34 蛇の槍 前編

 山を降りた。

 街道に無事戻った。ガス灯に照らされた道は温かみを感じる。

 けれど剣宮辰也と桜刀ハナの間に言葉はない。

 険しい顔で道を進む。

 男と娘が野盗共に囲まれているのが目に入った。

 無言で歩き、辰也はハナを抜いた。

 ただ何も言わず、振るう。数分後には、野党共は気絶して地に伏せた。全員が峰打ちである。

 助けられた男と娘は何か言いたそうであったが、辰也は無言を貫いて、その場から足早に立ち去った。その間、ハナでさえも何も言わなかった。

 そうして歩き続ける辰也。

 もう半日以上は歩きっぱなしである。

「ねえ」とハナがようやく声をかける。「辰也……そろそろ休もうよ」

「……そうだな」

 素直に応じる。

 街道から外れ、闇の中に身を潜め、手ごろな大きさの石を見つけると腰を休ませた。

 ハナを引き抜き、いつもの手入れを行う。ハナは身を任せるままだ。軽口は控えている。

 それが終わると、次に懐から小刀を取り出して、同じように手入れを行った。

 今は亡き山辺彩の形見であった。




「景山が逝ったか」

 蛇剣衆頭領、堂島豊は、しみじみと呟いた。

 暗い部屋の中、蝋燭を挟んで対峙しているのは蛇辻蛇道。両者共、何やら腰を据えて話し合っている。

「はい。剣宮は例の社に近寄って来ております故」

 蛇辻は何の感情も込めずに声を発する。

「例の、か。接触する恐れは?」

「ないとは言い切れませんな。しかし接触されると少々厄介。違いますかな?」

「その通りだ。あそこはジャジャにとっても大切な場所である。何か、一応の手を打っておくべきだろう」

「ならば問題ありますまい」

「ほう?」

「予めあやつを配置しておきました」

「あやつ、か」堂島は思案気に肯く。「実力は確か。だがあやつは……」

「確かに問題がないとは言えませぬ。何しろ頭が悪いですからな。ですがそれ故に深く考えることもありません。あやつなら言われた通りの場所で剣宮を待ち受けていることでしょう」

