第三話 食糧事情の改善。
『炎よ、燃え盛れ』
森の中に小川が流れている場所があり、そこでルードは拾ってきた薪をガラガラと置いた。
その薪に向けてルードは火の魔法を放った。
水分を吸ってしまっている枯れた枝を乾燥させながら火をおこした。
雪の上に枝を二本立てて、そこにクロケットの下着を引っかけて乾かしているのだ。
もちろんルードは火をおこしたあとは後ろを向いている。
半泣き状態のクロケットをリーダがなだめながら、器用に下着を洗ったそうだ。
それを今、こうして乾かしている真っ最中。
下着が乾いたら、集落に帰ったあと風呂に入れば大丈夫だろう。
クロケットは膝丈よりも長い服を着ていたのだが、恥ずかしそうに真っ赤なっていた。
下着も乾いて、木陰でそそくさと穿いて戻ってきたクロケットはリーダに言い訳をちょっとだけ。
「もう大丈夫ですにゃ。でも、まさか。母のお友達が、ふぇ、フェンリラの女性だったなんて知らなかったのにゃ……」
『ごめんなさいね。驚かせてしまったみたいで』
「いいえ。助けてもらったのは私にゃんです。本当にありがとうございましたにゃ」
クロケットは冷たいだろうに、雪の上に五体投地をして二人に礼をしていた。
この五体投地がまたものすごく可愛いのだ。
なにせ、おなかを上に仰向けになって、こっちを見ながら軽く握った両手を顔の横に。
あとは言わずともわかるであろう。
「そ、そこ、冷たいからもういいですよ。僕は母に言われて探しに行っただけですから」
「坊ちゃまは強いですにゃ。まさかあの人間たちが人攫いだったにゃんて……」
「坊ちゃまだなんて、僕はルードって名前があるんです。子ども扱いしないでください」
『まだまだ十二歳の子供じゃないの。うふふふ』
「母さんったら……」
「じゅ、十二歳だったのですかにゃ……。私よりも五つも年下だったにゃんて」
「クロケットさんはやっぱりお姉さんだったんですね。でしたら、クロケットお姉さんって呼ばないと駄目ですね」
「そんにゃ、立派なものじゃにゃいですにゃ。それより、ルード坊ちゃまは、に、人間にゃのに」
『わたしの息子ですよ。初めて会ったとき、孤児だったのですよ。でも今は、わたしの可愛い息子なのです』
「そ、そうだったのですかにゃ……。それにしても立派な坊ちゃまですにゃ」
「えへへ。母さん、褒められちゃった」
『よかったわね。母さんも嬉しいわ』
見た目は違えども、クロケットには仲の良い母子に見えたのだ。
『それにしても、何があってこんなことになってしまったのかしら?』
「はいですにゃ。母の具合が悪いので、滋養のつく野草を採りに行こうとしたんですにゃ。それは森の出口あたりでにゃいと自生していにゃいもので、やっと見つけて夢中で採っていたらその。気が付いたらあの部屋に捕まってしまったのですにゃ……」
なんとも不幸な巡りあわせなのだろう。
運が悪かったとしか言いようがないのである。
確かに黒い髪、白い肌で可愛らしい顔立ちのクロケットだ。
無防備に人前に出てしまえば、何が起きてもおかしくはないのだろう。
それも人間ではなく、猫人の女性なのだ。
この国でどういう扱いを受けているのか、ルードは初めて知ってしまったのだ。
この地域もあの男の国なのだろう。
『大きな町』というのもこの国の城下町のことだったはずだ。
こんなに離れた場所にも、昔のあの醜い男のような自分勝手な人間もいるのだと思って、ルードは少し悲しくなってしまった。
「同じ人間として恥ずかしいです。クロケットお姉さん、ごめんなさい」
「そ、そんにゃ。ルード坊ちゃまは悪くにゃいですにゃ」
『そうよ。人間にもね、わたしたちにも、悪い人もいればいい人もいるの。それはその人の心の持ちようなのよ』
「うん。僕はあの『豚』のようには絶対にならないよ。もっと立派な人になって、あいつを見返してやるんだからっ!」
『はいはい。無理はしちゃ駄目よ』
「うん。わかってるよ」
▼
集落に戻ると心配そうにしていたヘンルーダが起きて待っていた。
クロケットの顔を見ると、涙を流して俯いてしまったのだ。
「お母さん、心配かけてごめんにゃさい……」
「馬鹿ね……。でも、無事に帰ってきてくれてありがとう、クロケット」
「ごめんにゃさい」
二人は抱き合って再会を喜んでいた。
二人を見てほっとしたのか、嬉しく思ったのか。
ルードはリーダの首元に顔を埋めてしまった。
クロケットが行方不明になった理由を話すと、ヘンルーダは渋い顔をする。
「クロケットを助けていただいてありがとうございます。確かにそのような話を聞いたことはあったのです。なので、人里には絶対に近づかないように子供達には言い聞かせていたのですが……」
「ごめんにゃさい。私が油断していたのがいけにゃいんです」
