第一話 優しい母さんと可愛く育ったルード。

 リーダが普段使っている言葉は『獣語』と呼ばれる、猫人や犬人が好んで使う言語である。

 これはリーダの今の姿、フェンリルの状態であっても発音がしやすいのだ。

 獣人けものびとであれば誰もが知っているこの言葉。

 どの地域でもどの獣人にも通じるのだが、デメリットもあるのだ。

 それは、魔法の詠唱に適していない。

 魔法の詠唱は基本、人間と同じ公用語と呼ばれる言葉を軸に呪文が作られている。

 リーダは王立の学園に通っていた学生の頃に、魔法の概念や行使の仕方を習った。

 詠唱や具現化など、知識として知らないことは少ない。

 ただあくまでも知識として知っているだけで、使ったことはないのだ。

 祖母が魔法の研究者でもあったため、恥をかかない程度には知らなくてはいけない。

 授業や試験もあったため、首席で卒業できるだけの知識は吸収した。

 ただ、面倒なことを嫌うリーダには合わないものだった。

 生活をする上でも、こうして外の国にいる状態でも、必要性を感じない。

 だから魔法を使うことがなかったのだ。

 リーダたちフェンリルが持つ特別な力は魔法を行使しなくても使える。

 より効果を高めたいときや、具現化を促すときに呪文に似たものを唱える人はいなくはない。

 ただそれは、フェンリルだけに使える力。

 人間であるルードには無用のものだったのだ。

 ルードは毎日のように料理を作ってくれる。

 下ごしらえから食事後の食器を洗うところまで。

 完全に食事に関することはルードがひとりでやってしまうのだ。


 ルードが六歳になったときだった。


「母さん、あのね」

『なぁに?』

「魔法って知ってる?」

『えぇ知ってるわよ』

「母さんも使えるの?」

『わたしはこの姿だからね、使えないのよ』

「そうなんだ。僕が使えるようになったら便利なのにね」

『方法は知ってるわよ。教えてあげましょうか?』

「ほんと?」


 こうして魔法を使わないリーダが、ルードに教えることになったのだ。

 ルードは初めから思っていたが、不思議な子だと改めて思わされた。

 ちょっとした概念を教えてから、簡単な魔法を使わせてみる。


『いいかしら? わたしが唱えても何も起こらないの。……例えばこれがいいかしら? ルード、人差し指を上に立てながらね。万物に宿る赤き炎の力よ。我の願いを顕現せよ。言ってごらんなさい。これで合ってるはずよ』

