第6話 根腐れ

「兄のことは、このまま死なせてやって!どうか安楽死させてちょうだいな!いなくなることで親族の苦しみを取り除くことくらいしか、この人にできることなんて、もう無いでしょう!」

 現職府議は、激情の赴くままに叫んだ。彼女は、私の患者である元府議の妹で、彼の地盤を継いだのだ。

 彼女が睨め付けるモニターには、薬剤で鎮静を掛けられ眠っている元府議の姿が映し出されていた。彼は本日、自分が着用していたパジャマに火を点けるという自傷行為に及んだのだ。


 本日、元府議の見舞いに訪れたのは、彼の末の息子である大学生だった。それまでは専ら妻が訪れていたこともあって、看護師長の佐上さがみは、大学生に愛想良く対応したのだった。妻以外の家人にも顧みてもらえるというのは、患者にとっての利益なのだから。

「父がお世話になっております」

 大学生は、既に就職活動に励んでいると思しき礼儀正しさを発揮した。

「いやあ、お父さんも、保護室にいらした時分と比べたら、大分落ち着かはりましたわ。この詰所に面した共用ホールでやったら、面会していただいて結構ですよ」

 共用ホールには、テレビとソファが設置されており、新聞や雑誌も置かれている。何より、看護師詰所から一望できる空間であるため、閉鎖病棟に入院中の患者とその家族の面会には適していた。

「これは、父の着替えです。チェックしていただく決まりなんですよね?」

「そうなんですわ!時々、患者さんに拝み倒されて、酒や煙草を着替えと一緒に差し入れようとするご家族もいらっしゃったりするもんやから、失礼して拝見します」

 佐上師長は、精神科での勤続年数が長い、叩き上げの男である。そもそもこうした検査に反感を抱く家族もいるため、努めて下手かつフレンドリーに対応する。

 入院中の飲酒がご法度というのは、随分昔から常識的であるが、時勢により、現在は院内禁煙でもある。チェックすべき項目は、衣服の形状等、他にもあれこれ存在するが、差し出された紙袋の中に特段の違反は認められなかったため、師長は、「結構ですよ」とのみ笑顔で伝えた。

「あの、私物の煙草やライターをお持ちということはないですか?万が一、閉鎖病棟の中に置き忘れはったりすると……」

「持ってないでーす」

 青年は、師長の最後の質問に爽やかな笑顔で応じると、父の待つ共用ホールへと向かった。


 共用ホールでの親子は、仲睦まじかった。隣り合ってソファに座り、二人で一つの新聞を広げ、談笑したのである。

 途中、詰所に戦慄が走った。彼らの頭上のテレビが、不穏な世界情勢を報道したからだ。しかし、元府議はもはや、核ミサイルがどうこうなどと騒ぎ立てることも無かった。

 やがて、息子は父に手を振り、父もまた息子に手を振り返して、面会は終了した。

 息子を見送りがてら詰所を訪れた元府議は、師長から着替えの紙袋を受け取り、病室へ戻った。戻った先は、もはや保護室ではなく四人部屋だった。

 ものの数分後、とある女性患者が、その病室を覗き込み、凄まじい悲鳴を上げた。

 彼女は見たのだ。元府議のベッドから火の手が上がり、元府議自身も燃えながらのたうち回っているのを。

 その直後、火災報知器が鳴り響き、女性の悲鳴とけたたましい二重唱を奏でたのだった。


 師長らスタッフは、とある事実を見逃していた。そもそも想定していなかった。

 元府議は、詰所から病室へ戻る際、ソファで暫し新聞を読み直す素振りをしたが、その際、ソファに突っ込んであった小さな包みを、着替えの紙袋に回収したのである。


 火災報知器と僅差で火事の第一発見者となった患者は、後に証言した。

 彼女は、共用ホールの一角でエアロバイクを漕いでいたため、詰所のスタッフたちとは異なる角度から、父子の面会を目にしていたのだ。

 男二人は、並んでソファに座った。その直後、息子は、ズボンの裾をずり上げて、靴下の中から小さな包みを取り出したのである。父は、腕尽くで、ソファの座面と背もたれの間に隙間を作り、そこへ包みを隠した。

 一連の行為は、新聞を立てて広げることで、詰所に対しては隠蔽されたのである。

 目撃した患者は感激した。包みの中身は煙草ではないかと直感して、いつか自分も同じ手法で望みの品を入手してやろうと考えた。その時点では、スタッフに告げ口する気はさらさら無かった。しかし、元府議が病室へ戻った後、もしも煙草であるなら、口止め料として一本せしめてやろうと思い立ったのだ。

 だが、彼女が病室を覗いた時、元府議は、煙草には火を点けていなかった……


 消防車が到着する頃には、ぼやは消し止められていた。元府議は火傷を負ったが、命に別条は無いと判断された。四人部屋の同室者たちは、みな出払っていたため無事だった。

 元府議は、煙草とライターを不正に入手したが、結局、喫煙するのではなく、自身の着衣や差し入れられたばかりの着替えに点火した。そして、その動機となったらしきメモが焼け残っていた。

『死んじまえ 全部 親父のせいだ』

 息子が差し入れた煙草とライターには、そう書き殴ったメモが添えられていたのだ。


 メモを書き殴った本人は、病院を出た後、すぐそばの喫茶店に陣取った。消防車の到着に歓声を上げて撮影し、『疫病神はポンコツ病院ごと焼却処分ですwww』などと、SNSで公開したのだった。


