第二話 猫人の集落と行方不明のお姉さん。

 リーダが先に家に入っていくと、ルードも続いてゆっくりとした足取りで入っていく。

 ルードでも違和感を感じる。

 確かにおかしい。

 部屋の中が外とあまり変わらないくらいに寒いのだ。

 真冬で、外は雪だというのに暖炉もついていない。


『ヘンルーダっ! どうしたの? こっちへ来て、ルード』

「うん。母さん」


 ルードがリーダの声に反応して振り返ると、リーダがヘンルーダと呼んだ女性が寝床に横たわっているではないか。

 ルードは彼女に近寄ると頭の横に座り込んだ。

 ヘンルーダは苦しそうにリーダを見つめているのだ。

 その目は何か懐かしいものを見ているかのような、だが力の感じられないものだった。


「あ、ら。フェル、リーダ。ひさ、しぶりね。げんき、にしてたか、しら?」

『しゃべらなくてもいいわ。ルードお願い』

「うん」


 ルードはヘンルーダの顔の前に手をかざすと、目を閉じてゆっくりとひとつ息を吸い込んだ。


『癒せ』


 ルードの声色が変わった。

 それは短い呪文詠唱だった。

 詠唱と同時に、ルードの手のひらへ淡い光が収束していく。

 その光がヘンルーダの全身を包み込んだかと思うと、彼女の表情が和らいでいくように見えた。


「母さん。もう大丈夫、だと思うけど」

『ありがとう。ルードは本当に癒しの魔法が上手になったわね』

「……あら? 身体が楽になった、わ」

『起きちゃ駄目。何があったの? ヘンルーダ』


 身体を起こそうとしたヘンルーダはリーダに諭されて身体を横たえたまま、ぽつりぽつりと話し始めた。


 それは昨年から続いていたらしい作物の不作から始まったらしい悪循環だった。

 二年続いて今年も不作だったため、男連中は外へ働きに出かけているそうだ。

 そのため、今、集落に残っているのは女子供だけだという。

 種族の長であったヘンルーダは、皆の心配ばかりして自分が食べる分まで分け与えたという。

 そのせいか集落の他の家は、ぎりぎり食べることができている状態だという。

 ただ、安心して冬を越せるというわけではないらしい。

 そして、急に寒くなった昨夜あたりから、無理がたたって体調を崩してしまったということなのだ。


『そう。大変だったのね。でもね、ヘンルーダ。あなたが無理しても状況は変わらないと思うの。なぜわたしを呼びに来ないのよ?』

「あなたに助けられてばかりでは、申し訳がなくて、ねぇ」

『そんな悲しいこと言わないでよっ。馬鹿ね……』


 リーダはヘンルーダを叱責していた。

 ルードがリーダを見ると、とても悲しそうな目をしていたのがわかった。

 ルードは長年見てきたせいか、リーダの目だけである程度感情がわかってしまう。

 もちろん、怒っているときなどもわかるのだ。


「今の魔法はあなたがかけてくれたのね。ありがとう。……ところでこの子は?」

『えぇ。わたしの息子のフェムルードよ』

「えっ? 確かあなたの子は、亡くなったって……」

『えぇ。あのときは悲しかったわ。でもね、天がこの子に会わせてくれたの。この子がいなかったら、わたし、どうなっていたか……』

「母さん……」

「フェムルード君って言ったわね。あなた、人間ではないの?」

『そうよ。人間の赤ちゃんだったこの子を、あの子が死んでしまって、悲しくて途方にくれていたとき、わたしは無意識に森を彷徨っていたわ。そこでね、偶然、拾ったの』

「そんな、拾っただなんて。この子の前で言うものではないでしょう?」

『大丈夫よ。この子は自分が捨てられた理由を知っていたわ。会ったときから特別だったの。この子はね、自分の意思でわたしの息子になったのよ。わたしのおっぱいで育てたのよ。わたしも生きる目的ができたわ。この子の髪と目の色を見てみなさい。人間にはいない色をしているでしょう?」