「んー。ばんぶつにやどるあかきほのおのちからよ。われのねがいをけんげんせよ?」


 ルードはリーダの教えた通り、真似をして詠唱をしてみた。

 すると、指先がムズムズすることもなく、ぽっと一瞬だけ火が灯った。


「あ、でた」

『……嘘でしょう。わたしだって七日はかかったのよ』


 概念や詠唱の言葉、呪文を知っているからといって、魔法を行使できるとは限らない。

 七日は本当なのだ。

 リーダは学園から帰って、恥をかきたくない一心で食事以外の時間を費やして、やっと最初の魔法を顕現させることができたのだった。

 基本、適当でめんどくさがりなリーダだったが、体裁を繕うための努力などに関しては、祖母譲りの負けず嫌いな性格もあったのかもしれない。

 『王女なのだから、外にいるときはみっともないことはできない』これだけのために、努力はしたのである。

 ここからがリーダの適当さ加減というか、いい意味でルードはそれを受け継いでいた。


「んー、めんどくさいからこれでできないかな? 『炎よ、燃えろ』」

『ルードそれはちょっと無理で──』

「あ、でた」

『……嘘ぉ?』


 リーダの学園で学んだ知識、祖母から教えてもらった知識にそんな使い方はなかった。

 詠唱を短縮することはありえないのだ。

 面白がってリーダはすべての魔法を教えることにした。

 『うちの子凄いのよ』のノリだったのかもしれない。

 ルードはリーダのもとに戻ってくるとき、何らかの怪我をしているときがあった。

 そのあたりは別に問題はなかった。

 リーダの母から教わった方法で、ルードの怪我の部分を舐めながら力を込めると傷の治りが早かったからだった。

 ルードが魔法を使えるようになってからは、怪我をした瞬間。

 『癒せ』の一言で治してしまうのだ。

 もう深く考えるのは『めんどくさく』なってしまった。

 ルードは『そういう子』だからと。


 ルードは何に魔法を使いたがっていたかというと、基本は料理にだった。

 鍋に下ごしらえした材料を突っ込むと、両手で持って『炎よ、煮込め』。

 これで短時間で料理を終えてしまう。

 それどころか食器を水に浸けると『水よ、洗い流せ』。

 これで洗ってしまうのだ。

 もう驚かない。

 驚くだけ無駄なのだ。

 それよりは褒めてあげよう。


『ルード凄いわ。わたし、自慢しちゃいたいくらいよ』

「えへへへ」


 照れるルードもまた可愛い。

 親バカリーダの奮戦記はまだまだ続く。


 ▼


 あれから時が経ち、ルードは十二歳になっていた。

 母、リーダは優しく、この世界の色々なことを教えてくれる。

 身を守る方法や、植物などの知識。

 獲物の狩り方、リーダは使わないはずの道具の使い方まで。

 リーダは実に博識だった。

 ルードはリーダに似た髪の色をしている。

 瞳の色ももとは碧眼だったのだが、今は少し赤い色になっている。

 これもリーダそっくりなのだ。

 身長はルードの知識では少し低めのようだが、身体は森を駆けずり回ったせいか、年齢よりはかなりしっかりとした感じに見える。

 幼少から与えられた母乳のせいかはわからないが、明らかに人間の身体能力は超えているような気がする。

 もともと金髪だった髪も、リーダそっくりの色味になっていることから、リーダの影響があったのだろう。

 ルードが着ている服や靴は、実はリーダが懇意にしている種族が作ったものらしい。

 リーダはあちこちの種族や国の習慣なども教えてくれた。

 そして、ルードが持っている知識に驚きながらも、それを吸収するという頭脳を持っていた。

 今、二人が住んでいる小さな集落は、前よりもさらに便利に快適に過ごせるようになっていた。

 何よりも驚いたのが、ルードが町へ行き、狩りをしたものを売り、必要なものを買って帰ったことだった。

 リーダはフェンリラである。

 フェンリラはただの魔獣ではない。

 ルードが買って帰った人間のお菓子が好きだったりするのだ。

 特に甘いものが好きで、ルードは母が好きなものを選んで買って帰る。

 リーダが喜んでくれるのが嬉しいからだった。


 ルードは自分の知識がなぜあるのか思い出せていない。

 もちろん、自分が誰だったかもわからないのだ。

 そんなことは別にいい。

 自分が持っている知識にリーダが喜んでくれる。

 それだけで十分だった。


 ▼


 今日は、リーダと約束していた、リーダが懇意にしている種族の集落へ連れて行ってもらうのだ。

 自分の身をある程度守れるようになり、身体も多少大きくなったことから、十二歳になったら連れていくと約束していたのだ。

 しばらく家を空けることになるからその準備をする。

 少なくともここがリーダの住処だと知っているだろうから荒らされることはないだろう。