とにかく何事もなくてよかったとルードは思った。
あとはこの集落で起きている問題なのだろう。
『そういえば、作物が不作と聞いていましたが、どこまで困っているのですか?』
「はいですにゃ。今年も麦の成長が悪くて、家畜の餌しか収穫できにゃかったのですにゃ……」
「えぇクロケットの言う通りです。それで今年も、男たちが出稼ぎに出なければならなくなったのです」
「家畜って豚とかだよね? 餌も作ってるんだね」
「そうですにゃ。このあたりは湿地が多くて、そこで簡単に育つので沢山取れるんですにゃ。その種を蒔くと、手をかけにゃいで育ってくれる穀物ですにゃ」
「それって食べられないの?」
「あまり食べるということは聞いたことがにゃいですにゃ。乾燥させて家畜に食べさせるのが普通ですにゃ」
ルードの記憶にある知識では、湿地で育つ穀物は種類はそれほど多くない。
穀物であればここの人には考えつかないだけで、なんとかなるかもしれないのだ。
「何かいい方法があるかもしれないから、それ見せてもらえますか?」
「はいですにゃ。こっちの蔵にあるのですにゃ。でも食べられるとは思えないのですにゃ……」
「母さん、ちょっと見せてもらってくるね」
『この子はとても頭がいいんですよ。わたしも驚くくらいにね」
「そうなのですか。クロケット、見せてあげなさい」
「はいですにゃ、お母さん。ルード坊ちゃま、こっちですにゃ」
「んもう。坊ちゃまはやめてってば」
部屋を出ていく二人の姿は、まるで姉と弟のような感じに見えている。
リーダとヘンルーダは嬉しそうに見ていたのだった。
クロケットに案内された蔵には、その牧草と思われるものが乾燥させてあった。
それはとてつもない量があった。
ルードがその牧草を見ると、ちょっとした異変に気付いた。
やはりルードの記憶にある、何かに似ているのだ。
「クロケットお姉さん。これ、何ていう草なの?」
「それは『ワラ』という牧草ですにゃ」
ルードは記憶の中にある知識を辿っていく。
「ほうき草じゃない。麦でもない。なんだろう? どっか引っかかるんだよね……」
その束になっている穂先についた粒を取って、指先で揉んでみた。
すると外側の殻が擦れて中の茶色いものが姿を現した。
ルードはピンとくるものがあった。
それを口に含んで軽くかみ砕いてみる。
それはなんとも懐かしさを感じる香りとちょっとした甘味があった。
「ルード坊ちゃま、汚いですにゃよ?」
「大丈夫。これ、もしかして……」
ルードは二束ほど抱えて蔵を出ていく。
「ルード坊ちゃま、どうかしたのですかにゃ?」
「うん。間違いなければこれでなんとかなるかもしれない」
「えっ?」
ルードはクロケットからもらった大きな鉢に、穂先についていたものをこそぎ取って集めていく。
鉢いっぱいになったものを、薪の先を丸く削ったもので優しくゴリゴリと擦っていった。
すると、外側の殻が外れていき、茶色い粒だけが残っていく。
それはルードが予想したものだった。
鉢の中で丁寧に数回、水を入れ替えながら洗う。
それが済むと鍋を借りて水を入れる。
そこにさっきの粒を入れて少し水を吸わせる。
一度水を捨てて、手首くらいの高さまで水を入れなおすと、木でできた蓋を載せて窯に火をつけた。
「確か、『始めちょろちょろ中ぱっぱ赤子泣くとも蓋取るな』だっけ?」
ルードの頭に何故だかわからないが、そのフレーズが浮かんだのだ。
それはきっと、火力の調整の仕方だと思ったのだ。
鍋に蓋をして、弱火でくつくつ沸騰するのを確認すると、次は火力を強くする。
蓋の隙間から湯気がでてくると、少し火力を抑えてそのまま続ける。
「うん。いい匂いがしてきたね」
「……にゃんだか、本当にいい匂いがしてきましたにゃ」
しばらくするとそれはできあがった。
蓋を外すと、湯気がむわっと上がったが、いい香りが漂ってくる。
ルードはひとつまみだけ口に入れる。
想像よりも粘り気が強いが、噛んでいくにつれて口の中に甘みが広がっていく。
「玄米のままだと色味が悪いけど、これはこれで美味しいかも。思ったよりも糠臭くないし」
品種が違うからだろうか、あまり糠を落とさなくてもいいように思えた。
何より玄米に近い方が栄養価も高いはずだから、とルードは嬉しくなってくる。
「げんまいですかにゃ? それって」
「うん。あれはね『コメ』といって、麦と同じくらいに栄養があるものだったんだよ」
「そうだったんですかにゃ……」
そのとき『くぅっ』っとクロケットのおなかが鳴った。
「あ、すみませんにゃ。いい匂いでおなかが……」
「もう少しだけ待っててね」
そのまま蓋を閉めて、違う鍋に湯を張った。
「クロケットお姉さん。野草って残ってる?」
「少しだけにゃらまだあったかにゃ」