「……えぇ、確かに珍しい色をしているわね。あなたにそっくりだわ」


 ヘンルーダを覗き込んでいたルードの髪と目を見ると、確かにリーダと同じ色をしている。


「僕はとある国の王族だったみたいです。でも、双子のお兄ちゃんで産まれてしまったんです……」

「えぇ、そんな話を聞いたことがあるわ。あの国では『忌み子』と言われているみたいね……」

「はい。でも、母さんに会えたので嬉しかったです。こんなに優しい母さんに」

『ありがとう。ルード』


 そのときルードはちょっとした異変に気付いた。

 ヘンルーダの耳が大きい。

 それも猫のような形をしているのだ。


「母さん」

『どうしたの?』

「ヘンルーダさんがね、猫の耳をしてるように見えるんだけど」

『そうよ。ここは猫人ねこびとの集落だもの。あなたのその服と靴はね、ここの人が作ってくれたのよ』

「ほぇー」


 ヘンルーダが身体を起こしてルードの頭を撫でてくれる。


「フェムルード君。ありがとう。魔法が使えるなんてすごいわね」

「母さんが教えてくれたんだよ。母さんのがもっとすごいんだから」

「そうね。フェルリーダはこの村を救ってくれた恩人なのですよ」

『なにもそんな昔の話を持ち出さなくても』

「あ、母さん照れてる」

『ルードっ』


 リーダはルードの頭をぱくっと咥えてしまった。

 そのまま持ち上げるとリーダは自分の喉元に置いて両手できゅっと押さえてしまう。

『まったく。母親を何だと思ってるのかしら……』

「むー、むー……」


 ルードは苦しそうな、それでいてちょっと気持ちよさそうな複雑な表情をしていた。


「本当にいい母子おやこですね。安心しましたよ、……って、あら? ルード君、あなた私たちの言葉がわかるのね」

『それにはわたしも驚いたの。だから、育てることができたと思うのよね』

「普通、わからないんですか?」

「そうよ。私たちが使っている言葉は『獣語』といってね、人間には理解できる人は少ないと思うわ。そもそも人間の里には近づかないのが私たちのルールなのね」

『そういえば、ヘンルーダ。あなたの娘はどうしたの?』

「薬草を取りに行くといって出かけたのだけれど、戻ってこないわね。クロケットったらどこまで行ったのかしら?」

『わたしが探してきてあげるわ。その子の服あるかしら?』

「これでいいのかしら?」


 リーダは匂いを確かめるように一呼吸する。


『えぇ。大丈夫。これなら追えるわ。ルード、一緒にいらっしゃい』

「うん。母さん」

「本当に何もかも世話になってしまって、お返しなんてできていないのに」

『いいのよ。あなたは大切なお友達なんですから。ルード、干し肉あるわね?」

「はい、母さん」

 ルードは皆まで言われる前にヘンルーダに干し肉を渡す。

「細かいことは帰ってから相談しましょう。わたしたちが何とかするから少しは食べなさい、いいわね? 行くわよ、ルード』

「わかったよ、母さん」


 ▼


 ヘンルーダの娘、クロケットの匂いを辿ってゆっくりと進んでいく。

 進めども進めどもその姿は見つかっていない。

 それどころか、リーダの思っていた通りになってしまいそうだ。

 クロケットの匂いは、人里へと続いていたのだった。

 魔獣や魔族とも言われる種族が住む地域との間にある森を抜けると、人間が住む場所が近くなる。

 森を抜ける手前で足を止めたリーダは、ルードを降ろして右手を上げる。

 彼女はとある方向を指差していた。


『ルード、匂いはあの先にある人里へ繋がってるの。でもね、わたしが姿を現すと大騒ぎになってしまうかもしれないわ。わかるでしょう?』

「うん。母さんはこの辺で待ってるんだね?」

『そうね。ルードは大丈夫?』

「大丈夫だよ。あっちではいつも買い物に出てたし」

『でも気を付けるのですよ。わたしは人間なんかより、あなたの方が大事なんですからね?』

「うん、ありがと。母さん愛してる」


 ルードはリーダの首元に顔を埋めて、そんな嬉しいことを言ってくれるようになったのだ。

 リーダはルードの身体能力であれば、普通の人間相手であれば心配ないだろうと思っていた。

 だが、油断は禁物である。

 もし夕方までに戻らなければ、人里を滅ぼしてでもルードを取り返す覚悟はできていたのだ。


『気を付けていってくるのよ。何かあったら魔法を使いなさい。それでわたしも気づけるわ』

「うん。いってきます」


 ▼


 人里まではそれほどの距離ではなかった。

 ルードはリーダと違って嗅覚が優れているわけではない。

 そのためどうやってクロケットを探すかというと、そのまま獣語で名前を呼ぶことにしてみた。

 町というよりは村か集落という感じだった。

 ルードは外から獣語を意識して、ちょっと大きな声で呼んでみた。


『クロケットさーん』


 おそらく人間には『〇▼×◇▽◆ー●』と聞こえただろう。

 獣語は人間には理解しにくい言葉らしいのだ。

 獣が吠えているようにしか聞こえないはずだ。

 ルードは耳を澄ました。

 遠くから聞こえてくる人の声に混ざって、少しだけ違和感を感じた。


「うにゃぁあ」


 確かに聞こえた。