 急報を受けて大学病院へと駆け付けたのは、患者の妻ではなく妹だった。患者の妻は、警察で事情を聞かれることになった息子のサポートに回ったらしい。

「不幸中の幸いですが、Ⅲ度の熱傷、要は、自然治癒が望めへんほどの深い火傷は、胸部など、ごく一部に留まってます。皮膚移植は必要ですが、患者さんご自身の皮膚で賄えるでしょう。

 患者さんの命に別条はありません」

 皮膚科医の説明を受けて、むしろ、妹は激昂したのだった。

「兄のことは、このまま死なせてやって!どうか安楽死させてちょうだいな!いなくなることで親族の苦しみを取り除くことくらいしか、この人にできることなんて、もう無いでしょう!」

「いやいや、命に別条の無い患者さんを安楽死やなんて、ムチャクチャですわ!法的にも認められるわけあらしません!」

「あのアホが煙草やライターを差し入れたところで、兄が受け取りを拒否してくれたら、あのアホ一人が就職浪人するだけで済んだのに!これでもう、私は、党の推薦なんて受けられっこ無いのよ。

 お願い!兄のことは、このまま……」

「先生、どうかそこまでになさってください。遅くなりまして、申し訳ありません」

 私は、修羅場に分け入った。今日は週に一度の出張日だった。ただ、行き先は京都市内の関連病院だったため、急遽呼び戻されたのだ。いくら火事の時点で不在だったとはいえ、師長ら看護師を矢面に立たせるべきではない。矢面に立つのは、主治医の仕事なのだ。

 あのアホこと元府議の息子が、就職活動に行き詰まり、今回の暴挙に及んだらしいという情報なら、既に得ていた。

「先生は、障害者と健常者の共生を政治理念として掲げておられるはずです。誰しも高齢になれば何かしら生きづらさを抱えるため、障害者はある意味、我々の人生の先輩であり示唆に富んだ存在であると唱えておいでではありませんか」

 だから、精神障害者である兄の死を声高に乞い願うような真似はひとまずおやめいただきたいと、私は彼女に言外に伝えたつもりだった。

 彼女の政治理念については、帰院するタクシーの中で、ホームページを一読しただけの付け焼き刃だったが。

「何よ、嫌味な女ね!私はもうじき、府議ではなくなるわ!」

「現時点では、間違い無く府議でいらっしゃいます」

 現職府議は、フン!と鼻を鳴らして、腕組みした。

「現時点では、間違い無く兄の主治医であるあなたに訊くけど……医師には守秘義務があるわよね?」

 そんな質問をするくらいだ。どうやら、自身の発言が不適切だったという自覚が芽生えたらしかった。

「はい、守秘義務はございます。ただ、患者様だけでなくそのご家族がどういったご様子であったか、きちんと記録に残すこともまた、医師の仕事です」

 府議は、苦々しい笑みを浮かべた。

「なるほど?今日の私の物言いは、今後五年間、あなた方に握られてるってことね!」

 府議は、カルテの保存期間のことを言ったのだろう。より正確には、診療を完結してから五年間なのであるが。

 ちょうどその時、メディア対策室の職員が現れて、府議にひっそりと付き従っていた秘書と名刺交換を始めた。

 メディア対策室は、大学や大学病院の公式発表を取り仕切る部署である。府議も当事者の妹なのだからと、今回は一枚噛むつもりでいるのだろう。

「そうだ、先にさよならを言っておくわ!あなたもいつまでこの病院の勤務医でいられるかわからないものねえ!」

 府議は、メディア対策室へと向かう去り際に言い捨てた。

 もしも私の治療方針に問題があったのなら許さない。大方そういう意味だろう。


「いやあ、メディア対策室様様やなあ!ほな、沢村先生、メディア対策室の生みの親たるお父上にお宜しゅう!」

 皮膚科医は、嵐を耐え忍んでついに太陽を見た船乗りのように、晴れやかに立ち去った。

 彼と私は、顔の火傷を切っ掛けに鬱病を発症した患者の治療で協力したことがあったが、とんだご挨拶だ。


 メディア対策室は、かつて、この病院に勤務する医師たちが、花街にて大手製薬会社の接待を受けたことが明るみに出た際に立ち上げられた。

 公立の大学病院の勤務医には、公務員に準じた清廉性が求められる。花街での高額な接待など、そもそも受けてはならないのだ。

 接待を受けたのは、複数の科の医師たちだったが、とある精神科医が、舞妓に付き纏い心中を持ち掛けたがために、騒動が大きくなった。産学の癒着を地方新聞に疑われただけではなく、「心中」というパワーワードに週刊誌などのメディアも食い付いたのだ。

 メディア対策室は、火消しに奔走した。

 私は思う。父をはじめとして、そもそも接待を受けた全員に非があったはずだと。しかし、父が心中騒ぎさえ起こさなければ、高額な接待は世間に知られずに済んだし、誰も不幸にはならなかったというのが、父以外の誘惑に負けた医師たちのコンセンサスらしい。

 確か、当時の皮膚科教授も、接待を受けていたという話だった。

 

 

 

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