ルードは持ってきていた干し肉と干しきのこをちぎって湯の中へ入れる。
クロケットから受け取った野草も洗ってからちぎって鍋の中へ。
徐々にいい匂いがしてくる。
軽く味をみて、自分の鞄から石のようなものを取り出して、小刀で削って鍋に少しだけ入れる。
「ルード坊ちゃま、それは?」
「うん。『岩塩』だよ」
「がんえん?」
「塩なんだ。これ」
「えぇっ? すっごく貴重なものじゃにゃいのですかにゃ?」
「それほどでもないよ。たまたま見つけたんだ。うん。これならいいかも」
二人分の器に肉と野菜のスープをよそって、炊いた玄米も器によそる。
ヘンルーダのいる部屋へ持っていき、クロケットと二人で食べてもらってみる。
「食べてみてください。きっとおいしいと思いますよ」
「こんにゃものが食べられるんでしょうかにゃ……。あつっ、でもおいしっ」
猫人だけに猫舌だったのだろうか。
でも、二口めからはもくもくと食べ続けているようだ。
「本当ですね、とても美味しいです。まさかあの草がこんなものに変わるだなんて……」
それにしてもまさか米と出会えるとはルードも思っていなかった。
遠い記憶の中にあったルード好みの味の穀物。
これで猫人の集落も麦が取れない年でも困ることはないだろう。
育てるのが楽でたくさん採れるというこの穀物は、ルードにとっても嬉しいものだったのだ。
おなかいっぱいごはんを食べたヘンルーダとクロケット。
長である母が我慢しているのだからと、娘のクロケットも一緒に我慢していたらしいのだ。
一休みしたあと、蔵の中に大量にあった稲をルードの指示で玄米へ加工していく。
それは集落のすべての家に配っても、配り切れないほどの量があったのだ。
調理の方法はルードが丁寧に教えていく。
こうして、集落の最悪な食糧事情は改善されたのだった。
▼
母子で近隣の森から乱獲しない程度に狩りを終えて戻ってくる。
元気になった集落の子供たちも笑顔で二人を迎えてくれていた。
獲物の解体作業も皆、総出で手伝ってくれている。
ルードよりも幼い子供が多い集落。
二十程度の家しかないこの小さな集落では、二人で捕ってきたものでも十分なほどだった。
すべての家に配り終わると、クロケットと一緒に料理を始める。
その夜は、四人で楽しい夕食を迎えることができたのだった。
夕食が終わり皆で寛いでいると、クロケットが真面目な表情で母に向き直る。
「お母さん、お願いがありますにゃ」
「何かしら?」
「私、ルード坊ちゃまについていきたいのですにゃ。集落を救ってくれたお二人のお世話をさせてもらいたいのですにゃ」
「そう……、決めたのね。フェルリーダ、迷惑にならないかしら?」
『そうね。大丈夫だと思うわ。ね、ルード』
「ルード坊ちゃま、お願いしますにゃ」
「う、うん……」
ルードはちょっとだけ照れていた。
その理由は、クロケットは五体投地でお願いしていたからだった。
ヘンルーダもリーダも見慣れたその格好。
ルードにはとても可愛らしく思えてしまったのだ。
クロケットは仰向けに寝転がり、おなかを見せたまま首だけ二人を向いていたのだ。
最初にリーダと会ったときと同じだった。
あのときよりも思いが強いからだろうか。
軽く握られた手首が、くいくいっと動いているのだ。
聞けばこれが猫人の服従の証らしい。
それは困ったことに、ルードの琴線に触れてしまったのだ。
年上のお姉さんがこんなに可愛らしいお願いをしてくる。
ルードは断れるわけがなかったのだった。
「クロケット」
「はいですにゃ」
「一生懸命尽くすのですよ」
「はいですにゃっ!」
「フェルリーダ、クロケットを
『えぇ。
「ルード坊ちゃま。末永くお願いいたしますにゃ」
「……はい?」
こうして家族の増えたフェルリーダ家。
米も分けてもらい、持ち帰ることになったのだ。
戻ってくるときに、こんなに綺麗な年上のお姉さんが一緒になるとはルードは思っていなかった。
初めてリーダの背中に乗ったクロケットは、目を回しながらなんとか我慢していた。
「うにゃにゃにゃにゃにゃ。こ、これは速いのにゃ……」
「でしょ? 母さんはすごいんだよ」
「そ、そうですにゃ。凄すぎますにゃ」
気絶しないでなんとかフェルリーダ家に着くことができた。
初めて集落から離れたクロケットだったが、それほど深く考えていないようだった。
元々天然気味のクロケット。
元から大人びていたルードだが、猫人の集落でまた少し大人になったような気がしてリーダは驚きを隠せないでいる。
猫人の集落の食糧事情を偶然とはいえ改善してしまった。
自慢の息子が立派になっていくのが怖くもあり、嬉しくもあったようだ。
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