第59話 日歴123年 約束 下

『待て』

 その言葉を合図に、ツァイリー達は移動を始めた。


 ギオザの手錠の鍵はツァイリーが持っている。ツァイリーに与えられた役割は、ギオザの手錠を外し、ダウト司祭が敵の気をひいているうちに、ここから脱出することだった。


 ギオザの身柄さえ手に入れればこっちのものだ。

 メルバコフは、エルザイアンの威を借りなければただの小国。ゆえに、この一件でエルザイアンを公式に敵に回すようなことはしないはずである。ハレル司教は、深追いはしてこないだろうと、踏んでいた。


 ギオザは、斧の影が遠のいたのがわかると、何が起きているのか確認するため、おもむろに振り返った。


「は……?」


 そして、その先にいる人物に気がついた。


「ギオザ!」

 呆けているギオザに、ツァイリーが駆け寄る。

「何故……」


 実は、自分の首はもう刎ねられていて、夢を見ているのかもしれない。

 都合のいい夢。そうとしか、思えなかった。


 アザミは、死んだはずだ。自分が、殺した。


 状況を飲み込めないギオザを尻目に、ツァイリーは手際よく手錠を外していく。

「あいつらを捕まえろ!」

 アイゼンの怒鳴り声が響いた。わっと、メルバコフ兵が動き出す。処刑台にも多くの兵が詰めかけるが……。

「止まれ」

 そのハレル司教の一声で、兵達は金縛りにあったように立ち止まった。

「あいつだ!」

「あいつをなんとかしろ!」

 観客が口々にそう言い出し、民間人も、どうにかハレル司教を止めようと動き出す。

 しかし、彼女を囲うようにレイディアを含め司祭達が立ち塞がった。


「戻りなさい」


 レイディアの、その静謐な声が届くや否や、押し寄せていたメルバコフ民はあっけなく引き返していく。

 レイディアはその神力シエロの強さゆえに、神殿付き神官に抜擢された。それを知っている司祭達でさえ、たった一声で数十人の人間を洗脳したという事実に目を見張った。そして、それは神力シエロについての理解が浅いメルバコフ民にとっては尚更で、蜘蛛の子を散らすようにレイディア達の周りから人がいなくなっていく。


 アイゼンは歯噛みした。どうにも上手くことが進まない。

 しかし、まだ余裕はあった。

 要は、ギオザ・ルイ・アサムを逃さなければいいのだ。

 ギオザの手錠は外されてしまったが、あれは神力シエロを吸収する類のもの。外しても、神力シエロが使えるようになるまでには一定時間必要だ。外にも兵は待機している。神力シエロを使えないギオザをやすやすと逃すはずもない。

 アイゼンは気を取り直して、指示を出す。


 誰でもいいからギオザを殺せ、と。



 処刑台にて。ツァイリーの登場に驚き、一時放心状態だったギオザだが、やっと正気に戻ると言葉を紡いだ。

「何故ここにいる……?」

 その問いに、ダウト司祭が答える。

「我々が保護した! お前共々エルザイアンへ連れて帰る」

 言い終わらないうちに、ダウト司祭は次々とこちらへ向かってくるメルバコフ兵を視界に捉えた。ハレル司教が止めているとはいえ、人数が多い。彼の役割は網から漏れたメルバコフ兵を止めることだった。


「時間との勝負だ! 早く立て!」

 そう言うと、臨戦体制に入り、敵の元へ向かっていく。


「ギオザ」

 立ち上がろうとしないギオザに、ツァイリーが声をかける。

「私は、ここに残る」

 喧騒の中で、その言葉がはっきりとツァイリーの耳に届いた。

「……ここにいたら、殺されるんだぞ」

「ああ」

 ややして、ツァイリーは深くため息をついた。


 予想していたことでもあった。ギオザは、いつも国のことを第一に考えている。


「生捕りにされるわけにはいかない」

 そのためなら、自分の命の価値さえ客観視する。


 国境付近では今まさに、リズガードが派兵したアサム兵とメルバコフ兵が戦っているという。

 リズガードがギオザを見捨てるはずもない。

 処刑を免れてエルザイアンに逃げたとしても、ギオザが生きていることは、アサム王国の【弱み】となる。

 国の荷物になるくらいならばここで死ぬ。

 ギオザの決意は固かった。


 ツァイリーはギオザのそばに膝をついた。

 2人の視線が交わる。


「ディアと約束した。絶対セゾンに戻るって」

『大丈夫だ。俺は絶対生きて、またセゾンのみんなに会いに行く。ディアにも会いに行く』

 ライアンで、確かにそう言った。

 今では幻に思えるようなセゾンでの日々も、もう手の届く場所にある。このままエルザイアンに帰れば、あの穏やかな毎日が戻ってくる。アサム王国での思い出も、いつか笑って話せるようになるだろう。子どもたちはきっと、きゃっきゃと笑って聞いてくれるはずだ。

「俺が今生きているのは、ディアのおかげだ」

 レイディアが自分を探して、ライアンで再会し、ペンダントを渡してくれていなければ、爆発で死んでいた。ツァイリーはそう確信していた。


「……そうか」

 ギオザがツァイリーの言葉を噛み砕き、相槌を打った。


 アザミが死ぬとわかっていて、爆発させた。あの時は、それが最善だと思った。

 でも、アザミは生きていた。

 勝手に『自分の運命に巻き込んでしまった』と思っていたが、違った。アザミにはアザミの世界がある。アザミ・ルイ・アサムではなく、ツァイリー・ヴァートンとしての。


 それが彼を救った。彼を生かした。


 傲慢だった。最初から、自分が彼の運命を決定づけることなど、できなかったというのに。

 こんなことを思うのは、許されないのかもしれない。

 しかし、ギオザはこう思わずにはいられなかった。

 たとえこれからどんな形になっても……。


「お前が生きていてよかった」


 伝えるつもりもないギオザの呟きは、ダウト司祭の「早くしろ!!」という叫び声にかき消された。


「だから……」

 ツァイリーはなおも言葉を続けながら、ギオザの右手を取った。

「……?」

 そして、その中指にはまる指輪をすっと引き抜く。

「あいつには、謝らないとな」

 ギオザはツァイリーの言動がまるで理解できないでいた。

「おっ、ぴったり」

 そうこうしているうちにツァイリーは自分の指に指輪をはめたかと思うと、今度は叫んだ。


「ディア!!!」

 その声は、処刑場全体に響き渡った。レイディアのみならず、全ての人の注目を集める。


「ごめん!! 俺、すぐには帰れない」

 目を丸くするレイディアを確認したツァイリーは、ギオザをしかと抱きしめた。


「なにして……」

 突然のことに、ギオザは上手く反応できない。さらにその力は凄まじく、多少身じろぎしても解けなかった。


「あとは運任せだ。落ちたら頼むぜ、お兄様」

「は……?」

 その瞬間、2人の周りは黒い光に包まれた。それはほんの一瞬のことだったが、目撃した人々の瞼の裏にしばらく残るほどに強烈だった。そして、その光が消えた時。


 処刑台に2人の姿はなかったのである。


 その日、メルバコフ王都にて行われる予定であったアサム王国前国王ギオザ・ルイ・アサムの処刑は、当人の失踪によって中止となった。


 ギオザ・ルイ・アサムは、黒い光と共に、処刑台から忽然と姿を消したのである。


 行き先は未だ不明。

 共に姿を消した義弟、アザミ・ルイ・アサムと行動を共にしていると考えられている。

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