「ふむ。しかしそれでは足りぬな。ジャジャに何を言われるか分からんな」

「それも大丈夫でしょう」

「何故?」

「私も行きます故」

「おお。ついに動くか」

「この村にいるのも少々飽いて来たところ。それにあの剣宮、初めて見た時から懐かしい臭いを感じますれば」

「貴様が動くならばジャジャも文句を言わぬであろう」

「それから、もう一つ報告がございます」

「なんだ?」

「すでに元部阿蔵も出立しております」

「ほう? 滅多なことでは動かぬ元部がか?」

「はい。剣宮の強さ。余程お気に召したようで」

「なるほど。確かにそれほどの強さ。しかしあやつの足では」

「はい。私の方が先に剣宮と戦うことになりましょう。そればかりか、剣宮が社を超えてから相対するものと思われます」

「だが元部の実力は本物。もしも剣宮が貴様を突破し、元部を倒したのなら、それは実に面白きことよな」

「真に」

 そうして、二人は不気味に笑い合った。




 うねるように登り続ける街道は林に囲まれている。木々の方へと目を凝らせば、猿が飛び交っているのが見えた。きーきーと鳴く声も聞こえ、獣たちが辰也を警戒している。

「蛇剣衆がいる。それも祝福持ちだよ」

 ハナの警戒する声が耳を撫でた。

 頷いて進んでいくと、途端に視界が開けた。崖があり、大きな吊り橋が掛っている。

 辰也は刀の柄に手を添えた。

 道を塞ぐように一人の大男が仁王立ちで待っている。

 彼の巨躯は土倉平太郎よりもさらに一回り大きく、おまけにその身長を超える長さの長槍を肩に担いでいた。柄は黒く、穂先は血に塗れている。

 よくみれば彼の周囲には野盗らしい数人の死体が転がっており、その返り血でも浴びたのか、白い胴着に赤い斑点が付着していた。

「お主が剣宮辰也か?」

 男は体格に似合う野太い声で尋ねて来た。

「違う、と言ったら?」

「この槍で、確かめる」

「……なるほど」

 この辺りの遺体は全て、男との問答の末に殺されたのだろう。

 男は槍を両手で持ち直し、辰也の眼前に切っ先を向ける。

「して、お主は剣宮辰也か?」

「そうだ」

 瞬間、男は槍を突き出して来た。

 横に避け、辰也はハナを抜く。

 男は一歩踏み込んでさらに槍で薙いできた。蹲み込んでやり過ごす辰也。

 続いて槍で再度突かれ、あるいは縦横に振られてくる。その全てを躱し、あるいはハナで捌く。

 槍の一撃一撃は重く、素早く、的確で、辰也の間合いの外から繰り出されてくる。

 懐に入れなければ刃は届かない。しかし槍の間合いはあまりに深く、加えて隙のない攻撃を繰り返す熟練者。潜り込むのは至難の技だ。

 ならば、

「空の境地」

 全ての感覚を総動員させる。しかし、

「……う」

 目眩がして辰也はよろめいた。その隙を見逃さず、槍の穂先が辰也の頭部を狙って迫りくる。

 頭を逸らすが頰がわずかに裂けた。

 同時に地を蹴って後ろへ飛んだ。

 呼吸を乱し、ぜえぜえと息を吐きながらこめかみを抑える。酷い頭痛がする。体が空の境地を使うことを拒否しているのだ。

「辰也、大丈夫?」

 ハナが小さな声で心配する。

「……ああ」

 安心させるため小さく返し、呼吸を整え、体勢を整える。まだ頭痛は続いているが、幾分か治った。辰也は中段にハナを構え直す。

「ふむ」と男は満足そうに頷いた。「その体捌き、見事なり。さてはお主、本物の剣宮辰也だな」

「……そうだと言っただろう」

「それはすまない。何しろ一週間以上ここでお主を待っていたのだが、偽物が出現するのでな」

 それは、違うと言って殺されたから、そうだと頷けば殺されずに済むと考えたからだろう。そう思った辰也であったが、口には出さない。

「見たところ体調が万全ではないのが残念であるが、勝負は時の運。運がなかったと諦めてもらおう」

「さて、どうだろうな。終わった時には貴様の方が運がなかったと、後悔しているやもしれんぞ」

 周囲一帯が緊迫感に支配された。

 獣たちの鳴き声が止んでいる。二人の戦いを固唾を飲んで見守る観客のようで、じっと息をひそめて勝敗が決する時を待つ。

 辰也はハナを納刀し、居合の構えを取った。

「蛇剣衆、島岡惣兵衛」

「桜花一刀流、剣宮辰也」

 ちりちりと殺気が発せられた。

「参る」

「押し通る」

 瞬間、辰也は強く地面を蹴った。

 一陣の風の如き速度で間合いを詰め、居合を放つ。これぞ桜花一刀流居合術春一番。かの蛇姫を破りし技。

 甲高い音が響いた。強い手応えが手に伝わり、見開いた目で驚愕するのは辰也。

 なんと惣兵衛は槍の長い柄で刃を受け止めていた。

 辰也は力を込めた。しかし惣兵衛は何食わぬ顔をするばかりで何も動じない。柄も斬れないところを見るや、木製ではないのは明らか。しかもこの手応えには覚えがある。

「ふん!」

 そうして力づくで弾かれて後ずさる辰也。惣兵衛はすかさず追い討ちに突く。

「くっ」

 辰也は刀を垂直に掲げ持った。槍は刃と接触し横に逸れ、がりがりと音を立てて顔のすぐ横を通過する。

 すぐに槍が引っ込められたと思うや、続いて第二発目が撃たれた。それをまたもハナで逸らす辰也。

 紛れもなく強敵。さらに長槍の間合いは厄介なこと極まりない。

 相手の攻撃に合わせ、ハナで柄を斬ろうと当てるたびに辰也は確信を深める。

「その柄、ジャジャの鱗か」

「ほお、よお分かったな」

「前に一度、な」

 そう言いながら、辰也は惣兵衛の横振りを屈んで避けた。

「ふむ。ならば、出し惜しみはすまい!」

 惣兵衛は深く集中する。蛇気が槍に集中していくのを辰也は感じ取った。

 それから一瞬の脱力の後、惣兵衛は身を捻って槍を突き出した。

「蛇剣術蛇突きぃ!」

 蛇気を纏っている以外は一見先刻と何ら変わることはない突き。

 辰也は警戒しながら軌道を逸らすべくハナを当てにかかる。

 その刹那。

 辰也は目を疑った。

 槍の柄の部分でぐねりと曲がり、ハナを避けたのだ。

 穂先はそのままさらに曲がり、辰也の腕を襲う。慌てて腕を上げ、後ろへ飛んだ。

 惣兵衛は感心したように、ほおと笑った。

「さすが」

 一方茫然とする辰也。

 この現象は果たして技と呼んで良いのかどうか。

 変幻自在に軌道を変化させる技はこれまでにもあった。車田正治のからみしかり、田所勘兵衛の鎖鎌を用いた鎌首飛ばししかり。これらは超絶の技巧によって為し得たものだ。

 しかしこの蛇突きは明らかに違う。よもや柄を曲げることによって軌道を変えようとは。

 明らかに錬気法によるものだがそれだけではない。ジャジャの鱗によって出来た柄の特性に違いあるまい。

「ゆくぞ」

 惣兵衛はさらに踏み込んできた。槍で再び突いてくる。

 刀で防ごうとするもやはり柄が曲がり避け襲いかかる。頭を逸らして躱す辰也。

 だが安堵している暇などない。連続で突いてくる。

 右に避ければ右に曲がり、左に避ければ左に曲がる。それらを間一髪のところで避けながら、反撃に転じられる隙を探すが見当たらない。

 惣兵衛は明らかに辰也の動きを見てから槍を曲げている。動きが読まれているようには思えない。反射神経と動体視力だけで行っているのだ

 惣兵衛が居合術春一番を防ぐことが出来たのは偶然ではなかった。真っ当な実力があってのことである。

 こうなればやはり空の境地を使いたく思う。惣兵衛の動きの全てを捉えることができれば、次の一手を読みやすくなる。さすれば槍を捌きながら懐に侵入するのは容易かろう。

 しかし今は無理である。空の境地の負荷に脳が耐えられない。

 槍の圧力は物凄く、辰也は下がる一方である。そうして気づけば背後は林。

 辰也は槍の一撃をかろうじて刃の横腹で受け止めた。強い衝撃が走ってそのまま後ろに弾き飛ばされる。背中と木が衝突した。

 ハナでなければ刀は折れていたに違いない。

 痛みを堪えながら辰也はそのまま木に背中を預けつつ、惣兵衛を見据えた。

 勝利を確信したのか不敵な笑みを浮かべている。

 辰也の頰を冷や汗が流れた。

 じり、と惣兵衛は擦り寄る。槍は額を狙っていた。

 一呼吸。

 槍が繰り出された。

 辰也は右に動いた。槍は曲がり追う。

 そのまま木の後ろに回り込む辰也。槍はさらに歪曲する。

 辰也はさらに回り込むと惣兵衛の横に飛び出て、横薙ぎに斬りつけた。

「ぬ」

 辰也に槍は届かない。惣兵衛は槍から手を離し、時計回りに体を回転させながら左に回避した。

 刃は当たらなかった。そうして惣兵衛は、槍が落ち切る前に手にとって、木を挟んで構え直す。

 ほぼ同時に辰也は動いた。暗い林の中に迷うことなく入り込んで、さらに奥へと向かう。

 惣兵衛もまた一切の迷いなく追った。桜色に輝く刀が位置を教えてくれる。これほど楽なことはない。

 木が乱立する闇の中、唯一の光源は桜刀ハナ。そのような中で、二人は対峙している。

 しかしなぜ辰也は、自ら暗闇の中に入ったか。

 惣兵衛はすぐに気づいた。いや、気づかされた。再び蛇突きを放とうと槍を後ろに引いた時、柄が後ろにあった木に引っ掛かったのだ。

 先ほどまでの広い場所と違い、ここでは木々が邪魔になり、長い槍をまともに振るえない。

 これこそが辰也の狙いであった。

 だがしかし、

「俺の蛇突きには関係ない。木を避けるからだ。闇も問題ない。お主の刀は光っているからだ」

 と、惣兵衛は言った。

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