 ルードは集落に入ってその声を頼りに歩いていく。

 なるべく不自然にならないように。

 これだけ小さい集落だと、よそ者が入ってくれば怪しまれるかもしれない。

 だが、買い物客を装っていればまず怪しまれることはないだろうと思っていた。

 それにルードにとってこの町は常に買い物をしなければならない町ではない。

 最悪の場合、騒ぎを起こしてしまっても構わないと思っていたのだ。


 声のした方へ進んでいくと、中央の通りから外れていく。

 少し薄汚れた建物の裏手に入ると、気配を消すことを意識する。

 これはリーダから教わった狩りをするときに必要なことだった。

 ルードはさっきよりはかなり小さな声で呼んでみた。


『クロケットさん。聞こえたら小さな声で返事してくれますか?』

「……うにゃ」


 間違いなくここだろう。

 ルードは建物の中をそっと覗いてみた。

 そこには若い人間の男が二人いた。

 当たり前だろう、ここは人間の集落なのだから。

 ただ不自然だ。

 なぜクロケットの声がするところにいるのだろう。

 ルードは耳を澄ませる。

 すると男たちの会話が聞こえてくる。


「おい、さっき獣が吠えたようなのが聞こえなかったか?」

「あぁ。あの猫人の仲間かもしれないな」

「しかし、大丈夫なのか? あんなことをして」

「あぁ。猫人はそれほど危険じゃないんだ。俺達でも十分に対処できる。それにな、あれは大きな町で結構な値段で売れるんだよ。それ系の好き物がいるんだな……。そうすれば俺たちは、山分けしても数年は遊んでくらせるくらいにはなるはずだぞ」

「本当か? それはうまい話だが、どうやって町まで運ぶんだ?」

「明日、馬車を借りる約束になってるんだ。それ……」


 なるほど、猫人を人身売買目的で捕えたということなのだろう。

 男たちは悪いことをしている。

 クロケットは何か悪いことをして捕まったわけではないということになる。

 同じ人間とはいえ、なんとも情けない気持ちになってきた。

 こいつらは自分さえよければいいと考えている、あの『豚』と同じに思えてきた。

 ルードは背中に背負っていた弓を取り出す。

 ルードの得意な武器のひとつで、もっぱら狩りで使っているものだ。

 獲物を生け捕りにするときに使う、矢じりのついていない矢を取り出すと、先に布を巻き付けて、殺傷能力の低い矢を二本用意した。

 弓に矢を番え、めいっぱい引き絞って狙いをつける。

 片方の男のこめかみあたり。

 右手を解放して矢を放つ。

 スパーン

 小気味いい音がして片方の男がその場で倒れた。


「……な、なんだ? なに──」


 スパーン

 続けて放った矢がもうひとりの男に当たった。

 どんな獣も頭部に衝撃を受ければ気絶するか、怯むことをルードは知っていたのだ。

 それは人間に対しても同じだろうと。

 ルードの力に合わせて、試行錯誤を繰り返しながら作った強弓だ。

 普通の人間ではひとたまりもないだろう。

 案の定危険なことはなく、二人を無力化できたのだ。


 ルードは男たちをうつ伏せにして、後ろ手に腕を縛った。

 建物の奥に進むと、鍵のかかった扉があるのがわかる。

 壁と扉の隙間を見ると、鍵は木製のようだった。

 腰に下げていた獲物の皮をはぐ小刀を抜いて、隙間に差し込むと少し力を入れた。

 スコンと音がして、木でできた鍵は切れてしまった。

 それもそうだろう。

 普通の人間より力のあるルードであれば、この程度の芸当は容易いものなのだ。

 ドアを開けると手と足を縛られた猫人の女性がいた。


「クロケットさん?」

「そ、そうだにゃ。助けに来てくれたのかにゃ?」

「はい。ヘンルーダさんから戻りが遅いからと、母と一緒に探しに来たんです。さぁ、戻りましょう」


 よかった、服装に乱れはないように見える。

 ルードはクロケットの手足にあった皮の紐を小刀で切った。


「ありがとうですにゃ。可愛い勇者さん、ほんとに、ありがとう……」


 クロケットはルードをきゅっと胸に抱きしめた。

 顔を真っ赤にして照れてしまったルードは、明後日の方向を向いてしまう。


「い、いいからさっさと逃げましょう。森のところに母が待ってますから」

「わかったにゃ」


 なるべく音を立てずに建物の外へ出ていく。

 集落の外れを通って外に出ると、身体を低くしながら森の入り口へたどり着いた。


「母さん、クロケットさん連れてきたよ」

『そう。何もなかった? 痛いことされなかったかしら?』

「うん、大丈夫。あのね、すごく言いにくいことだけど。人買いみたいだった。気絶させてクロケットさんを助けてきたんだよ」

『それは良かったわ。無益な殺生は良くないことですからね』

「クロケットさん。僕の母さんで……、あれ?」


 ルードは母のリーダを紹介しようと後ろを振り返った。

 すると、クロケットは目を見開いて血の気のない表情をしている。

 口をパクパクさせながら固まっていたのだ。

 足元から湯気が立っているかと思ったら、彼女は失禁してしまっていた。

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