 リーダの話では、フェンリル、フェンリラは魔獣の頂点にいる種族らしい。

 らしい、という話し方をしていた理由は、まだ自分たちより強い種族に会ったことがないからだと言っていた。

 リーダの親族には、龍と喧嘩して勝ったという人もいたらしい。

 というより、龍が五体投地をしたらしいのだ。

 その種族の中でも、リーダは争いを好まないがかなり強い方だったらしい。

 成人してからかなりの時間集落に帰っていないらしく、いつか連れて行ってくれるとも言っていた。


 戸締りをするように、家(住処)の門(これもルードが思いついて作った)を閉めて外出の準備を終えた。

 ルードは伏せてくれているリーダの背中にひょいと飛び乗る。


「母さん、いいよ」

『振り落とされないようにね』

「うん」


 リーダはすっと立ち上がる。

 ゆっくりと歩き始めたかと思うと、あっという間に加速を始める。

 周りの景色が後方へ物凄い速さで置き去りになっていく。

 ルードは顔を上げていられなくなり、リーダの首元へ顔を埋めた。

 相変わらずのいい匂いがしてくる。

 小さいころから嗅ぎ慣れた母の匂いだ。


 フェンリラの母と人間の息子。

 フェンリラが普通の魔獣とは違う、高位の知的な種族だったから可能だったのかもしれない。

 息子思いのリーダと母思いのルード。

 互いに相手を思いやり、助け合って生きてきた。

 リーダの毛は初めて会ったときよりも艶があり、ルード曰く『美人さん』なのだそうだ。

 それはルードが十歳の頃、彼の知識にあった『ブラッシング』という概念と櫛の存在。

 想像しながら手作りしたそれは、リーダお気に入りの逸品になった。

 手の届かない部分も優しくブラッシングすることで、身体にあった痒みなどが解消されていた。

 ルードがそれに気づくまでは、不快感が過ぎ去るまで我慢していたそうで、リーダは大層喜んでいたのだった。

 もちろんルードもちゃんと成長している。

 幸い、産みの母の血を色濃く受け継いだようで、あの『豚』と呼んだ男の面影などないようだ。

 リーダは人間の美的感覚はわからないが、ルードを可愛らしいと思っている。


 疾風かぜのように森の中を走っていくリーダ。

 ルードもそこそこ速く走れるのだが、比べ物にならないほどの速度が出ている。

 優に十倍は出ているだろうか。

 それでも背中に乗るルードを気遣っての加減をした走り方なのだろう。

 上下の揺れを感じさせないくらい、息苦しさも感じないようだ。

 それくらい神経を使った走り方をしつつも、恐ろしい速度で走り続けていた。

 フェンリラの能力値からは実に底の知れないものなのだ。


 その速度で小一時間ほど走っただろうか。

 森から林のように辺りが開けた感じになってきていた。

 背中に乗るルードもわかるくらいに速度を落とし、心地よい、まるで乗馬を楽しむかのようなテンポで早歩きするくらいの感じになっている。


『ルード、顔を上げてごらんなさい。ほら、わたしが仲良くしてもらっている集落が見えてきたわよ』

「ん? あ、ほんとだ」

『でもおかしいわね。前ほど活気がないように感じるのよね……』

「そうなんだ。どうしたんだろうね?」


 集落に近づくとそれはルードにもわかってしまった。

 この集落も、ルードたちの住む地域と同じように雪深い。

 ルードは人間の町へ買い物に行くからその違いがわかった。

 確かに集落に活気が感じられないのである。

 リーダは集落の中心、本来であれば人が集まるような広場で足を止めた。

 数年前に来たときはこんな感じではなかったのだ。

 あのときは人々が楽しそうに作業をしていたり、子供たちがあちこちで走り回っていたりしていた。

 だが、その面影が、集落には感じられない。

 周りに積もった雪も、足跡が全くなかったのだ。


 リーダはそのまま、この集落の長の家の前まで歩いていく。

 家の前に着くと、足を止めた。

 ルードもリーダの背から降りて、リーダの横に立った。


『どうしたのです? 誰かいらっしゃらないのかしら?』


 リーダは人の気配は感じ取っていたのだろう。

 ルードですら間違いなく人がいるのは感じ取れていたのだが、それはあまりにも弱弱しく今にも事切れてしまいそうなそんな儚い感じがするのだった。


「母さんおかしいよ」

『そうね。確かに様子がおかしいわ。ヘンルーダいるんでしょ? 何があったの?』


 リーダはヘンルーダという知り合いに話しかけているようだ。

 ここの族長か家族のひとりなのだろう。

 周りの家と比べるとやや大きめの家。

 ルードはその奥から気配が動いたのを感じた。


「母さん。誰か動けないでいるみたい」

『そうね。入るわよヘンルーダ』

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