉さん、塩なんて特別じゃないってわかったでしょ?」
「実にびっくりしましたにゃ。私の集落では貴重品だったのですにゃ」
確かに海の遠い地域だから仕方がないのだろう。
集落には岩塩を置いてきてあるので、最近では料理に塩を普通に使えるようになっていた。
岩塩はリーダにあちこち連れて行ってもらったとき、偶然見つけたことから定期的に取りに行っていたのだ。
不思議と足元にこぶし大の岩塩がごろごろと転がっていて驚いた思い出がある。
「それにしても、この国っていい国だよね。僕も、ここに住んでみたいな」
ルードはそんな本音をぽろっと漏らしてしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます